1 アレク
よろしくお願いします
婚約者のアレクに好きな人が出来たのだとローザが気づいたのは貴族学院に入って暫くした頃だった。
二人で会うお茶会でぼんやりする様になり、気もそぞろになることが多くなった。話もよく聞いていない時さえある。返事もいい加減になってきた。お茶の時間も短くなり、さっさと帰ってしまう。まともにローザの顔を見なくなったのだ。とても失礼ではないか。小さな時から一緒に過ごしていてこんなことは初めてなので、誰かを想っているのだろうとピンときてしまった。もう終わりなのだと。
感情を誤魔化すことさえしないのだ。ローザならどんなことをしても許してくれると思っているのかもしれないが、恋ではないが婚約者としての情くらいはある。それなのに上辺を取り繕うこともしない。なんて残酷な男なのだろう。
相手が誰か調査しよう。貴方は入婿なのよ。自分の立場を分かっているのかしらとローザは憤りを覚えた。
ローザは家の諜報を使うまでもなく、アレクの想い人が貴族学院の同級生で第二王子ユリウス殿下の婚約者公爵令嬢エリザベート様だということに直ぐ気が付いてしまった。
彼の視線がいつも彼女を追っているのだ。これでは殿下に気づかれ消されても文句は言えない。もう遅いかもしれない。アレクの父親が宰相だといって例外は無いと思う。それどころか家の為には息子を切り捨てるだろう。
エリザベート様はローザにとっても憧れの淑女だった。髪の毛一本から指先まで輝くように綺麗なのは当然、所作も美しくマナーもダンスも完璧で頭も良く誰にでも公平で優しい。女神のような女性だった。
アレクが一瞬で恋に落ちたのも無理はないと思うが、長年の婚約者を蔑ろにするのは違うのではないかと腹立たしさを感じた。そんなに私達の絆は脆かったのだろうか。エリザベート様が相手にする訳がないのでアレクの完全な片想いなのだろうけど。
ローザはエリザベート様を恨む気持ちは微塵もなかった。他にも心を奪われた男が沢山いるのだろうなとローザは暗澹たる気持ちになっただけだ。
これからの人生を他の女性を想っている男と共に歩むのは無理だとローザは思った。さっさと別れよう。それなのに心がじくじくと痛かった。
※※※
二人は幼い頃からの婚約者だが身を焦がす程の想いがあって婚約をしたわけではなかった。一緒に好きな本を読んで感想を言い合うのが楽しかったし、お茶を飲む時の好きなお菓子が一緒だったりして笑い合い、穏やかな様子で過ごしているのを周りで見ていた親達が善意で決めてくれたものだった。
ローザは銀を産出する山を持っている裕福な伯爵家の一人娘で、緩やかな金髪と紫の瞳の可愛い令嬢だった。アレクは女の子のように可愛い男の子だったので周りはお似合いのカップルとして温かく見守っていた。
優秀な文官を輩出している名門の伯爵家の次男だったのも都合が良く、婿としてアレクは期待されていた。
母親同士が仲が良かったので会う機会が多く、子供達も何度も会っている内に自然に仲が良くなっていった。
毎週一回行われるお茶会にアレクは花束とお菓子をプレゼントに持ってきた。
たまにお気に入りの本の新刊が出た時には得意そうな顔で渡すのでローザは彼のプレゼントが予想できるようになってしまっていた。
「ミステリーの新刊が出たのね、ありがとう、読むのが楽しみだわ。アレクはもう読んだの?」
「驚かせて喜ばせようと思っているのにばれてしまった。もう少し顔に出さないようにしないといけないね。そうだよ、我慢が出来なくて読んでしまった。本当にこの作家面白いよね。貴族社会に詳しくて情景が見ているように思い浮かぶからつい夜更かししてしまった」
「寝不足になるくらい面白いのね。気をつけなくちゃいけないわね」
「うん、いろんな勉強の後のご褒美に取っておいて読むと夜になるからついついね」
「目を悪くしないようにしないといけないわ、ドレスに眼鏡は似合わないもの。アレクは眼鏡も似合うかもしれないけど」
「似合うかどうか分からないよ。剣を振る時に邪魔になるかもしれないから目は大事にするつもりだよ」
「剣の練習も順調なの?お兄様と一緒に訓練しているんでしょう?」
「ローザを守るくらいにはなりたいからね、頑張っているよ。まあ身体は鍛えておいて損はないから」
剣は貴族男子の嗜みだ。殆どの貴族の家庭で個人的に訓練が行われていた。それは勉強も同じで、小さな時からダンス、礼儀、周辺三カ国の語学や数学、経営学、地学がしっかり叩き込まれる。
女性はそれに加え家政学や刺繍が加わるのだ。趣味の読書を楽しむのはたまの休日か夜になってしまう。二人が視力を心配するのも当然のことだった。
ローザがアレクの屋敷に行くときはおば様に花束を、屋敷のシェフが作る素晴らしく美味しい苺のケーキは彼の為に。
アレクは苺が好物だったので、ローザは特別に甘くて美味しい苺の苗を手に入れ屋敷の裏の畑で栽培をして貰っていた。
いずれは領地で沢山栽培し苺の一大産地にしたいなと、夢のような事を言っては父親に生温かいが呆れ半分の目で見られていた。
こうして穏やかで優しい付き合いがずっと続くだろうと思っていた。
アレクがあんなふうになるまでは。
早速読んでくださった皆様ありがとうございます^_^ これからも宜しくお願いします。
誤字報告ありがとうございます! 訂正しました。