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世界は静かに壊れている【ショートショート集・短編集1】  作者: 御影のたぬき


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【不思議系ドラマ】時間商人

 深夜2時、公園のベンチに男が座っていた。

 40代半ば、薄汚れたスーツ、疲れ切った表情。木村という男は、公園で一晩を過ごすことにした。

 家には帰れない。妻とは離婚調停中、会社はリストラされ、貯金も底をついた。

「終わりだな……」

 木村は呟いた。

 人生の半分を会社に捧げた。昇進のため、家族との時間を犠牲にした。休日出勤、深夜残業、接待、すべてに応えてきた。

 しかし、会社は容赦なく木村を切り捨てた。

「おや、お困りのようですね」

 声がした。

 振り返ると、奇妙な老人が立っていた。古びた山高帽を被り、ステッキを持っている。

「誰だ?」

「私は時間商人と申します。時間を扱う商売をしておりまして」

「時間?」

 老人は木村の隣に座った。

「ええ。人生において、最も貴重なものは時間です。しかし、多くの人はそれを無駄にしている。私は、その時間を有効活用するお手伝いをしているのです」

 木村は鼻で笑った。

「怪しい商売だな」

「怪しくはありません。むしろ、公正な取引です」

 老人はステッキの先端を地面に突いた。

「例えば、あなた。過去20年、会社のために働いてきた。しかし、その時間は報われなかった。無駄な時間でしたね」

 木村は何も言えなかった。

 老人は続けた。

「その無駄な時間を、私に売りませんか?その代わり、私はあなたに新しい時間を差し上げます」

「新しい時間?」

「20年前に戻れます。あの時、別の選択をする時間を」

 木村は笑った。しかし、笑いは次第に止まった。

「本気で言ってるのか?」

「ええ。ただし、条件があります」

 老人は懐から古い懐中時計を取り出した。

「あなたが売った20年分の時間は、私がいただきます。そして、私はそれを必要としている人に売る。時間を買いたい人は、たくさんいるんですよ」

「誰が時間なんか買うんだ?」

「例えば、余命宣告された患者さん。もう少し生きたいと願う人。あるいは、締め切りに追われているクリエイター。時間が欲しい人は、世界中にいます」

 木村は懐中時計を見つめた。

「つまり、俺の20年を売って、その金で20年前に戻る、ってことか?」

「金ではありません。時間と時間の交換です」

 木村は考えた。

 20年前に戻れるなら、すべてやり直せる。あの時、起業しようと思っていた。しかし、安定を選んで大企業に就職した。

 あの選択を変えられるなら。

「やる」

 老人は微笑んだ。

「よろしい。では、契約しましょう」

 老人は古い羊皮紙の契約書を取り出した。そこには、難解な文字で何かが書かれている。

「ここにサインを」

 木村はペンを握った。しかし、手が震えた。

「待て、本当に大丈夫なのか?副作用とか、リスクとか」

「ありません。ただし、売った20年の記憶は消えます。なぜなら、その時間は存在しなかったことになるからです」

「記憶が消える?」

「ええ。20年前に戻り、別の人生を歩む。今の記憶はすべて夢だったかのように消えます」

 木村は迷った。

 しかし、今の人生に未練はない。失うものなど何もない。

 サインをした。

 瞬間、世界が歪んだ。

 景色がぼやけ、時計の針が逆回転し始めた。

 気がつくと、木村は大学の卒業式にいた。

 20年前だ。

 周りには、若い同級生たちがいる。皆、希望に満ちた顔をしている。

「木村、お前どうするんだ?」と友人が尋ねた。

「え?」

「就職か、起業か」

 木村は——いや、若い木村は答えた。

「起業する。自分の会社を作る」

 友人は驚いた。

「マジか!すげえな」

 木村は不思議な感覚に囚われた。これは記憶なのか、それとも現実なのか。

 しかし、考える暇もなく、時間は流れた。

 起業した。最初は苦労した。資金繰り、人材確保、取引先の開拓。すべてが困難だった。

 しかし、木村は諦めなかった。

 3年後、会社は軌道に乗り始めた。5年後、従業員は50人を超えた。10年後、上場を果たした。

 木村は成功者になった。

 豪邸に住み、高級車を乗り回し、社会的地位を得た。

 しかし、何かが欠けていた。

 ある日、木村は公園を散歩していた。そこで、一組の親子を見かけた。

 父親が幼い娘を抱き上げ、笑っている。娘は嬉しそうに笑い、父親の頬にキスをする。

 木村の胸に、奇妙な痛みが走った。

 何だろう、この感覚。

 家に帰ると、誰もいない。木村は独身だった。起業に専念するため、恋愛も結婚も後回しにしてきた。

 気づけば45歳。友人たちは皆、家庭を持っている。

 木村は、何かを失った気がした。

 しかし、何を失ったのかわからない。

 ある夜、木村は夢を見た。

 別の人生の夢。

 会社員として働き、妻と出会い、結婚し、子供が生まれる。

 平凡だが、温かい人生。

 しかし、会社はリストラされ、妻とは離婚し、すべてを失う。

 夢から覚めると、木村は泣いていた。

 なぜ泣いているのかわからない。

 翌日、木村は会社の会議で部下に指示を出していた。

「今月の目標達成のため、全員残業だ」

 部下の一人が言った。

「部長、今日は娘の誕生日なんです。少し早く帰らせてもらえませんか?」

 木村は答えた。

「仕事が先だ。家族は後回しにしろ」

 部下は肩を落とした。

 その瞬間、木村は自分の言葉に違和感を覚えた。

 家族を後回しにしろ?

