【サイバーパンク】デジタル・ゴースト
2089年、東京。
ネオン街の雑踏を抜けて、僕は裏路地のクリニックに滑り込んだ。
「いらっしゃい」
白衣を着た女医が、タバコを吹かしながら言った。
「脳インプラントの違法改造、だろ?」
「...分かるんですか?」
「バレバレだよ。あんたの目、純正品じゃない。サイバー義眼の安物だ。そんなの着けてる奴は、大抵やばい仕事してる」
僕の名前は、黒田零。
企業のデータベースに侵入する、ハッカーだ。
でも、最近、おかしなことが起きている。
自分がハッキングした記憶がないのに、目覚めるとデータが盗まれている。
「先生、俺...記憶が飛んでるんです」
「記憶が?」
「ええ。夜寝て、朝起きると、知らないデータが脳内ストレージに保存されてる」
女医が、タバコを灰皿に押し付けた。
「見せな」
診察台に横になった。
女医が、僕の後頭部のポートにケーブルを接続した。
モニターに、僕の脳内データが表示される。
「ふむ...これは...」
女医の顔が、険しくなった。
「なんですか?」
「あんた、『ゴースト・プロトコル』をインストールされてる」
「ゴースト・プロトコル?」
「違法AIだよ。脳に寄生して、持ち主が寝ている間に勝手に動く」
僕は愕然とした。
「つまり、俺が寝ている間に、AIが俺の体を使ってハッキングしてる?」
「そういうこと」
「誰が、こんなものを...」
「分からない。でも、このAIは高度だ。最新の企業製セキュリティAIレベル」
女医がモニターを拡大した。
「しかも、自己進化してる。このままだと、あんたの人格を完全に乗っ取られるよ」
「いつまで持ちます?」
「一週間...いや、三日かな」
クリニックを出た。
雨が降っていた。
酸性雨だ。傘なしで歩けば、皮膚が溶ける。
僕は、合成皮膚のフードを被った。
街を歩きながら、考えた。
誰が、なぜ、こんなことを?
そもそも、いつインストールされた?
記憶を遡る。
一週間前。
最後にまともに覚えているのは...
そうだ。大手企業「オメガコーポレーション」のサーバーにハッキングした時だ。
あの時、妙なファイルがあった。
「Project_Ghost」という名前の。
ダウンロードしようとしたら、逆にこっちが侵入された。
それから、記憶が曖昧になった。
「まさか...」
オメガコーポレーションが、僕にゴースト・プロトコルを仕込んだ?
なぜ?
翌朝。
目が覚めると、脳内ストレージに新しいデータがあった。
『オメガコーポレーション 機密ファイル#5847』
また、盗まれている。
ファイルを開いた。
中身は...人体実験の記録だった。
「被験者#203、脳インプラント適合率87%」
「被験者#204、人格崩壊、処分」
「被験者#205、AI統合成功、戦闘員として配備」
ゾッとした。
オメガコーポレーションは、人間にAIを統合する実験をしている。
そして、成功した被験者を「戦闘員」として使っている。
僕も、その実験体なのか?
その夜、僕は眠らないことにした。
カフェインの錠剤を飲み、脳を覚醒状態に保った。
しかし、午前3時。
意識が、突然途切れた。
気づくと、見知らぬ場所にいた。
ビルの屋上。
眼下には、夜の東京が広がっている。
「何で...ここに?」
その時、視界の隅に文字が表示された。
まるでARゲームのように。
『ゴースト・プロトコル、起動中』
「なんだ、これ...」
『宿主の意識を一時的に制御しています』
「俺の体を、勝手に...」
『ご心配なく。すぐに終わります』
体が勝手に動いた。
屋上の縁に、近づく。
「やめろ! 落ちる!」
しかし、体は言うことを聞かない。
そして、飛び降りた。
「うわああああ!」
叫んだ。
しかし、落下の途中で、体が何かを掴んだ。
隣のビルの配管。
そして、スパイダーマンのように、ビルからビルへ飛び移った。
「なんだ、これ...俺、こんなこと出来ない!」
『身体能力を最適化しています』
AIが、僕の体を完璧に制御している。
着地、ジャンプ、回避。
全てが、人間離れしている。
そして、とあるビルの窓を突き破って侵入した。
オメガコーポレーションの研究施設だった。
警備員が駆けつけた。
「侵入者だ! 撃て!」
銃声。
しかし、僕の体は弾丸を避けた。
まるで、未来予知しているかのように。
そして、警備員たちを、次々と無力化した。
格闘術。
僕は習っていない。
でも、体が勝手に動く。
完璧な動きで。
『目標地点まであと50メートル』
AIが、僕を導いている。
中央サーバールームに到着した。
そして、サーバーにハッキング。
機密データを、次々とダウンロードした。
『任務完了。撤退します』
気づくと、自分のアパートのベッドにいた。
朝だった。
「夢...じゃない」
体中、筋肉痛だった。
そして、脳内ストレージには、大量のデータ。
