【社会派SF寓話】ゼロの日
2108年、午前九時。世界中の金融システムが同時に停止した。
榊原誠は、大手銀行のシステム管理室にいた。モニターには、エラーメッセージが並んでいた。
「これは、何だ」
誠は、キーボードを叩いた。だが、何も反応しなかった。
隣の席にいた七瀬優花が叫んだ。
「誠さん、海外のサーバーも落ちています」
「全部、か」
「はい。アメリカ、ヨーロッパ、アジア、すべて」
誠は、額に汗が浮かんだ。
これは、ただの障害ではない。世界規模の、何かだ。
その時、部長が駆け込んできた。
「榊原、状況は」
「最悪です。全システムがダウンしています」
「原因は」
「分かりません。サイバー攻撃の可能性もありますが」
部長は、舌打ちした。
「とにかく、復旧を最優先にしろ」
「了解です」
誠は、チーム全員に指示を出した。
だが、何をしても、システムは復旧しなかった。
---
その日の夕方、街は混乱していた。
人々は、ATMの前に殺到していた。だが、ATMは動かなかった。画面には「サービス停止中」と表示されていた。
誠は、銀行から出て、街を歩いた。
コンビニに入ると、店員が困った顔をしていた。
「すみません、今、電子決済が使えないんです」
客が怒鳴った。
「じゃあ、どうやって払うんだ」
「現金でお願いします」
「現金なんて、持ってないよ」
客は、商品を置いて出て行った。
誠も、財布を確認した。現金は、千円しか入っていなかった。普段、誠は電子マネーしか使わなかった。
誠は、コンビニを出た。
街では、人々が不安そうに歩いていた。スマートフォンを見つめ、誰かと電話をしている人もいた。
誠は、自分のマンションに戻った。
エレベーターに乗ると、隣人の九条健人がいた。
「榊原さん、大変なことになりましたね」
「ええ」
「私、パン屋をやっているんですが、今日は売上がゼロでした」
「電子決済が使えないからですか」
「そうです。現金を持っている人が、ほとんどいなくて」
誠は、申し訳ない気持ちになった。
「すみません。私も、金融システムの復旧に関わっているんですが」
「いえ、榊原さんのせいじゃないですよ」
健人は笑った。
「でも、これからどうなるんでしょうね」
「分かりません」
誠は、正直に答えた。
---
その夜、誠は優花と電話で話した。
「誠さん、政府が緊急声明を出しましたよ」
「何て」
「金融システムの障害は、原因不明。復旧のめどは立っていない、と」
誠は、ため息をついた。
「やっぱり、そうか」
「明日も、出勤ですか」
「ああ。何とかしないと」
「頑張ってください」
誠は、電話を切った。
そして、ベッドに横になった。
だが、眠れなかった。
このままでは、世界はどうなるのか。
---
翌日、誠は銀行に出勤した。
だが、状況は悪化していた。システムは依然として復旧せず、街では暴動が起き始めていた。
人々は、現金を求めて銀行を襲った。警察が出動し、鎮圧したが、混乱は収まらなかった。
誠は、優花と共に必死でシステムを調べた。
「おかしい」
誠は呟いた。
「何がですか」
「システムが壊れているわけじゃない。ただ、止まっているだけだ」
「どういうことですか」
「まるで、誰かが意図的に止めているような」
誠は、ログを確認した。
そこには、不可解なコードがあった。
「これは、何だ」
誠は、コードを解析した。
やがて、誠は気づいた。
「これは、バックドアだ」
「バックドア、ですか」
「ああ。誰かが、システムに侵入して、止めている」
誠は、バックドアを追跡した。
だが、その先は、何もなかった。まるで、幽霊のようにコードは消えていた。
「くそ」
誠は、拳を握った。
---
それから一週間が経った。
金融システムは、依然として停止していた。
世界は、大きく変わっていた。
人々は、電子マネーを諦め、物々交換を始めていた。
誠も、その流れに従った。誠は、自分のプログラミングスキルを使って、近所の人々のパソコンを修理した。その対価として、食料をもらった。
ある日、誠は健人のパン屋を訪れた。
「健人さん、パソコンの調子はどうですか」
「おかげさまで、快調です」
健人は、笑顔で答えた。
「お礼に、パンを持っていってください」
「ありがとうございます」
誠は、パンを受け取った。
それは、焼きたてのパンで、良い香りがした。
誠は、パンを一口食べた。
美味しかった。
誠は、気づいた。
お金がなくても、こうして物々交換で生きていける。
それは、悪くないかもしれない。
---
それから、さらに一週間が経った。
人々は、物々交換に慣れていた。
街には、交換市場ができた。そこでは、人々が自分の持ち物を持ち寄り、必要なものと交換していた。
誠も、市場を訪れた。
そこには、様々なものがあった。野菜、肉、服、本。人々は、互いに交渉し、交換していた。
誠は、不思議な感覚を覚えた。
これは、まるで昔の世界のようだ。
お金が発明される前の、物々交換の時代。
誠は、ある老人に話しかけた。
「これ、いいですね」
老人は、野菜を売っていた。
「ありがとう。自分で育てたんだ」
「何と交換しますか」
「そうだな。君、何か技術を持っているか」
「プログラミングができます」
「なら、うちのパソコンを直してくれ。そしたら、この野菜をあげる」
「分かりました」
誠は、老人の家に行き、パソコンを修理した。
そして、野菜をもらった。