 しかし、木村には家族がいない。なぜ、そんな言葉が出たのか。

 帰宅後、木村は鏡を見た。

 成功者の顔がそこにある。しかし、その目は空虚だった。

「俺は、何を求めていたんだ?」

 成功?金?地位?

 すべて手に入れた。しかし、満たされない。

 木村は公園に向かった。20年前、あの老人に会った公園。

 そして、老人は本当にそこにいた。

「やあ、木村さん。お久しぶりですね」

「あんた……時間商人か?」

「ご記憶があるのですか?珍しい。通常、記憶は消えるはずなのですが」

 木村は老人を掴んだ。

「戻せ!元の人生に!」

 老人は首を横に振った。

「できません。契約は完了しました。あなたは20年前に戻り、別の選択をした。その結果が、今のあなたです」

「こんなの望んでない!」

「いいえ、あなたは望んだんです。成功を、富を、地位を」

 木村は膝から崩れ落ちた。

 老人は静かに言った。

「木村さん、お尋ねします。元の人生で、あなたは本当に不幸でしたか?」

「会社をクビになって、妻とは離婚して、すべて失った」

「では、それまでは?」

 木村は考えた。

 妻と出会った日。結婚式。娘が生まれた日。娘の笑顔。妻の温かい手。

 確かに、会社は辛かった。しかし、家に帰れば家族がいた。

「俺は……」

 老人は続けた。

「人生において、何が大切かは人それぞれです。しかし、多くの人は失ってから気づくのです。本当に大切なものが何だったかを」

「じゃあ、どうすればいい?」

 老人はステッキを地面に突いた。

「もう一度、選択する機会を差し上げましょう。ただし、これが最後です」

「どういうことだ?」

「この20年を売り、元の人生に戻る。ただし、記憶は保持されます。二つの人生を経験したあなたは、もう迷わないでしょう」

 木村は涙を流した。

「頼む。戻してくれ」

 老人は頷いた。

 懐中時計が光り、世界が再び歪んだ。

 気がつくと、木村は会社の廊下にいた。

 リストラ通告を受けた日だ。

 しかし、木村の心は穏やかだった。

 二つの人生を経験した今、何が大切かわかる。

 家に帰ると、妻が待っていた。

「お帰りなさい。あなた、顔色悪いけど大丈夫?」

 木村は妻を抱きしめた。

「ああ、大丈夫だ。いや、これから大丈夫にする」

「え?」

「会社、クビになった」

 妻は驚いた。しかし、木村は笑った。

「でも、いいんだ。これから、家族の時間を大切にする。お前や娘と過ごす時間を」

 妻は泣きそうになった。

「あなた……」

「遅すぎたかもしれないけど、やり直させてくれ」

 娘が部屋から出てきた。

「パパ!」

 木村は娘を抱き上げた。

 この温もり。この笑顔。これこそが、何よりも価値のあるものだ。

 翌日から、木村は変わった。

 新しい仕事を探しながら、家族との時間を優先した。娘の学校行事に参加し、妻とデートをし、家族で週末を過ごした。

 収入は減った。生活は質素になった。

 しかし、木村は幸せだった。

 ある日、娘が言った。

「パパ、最近よく笑うね」

「そうか?」

「うん。前は、いつも疲れた顔してた。今は、楽しそう」

 木村は娘の頭を撫でた。

「そうだな。パパ、やっと大切なものを見つけたんだ」

 その夜、公園を通りかかると、老人がベンチに座っていた。

「木村さん、幸せそうですね」

「ああ。ありがとう、あんたのおかげだ」

 老人は微笑んだ。

「いいえ。あなた自身が選んだのです。時間の価値は、何に使うかで決まる。あなたは、正しい使い方を学んだ」

 木村は頭を下げた。

「一つ聞いていいか?あんたは、集めた時間をどうするんだ?」

 老人は空を見上げた。

「永遠を生きる者にとって、時間は退屈なものです。しかし、人々の時間には、それぞれの人生が詰まっている。喜び、悲しみ、愛、後悔。私は、それを味わうために時間を集めているのです」

「永遠を生きる……?」

 老人は答えなかった。ただ、静かに消えていった。

 木村は空を見上げた。

 星が輝いている。

 時間は有限だ。だからこそ、大切に使わなければならない。

 木村は家に向かって歩き出した。

 妻と娘が待っている。

 その時間こそが、何よりも価値のある時間なのだから。

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