#5 強奪
ワインガルトナー伯爵の噂は、耳にしていた。
アルトリンゲン公爵派の貴族で、この王都ウィンナにて租税役人を務めている。つまりこの貴族の仕事とは、王都内における租税集めだ。
そんな地味な仕事に甘んじる伯爵がいるというのも奇妙な話だ。そんなもの、下級貴族にでもやらせるところだろうが、ワインガルトナー伯爵は自らその役を引き受け、多くの手下を率いてその役目を果たしている。時には自ら出向いて、租税集めを行っているという。
税を徴収するというだけでも、かなり嫌われ者で疎ましがられる貴族ではあるのだが、噂の中身はそんな生易しいものではない。
この貴族、過分に税を取り立てている、という噂がある。そして、その不正に得た税を懐に収め、私腹を肥やしているというのだ。
そんな話は、私もなんとなしに聞いていた。が、アルマローニから聞かされたのは、そのおぞましき中身だ。
娘を、税金の身代わりにするというのだ。正確には、「人頭税」なるものを要求され、それが払われなければ、娘を代わりに連れていくというものだ。
「ところで、人頭税とは何だ?」
しかし、ここで大いなる疑問が湧く。聞いたことのないこの税金、そんなもの、あったのか? この王都に暮らす私ですら、寡聞にして知らない。
「なんだと言われても、そんな税は元から存在しない」
「ちょっと待て、それでは存在しない税を、払わされている者がいるというのか?」
「そういうことだ。それも平民街のごく一部でそんな取り立てを行っていると聞いた」
「違法じゃないか。ならば、直ちに捕まえないと」
「ところがだ、王国貴族として今やもっとも権力を持つアルトリンゲン公爵の庇護下にあるから、おいそれとは手が出せないとのことだ。ゆえに、このあからさまな違法行為に王国側も手出しができない」
「それでは、法の秩序など無意味ではないか。何を拠り所に、この国を治めるというのか?」
「そうだ。だから手っ取り早く、始末することになった。これは国王陛下のご意思でもある」
ここで陛下の名が出てくる。これの狙いは陛下の命ではなく、陛下の意思を実現することだったのか。
ならば陛下自身が直接、処断なされば良い気もするが、そこは宮廷内部の複雑な力関係が作用しているようだ。陛下とはいえ、処断を強行することはかなわぬらしい。
だから、非合法な手っ取り早い手段に訴えるという。その役目を、私が引き受けることとなった。
◇◇◇
「お、お役人様、どうかお待ちください!」
「すでに三日も待ってやったのだぞ」
ここは、とある平民階級の家の中。中では、母親らしき人とその娘、その二人の前には、上物の刺繍を施した衣服をまとい、大きな羽根つきの帽子、整った髭の騎士階級の男が立ちはだかる。
「税を納められぬとあれば、やはり代わりを差し出すより他、なかろう」
「ちょ、ちょっと待ってください、娘だけは……」
「ならば、金を出すことだ。全部で銀貨200枚。高い金額とは思えぬが」
「そ、そんな……」
「出せぬ、というのなら、仕方あるまい。連れて行け」
騎士階級の男は、そばに立つ二人に命じる。母親の腕の中でうずくまっていた、十八、九歳ほどの娘は引き剥がされ、両肩を抱えられて建物の出口へと引っ張り出される。
「お母さん!」
その娘が最後に発した言葉は、虚しくも連れ込まれた馬車の中に吸い込まれる。
◇◇◇
「では、作戦の概要を説明する」
アルマローニは、何やら動く絵を映し出す奇妙な額縁を指差し、何やら始めようとしている。そこには、屋敷の見取り図のようなものが描かれている。
「これが、ワインガルトナー伯爵の屋敷か」
「そうだ。そして標的は毎晩、この屋敷の地下にいることが分かっている」
「地下……?」
「理由は知らん。が、ともかくそこにやつが毎晩いることは、我々の調査で判明しているのだ」
貴族の屋敷に地下室があることは、別段珍しいことではない。ワイン蔵であったり、あるいは敵に王都を攻められた際の武具を貯蔵する場所として、地下室を作るのは貴族の屋敷ではごく当然のように行われている。
