#2 不覚
塀の向こう側にあるこの街は、夜だというのに予想以上に明るい。通りの上など、まるで昼間のようだ。
こんな場所では、かえって馬車は目立つ。だから、塀の中は私一人で入る。武器である短剣は、入り口の検問で調べられるため持ち込めない。だから私は昼のうちにこの街に入り、別途それを決めた場所で受け取ることになった。ビルという名の高い建物を建てるために置かれた、人型の大きな機械仕掛けの陰で、私はあの御者から短剣を受け取る。
それにしても、地面が真っ黒な上、異様に硬い。その上に引かれた白い線に沿って、馬のない馬車がひっきりなしに走っている。その硬い地面のおかげで、足音はしない。その上、私の黒い仕事着ならば目立たないだろうから、逃げる際には悪くはない条件だ。問題は、その黒い地面を照らすあの灯りだ。
昼間にここに来た時は、あれほど明るい灯りがあるなどとは思いもよらなかった。ともかく私は、依頼された仕事をこなさなくてはならない。その灯りの途切れた場所を探し出して娼婦の服を脱ぎ、仕事用の黒服に身を包んで、標的のいる建屋へと急ぐ。
とにかく高い。ここにある建屋は、どれも呆れるほど高い。王宮を警護する見張りの塔よりもはるかに高い建物が、まるで森の木々のように整然と、そして鬱蒼と並んでいる。その合間を、この黒い地面が貫いている。
人目の途切れたところを狙い、私はその建物に取りついた。同じような形の窓が並ぶこの建物は、なんと二十階層もある。その下から十階層目の端から七番目の部屋に、標的であるアルマローニという男がいると御者は教えてくれた。
階段を、忍び足で上がる。灯りが煌々と照らされているから、人がいればすぐさま身を隠さなければならない。場合によっては、口封じの殺しも覚悟する。が、幸いにも誰ともすれ違うことなく、私は十階層目まで昇る。
部屋の位置は、実に分かりやすい。鉄の扉が並び、その端から七つ目を目指せばよい。すでに夜も更けて久しく、草木も眠る刻。その扉までの明るい通路を忍足で迫り、そして私はその鉄の扉に手を掛ける。
ガチャッと音を立てて、扉の取っ手をひねる。表とは違って、扉の向こうは真っ暗だ。夜目が効かぬまま、私は中へと忍び込む。
嫌な予感がする。まさかとは思うが、待ち伏せなどされてはいないだろうな。しかし、たとえ人が物陰に隠れていても、私には人の心臓を捉えることができる。それだけを頼りに迫り、私はこの短剣をその心臓に突き立てればいい。
しかしだ、人の気配がまったくない。物陰どころか、部屋の奥にもその心臓の輝きを捉えることができない。妙だ。私の心臓ばかりが、どきどきと鼓動を立てる。息を殺しつつ、私は部屋の奥へと足を進める。
異変に気づいたのは、入口からすぐの部屋を通り越し、奥の部屋に入った時だ。頭がもうろうとし始める。まさか、こんな時に眠気が? いや、未だかつてこんなところで眠気などに襲われたことなどない。だが、今は異様に眠気が襲う。
もはや、どちらが上か下かも分からなくなってくる。その場にへたり込み、私は跪く。ワインを飲まされた後のようなもやもやとした意識に、私はどうにかして抗うも、その抵抗虚しく、私は意識を失ってしまう。
……そして気づけば、私は奇妙な場所にいた。目の前にはテーブル、そして天井には灯りが一つ。テーブルの向こうには、人影のようなものが見える。
ぼんやりとした風景は、やがて鮮明になる。目の前にあるテーブルの向こうに、濃い青色の服を着た男が一人、私の視界に飛び込む。私の顔を見るなり、男はこう呟く。
「気づいたか」
それを聞いた私は、咄嗟に身構えようとする。が、腕が動かない。座っている椅子に後ろ手に回されて、椅子に縛られているようだ。同様に、足も縛られていて上がらない。
「だ、誰だ!?」
「いや、こっちが聞きたい。お前の名は、何と言う?」
青服の男が、私の問いに問いで返す。が、暗殺者である私が、こんな得体の知れない相手に、簡単にラウラという名を名乗るわけがない。口をつぐんでいると、なにやら男は脇にある黒い板に目を移す。