誠は、野菜を持って帰った。
その夜、誠は野菜を料理して食べた。
それは、とても美味しかった。
誠は、満足した。
お金がなくても、こうして生きていける。
---
それから、さらに一週間が経った。
誠は、優花と会った。
「誠さん、最近、楽しそうですね」
「そうかな」
「ええ。前より、生き生きしています」
誠は、笑った。
「確かに、そうかもしれない」
「お金がない生活、どうですか」
「悪くないよ」
誠は、正直に答えた。
「最初は大変だったけど、慣れれば意外と楽しい」
「そうですか」
優花も、微笑んだ。
「私も、そう思います」
二人は、交換市場を歩いた。
そこでは、人々が笑顔で交流していた。
誠は、思った。
お金がない世界の方が、人間らしいかもしれない。
お金があると、人々は数字ばかり見る。だが、お金がないと、人々は相手の顔を見る。
それは、大きな違いだった。
---
だが、それから数日後、事態は急変した。
金融システムが、突然復旧したのだ。
誠は、銀行から連絡を受けた。
「榊原、システムが復旧した」
「本当ですか」
「ああ。原因は分からないが、すべて元に戻った」
誠は、複雑な気持ちになった。
嬉しいような、悲しいような。
誠は、銀行に向かった。
システム管理室では、スタッフたちが喜んでいた。
「やった、復旧した」
「これで、また普通の生活に戻れる」
だが、誠は喜べなかった。
誠は、モニターを見た。
そこには、正常に動くシステムが表示されていた。
すべてが、元に戻った。
だが、本当にそれでいいのか。
---
その夜、誠は街を歩いた。
人々は、再びATMの前に並んでいた。現金を引き出し、電子マネーをチャージしていた。
交換市場は、閉鎖されていた。人々は、再びお金で買い物をするようになった。
誠は、健人のパン屋を訪れた。
「健人さん、システムが復旧しましたね」
「ええ」
健人は、複雑な表情をしていた。
「また、元の生活に戻りますね」
「そうですね」
誠は、黙った。
健人が、口を開いた。
「榊原さん、正直に言うと、私は少し寂しいです」
「寂しい、ですか」
「ええ。お金がない生活は、大変でした。でも、人と人との繋がりが強くなった気がします」
誠は、頷いた。
「私も、そう思います」
「でも、もう終わりですね」
「ええ」
二人は、黙った。
やがて、健人が言った。
「でも、忘れないでおきましょう」
「何をですか」
「お金がなくても、人間は生きられるということを」
誠は、微笑んだ。
「そうですね」
---
それから数ヶ月が経った。
世界は、完全に元に戻っていた。
人々は、再びお金を使い、電子マネーで買い物をしていた。
金融システムが停止した一ヶ月間は、まるで夢のようだった。
だが、誠は忘れなかった。
お金がなくても、人間は生きられること。
そして、お金がない方が、人間らしいこと。
誠は、仕事を続けた。だが、以前とは少し違った。
誠は、お金だけを追い求めなくなった。人との繋がりを大切にするようになった。
ある日、誠は優花と話をした。
「優花、もしまた金融システムが停止したら、どうする」
「そうですね」
優花は、考えた。
「今度は、もっと上手に生きられると思います」
「私も、そう思う」
二人は、笑い合った。
誠は、窓の外を見た。
街は、相変わらず忙しそうだった。人々は、お金を追い求めていた。
だが、誠は知っていた。
お金は、すべてではないことを。
---
それから数年が経った。
誠は、銀行を辞めた。
そして、小さなコミュニティを作った。
そこでは、物々交換を基本とした生活をしていた。お金も使うが、それは補助的なものだった。
人々は、互いに助け合い、共に生きていた。
誠は、そのコミュニティのリーダーになった。
ある日、健人がコミュニティを訪れた。
「榊原さん、立派なコミュニティですね」
「ありがとうございます」
「私も、参加してもいいですか」
「もちろんです」
健人は、コミュニティに加わった。
健人は、パンを作り、人々に提供した。その対価として、野菜や肉をもらった。
コミュニティは、少しずつ成長していった。
誠は、満足していた。
お金に支配されない生活。
それが、誠の理想だった。
---
それから十年が経った。
誠のコミュニティは、大きくなっていた。数百人が暮らし、自給自足の生活をしていた。
ある日、誠は若者に話しかけられた。
「榊原さん、どうしてこのコミュニティを作ったんですか」
「それは」
誠は、昔のことを思い出した。
「十年前、金融システムが停止したことがあった」
「聞いたことがあります」
「その時、私は気づいたんだ。お金がなくても、人間は生きられることを」
誠は、若者を見た。
「お金は便利だ。でも、お金がすべてじゃない。人との繋がり、信頼、それがもっと大切なんだ」
若者は、頷いた。
「分かりました」
誠は、微笑んだ。
そして、空を見上げた。
青い空が、広がっていた。
誠は、この生活を選んで良かったと思った。
お金に支配されない、自由な生活。
それが、誠の幸せだった。
---
誠が死ぬ時、彼は満足していた。
自分の人生は、意味があった。
金融システムが停止した一ヶ月間。それは、誠の人生を変えた。
誠は、お金の奴隷から解放された。
そして、人間らしく生きることを学んだ。
誠の墓には、こう刻まれた。
「榊原誠。お金ではなく、人を愛した男」
それは、誠にとって最高の言葉だった。