が、毎晩そこに通う貴族がいるというのは、おかしなことだ。あのようにじめじめとした場所に頻繁に出入りする貴族など、聞いたことがない。
私自身は、今までの仕事の際には地下室を隠れ蓑にして、警備の者をかわしたことがある。逆に言えば、それほど人の立ち寄ることのない場所、ということだ。
「さて、現地までは車で向かう。近くで下ろし、そこからは単独行動だ」
「仕事を終えたら、私はどうすればいい?」
「車まで戻ってこい。回収し、その場を離れる」
「分かった」
「決行は今夜だ。それまでに、この屋敷のマップを頭に叩き込んでおけ。あと、食事と休息も忘れるな。最良のコンディションで臨め。以上だ」
冷めた口調の割に、嫌にきめ細かい配慮をする男だ。もっとも、私というよりは、依頼を成功させることを考慮してのことだろうが。
「そうだ、ラウラ。一つ言い忘れたことがある」
この会議室を出ようとした私を、男は呼び止める。
「何だ、まだ何か、言いたいことがあるのか?」
「お前の呼び名のことだ。本名はまずいし、まさかこれまで通り『夕顔のシン』とはいかないだろう」
呼び名? そんなものまで決めてくれるというのか。だが、私は今まで呼び名など決めてもらったことはない。「夕顔のシン」にしたって、あれは世間が勝手に付けた名であり、私自身は依頼人から一度もまともな名で呼ばれたことはない。
戸惑う私に、アルマローニという男はこう告げる。
「現時刻より、お前のコールサインを『ワルキューレ』とする」
「わ、ワルキューレ……?」
奇妙な響きの名だ。何やら力強くもあり、また不吉な響きにも聞こえる。
「とある星の、伝説に出てくる女剣士の名だ。その圧倒的な強さゆえに、死神姫とも言われている。お前に、ぴったりの名だろう」
などと、不敵な笑みを浮かべて私を眺めるその男に、少し苛立ちを覚える。
「分かった。つまり私の役目は、死神であれと言いたいのか」
「そういうことだ。だが、ワルキューレとは死を司る神でもある。正義の名のもとにそれを成す者だから、無益な殺生はしない。そういう意味も込めてのコールサインだということを忘れるな。では」
そう言うとアルマローニは、私に軽く敬礼する。いくら私に、遠い地の神の名を与えられようが、私がしてきたこと、そしてこれから成すことは、人徳に反した行為であることには変わりない。地獄行きは、もはや確定だな。
そして、その日の日没後に、私は「ワルキューレ」として初めての仕事に赴く。
◇◇◇
両肩を二人の男に抱えられて、一人の娘が連れ込まれた。そこは湿っぽく薄暗い部屋で、天井から吊るされたロウソクの光だけがその部屋を照らす。
この娘はつい先ほど、人頭税の代わりに母親から引きはがされた娘だ。男二人に抱えられるように、この不穏な雰囲気の地下室に連れてこられた。極度の不安と恐怖が、娘を襲う。
「来たか」
その部屋の奥には、髭を生やした男がいる。その男が娘を見るなり、ドスの効いた声を発しながら迫る。
この髭面の男、やや地味な身なりながらも小太りで、絹の生地の服をまとっている。それなりの身分だということが、すぐに分かる。
「あ、ああ……」
恐ろしさのあまり、扉に寄り開けようとするが、鍵がかかっており開かない。何をされるのか見当もつかないが、ロクなことでないことは想像がつく。
「お前は、売り物として明日、奴隷商に引き渡されることになっておる。無論、ただ商人に渡すなど、売り手としては心苦しい。それゆえ、一品一品、わしが直々に確かめておるのじゃよ」
といってその髭面の男は娘の手首を握る。と、なにやら腕輪のようなものをつける。
「い、いや、ちょっと!」
恐怖に抗いあげた叫び声だが、辺りにはこの男以外、誰もいない。密室の中、ただ一つのロウソクだけが暗がりの部屋を照らしている。その狭い空間の中、平民の娘が、この得体の知れぬ男に腕を押さえられる。
が、もう一方の手首に輪をかけようとした、その時だ。鍵がかかっていたはずの扉が、音もなく開く。
「おや? 鍵を閉め忘れたのではあるまいな」
