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世界は静かに壊れている【ショートショート集・短編集】  作者: 御影のたぬき


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【モキュメンタリーホラー】未帰還者名簿

 第1章 失踪の発覚

 本資料は、二〇二三年七月に発生した集団失踪事案について、各種公的記録、関係者への聞き取り、ならびに筆者が独自に行った現地調査の結果を整理し、再構成したものである。

 本件は、発生当初から現在に至るまで、全国的な報道がなされることはなかった。

 理由は単純で、初動段階において「事件性が認められない」と判断されたためである。

 失踪が最初に確認されたのは、X県X市北部、山間部に位置する小規模集落――通称「■■集落」であった。

 人口は三十二名。

 全員が六十五歳以上の高齢者で構成され、世帯数は二十一。

 最寄りの市街地までは車で約四十分。

 携帯電話の電波は極めて不安定で、固定電話のみが細々と機能している地域である。

 この集落は、いわゆる「限界集落」に分類されていたが、行政との接点が完全に断たれていたわけではない。

 週に一度、福祉課の委託を受けた民間業者が、食料品や日用品を届けていた。

 異変が最初に報告されたのは、二〇二三年七月十四日午前九時二十分。

 その配送業者から、X市役所福祉課へ一本の電話が入った。

「集落の人が、誰も出てこないんです」

 電話口の男性は、当初は困惑した様子だったという。

 道が封鎖されているわけでもない。

 車は通常どおり集落の中心部まで入れた。

 しかし、いつもなら必ず顔を出すはずの住民が、一人も姿を見せなかった。

 玄関をノックしても反応はない。

 声をかけても返事はない。

 テレビの音も、ラジオの音も、犬の鳴き声すら聞こえなかった。

 配送業者は不審に思い、三軒目の家で固定電話を借りようとした。

 だが、受話器を取っても発信音は鳴らなかったという。

 この時点で、福祉課の職員は「一時的な外出」「集落行事」などを想定していた。

 高齢者が多い地域では、連絡が滞ること自体は珍しくない。

 だが、同日正午。

 状況は一変する。

 福祉課の職員二名が現地確認のため集落を訪れ、即座に警察へ連絡を入れた。

 理由は、家屋の状態だった。

 どの家も、生活の途中で時間が止まったかのようだった。

 炊飯器は保温状態のまま。

 鍋には煮かけの料理が残されていた。

 テレビは点いたまま、音量だけがゼロにされている。

 洗濯物が干された家もあった。

 まだ乾ききっていないものもあり、失踪が長時間前ではないことを示していた。

 そして、最も不可解だったのが、玄関の様子である。

 全ての家で、靴が一足も見当たらなかった。

 下駄箱は空。

 長靴も、スリッパも、サンダルもない。

 まるで、この集落の住民全員が、同時に「履物という概念を必要としなくなった」かのようだった。

 警察は同日夕方、正式に捜索を開始する。

 周辺の山林、道路、河川が確認されたが、集落の外に出た痕跡は見つからなかった。

 唯一の出入口に設置された防犯カメラにも、異常はなかった。

 失踪が起きたと推定される時間帯、

 誰一人として、集落に入っても、出てもいなかったのである。

 この時点で、警察内部では「集団での移動」「第三者の関与」は否定的に見られていた。

 だが、現場を確認した捜査員の一人は、報告書に次の一文を残している。

「現地には、人が“いなくなった”というより、

 “最初から存在していなかったような空白”があった」

 この感覚的な記述は、当初は問題視されなかった。

 だが、後に集められた証言や記録と照らし合わせると、

 この一文が、本件を最も正確に表していた可能性がある。

 ■■集落は、確かに地図上には存在していた。

 記録上も、住民は存在していた。

