本好き令嬢におとずれた婚約
煌びやかなドレス
華やかな宮殿
眩しいくらいに輝くシャンデリア。
貴族社会はそんなものに満ち溢れている。
同年代の女の子たちは美しい宝石に目がない。
しかし私、侯爵令嬢シャルロットは、それらのものに興味が無い。
なぜかって?
それは――私が好きなのは小説だけだから!
ひとり部屋に座って本を読んでいるととにかく幸せで、これさえあれば生きていけるような気がする。
そして今日も、いつものように自室でゆっくりと本を広げている。
格段、一番好きなのは『帝国物語』という本に出てくる王子、ラファエル様!!
金髪の髪にブルーの瞳。透き通った肌。性格は気遣いができて優しくて、当然見たことは無いけれどもたぶん、笑顔が素敵。きっと現実世界にこんな人いないだろう。
お父様に話したらベタだと笑われてしまったが、とにかくそういうものが小さいころから大好きだった。
そんなことを考えていると、コンコン、というノック音が響く。
恥ずかしいので、緩んだにやけ顔は鎮める。
「はい」
ガチャリと扉が開いて現れたのは、父上だった。
「今良いかな?」
「ええ、何ですの?」
父は少しためらった後、「別室で人が待ってる」と言い、私をそこへ連れて行った。
*
父上に通された部屋に入ると、既にソファに腰掛けた人影が見える。
私が部屋に入ると、その男の人は上品な所作で立ち上がった。
そしてその美しいブルーの瞳が、私を捉える。
えっ何々。なんなの一体。
てか、この人見たことあるような......あれ?もしかして......
私がそう思ったのと同時に、彼が口を開いた。
「久しぶり、シャルロット嬢。突然の訪問ですまない」
「もしかして――閣下ですか?」
「ああ」
閣下とは公爵家の跡継ぎ、セシル・オーヴェルヌのことだ。きれいな黒髪は、耳にかかるくらいの高さで切られている。身長も高く、美青年として人気も高い。
彼はつい最近まで隣国で勉強していたはず。そのためすぐに彼だと気づけなかった。
接点は昔パーティーで話したことがあるくらいだが......私に何の用事だろうか?
「さっそく本題に入るが、」
彼はそう口にしてから、先程の綺麗な瞳で私を見つめる。
その瞳が熱を帯びているような、気がした。
「私と婚約してほしいんだ」
「へ?」
突然のことに、ワンテンポ遅れて間抜けな声が出る。
えぇ、なになに。もしかしてここは物語の中ですか?夢の中ですか?
ほっぺたを少し強くつねる。
痛い。
「どうして、私なのですか」
(もしかして私のことが好きだったりとか、)
「実は......」
閣下の話をまとめるとこうだ。
閣下は周りから勧められる数多の婚約話に頭を抱えている。
そして私の家は現在、財政が危うい。
つまり、閣下がうちに融資する代わりに、形だけの婚約を結んでほしい、ということである。
あああ、一瞬でも閣下が私を好きかもとか思った私、何なの!
恥ずかしすぎて穴を掘りたい。出来ればそのまま出てきたくない!
そんな感情が二人にばれないよう、とりあえず笑顔で取り繕う。
そして結局、お母様やお兄様も交えて相談し、後日返事をすることにした。
といってもこちらに断る理由は特にない。
私の婚約と家の財政を天秤に掛けたら、私は家のために婚約する。なぜなら今まで育ててくれた家族に感謝しているし、この婚約はそもそも結婚を前提にしているわけでは無いのだから。
というより閣下は――
本当にいいのか?私で。ただの本しか目にない人間だぞ?
そう思うが、彼は形だけの婚約が結べれば誰でも良かったのだろう。
話し終えると、閣下とお父様は出ていく。
あまりに急なことに、まだ実感がわかない。
そのうえ閣下の優雅さも相まって、ふわふわした心地だ。
「なんか......ラファエル様みたいだったな......」
ひとりになった部屋に、声が響いた。
*
侯爵家を出て馬車を走らせる。
かの男――セシル・オーヴェルヌは、ひとり悶えていた。
あああーさっきの私、何だよ!
というか顔、赤くなかったかな......
心臓に手を当てると、まだドクドクとうるさい。
彼女に、やっと久しぶりに会えたのに、他の婚約を避けるために彼女の家に融資とか......まるでお金で買うようなものじゃないか。
しかし、ずっと考えて決めたことなのだ。
以前数回会っただけの男に好きだなんだのと言われても気持ち悪いだろう。
だから口実を用意した。
あとは返事を待つだけ。
婚約が結べれば話す機会も多いだろう。その時は――
(絶対、オトす)
かの男は、シャルロットに恋をしていた。
*
(うわ、大きなお屋敷......)
馬車からオーヴェルヌ家の邸宅が見え、思わず感嘆をもらす。
レンガ造りのお屋敷。
その何とも言えない古めかしさが荘厳さを生み出している。
今日は正式な婚約を結びにここに訪れた。
彼が私を尋ねてきた後に家族会議をしたところ、なんと家族は大賛成。
むしろ結婚までして欲しいとかなんとか。
いや流石にそれは厳しくないだろうか......?
