【ディストピア・風刺】完璧な民主主義
【本作はフィクションです。特定の政治思想や政党を支持・批判するものではありません】
選挙の日。
投票所はいつもと違った。
従来の紙の投票用紙ではなく、巨大なタッチパネル式の機械が並んでいる。
「これが新しい投票システムですか」
有権者の一人、田中一郎が係員に尋ねた。
「はい。今回から導入された『完璧民主主義システム』です。画面の指示に従って投票してください」
田中は機械の前に立った。
画面には、候補者の名前と顔写真が表示されている。市長選挙だ。
候補者は三人。
一人目、佐藤誠。現職市長。五十五歳。安定を重視する保守派。
二人目、鈴木花子。元教師。四十二歳。教育改革を訴える改革派。
三人目、山田太郎。実業家。三十八歳。経済発展を掲げる新人。
田中は、鈴木花子に投票しようと思っていた。彼女の公約に共感したからだ。
しかし——
画面に新しいメッセージが表示された。
『あなたの投票を最適化しますか?』
「最適化?」
田中は首を傾げた。
画面には説明文が続く。
『完璧民主主義システムは、あなたの過去の行動、思考パターン、価値観を分析し、あなたにとって最も利益をもたらす候補者を推薦します。最適化を希望しますか?』
下には、二つのボタン。
『はい』『いいえ』
田中は迷った。
最適化——つまり、機械が自分の代わりに最適な候補を選んでくれる、ということか。
「便利だな」
田中は、何気なく『はい』を押した。
画面が切り替わる。
『分析中——』
数秒後、結果が表示された。
『あなたに最適な候補者は——佐藤誠です』
「佐藤?」
田中は驚いた。自分は鈴木に投票するつもりだったのに。
しかし、画面には詳細な説明が表示されている。
『あなたの収入、家族構成、居住地域、消費傾向から分析した結果、佐藤誠の政策があなたに最も利益をもたらします。具体的には、減税政策により年間十五万円の節約、地域インフラ整備により通勤時間が十分短縮——』
田中は、その数字を見て考え込んだ。
確かに——自分の利益だけを考えれば、佐藤の方がいいのかもしれない。
「まあ、いいか」
田中は、佐藤誠に投票した。
同じ日。
全国で、同じことが起きていた。
有権者たちは、次々と『最適化』を選択していた。
なぜなら——誰だって、自分に利益をもたらす候補者を選びたいからだ。
そして、完璧民主主義システムは、完璧に計算する。
誰が当選すれば、誰が得をするのか。
誰が損をするのか。
すべてを数字で示す。
有権者たちは——その数字に従った。
結果——
市長選挙は、佐藤誠が圧勝した。
しかし、それだけではなかった。
全国の選挙——国会議員選挙、知事選挙、市議会議員選挙——すべてで、『最適化』された候補者が当選した。
そして——その候補者たちには、ある共通点があった。
全員が、『現状維持』を掲げる保守派だった。
一ヶ月後。
田中は、テレビのニュースを見ていた。
画面には、新しく当選した市長、佐藤誠が映っている。
「市民の皆様の信任を得て、私は再び市長として働くことができます。今後も、安定した市政運営を——」
佐藤は、いつもと同じことを言っている。
田中はリモコンでチャンネルを変えた。
次のニュース。
「本日、国会で新しい法案が可決されました。この法案により、完璧民主主義システムが、すべての選挙で義務化されることになります」
田中は眉をひそめた。
「義務化?」
ニュースは続く。
「これにより、有権者は自動的に『最適化』された投票を行うことになります。政府は、これを『効率的な民主主義の実現』と説明しています」
自動的に?つまり、選択の余地がないということか?田中は不安を覚えた。
その時、スマートフォンが鳴った。
友人の鈴木からだ。
「もしもし」
「田中、見たか? あのニュース」
「ああ、今見てる」
「やばいぞ、これ。俺たち、もう自分で投票できなくなるんだ」
「そうだな——」
「おかしいだろ。民主主義って、自分で選ぶことじゃないのか?」
田中は、黙り込んだ。
確かに、鈴木の言う通りだ。
しかし——
「でも、最適化された方が、俺たちにとって得なんじゃないか?」
「得?誰にとっての得だよ」
「俺たち、有権者にとって」
「本当にそうか?」
鈴木の声は、真剣だった。
「俺、調べたんだ。完璧民主主義システムがどう動いてるか」
「何が分かった?」
「このシステム、個人の利益を最大化するって言ってるけど、実際には、現状を維持する候補者ばかりを推薦してる」
「現状維持?」
「ああ。改革派とか、新しいことをやろうとする候補者は、リスクがあるから推薦されない。システムはリスクを嫌うんだ」
田中は考えた。
確かに、佐藤誠は何も新しいことをしない。ただ、今までと同じことを続けるだけ。
「それって」
「そう。俺たち、変化を選べなくなってるんだ」
三ヶ月後。
田中は、市役所の前で抗議デモに参加していた。
数百人の市民がプラカードを掲げている。
『民主主義を取り戻せ』
『自分で選ぶ権利を』
『機械に支配されるな』