「ふむ……ラウラ、というのか」
そしてその男は、なぜか私の名を言い当てる。
「ど、どうして私の名を……?」
私の本名は、誰にも明かしてはいない。あの御者ですら、私の名を知らないはずだ。明らかに動揺する私に、その男は涼しげな顔でこう答える。
「単純だ。我々には脳波を読み取り、その者の思考を読み取ることができる仕掛けを持っている。だから、お前がいくら黙秘を続けようが、少しでも心に思い浮かべてしまえば、それをたちどころに読み取ってしまう」
なんてことだ。私の心を読めるというのか。なんという仕掛けだ。そんなものを星の国の連中は持っているというのか。そんな手の内を堂々と明かした後に、さらにこの男は続ける。
「さて、ラウラよ。お前をここによこした相手の名前は、なんというのか?」
無論、私は黙り込む。が、こればかりは黙秘するというより、私自身も分からないからという他ない。なにせ私は依頼者のことを「御者」としか呼んでいないし、これでは誰のことか分からぬはずだ。
「うーん、御者、か。どうやらお前には、正体を明かしていないようだな」
再び、横の板を見てそう呟く男。やはりというか、私の心を読んだな。が、御者の誰かということ以外、分かるはずもない。
「まあいい、すでに依頼人の名前は分かっている。それに、お前をここに寄越した理由も、だ」
だが、こいつは相変わらず見透かしたような言い方で、私にこう言い切る。その態度に少し苛立った私は、こう尋ねる。
「私の名を知ったのだから、今度はお前が名乗る番だろう」
それを聞いた男は、まるで私のことなど見下すような笑みを浮かべた後に、私にこう言い放つ。
「自分で名乗ったわけではないだろうに……まあいい、どのみち名乗るつもりではいたからな」
そう言うとこの男は、テーブルの上に置かれた平たい帽子を被るや、こう名乗った。
「私の名は、フェデリーコ・アルマローニ。階級は准将、地球八〇三宇宙軍総司令部付きの情報参謀。つまり、お前の標的だった男だ」
その名を聞いた瞬間、私の目の前のこの人物が、私の標的であることを知る。次の瞬間、私は悟る。
ああ、私はここで、死ぬのか。
「こ、殺せ!」
私は死を嘆願する。私が暗殺者で女である以上、この後にどんな拷問や陵辱が待っているか分からない。ならばいっそ、すぐにでも殺してもらう方が遥かにマシだ。だから私は咄嗟に、殺せと言った。
が、この男はこう返す。
「まあ、死に急ぐな。せめてお前がその依頼人からここに送り込まれた理由、そしてなぜ、お前はあっさりと捕まってしまったのか。それくらいは知る権利があるだろう」
死を嘆願する相手に向かって、そんな瑣末なことを教えてやるなどと言い切られた。が、確かにこのまま死ぬのはやや口惜しい。物音も立てずに近づいた私を、気づいた時には捕らえていたこやつらの技の仕掛けくらいは、せめて知りたい。
「そうだな、まずはお前の言う『御者』の正体だが、このフロマンデラ王国貴族の一人で、レズニチェク男爵家当主のゾルターニという」
そこで初めて私は、その依頼人の名を知ることとなる。が、話はまだ終わらない。
「で、この男爵がなぜお前に暗殺をさせていたのかだが、お前が殺した相手はすべてホーエンベルク公爵派の貴族であり、簡単に言えばホーエンベルク公爵を宰相の座につかせないための工作だった、ということだ。当然、その真の犯人とも言うべき人物は、同じく宰相の座を争っていたアルトリンゲン公爵ということになるのだが……」
私がこれまで手をかけた相手とその理由まで、明らかになる。やはりというか、私はある貴族の野望のために、ここ数年間、大勢の者を殺めてきたということになる。依頼人の真意など知らず、私はただ金のためにその命を奪い続けた。
誰かの独りよがりな思惑に動かされていたことくらい、私自身にも自覚はあった。だが、その本当の理由を死に際で知ったところで、一体何の役に立つというのか?