高望みはよくない。
建物の前に馬車が止められ、ドアが開かれると、す、と透き通った白い手が私の前に差し出される。
「お待ちしてました、シャルロット嬢。今回は私の申し出を受けてくれてありがとう」
セシル・オーヴェルヌはその美しい顔で微笑む。
どくんと、心臓がなる。
いやいや私、ちょろすぎでしょ。
ここは品のある侯爵令嬢として威厳を保たなくては。
閣下の手をとる。
「こちらこそありがとうございます」
「さっそく父上と母上に会ってほしいんだけれど、良いかな」
「ええ」
「そしてその......お願いがあるのだが、二人にはこの婚約が嘘だってことは秘密にしておいてくれないか」
閣下がこの前言っていた、婚約話を勧める“周りの人”の中には、両親も含まれているのだろう。つまり演技をする必要がある。
「分かりました。しかし、どう振舞えば良いでしょうか......」
「私が取り繕っておくから大丈夫だよ。でも閣下呼びは固いから......シャルロット嬢が良ければ名前で呼んでくれないだろうか」
「えっ名前ですか」
「ああ。試しに呼んでみてくれないかな、シャルロット」
「え、あっ、えと......セシル、様?」
そう呼んで彼を見ると、ふっ、と笑みを零していて、どこか愉快そうに見えた。
閣下に連れられ、ある一室に通される。
ここに、閣下の両親がいる。
呼吸が浅くなる......だって公爵様だよ?
この国の王様にも一目置かれているお方だよ?
その方に、息子さんと結婚の約束しますって言うんだよ?
いやまあ、反故になるんだけどね。
緊張しないほうが無理だって!
「お初にお目にかかります。シャルロット・ルシュールと申します。か......セシル様には、いつもお世話になっております」
「まあまあ!初めまして~」
「君がルシュール侯爵令嬢か。」
既に椅子に腰掛けていた二人を見る。
なるほど閣下の美しさは親譲りだな。特に青い瞳は母似らしい。
「それにしても、セシルが婚約者を見つけてくれて本当に良かった。」
公爵様は安堵したように言う。
この人たちに嘘をついていることに、チクリと胸が痛む。
しかし閣下は私の手を取ると、あたかも真実かのように話し始める。
「隣国に行く前に舞踏会で出会ってから、ずっと好きだったのです。」
うっ
彼の本心では無いと分かっているのに“好き”って単語に反応してしまう。私、恋愛偏差値低すぎでしょ。それに、遠慮するかのような優しい手つき。いきなり手を握られたことが、不思議と嫌だと思わなかった。
つつがなく顔合わせと正式な婚約を終え、閣下と共に外に出る。
それにしても、優しい人たちでよかった。
ただひとつ気になるのは、「セシル様」と呼ぶたび、閣下が可笑しそうに笑みを浮かべることだった――公爵様たちには気づかれないくらいに、そっと。
「私、そんな方だと思っていませんでしたわ」
言うつもりの無かった言葉が、ポロリと口をついて出る。
「え?」
「閣下、私が名前を呼ぶたびに面白がっていたでしょう?」
わざわざ言う事では無いと分かっている。
しかし――私ばかりがずっと胸を高鳴らせているのは何だか悔しい。
「いや、面白がっていたわけではない......その......」
「その、なんですの?」
面白がる以外に笑みを浮かべる理由、ある?
「嬉しくて......」
「え?」
ウレシイ、嬉しい......?予想外の返答にきょとんとする。一体、何が?
なぜか彼の顔は赤いし。
「いや何でも無い。忘れてくれ」
何が嬉しいかは分からないが、ちょっと取り乱している閣下を見ていると、さっきまでの不満はどこかへ消えた。
ふふ、と笑みが零れる。
「閣下も取り乱すことがあるんですね」
「やめてくれ......」
「ふふっ」
ふう、何だか閣下の新しい一面を見た気がする。
いつも余裕がある彼の珍しい姿を見ると、純粋に人として、もっと知りたいと思った。せっかくの縁だ。社交界は苦手で、いつも最低限しか人と関わってこなかった。でも、この人とはもう少し話してみよう。
空を見上げると青空はどこまでも美しく、眩しかった。
*
――二人が両想いになれるのは、もう少し先のお話。
**
〈番外編〉
高い天井。きらきら輝くシャンデリアの下で、花のように踊る人たち。
ああ、何だか疲れた。
社交界も。
家の地位だけを見て、媚びへつらう大人たちにも。
うんざりしていた。
そんな時に出会ったのが、シャルロット嬢だった。
舞踏会を抜け出し、薔薇園に足を踏み入れる。
その花の中のベンチに座り、彼女は本を読んでいた。
することも無く暇なのに任せて何気なく声を掛けると、思いのほか話が弾んだ。
舞踏会の憂鬱は、彼女も感じていたらしい。
それと、彼女の話す物語が、とても面白かった。
そして彼女は、ほかの人達みたいに媚びるようなことはしなかった。
それが、心地良くて
また、会いたいと思った。
その後も何度か、舞踏会で彼女と話して、ある日気づいた。
恋をしているのだと。
だから決めた。
いつか必ず――
お読みくださりありがとうございました!