 しかし――

 そこに「人がいた痕跡」だけが、異様なほど欠落していたのである。



 第2章 名簿の欠番

 ■■集落の捜索が始まって三日目、警察は住民基本台帳と現地に残されていた自治会資料の照合を開始した。

 表向きには単純な作業である。

 三十二名。

 世帯数二十一。

 全員が同一集落に居住している。

 だが、この時点ですでに、記録には微妙なズレが生じていた。

 市役所が保管していた最新の住民基本台帳には、確かに三十二名分の氏名、生年月日、続柄が記載されていた。

 しかし、自治会が管理していた名簿――通称「在住者名簿」には、三十一名分しか記録がなかった。

 一名、足りない。

 自治会名簿は、毎年四月に更新される。

 高齢者が多い地域であるため、死亡や転出の記録は比較的頻繁に反映されていた。

 にもかかわらず、直近の更新日は二〇二三年四月一日。

 失踪のわずか三か月前である。

 その時点で、すでに一人分の欠番が存在していた。

 名簿の番号は一から三十二まで振られている。

 だが、「二十三番」だけが空欄になっていた。

 削除線も、備考もない。

 まるで、最初から存在しなかったかのように、番号だけが抜け落ちている。

 警察は自治会長の自宅を重点的に調べた。

 自治会長は七十八歳の男性で、集落内では比較的活動的な人物だった。

 彼の家には、名簿の原本とは別に、手書きの控えが残されていた。

 しかし、そこでも同じだった。

 二十三番は、空白。

 ページの裏側に、消し跡や破れは確認されなかった。

 意図的に消した形跡もない。

 捜査報告書には、次のように記されている。

「名簿作成時点において、当該人物は“数に含められていない”可能性がある」

 奇妙なのは、ここからだった。

 警察が住民基本台帳の過去データを遡ると、

 二十三番に該当する人物は、確かに存在していた。

 氏名、性別、生年月日。

 住民票の異動履歴。

 過去の選挙名簿。

 国民健康保険の加入記録。

 すべて揃っている。

 しかし、集落内での痕跡だけが、徹底的に欠落していた。

 住宅は存在する。

 だが、その家だけ、生活感が薄かった。

 家具はある。

 家電も通電している。

 だが、衣類がほとんど見当たらない。

 写真がない。

 仏壇もない。

 郵便物も、直近数年分が存在しなかった。

 まるで、

「住んでいたことにするための最低限の舞台装置」だけが、置かれているようだった。

 警察は近隣住民への聞き取りを行った。

 だが、ここで決定的な違和感が浮かび上がる。

 二十三番について、

 誰一人として、明確な記憶を持っていなかった。

「そんな人、いたかなあ」

「昔はいたかもしれない」

「名前を聞けば思い出すかもしれないけど」

 誰も断言しない。

 否定もしない。

 だが、肯定もできない。

 それは「忘れた」というより、

 **「最初から記憶に形成されていない」**態度だった。

 この証言の傾向は、集落外の関係者にも共通していた。

 配送業者は、失踪前の週まで集落を訪れていたが、

「三十二人もいた印象はない」と語っている。

 福祉課の担当職員も、

「名簿上の人数と、実感が合わない」と述べていた。

 数字は三十二。

 だが、誰も三十二人を見たことがない。

 捜査が難航する中、

 警察は別の資料に目を向ける。

 それは、集落内の公民館に保管されていた、

 古い冊子だった。

 表紙には、手書きでこう記されている。

「未帰還者名簿」

 発行年の記載はない。

 ただし、紙質や印刷から見て、少なくとも数十年前のものと推測された。

 中を開くと、

 名前が、番号付きで並んでいる。

 一番から、二十二番まで。

 そして――

 二十三番は、やはり空白だった。

 その次のページには、注意書きのような一文があった。

「数に含めた時点で、

 その人は帰ってこない」

 この冊子が、いつ、誰によって作られたのかは不明である。