男がそう呟くが、その扉の奥からは小柄な人物が現れる。見知らぬその人物に、男は声を荒げる。
「誰じゃ、今、取り込み中であるぞ!」
だが、その人物は冷徹な目で、ただその男の目を睨む。このただならぬ気配に、娘は声が出ない。小柄な者はその部屋に入るなり、扉を閉じる。
「なんじゃ、そなた、よく見れば女ではないか」
ロウソクの灯が、侵入者を照らす。短い白銀色の髪に、華奢な身体に細い腕。それが女であると見抜いたこの男の目は、それだけ多くの娘を見てきたという証拠でもある。
だが現れた娘は、ただものではない。娘は、口を開く。
「ワインガルトナー伯爵」
そいつはいきなり、この男の正体を暴く。
「なんだ、なぜわしの名を知っておるのか」
「ここは、お前の屋敷の敷地内にある地下室。そこで、連れ込んだ娘にいかがわしきことをしているのを、すでに知っている」
「ほう、そうであるか。であれば、そなたも返すわけにはいかぬな」
そういうと、連れ込んだ平民の娘の腕をつかんだまま、後ろに下がる。と、そこにあった紐に手をかける。
からんからんと、密室内にやかましい音が響く。それはつまり、見張りに知らせるための鐘の音だ。捕らえた者が逃げ出したときに備えてつけられたものだろう。だが、その音を聞いても、小柄な娘は微動だにしない。
「無駄だ、誰も来ない」
そしてただ一言、ワインガルトナー卿にそう告げる。鐘は鳴りやむが、誰一人としてここに駆け込む者がいない。この髭面の貴族の男は、その娘に叫ぶ。
「そ、そなた、何をした!」
「見張りの者は、すべて眠らせた。いくら叫べども、誰も来ない」
「なんじゃと!?」
「ワインガルトナー伯爵、お前は租税役人の立場を悪用して、『人頭税』と称する架空の税を、特に娘が住む家にやってきては請求し、それを払えないのを口実に娘をかどわかし、この密室で散々弄んだ後に奴隷商に売りつけ、不当に利益も稼いでいた」
この貴族の男の罪状を高らかに読み上げる小娘に、男は問いただす。
「貴様、誰だ!」
「この名前は、聞いたことがあるだろう。私は貴族にも、よく知られているようだから」
そう言いながら、小娘は腰の方に手をかけ、こう告げた。
「私は、『夕顔のシン』と呼ばれる者だ」
そう言い放った娘は、腰に備えた何かをロウソクに投げつけ、その火を消した。
◇◇◇
この地下室は、途端に真っ暗になる。夜目に慣れていないあの男には、私の姿は捉えられていないだろう。
だが、私には見える。
真っ赤な、二つの赤い光が見える。どちらも眩く光っており、心臓が高鳴っていることが手に取るように分かる。
手前の一つは、さっきの娘だ。おそらく、人頭税の代わりに連れてこられた娘なのだろう。そして奥にあるひときわ大きな光を放つそれは、あのワインガルトナー伯爵の心臓だ。
この暗闇で、恐怖の限界に達したのだろう。やつの心臓の色が、赤から青に変わり始める。
私は、腰にある短剣を引き抜く。それを前に突き立てて、一直線にそれをその大きな青い光の中心に向け、突き通す。
肋骨の間をすり抜け、心臓目掛けて短剣は突き刺さる。分厚い干し肉にナイフを突き立てた時のような、鈍い感触が手に伝わってくる。と同時に、暖かく生臭い液体が、顔にかかる。
「ぐぁ……」
声を上げることもままならず、この悪徳貴族の心臓は瞬時に光を失い、絶命する。剣を抜くと、どさっと何かが倒れる音が響く。
「あ……ああ……」
おっと、もう一つの心臓の光、連れ込まれた娘のことを忘れていた。先ほどの男よりは小さい光ながらも、青く光っている。かなりの恐怖に襲われているようだ。
「おい」
「は、はい!」
「立てるか?」
私は短剣を腰に収めると、手を差し出す。するとその娘は私の手を取り、立ち上がる。その手を引いて、扉の方へと向かう。
扉のすぐ外には、二人の男が倒れている。アルマローニが言うには、頭の中が混乱して気絶した状態に陥っているのだという。このまましばらくは目を覚まさないと言っていたが、見事なほどに目覚めない。
「階段がある、ゆっくり登れ」
