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【ディストピア】静かな更新
人類は、菌に救われた。
デイノコッカス――放射線でも死なない細菌のDNA修復機構を改変し、人間の細胞内で働かせたのが「共生体」だ。
体内で損傷したDNAを修復し、老化や病気、放射線被曝から守る奇妙な微生物。生殖細胞にも入り込み、次世代に受け継がれる。
がんは消えた。
老化は遅れた。
誰も命の危険を恐れなくなった。
娘は生まれたときから保持者だ。
脳細胞も修復される。
だが修復の過程で、過剰な怒り、過剰な恐怖、過剰な愛――危険な揺らぎは滑らかに整えられる。
世界は平和だ。
戦争も犯罪も革命もない。
芸術は穏やかで、恋も静かだ。
衝動や激情は、もう生まれない。
私は最後の非保持者だ。
病室のベッドで、娘が手を握る。
「怖い?」
恐怖で手が震える。
心臓が早鐘のように打つ。
死が怖い。
消えるのが怖い。
娘は首をかしげる。
その声は穏やかで、揺れない。
窓の外で子供たちが遊ぶ。
泣き声も、喧嘩も、絶望もない。
共生体が整えた静かな世界だ。
私は最後に気づく。
人類は滅びていない。
ただ――更新され、最適化された。
激情も欠点も、すべて削られた。
そして、この世界で最後に震えているのは、
たぶん私だけだ。




