【SFドラマ】消去依頼
スマホの通知音で目が覚めた。
見知らぬアプリからのメッセージだった。
『あなたの消去依頼を受け付けました。対象:田中美咲。実行予定日:本日』
は? 田中美咲は僕の妻だ。消去依頼など出した覚えはない。
慌ててアプリを開こうとしたが、すでに消えていた。通知だけが履歴に残っている。
「どうしたの?」
リビングから美咲の声がした。
「朝から騒がしいわね」
「いや、何でもない」
仕事中も気になって仕方なかった。消去依頼とは何なのか。誰が送ってきたのか。
帰宅すると、美咲が夕食の支度をしていた。いつもと変わらない日常。
「ねえ」
と僕は切り出した。
「最近、変なメールとか来てない?」
「変なメール? 来てないけど」
美咲は首を傾げた。
「あなたには?」
「いや...」
言えなかった。
その夜、また通知が来た。
『田中美咲の消去、30%完了』
背筋が凍った。30%? 何が消去されているんだ?
翌朝、美咲の様子がおかしかった。
「ねえ、あなた。私たち、いつ結婚したんだっけ?」
「三年前の春だけど...どうした?」
「ううん、なんか思い出せなくて。式はどこでやったっけ?」
「軽井沢だろ。二人で決めたじゃないか」
美咲は困ったように笑った。
「そうだった。ごめん、最近物忘れが多くて」
職場の同僚に相談した。
「変なアプリから『消去依頼』なんてメッセージが来るんだ」
「ああ、それ知ってる」
と同僚の山田が言った。
「『Memory Eraser』だろ? 今流行ってるんだよ」
「流行ってる?」
「ああ。人々の記憶から特定の人物を消去するサービス。SNSの投稿、写真、他人の記憶、全部から対象者を消していくんだ」
「そんなこと可能なのか?」
「AI技術とネットワークの組み合わせらしい。まあ、都市伝説みたいなもんだけどな」
都市伝説であってほしかった。
しかしその日の夜、また通知が来た。
『田中美咲の消去、60%完了』
翌日、美咲の異変は明らかだった。
「あなた、私の旧姓って何だっけ?」
「佐藤だろ...」
「そうだったかな。思い出せないの。実家の住所も、両親の顔も、何もかも」
美咲は泣き出した。
「怖いの。自分が誰だか分からなくなってきた」
僕は美咲を抱きしめた。
「大丈夫だ。病院に行こう」
しかし病院でも原因は分からなかった。記憶障害の一種だろうと診断されただけだ。
その夜、実家の母から電話があった。
「美咲ちゃん、最近どう? そういえば、あの子ってどんな人だったっけ?」
「母さん、何言ってるんだ。三年も前から知ってるだろ」
「知ってるんだけど...顔が思い出せなくて」
電話を切った後、スマホを確認すると愕然とした。
美咲との写真が全て消えていた。いや、正確には美咲の部分だけがぼやけて、誰だか分からなくなっていた。
SNSを確認した。美咲のアカウントが消えている。友人たちの投稿から、美咲へのタグやコメントが全て消えていた。
『田中美咲の消去、90%完了』
僕は必死にネットを検索した。
「Memory Eraser 解除方法」
一つだけヒットした。古い掲示板の書き込み。
『消去は不可逆。対象者は最終的に現実から消滅する。依頼者以外の記憶からも完全に消え、最後は物理的存在も消える。唯一の方法は、依頼者が取り消すこと』
依頼者? 僕じゃない。じゃあ誰が?
その時、美咲がリビングに入ってきた。
「あなた、私たち...結婚してるんだよね?」
彼女の目には不安が浮かんでいた。
「でも、なんで結婚したのか思い出せない。あなたのこともよく分からない。あなたは誰?」
「俺は夫だ! 忘れないでくれ!」
しかし美咲は首を振った。
「夫...そうなの? でも、何も感じない。愛してるって感覚も、思い出も、何もない」
翌朝、美咲は消えていた。
寝室のベッドに誰も寝ていない。クローゼットを開けても、美咲の服が一着もない。写真立ても空っぽ。まるで最初から誰も住んでいなかったかのように。
でも僕は覚えている。美咲のことを。
職場に行くと、同僚の山田が声をかけてきた。
「おまえ、結婚してたっけ?」
「してるよ! 美咲と!」
「美咲? 誰それ」
「俺の妻だ! 会社の飲み会にも連れてきただろ!」
山田は困ったような顔をした。
「お前、独身だろ。大丈夫か?」
その日、僕は仕事を早退し実家に向かった。
両親も美咲のことを覚えていなかった。
「お前に彼女がいたなんて聞いてないぞ」
と父が言った。
「結婚式に来ただろ!」
「結婚式? お前まだ独身だろう?」
家に戻ると、部屋の間取りまで変わっていた。
二人で住んでいた2LDKが、1Kになっていた。まるで最初から一人暮らし用の部屋だったかのように。
絶望しかけたその時、スマホに最後の通知が来た。
『田中美咲の消去、99%完了。最終確認:
依頼者は本当に消去を望みますか?』
その下に、依頼者名が表示されていた。
『依頼者:田中美咲』
美咲自身が、自分を消去依頼していた?
なぜ? どうして?
震える指でメッセージ欄を開くと、美咲からの長文メッセージが残っていた。日付は一ヶ月前。
『ごめんなさい。私、あなたの重荷になりたくなかった。病気が分かって、あと半年の命だって言われた。あなたに看取られて、あなたに悲しい思い出を残して死ぬのは嫌だった。だから、私の方からいなくなることにした。Memory Eraserを使えば、誰も悲しまない。あなたも、私のことを忘れて、幸せになれる。これが最後の愛情だと思ってくれたら嬉しい。さようなら』
僕は床に崩れ落ちた。
画面には最終確認のボタンが表示されていた。
『消去を完了しますか? YES / NO』
NOを押せば、美咲は戻ってくるのか? それとももう遅いのか?
指がNOに向かった。
しかしその瞬間、新しいメッセージが届いた。
『消去完了。田中美咲の全記録を削除しました』
画面が真っ暗になった。
そして僕は立ち上がった。1Kの部屋を見回した。
「さて、夕飯どうしようかな」と呟いた。
なぜか頬が濡れていた。理由が分からなかった。
誰かを失った気がした。
でも、誰を?
窓の外を見ると、見知らぬ女性が立っていた。こちらを見上げて、悲しそうに微笑んでいる。
僕は手を振ろうとした。
しかし次の瞬間、その女性の姿が薄れていった。
まるで最初からそこに誰もいなかったかのように。
風が吹いた。
何かが終わった気がした。
でも何が終わったのか、僕には分からなかった。
ただ、胸の奥に小さな穴が空いている感覚だけが、確かに残っていた。
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