が、男は続ける。
「で、それが昨日のお前の仕事で、その目的が果たされた。つまり、アルトリンゲン公爵が宰相となるための障害は、すべて取り払われたということだ。お前の仕事は、昨日の時点で完了していることになるな」
この話に私は、ついカッとなり食いつく。
「待て、それではなぜ私は、今回の仕事をさせられたのだ!」
昨日の時点で終わっているのなら、どうして私はこの街に潜入し、眼の前にいるこの男を殺せと言われたのだろうか? 合点がいかぬ。が、さっきの口ぶりから察するに、こいつは何もかも知っている。
「一言で言えば、お前を始末するためだ」
「し、始末?」
「不要になった暗殺者を、生かしておく必要はないと考えたのだろう。となれば、この街に潜入させれば簡単に殺される。そう踏んでの依頼であることは間違いない。現にこうしてお前は捕まったのだからな」
それを聞いた途端、私は愕然とする。なんということだ、つまり私は、騙されていたということか。
「標的として私を選んだのは、私が王都の治安維持を任された人物だからと知ってのことだ。そこに暗殺者を送りこめば、確実に始末してくれる。おそらくはレズニチェク男爵の独断だろうが、我々の力を知っているがゆえのアイデアだな。自ら手を汚すことなく、王都内にも痕跡を残すことなく、お前を消し去ることができる。だが、一つだけこの男爵はミスを犯した」
さっきから、すべてを見透かしたように語るこの男の心臓が、私には見えている。そしてこの瞬間、それがより赤みを増して輝いた。
「我々がお前たちの正体をすでに把握しており、その行動をずっとトレースしていたこと、そして今晩、私のもとにお前を送り込むことも、全てお見通しだったということをレズニチェク男爵は知らなかった。だから我々は事前にお前を捕縛するために罠を仕掛けた。まんまとそれにかかったお前は今、こうして私に捕らわれたというわけだ」
不覚だった。悪い予感はしていたが、これほどあっさり捕まるとは思ってもいなかった。あの時襲ってきた眠気も、奴らの持つなにか特殊な仕掛けによるものだろう。さしずめ私は、ネズミ捕りにかかったネズミというところか。
「で、捕まえた私を、どうするつもりだ?」
「お前よりもまず、その男爵のことを教えてやろう。我々に、刃を向けようとした相手だ。このまま無事に済ませるつもりはない。我々を襲わせようとした証拠を王国側に提示すれば、あとはあちらで勝手に裁いてくれる。こちらで裁くよりも、ずっとその罪にふさわしい罰が下されるであろうな」
この男が自惚れていることは、あの心臓の輝きが示している。赤く輝くそれは、こいつがそれだけ興奮していることを暗に私に告げる。
「で、お前の処分だが」
その輝きがさらに増す中、アルマローニという男は不可解なものを取り出す。一見するとそれは小さめの鎚のようだが、あまりにもいびつな形だ。中程には小さな輪があって、そこに指を掛けている。
だから私はそれを、拷問具だと思った。こいつ、私にまだ何かを問い詰めるつもりか?
「それで……私を拷問するつもりか?」
「拷問? ああ、これはそういう道具ではない。拳銃と言って、相手を撃ち抜くものだ。つまり、こういうものだ」
てっきり拷問具だと思ったそれは、今の言葉から察するに武器のようだ。が、こんな小さな武器など使い物になるのか。私の短剣の方が、よっぽどか殺傷能力が高いように思う。
などと、両手両足を椅子にくくりつけられている私は、その頼りない武器を前にしてもなすすべはない。
そしてアルマローニという男は立ち上がり、テーブルの脇に立つ。その頼りない武器に指をかけると、それを下に向けて力を込める。
バンッという鈍い音とともに、青白い光が一瞬、その先端から放たれる。その先を見ると、床に拳ほどの穴が空いており、煙が上がっている。
これは、鎚などではない。飛び道具か。それも相当な力ある武具であることを、その穴と煙が物語る。その先を私に向けたこの男は、こう言い放つ。
「さて、この場で『夕顔のシン』には死んでもらう」
そして再び男は、その武器を持つ指に力を込める。
バンッという乾いた音とともに、青白い光が私に向けて放たれた。