 だが、自治会長の家に残されていた古い日記には、

 この冊子に言及したと思われる記述が存在していた。

 それは、失踪の約一年前の日付だった。

「今年は、もう一人増えそうだ」

 警察は、この記述を

「高齢者の死亡を婉曲に表現したもの」と判断した。

 だが、

 失踪者が三十二名であること、

 名簿の欠番が二十三番であること、

 そして、集落全体が同時に消えたという事実を重ねると、

 この判断は、あまりにも楽観的だったと言わざるを得ない。

 ■■集落では、

 人は「住む」のではなく、

「数えられる」ことで存在していた可能性がある。

 そして、数え切られた者は、

 二度と――

 帰還しない。



 第3章 残された音声

 捜索開始から一週間後、警察は■■集落内で回収された電子機器の解析を民間業者に委託した。

 対象となったのは、固定電話の留守番電話装置、ラジオ付きICレコーダー、古いデジタルビデオカメラなどである。

 携帯電話は、ほとんどの家から見つからなかった。

 もともと所持していない住民も多かったが、名簿上は少なくとも十名が携帯電話を契約していた記録が残っている。

 それらの端末は、一台も発見されていない。

 解析の過程で、最初に異常が確認されたのは、集落中央にある公民館の固定電話だった。

 この電話機には、留守番電話機能が付いており、最大で二十件までの録音が可能だった。

 失踪当日の時点で、録音件数は十九件。

 いずれも、同じ日の、ほぼ同じ時間帯に集中していた。

 再生された最初の音声は、雑音混じりだった。

 受話器の向こうで、誰かが息を整えている。

「……もしもし。聞こえますか」

 高齢の男性の声だった。

 自治会長のものと声質が一致している。

「これは、ええと……練習じゃない。

 本当に、聞こえるなら、記録してほしい」

 数秒の沈黙。

 遠くで、複数の足音が重なる。

「今、全員、ここに集まってます」

 この時点で、音声は不自然に歪む。

 ノイズが増え、言葉の一部が欠落していた。

「……数を……確認して……」

 その直後、別の声が割り込んだ。

「まだ、足りない」

 女性の声。

 年齢は判別できない。

 だが、名簿上のどの人物とも一致しなかった。

 自治会長の声が、わずかに震える。

「いや、もう十分だろう。

 三十二……いや……」

 ここで、録音は途切れる。

 二件目以降の音声も、似た構成だった。

 誰かが電話の前に立ち、

「今から数を取る」

「名前を呼ぶ」

「返事があったら進む」

 といった断片的な言葉を残している。

 共通しているのは、

 必ず途中で、録音が終わっていることだった。

 時間切れではない。

 手動で停止された形跡もない。

 まるで、

「続ける人が、いなくなった」

 かのように。

 最も問題視されたのは、十七件目の音声だった。

 再生開始から、しばらくは無音。

 その後、かすかな衣擦れの音がする。

「……二十三」

 誰かが、そう呟いた。

 次の瞬間、

 マイクが拾った音が、一変する。

 ざわめき。

 困惑。

 押し殺したような悲鳴。

 複数人が、同時に何かを見た反応だった。

「呼んじゃ、いけなかった」

「違う、今日は……」

 言葉の途中で、

 音声は急激に劣化する。

 最後に残ったのは、

 誰かが、極めて近距離で囁く声だった。

「数えたね」

 この音声の解析結果には、

 不可解な点があった。

 録音時間は、四分三十二秒。

 だが、音声データ上では、

 二十三秒分の欠損が確認されている。

 ノイズでも、破損でもない。

 その部分だけ、

「何も記録されていない」。

 専門業者の報告書には、次のように記されていた。

「意図的な編集痕は確認できない。

 ただし、録音対象が“存在しなかった”可能性は否定できない」

 同時期、別の家屋から回収されたICレコーダーにも、類似した音声が残っていた。

