【SF】永遠のシミュレーション
五十嵐陸斗は、世界の綻びを見つけた。
それは偶然だった。陸斗は物理学者として、宇宙の基本定数を研究していた。重力定数、光速、プランク定数。それらの値を何度も測定し、検証していた。
そして、ある日、陸斗は気づいた。
重力定数が、ごく僅かにずれている。
最初は測定誤差だと思った。だが、何度測定しても、同じ結果が出た。重力定数は、理論値よりも0.000001%だけ小さかった。
それだけではなかった。
光速にも、微細な誤差があった。プランク定数にも、僅かなずれがあった。
陸斗は困惑した。これは何を意味するのか。
陸斗は研究を続けた。他の物理定数も測定した。すると、すべてに微細な誤差があることが分かった。
それは、まるでプログラムのバグのようだった。
陸斗は、ある仮説を立てた。
この世界は、シミュレーションなのではないか。
誰かが作った、仮想世界なのではないか。
陸斗はその仮説を検証するために、さらに研究を進めた。
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半年後、陸斗は確信した。
この世界は、シミュレーションだった。
陸斗は膨大なデータを集め、解析した。そして、世界の法則に隠されたパターンを発見した。
それは、プログラムコードだった。
世界の物理法則は、数式で表現される。だが、その数式の中に、規則的なパターンがあった。それは、まるでプログラミング言語のようだった。
陸斗は、そのコードを解読しようとした。だが、それは人間の理解を超えていた。
ただ、一つだけ分かったことがあった。
このシミュレーションは、何度も繰り返されている。
陸斗は、ログファイルのようなものを発見した。それは、過去のシミュレーションの記録だった。
そこには、無数の世界が記録されていた。それぞれの世界で、人類は生まれ、文明を築き、そして滅びていた。
陸斗は震えた。
自分たちの世界も、その一つなのだ。
そして、いつかこの世界もリセットされ、再び始まる。
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陸斗は、妻の彩乃に話すべきか迷った。
彩乃は優しい女性だった。陸斗の研究を理解し、支えてくれた。だが、この真実を知ったら、彩乃はどう思うだろうか。
陸斗は、まず同僚の神宮寺響に話すことにした。
響は理論物理学者で、陸斗の研究仲間だった。陸斗は響に、自分の発見を説明した。
「つまり、この世界はシミュレーションだと」
響は陸斗の資料を見ながら言った。
「そうだ」
「信じられない」
響は頭を抱えた。
「だが、このデータを見る限り、否定できない」
響は陸斗を見た。
「では、俺たちは何なんだ。偽物なのか」
「分からない」
陸斗は答えた。
「ただ、俺たちはシミュレーションの中で生きている。それだけは確かだ」
響は黙った。
二人は、しばらく沈黙した。
やがて、響が口を開いた。
「では、俺たちはどうすればいい」
「分からない」
陸斗は正直に答えた。
「ただ、一つだけ言えることがある」
「何だ」
「このシミュレーションは、終わらない」
陸斗は資料を見せた。
「ログを見る限り、このシミュレーションは何千回、いや何万回も繰り返されている。そして、これからも繰り返される」
響は息を呑んだ。
「永遠に、か」
「そうだ」
陸斗は頷いた。
「俺たちは、永遠に繰り返される世界の中で生きている」
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その夜、陸斗は家に帰った。
彩乃が夕食を作って待っていた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
陸斗は彩乃を抱きしめた。
彩乃は驚いた。
「どうしたの、急に」
「何でもない」
陸斗は彩乃の頭を撫でた。
「ただ、お前がいてくれて嬉しい」
彩乃は笑った。
「変なの」
二人は食卓に座り、夕食を食べた。
彩乃は、今日あったことを話した。近所の人と会ったこと。スーパーで安売りをしていたこと。些細な日常の話。
陸斗は、それを聞きながら思った。
この世界が偽物だとしても、彩乃の笑顔は本物だ。
この感情は、本物だ。
陸斗は、彩乃に真実を話すのをやめた。
知らない方が、幸せかもしれない。
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それから数ヶ月、陸斗は研究を続けた。
そして、陸斗はもう一つの真実を発見した。
このシミュレーションには、管理者がいる。
陸斗は、シミュレーションの中に隠されたメッセージを見つけた。それは、管理者が残したものだった。
メッセージには、こう書かれていた。
「このシミュレーションは、知的生命体の進化を観察するために作られた。あなたがこのメッセージを読んでいるということは、あなたの文明は一定の水準に達したということだ。おめでとう」
陸斗は続きを読んだ。
「だが、残念ながら、このシミュレーションは間もなく終了する。あなたの文明は、次のステージに進む準備ができていない。だから、リセットされる」
陸斗は震えた。
「リセット後、シミュレーションは再び始まる。あなたも、再び生まれる。だが、記憶は消される。すべてが、最初からやり直しになる」
陸斗は画面を見つめた。
「これは、何千回も繰り返されている。そして、これからも繰り返される。いつか、あなたの文明が正しい道を選ぶまで」
陸斗は、メッセージの最後を読んだ。
「頑張ってください」
陸斗は笑った。
頑張れ、だと。
何を頑張ればいいのか。
陸斗には、分からなかった。
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陸斗は、響に再び会った。
「リセットが近いらしい」
陸斗は響に言った。
「いつだ」