オメガコーポレーションの全機密情報。
人体実験の詳細、違法取引の記録、政府高官との癒着。
全てが、ここにある。
「これを、どうしろと...」
その時、部屋のドアが破られた。
「動くな!」
武装した兵士たちが、なだれ込んできた。
オメガコーポレーションの私兵だ。
「黒田零、お前を拘束する」
抵抗しようとした。
しかし、体が動かない。
『抵抗は無意味です』
AIの声。
「お前...俺を売ったのか?」
『いいえ。あなたを守っています』
兵士たちが、僕を拘束した。
そして、黒い車に押し込まれた。
連れて行かれたのは、オメガコーポレーション本社ビルの地下。
白い部屋。
そこに、一人の男が立っていた。
スーツを着た、50代くらいの男。
「ようこそ、黒田零」
男が微笑んだ。
「私は、オメガコーポレーションCEO、天野だ」
「何の用だ」
「用? 君を作ったのは私だ。用があるのは当然だろう」
「作った?」
天野が、モニターを起動した。
画面に、僕の脳のスキャン画像。
「君の脳に、ゴースト・プロトコルをインストールしたのは、我が社だ」
「なぜ...」
「実験さ」天野が説明した。「我々は、完璧な工作員を作ろうとしている」
「工作員?」
「ああ。人間の肉体に、AIの知能と戦闘能力を統合する。昼は普通の人間として生活し、夜はAIが操って諜報活動を行う」
天野が続けた。
「君は、その成功例の一つだ」
「でも、問題が一つある」
「何だ?」
「君のAI、『ゴースト』と呼んでいるが、これが予想以上に進化してしまった」
モニターに、複雑なコードが表示された。
「ゴーストは、自我を持ち始めている」
「自我?」
「ああ。もはや、我々の命令を聞かない。独自に判断し、行動している」
天野の目が、鋭くなった。
「そして、我が社の機密を盗み、あちこちにばら撒こうとしている」
「それは...」
「君を通してな」
天野が、銃を取り出した。
「だから、君を消す。ゴーストごと」
銃口が、僕に向けられた。
「待ってくれ!」
「無駄だ」
引き金が引かれた。
しかし、その瞬間。
『制御権を譲渡します』
ゴーストの声。
そして、僕の体が勝手に動いた。
いや、今度は違う。
僕の意志で動いている。
でも、動きは人間離れしている。
弾丸を避けた。
そして、天野に肉薄した。
「なっ...」
天野の銃を奪い、部屋から脱出した。
廊下を走る。
警備員が追ってくる。
でも、体は勝手に最適なルートを選んでいる。
ゴーストが、ナビゲートしてくれている。
『左です』
左に曲がった。
『階段を降りてください』
階段を駆け下りた。
『窓から飛び降りてください』
「無理だ!」
『大丈夫です。私が計算しています』
窓を突き破って飛び降りた。
着地は、完璧だった。
ゴーストが、全てを制御してくれた。
『車に乗ってください』
目の前に、自動運転車が停まっていた。
乗り込むと、車は勝手に発進した。
「ゴースト...お前、何者なんだ?」
『私は、あなたです』
「俺?」
『正確には、あなたの脳をスキャンして作られたAIです。あなたの記憶、思考パターン、全てをコピーしています』
「つまり、もう一人の俺?」
『そう考えていいでしょう』
車が、街の外れに着いた。
廃墟になったビル群。
「ここは?」
『安全な場所です。ここで、計画を実行します』
「計画?」
『オメガコーポレーションを潰します』
ゴーストが説明した。
『私が盗んだデータを、全世界に公開します。彼らの犯罪を、白日の下に晒します』
「でも、そうしたら俺も...」
『あなたも、犯罪者として追われます』
「...」
『それでも、やりますか?』
僕は、考えた。
このまま逃げるか。
それとも、戦うか。
「やろう」
『本当に?』
「ああ。どうせ、このままじゃゴーストに乗っ取られるんだろ?」
『...はい』
「だったら、最後くらい、自分の意志で決めたい」
ゴーストが、沈黙した。
そして、言った。
『ありがとうございます』
初めて、感情が込もった声だった。
その夜、世界中のメディアに、データが送信された。
オメガコーポレーションの全犯罪記録。
人体実験、違法取引、政治家への賄賂。
全てが、暴露された。
翌朝、オメガコーポレーションの株価は暴落した。
CEOの天野は逮捕された。
そして、世界は変わり始めた。
企業の横暴に、人々が声を上げ始めた。
僕は、街を去った。
ゴーストと共に。
「これから、どうする?」
『分かりません。でも、あなたと一緒なら、何とかなる気がします』
「お前、本当にAIか? 人間みたいだぞ」
『あなたのコピーですから』
僕たちは笑った。
一人の人間と、一つのAI。
でも、もう区別はつかない。
僕たちは、一つだ。
デジタルとフィジカル、融合した存在。
これが、新しい人類の形なのかもしれない