 それは、個人的な日記のような記録だった。

「今日は、二十二まででやめた」

「もう一人、気配はある」

「数えなければ、戻れる気がする」

 そして、最後のファイル。

「お願いだから、

 名簿を――」

 そこで、録音は終わっている。

 この段階で、警察は音声資料の一部公開を検討したが、

「内容が不明瞭で、憶測を呼ぶ」という理由から、見送られた。

 だが、筆者が後に入手した内部メモには、

 次の一文が残されていた。

「失踪は、同時ではない。

 順番に、数えられている」

 ■■集落で起きた出来事は、

 突発的な事故でも、外部からの侵入でもなかった。

 それは、

 長い時間をかけて準備され、

 静かに進行していた“手続き”だった可能性が高い。

 次章では、

 失踪後に一度だけ確認された、

「集落からの発信」について記す。



 第4章 最後の着信

 ■■集落に関する調査が一段落したと見なされ始めた頃、警察と市役所の双方にとって想定外の出来事が起きた。

 失踪から十八日後。

 二〇二三年八月一日、午前六時四十二分。

 X市役所福祉課の代表番号に、一本の着信があった。

 発信元は、■■集落の公民館に設置されていた固定電話の番号だった。

 この電話は、失踪発覚当日に回線断と判断され、以降、着信も発信も記録されていないはずのものだった。

 当直の職員が受話器を取ると、最初は無音だったという。

 だが、数秒後、微かな環境音が聞こえ始めた。

 風の音。

 遠くで鳴く、虫の声。

「……もしもし」

 低い、掠れた声。

 高齢の男性のものと思われた。

 職員が名乗る前に、相手は続けた。

「まだ、数が合っていない」

 職員は一瞬、何の話か分からなかった。

 だが、その言葉を聞いた直後、

 脳裏に■■集落の失踪事件が浮かんだという。

「こちら市役所です。

 どなたですか」

 数秒の沈黙。

「……名前は、もう呼ばれた」

 声は、そう答えた。

 その後、通話は一方的に切断された。

 通話時間は、二十七秒。

 警察は即座に発信元を確認したが、

 やはり番号は■■集落の公民館のものだった。

 さらに不可解な点があった。

 通信記録上、

 この電話は「外線」ではなかった。

 市役所側の交換機ログには、

「内線からの誤接続」という形で記録されていたのである。

 つまり、

 市役所の建物内部の、どこかから発信されたことになっていた。

 当然、警察は市役所内を調査した。

 該当時間帯に、福祉課のフロアにいた職員全員から事情聴取が行われた。

 だが、誰一人として、

 ■■集落の番号に発信した覚えはなかった。

 電話機の履歴にも、操作痕跡はない。

 問題は、それだけでは終わらなかった。

 同日午後。

 今度は、■■集落の番号から、警察署の代表番号に着信があった。

 応答した警察官の証言は、次のとおりである。

「最初、誰も話さない。

 ただ、後ろで、何人かが息をひそめている感じがした」

「それで、こちらが『警察です』と名乗ると、

 一斉に、息を吸う音がした」

 警察官は、その瞬間、

「数えられている」

 という直感を覚えたという。

 通話の最後、受話器の向こうで、

 子どもの声がした。

「もういい?」

 この■■集落には、

 子どもは一人も住んでいなかった。

 この着信を最後に、

 ■■集落からの通信は、完全に途絶えた。

 だが、後日、通信会社から提出された詳細ログにより、

 さらに奇妙な事実が判明する。

 その日の午前六時から午後三時までの間、

 ■■集落の回線は、

 合計三十二回、発信を試みていた。

 すべて、途中で切断されている。

 すべて、接続完了前に終わっている。

 番号の一覧を見ると、

 市役所、警察署、消防、そして――

 いくつかの個人番号が含まれていた。

 その中に、

 筆者の名前があった。

 当時、私はまだ本件の取材に関わっていない。