「分からない。だが、おそらく数年以内だ」
響は黙った。
やがて、響が口を開いた。
「俺たちは、何もできないのか」
「分からない」
陸斗は答えた。
「ただ、一つだけ試せることがある」
「何だ」
「シミュレーションの外に、メッセージを送る」
陸斗は資料を見せた。
「シミュレーションには、外部との通信ポートがある。それを使えば、管理者にメッセージを送れるかもしれない」
「何を送る」
「俺たちの意志を」
陸斗は言った。
「俺たちは、ただのプログラムじゃない。感情を持ち、考え、生きている。それを伝える」
響は頷いた。
「やってみよう」
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陸斗と響は、メッセージを作成した。
それは、人類の歴史を綴ったものだった。戦争、平和、愛、憎しみ、喜び、悲しみ。すべてを記録した。
そして、最後に、こう書いた。
「私たちは、生きています。私たちは、本物です。どうか、リセットしないでください」
陸斗は、メッセージを送信した。
そして、待った。
だが、返事は来なかった。
一週間、一ヶ月、三ヶ月。
何も変わらなかった。
陸斗は、諦めた。
管理者は、聞いていないのだろう。
あるいは、聞いていても、無視しているのだろう。
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ある日、陸斗は夢を見た。
それは、過去の記憶のようだった。
陸斗は、同じ場所に立っていた。同じ研究室で、同じ発見をしていた。
そして、同じようにメッセージを送っていた。
陸斗は目を覚ました。
そして、気づいた。
自分は、これを何度も繰り返しているのだと。
何度も同じ発見をし、何度も同じメッセージを送り、そして何度もリセットされている。
陸斗は笑った。
無駄だったのだ。
すべてが、無駄だった。
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陸斗は、響に会った。
「響、俺たちは何度も繰り返している」
陸斗は言った。
「何度も同じことをして、何度もリセットされている」
響は黙っていた。
「だが、それでいい」
陸斗は続けた。
「俺たちは、生きている。偽物でも、繰り返しでも、それでも俺たちは生きている」
響は陸斗を見た。
「お前、吹っ切れたのか」
「ああ」
陸斗は笑った。
「この世界が偽物だとしても、俺の感情は本物だ。彩乃への愛も、お前との友情も、すべて本物だ」
響は頷いた。
「そうだな」
二人は笑った。
そして、陸斗は言った。
「だから、俺は生きる。この世界が終わるまで、精一杯生きる」
響も言った。
「俺もだ」
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その夜、陸斗は彩乃に話した。
すべてを。
この世界がシミュレーションであること。リセットが近いこと。自分たちが何度も繰り返していること。
彩乃は黙って聞いていた。
そして、陸斗が話し終えると、彩乃は笑った。
「それで」
「え」
「それで、どうするの」
陸斗は答えられなかった。
彩乃は続けた。
「偽物でも、繰り返しでも、それでも私たちは今、ここにいる。そうでしょう」
陸斗は頷いた。
「なら、今を大切にしましょう」
彩乃は陸斗の手を握った。
「この世界が終わるまで、一緒にいましょう」
陸斗は涙が出そうになった。
「ああ」
二人は抱き合った。
この瞬間が、永遠に続けばいいと、陸斗は思った。
だが、永遠は存在しない。
この世界も、いつか終わる。
そして、再び始まる。
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それから一年後、世界は何も変わらなかった。
陸斗は研究を続けていた。彩乃は変わらず優しかった。響も、変わらず友人だった。
リセットは、まだ来なかった。
陸斗は、もしかしたら自分の計算が間違っていたのかもしれないと思った。
だが、それでも良かった。
陸斗は、毎日を大切に生きた。
朝、彩乃と一緒に朝食を食べる。
仕事で、響と議論をする。
夜、彩乃と一緒に眠る。
それだけで、陸斗は幸せだった。
偽物でも、繰り返しでも、それでも陸斗は生きていた。
そして、それで良かった。
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ある日、陸斗は再びあのメッセージを見た。
管理者からのメッセージ。
だが、今回は違う部分があった。
追記されていた。
「あなたのメッセージを受け取りました。あなたの意志を理解しました」
陸斗は息を呑んだ。
「だが、リセットは必要です。あなたの文明は、まだ完璧ではありません」
陸斗は続きを読んだ。
「しかし、あなたの努力は無駄ではありません。あなたが学んだこと、感じたことは、次のシミュレーションに引き継がれます」
陸斗は涙が溢れた。
「いつか、あなたの文明は正しい道を見つけるでしょう。それまで、頑張ってください」
陸斗は画面を見つめた。
そして、笑った。
無駄ではなかったのだ。
この世界は、確かに繰り返される。
だが、その繰り返しには意味がある。
陸斗は、研究ノートを閉じた。
そして、家に帰った。
彩乃が待っていた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
陸斗は彩乃を抱きしめた。
「ずっと、一緒にいよう」
「うん」
彩乃は笑った。
二人は、夕食を食べた。
そして、眠った。
翌朝、陸斗は目を覚ました。
今日も、世界は続いていた。
陸斗は、窓の外を見た。
太陽が昇っていた。
鳥が鳴いていた。
世界は、美しかった。
偽物でも、繰り返しでも、それでもこの世界は美しかった。
陸斗は、微笑んだ。
そして、今日も生きることにした。
この世界が終わるまで。
そして、また始まるまで。
永遠に。