「あ、あの、私、あなたのこと、見てませんから、い、命だけは……」
「依頼された者以外、殺すことはしない」
そう娘に告げると、それを聞いて安心したのか、心臓の色が青から赤に変わる。私の手引きに、素直についてくるようになった。階段を昇り、中庭を抜けて壁を昇り、路地にでる。
すると、黒い車が走り寄ってきた。私とその娘のそばに停まると、扉が開く。
「乗れ」
中から、アルマローニの声がする。私は娘ごとその扉の中に飛び込む。二人を乗せた車は扉を閉じると、サーっと走り出す。
椅子の上には、何やらガサガサとしたものが敷かれている。返り血で染まることを想定して、後ろの席は何かで覆われているようだ。
「上手くいったか?」
「ああ、上手くいった」
「そうか」
静かに、勢いよく走り出すその車の前の席から、アルマローニが私にそう尋ねた。私は一言、結果を告げる。
「で、その娘は誰だ?」
が、当然、想定外の客人に質問が及ぶ。薄暗い車内で、娘はびくっと身体を震わせる。
「おそらく、人頭税の被害者だ。あやうく、ワインガルトナー伯爵の手にかかるところだった。返り血も浴びてしまったから、置いていくわけにもいかないだろう」
「そうだな、それは正解だ」
短く、そう答えるアルマローニ。だが、この娘は私も前にいる男のことも知らない。成り行きで乗せられた娘だ。相変わらず、心臓の光が収まらない。
「あ、あの、殺し屋、さん?」
だから当然、私たちを探ろうとする。この無神経な声掛けに、私は思わずその娘を睨みつけた。
「ああ、ご、ごめんなさい! だって、なんてお呼びすればいいのか分からなかったもので……」
「ワルキューレでいい」
「ええと、ワルキューレ様。私を助けて下さって、ありがとうございます。ところで、あなた方は一体……」
「見ての通り、暗殺者だ。たった今、悪徳租税役人を倒したところだ」
それを聞いたこの娘は「あっ!」と叫び、こう言い出す。
「そうだ、あの時、夕顔のシンとおっしゃってましたよね?」
「あ、ああ、そうだが」
「夕顔のシン様といえば、この王都で『世直しのシン』とも呼ばれてるんですよ」
「は? 世直し?」
私自身、聞いたことのない二つ名を、この娘は口走る。
「悪い貴族をバッタバッタとなぎ倒し、この王都を巣食う者どもを排除しているんだと、そう噂されてますよ。で、奪った金品を貧民に分け与え、自身は暗闇に消えていく、とか」
なんだって? 私が、悪い貴族を倒し、金品を分け与えただって? そんなことした覚えがないぞ。私はせいぜい、あの御者から金貨を五枚もらって、言われるがまま殺しをやっていただけだ。ちょっと話が盛られ過ぎてはいないか?
その話を聞いて、明らかに前の席の男は笑いを堪えている。そりゃあ滑稽だろう。こんな人殺し一筋の、しかも最後の最後に罠にかかって捕まり、挙句の果てに鞍替えした暗殺者が、いつの間にか義賊として祭り上げられていたのだ。私だって、当事者でなければ笑い飛ばすところだ。
「いや、そんな立派なことなどしていない。今回だって、依頼通りに仕事をこなしただけであって……」
「なんと謙虚な殺し屋様なのでしょう! ますますあなた様に惚れてしまいました!」
この娘、心臓の光が眩い赤に変わったぞ? ついさっきまで、まな板の上のニシンのように怯えていたくせに、この変わりようはなんだ。
と、そんなおかしな娘を伴い、車は軍司令部の裏にある小ぶりな建物の脇に来た。
「ぎゃあああぁっ! なんですかこれは!?」
で、そこで待機していたカッサーノが、私の姿を見て叫び声を上げる。それはそうだろう。返り血を浴びて血まみれだ。ちなみに、もう一人の娘も同様に、血を浴びている。
「カッサーノ兵曹長、済まないが、この二人を綺麗にしてくれ。着替えも用意するように」
アルマローニのこの言葉に、カッサーノは黙って頷くしかない。
さて、こうして平民の娘まで連れてくる羽目になった、ここでの最初の仕事だが。
しかしこの助け出した平民娘がこの後、とんでもないことを言い出した。