 ■■集落とも、X市とも、直接の接点はなかった。

 それにもかかわらず、

 私の個人番号が、

 発信先として登録されていた。

 通信会社は、

「過去に一度でも着信履歴があれば、

 自動的に候補として残る可能性がある」

 と説明した。

 だが、私は断言できる。

 ■■集落から、

 電話を受けた記憶はない。

 少なくとも、

「名前を呼ばれた」覚えはない。

 この出来事を境に、

 警察内部では、本件を

「未解決のまま凍結すべき案件」

 として扱う動きが強まった。

 理由は明示されていない。

 だが、内部メモの片隅には、

 こう書き残されていた。

「これ以上、数を増やすわけにはいかない」

 次章では、

 失踪後に唯一“発見された人物”について記す。

 その人物は、

 名簿に載っていなかった。



 第5章 未登録者

 ■■集落の失踪事件において、唯一「発見された人物」が確認されたのは、事件からおよそ一か月後のことだった。

 二〇二三年八月十二日。

 X県内の別の市町村で、身元不明の高齢男性が保護された。

 発見場所は、県道沿いの簡易休憩所。

 早朝、通勤途中の会社員が、ベンチに座ったまま動かない男性を見つけ、警察に通報した。

 男性は生存していた。

 脱水症状と軽度の低体温。

 外傷はなく、所持品もほとんどなかった。

 財布なし。

 携帯電話なし。

 身分証明書なし。

 だが、着衣だけは不自然なほど整っていた。

 汚れはあるが、破れはない。

 靴も履いていた。

 警察は当初、■■集落の失踪者の一人ではないかと考えた。

 年齢も体格も、おおよそ一致している。

 しかし、ここで問題が生じる。

 住民基本台帳と照合しても、

 該当する人物が存在しなかった。

 指紋。

 歯型。

 過去の医療記録。

 いずれも一致なし。

 男性は取り調べに対して、断片的な受け答えは可能だった。

 自分の名前を聞かれると、少し考え込んだあと、こう答えた。

「……呼ばれたことは、ある」

 名前ではなかった。

 出身地を聞くと、

「山のほう」

 とだけ答え、それ以上は語らなかった。

 ■■集落の写真を見せると、

 男性は明らかに動揺した。

 呼吸が荒くなり、

 視線を逸らし、

 しばらくして、ぽつりと漏らした。

「そこは、

 数が足りなくなった場所だ」

 警察は、この男性を仮に「未登録者」と呼び、

 保護観察下で事情聴取を続けた。

 未登録者は、■■集落の生活について、奇妙なことを語った。

「名前は、あったり、なかったりする」

「数に入ると、帰れない」

「呼ばれなければ、まだ、外にいられる」

 彼の証言によれば、

 ■■集落では、定期的に「数合わせ」が行われていたという。

 集会所に集まり、

 順番に名前を呼ぶ。

 返事をした者は、

「在住」として数えられる。

 返事をしなかった者は、

 その日は数に入らない。

 だが、

 返事をしないままの状態が続くと、

「未登録者」になる。

 未登録者は、

 集落にいても、

 名簿には載らない。

「見えているけど、

 数えられていない」

 それが、彼の言葉だった。

 警察が、

「では、なぜ今回だけ全員がいなくなったのか」

 と尋ねると、

 未登録者は、長い沈黙のあと、こう答えた。

「二十三を、

 呼んだから」

 それ以上、彼は語らなかった。

 数日後、

 未登録者は、保護施設から忽然と姿を消した。

 施錠された個室。

 監視カメラ。

 夜間巡回。

 いずれにも異常はなかった。

 ベッドの上に、

 紙切れが一枚、残されていた。

 走り書きの文字で、

 こう書かれていた。

「まだ、数えてる」

 その後、未登録者が再び確認されることはなかった。

 警察はこの件を、

「失踪者と無関係な徘徊事案」として処理した。

 だが、筆者は後に、

 彼の保護記録の片隅に、

 不自然な一文を見つける。

「名簿照合:

 該当なし(欠番二十三)」

 ■■集落で起きた失踪は、

 終わっていない。

 数が合わない限り、

 それは――

 続く。




 最終章 名簿は閉じられない

 二〇二四年三月。

 筆者は、■■集落に関する追加資料を得るため、X県の公文書館を再訪した。

 目的は、住民基本台帳そのものではない。

 すでに閲覧済みだったからだ。

 探していたのは、

「削除記録」

 と呼ばれる付随文書だった。

 通常、住民が死亡、転出した場合、台帳から名前が消える。

 その際、必ず「削除理由」「削除日」「処理者名」が記録される。

 ■■集落の台帳には、

 二〇二三年七月十五日付で、

 三十二名分の削除が行われていた。

 理由はすべて、同一。

「所在不明」

 だが、それ自体は珍しくない。

 問題は、その直前の更新履歴だった。

 削除の前日、

 名簿は一度「更新」されている。

 追加。

 訂正。

 再登録。

 通常、集落単位で一斉に更新されることはない。

 ましてや、高齢者のみの過疎集落であればなおさらだ。

 更新担当者の欄には、

 市役所職員の名前ではなく、

 見慣れない記載があった。

「確認者:■■集落 自治代表」

 自治代表の氏名は、

 空欄だった。

 筆者は、この「更新版名簿」の閲覧を申請した。

 担当職員は一瞬ためらったが、

「形式上は可能です」

 とだけ言い、資料を出してきた。

 そこには、

 三十三名分の名前が記載されていた。

 三十二ではない。

 三十三。

 末尾に、

 見覚えのない一行があった。

 氏名:空欄

 年齢:記載なし

 続柄:在住

 備考欄に、手書きで一言。

「呼称のみ」

 筆者は、背中に冷たいものを感じた。

 その夜、

 筆者は■■集落へ向かった。

 立ち入り禁止のロープは、

 すでに風雨で切れていた。

 集会所は無人。

 電気は通っていないはずなのに、

 内部は薄く明るかった。

 壁に、

 名簿が貼られていた。

 紙ではない。

 木の板に、

 墨で名前が書かれている。

 数えた。

 一。

 二。

 三。

 三十二。

 そして、

 板の端に、

 かすれた空白。

 そこに、

 今まさに書き足されたような、

 新しい墨跡があった。

 名前ではない。

 文字でもない。

 ただ、

 一つの丸。

 背後で、

 声がした。

「確認します」

 振り向くと、

 誰もいない。

 だが、

 人数を数える声が、

 集会所の中に反響する。

「……三十三」

 その瞬間、

 携帯電話が震えた。

 知らない番号からの通知。

 画像ファイルが一枚、添付されていた。

 それは、

 最新の住民名簿だった。

 閲覧日時:

 二〇二六年一月。

 人数:

 三十四名。

 末尾の備考欄に、

 こう書かれている。

「未帰還者:

 確認済」

 筆者は、

 その名簿の中に、

 自分の名前を見つけた。

 備考欄は、

 空白だった。

 ――まだ、呼ばれていない。

『未帰還者名簿』要約

X県の山間部にある過疎集落「■■集落」で、住民三十二名が一斉に失踪する事件が発生する。

事件性は否定され、公式には「所在不明」として処理されるが、集落の住民名簿には不自然な更新履歴が残されていた。

調査の過程で、失踪者の一人と思われる高齢男性が県内で保護される。しかし彼は住民基本台帳や指紋記録と一致せず、「未登録者」と呼ばれる存在だった。

彼の証言によれば、■■集落では定期的に「数合わせ」が行われ、名前を呼ばれ返事をした者だけが「在住」として数えられるという。返事をしない、あるいは呼ばれない者は名簿から外れ、「数に入らない存在」になる。

未登録者は「二十三を呼んだから、全員がいなくなった」と語り、保護施設から謎の失踪を遂げる。

彼の記録には「欠番二十三」という不可解な記載が残されていた。

筆者が公文書館で確認した更新版住民名簿には、本来三十二名のはずの集落に「三十三人目」が存在しており、その項目は名前のない「呼称のみ」の在住者として記されていた。

調査のため集落跡を訪れた筆者は、集会所に「名簿」が実体化して存在しているのを発見する。

そこでは今なお人数が数えられ、欠けた数を埋めるために新たな「在住者」が追加され続けていた。

最終的に最新の名簿には三十四名が記載され、そこには筆者自身の名前も含まれていることが判明する。

ただし備考欄は空白であり、筆者はまだ「呼ばれていない」状態にある。

この集落の失踪は終わっておらず、

名簿が完成するまで、人は数として補われ続ける――という示唆を残して物語は幕を閉じる。

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