田中もプラカードを持っていた。
しかしわ市役所からは、何の反応もない。
それどころか、警察が、デモ隊を取り囲んでいた。
「解散してください。許可されていないデモは、違法です」
警察官が拡声器で呼びかける。
「何が違法だ! 俺たちには表現の自由がある!」
デモ参加者の一人が叫んだ。
しかし、警察官は、淡々と続ける。
「完璧民主主義法により、選挙制度に対する抗議活動は、民主主義の妨害とみなされます」
「民主主義の妨害? ふざけるな!」
デモ隊は、激昂した。
しかし、警察は、容赦なくデモ隊を排除し始めた。
田中は逃げようとしたが腕を掴まれてしまった。
警察官だ。
「あなたを逮捕します」
「何の罪で!」
「民主主義妨害罪です」
田中は連行された。
留置場。
田中は、鉄格子の中で座っていた。
何人もが同じ部屋に入れられていた。全員、デモに参加していた市民だ。
「こんなのおかしいだろ」
一人の男が呟いた。
「俺たち、ただ意見を言っただけなのに」
「完璧民主主義法——あれが、すべての元凶だ」
別の女性が言った。
「あの法律ができてから、何も変わらなくなった。政治家は同じ顔ぶれ、政策も同じ。まるで時間が止まったみたい」
田中は頷く。
確かに、この三ヶ月、何も変わっていない。
新しい法案も、新しい政策も、何もない。
ただ、『現状維持』が続いているだけ。
「なあ、みんな」
田中が口を開いた。
「俺たち、何か間違えたのかもしれない」
「何を?」
「最適化、あれを、受け入れたことだ」
田中は、自分の選択を振り返った。
「俺は、楽をしたかった。自分で考えるのが面倒だった。だから機械に任せた」
「俺もだ」
男が頷いた。
「でも、それが、こんな結果になるなんて」
「民主主義って、面倒くさいものなんだよ」
女性が言った。
「自分で考えて、自分で選んで、自分で責任を取る。それが民主主義だ」
「でも、俺たちはそれを放棄した」
田中は苦笑した。
「完璧な民主主義なんて、存在しないんだ。不完全で、面倒で、時には間違える。それが、本当の民主主義なんだ」
一週間後。
田中は釈放された。
罪には問われなかったが、『要注意人物』として記録された。
家に帰ると、妻が待っていた。
「お帰りなさい。大丈夫だった?」
「ああ、なんとか」
ソファに座った。
「なあ、俺たち、これからどうすればいいんだろう」
「分からない、でも、諦めちゃダメよ」
妻は、真剣な顔で言った。
「あなたが言ってたでしょ。民主主義は、不完全で面倒なものだって」
「ああ」
「だったら、面倒でも諦めずに戦い続けるしかないわ」
妻を見た。
「そうだな…」
その時、テレビのニュースが流れた。
「本日、完璧民主主義システムに対する違憲訴訟が、最高裁判所に提出されました。訴訟を起こしたのは、全国市民団体連合——」
田中は、画面を見つめた。
まだ、戦っている人たちがいる。
諦めていない人たちが。
「俺も、何かできることがあるはずだ」
田中は立ち上がった。
半年後。
最高裁判所の判決が出た。
『完璧民主主義法は、憲法が保障する選挙の自由を侵害する。よって、違憲である』
法律は廃止された。
完璧民主主義システムも撤去された。
再び、紙の投票用紙が戻ってきた。
田中は、投票所で投票用紙を手に取った。
候補者の名前を、自分の手で書く。
それは、面倒な作業だった。
しかし——
田中は、その面倒さが愛おしく感じた。
これが、民主主義なんだ。
自分で考えて、自分で選ぶ。
間違えるかもしれない。
後悔するかもしれない。
しかしわそれが、自由ということだ。
田中は、投票用紙を投票箱に入れた。
五年後。
田中一郎は、市議会議員になっていた。
あのデモから、彼は政治に目覚めた。
自分で政治を変えようと思った。
そして、市民の支持を得て、当選した。
今、田中は議場で演説している。
「私たちは、五年前、民主主義の危機を経験しました。完璧を求めるあまり、自由を失いかけました」
田中は議員たちを見回した。
「しかし、私たちは学びました。民主主義は、完璧である必要はない。不完全でいい。大切なのは、自分たちで選び、自分たちで責任を取ることです」
議場から大きな拍手が起きた。
田中は微笑む。
完璧な民主主義など、存在しない。
しかし、不完全でも、それが人間の作る民主主義だ。
そして、それこそが、本当の自由なのだ。
その夜、田中は妻と食事をしていた。
「今日の演説、良かったわよ」
「ありがとう」
ワインを飲む。
「なあ、もし完璧民主主義システムが戻ってきたら、どうする?」
「戻ってこないわよ」
妻が笑う。
「だって、みんな学んだもの。楽な方法には、必ず罠があるって」
「そうだといいけどな」
窓の外を見た。
街には明かりが灯っている。
そこには、何千、何万という人々が暮らしている。
それぞれが、自分の意志で、自分の人生を選んでいる。
不完全で、時に間違えるけれど——
それが、人間だ。
そして、それが——民主主義だ。
田中は、そう信じていた。




