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凍土の王子と紅の姫君 8話

「……でな、その時アンナはこう言ったんだよ。『もう、また泥だらけで帰ってきて!そのまま家に入ったらママに怒られるでしょ!ほら、タオル持ってきたら拭いて!』ってな。あの頃はまだ9歳なのにしっかりしてたんだ。すげえだろ、アンナは!」

「ああ、良い妹を持てて羨ましいよ」


 放課後、ジルとエヴァンが校舎2階の窓から中庭を眺めながら話をしていた。

 ほぼジルがアンナの昔話を並べ立てるだけの会話は、端から見ればエヴァンが無理やり付き合わされているだけのように見える。だが、エヴァンは自分の知らないアンナの貴重な話を望んでジルと話しているのだからウィンウィンだ。

 エヴァンの言葉を聞いて、ジルは粗雑な見た目には似合わない慈しむような目をエヴァンに向けた。


「お前にも妹がいりゃ、両親を亡くした悲しみも少しは楽になっただろうにな。一人は辛かっただろ?」

「ん、そうだな……」


 ジルは少し誤解をしている。ジルがエヴァンにアンナの話をすると興味深そうに聞いてくれるのを、エヴァンが妹好きだからだと思っているのだ。『両親を失い架空の家族としての妹像にすがっている』という闇が深い勘違いをしているも、ジルはエヴァンを馬鹿にすることなくその架空の妹を妄想する材料にと、アンナの話をこんこんと続けている。

 エヴァンが真に求めているのは妹ではなくアンナの話なのだが、誤解があってもジルが話す内容に違いは無い。だから、エヴァンはジルの勘違いに気付きつつもスルーを決め込んでいる。

 エヴァンは両親の死についても既に気持ちの整理は付いているし、一人には慣れていた。自分が一人でなくなる時は、アンナと結ばれた時だけだ。

 そう考えて黙り混むエヴァン見てジルは何を思ったのか、ニカッと笑いかけた。


「お前にならアンナを……」

「!」


 その枕詞にエヴァンはピクリと反応する。その後に続く言葉に思わず期待をしてしまった。ジル倒さずとも、ジルの公認を得てアンナとの恋愛に打ち込めるようになるのでは、と。


「妹扱いされても良いと思うぜ」

「気持ちだけありがたく受け取らせてもらうよ」


 そんな上手い話はなかった。それでも、エヴァンは一瞬でスンッとしつつも、アンナが妹ならそれはそれで幸せだと感じたのはジルに毒されているからだろうか。


(アンナが妹なら僕が幾年もトラウマに苛まれることはなかっただろうな。しかし、やはり妹では駄目だ)


 加熱した恋心を今更鎮めることなどできず、妹扱いという妥協ルートは選べない。エヴァンの決意は固かった。


「なんだよ、遠慮なんてしなくていいんだぜ?……っと、そろそろ待ち合わせの時間だ」


 中庭の時計を確認したジルが、窓に寄りかかった上半身を起こしながら言う。


「待ち合わせ?恋人か?」

「何言ってんだ。俺に恋人なんて居ねえよ。俺も詳しくは呼び出された理由は聞いてねえが、多分あれだろうな。どうせならエヴァンにも来てもらうか。いいだろ?」


 何故かジルの待ち合わせに同行を求められ、エヴァンは当惑する。

 そして、真っ先に思いついたのは、喧嘩だ。何せ、ジルの見た目は完全にヤンキーだ。日々学校の覇権を争って喧嘩に明け暮れている感じの。

 もっとも、エヴァンはジルがそのようなタイプの人物でないことは既知である。だから、ジルが推測したのは、見た目だけで勘違いしてジルに喧嘩を吹っかけてくる輩をエヴァンに諫めて欲しいのではないかということだ。

 生徒会は学校の風紀を取り締まる役割も担っているため、不良生徒が居れば生徒会長としては見過ごせない。


「まあ、構わないが」


 そういうことならと、エヴァンはジルの後について歩き始めた。

 そして着いた先、兵士科の演習場で、想像とは異なる光景を見た。

 どんなスれた輩が待ち構えているのかと思えば、そこに居たのは入学したばかりで真っ直ぐな目をした一年生男子の姿だった。他にも数人の一年生の姿と野次馬のような影がちらほら見当たるが、一人だけ大きく前に進み出ている点からその一年生男子がジルの待ち合わせの相手であるのは確実だ。

 グレている様子は全く無く、新一年生がジルに何の用があるのかとエヴァンは疑問に思う。

 ジルと一年生男子が向かい合って睨み合う謎に緊迫した空気の中、一年生男子が真剣な表情で口を開いた。


「ジル先輩、今日は来ていただいてありがとうございます」

「別に構わねえけどよ、まずお前は誰だ?んで俺に何の用だ?」

「僕は役所職員科1年のワルター・ドガリー!あなたに決闘を申し込みます!そう、アンナさんへの告白権のために!」


 意を決したように、高らかに宣言する新一年生男子、ワルター。

 決闘。その言葉からエヴァンはジルが呼び出された理由を理解し、図らずも件の決闘の現場に混ざり込むことになったのだと悟った。

 エヴァンからすればワルターは恋のライバルに当たる訳だが、その点に関してはエヴァンに焦りはない。自分と並ぶ実力を持つと言われるジルが、15歳になって魔法に目覚めたばかりのワルターに負ける訳がない。そして、万が一ワルターが勝ったとしても、それで得られるのはアンナ本人ではなくあくまで告白権であることから、ポッと出の新入生の告白がアンナの心に届くはずもない。エヴァン自身も今のままではジルに勝って告白しても受け入れてもらえないと踏んで、生徒会でアンナとの仲を深める道を選んでいるのだから。

 いつかはジルの戦いぶりを見る機会が欲しいと思っていたため、この場に呼ばれたことはエヴァンにとって好都合であった。


「へぇ、やっぱそういうことかよ。随分な威勢で悪くねえ。だがよ、まだ入学して全然経ってねえのにいきなりアンナに告白しようなんざ、どういうワケだ?」


 一目惚れでもしない限り、入学早々に先輩に対して愛の告白をしようという考えにはならない。ジルはそれを疑問に思って、問いを返す。


「それは……。入学前からアンナさんのことが好きだったからです。3年前のことでした。あなたたち兄妹の実家の陶器屋の店先で家の手伝いをする彼女の姿が大変眩く可愛く晴れやかで……」

「あーあー分かった分かった。お前が惚れた理由はもう十分だ。……後は、お前がアンナを任せるに足る男かどうかだけだぜ!」


 言い終わった途端、ジルの体から覇気が溢れ出す。それに合わせて、一気に会場の熱気が増した。


「そうですね。僕が勝って、証明して見せます!」

「良い根性だ!よし、そんじゃエヴァン、審判は頼んだぜ!」

「……僕を呼んだのはその為か」


 突然審判を任され、エヴァンは軽く溜息を付く。


「エヴァン生徒会長……。学年も科も違うのにアンナ先輩と一緒に居られるなんて、羨ましすぎる!僕も一年、生まれるのが早ければ生徒会に入っていたのに!だけど、今はこの決闘を見届ける役目をお願いします!」


 ワルターからもよく分からない嫉妬の刃をチラ見せされ、どう反応したものかと悩むが、結局は審判役を受け入れることにした。一度生徒会が見届けてしまえば、今まで黙認されてきたこの決闘は学校公認の行事だと認識されるようになるだろう。それは生徒会の品位を損なうかもしれないが、それでもエヴァンはジルの実力を見極める為に、この現場に残りたかった。


「分かった。ルールは、魔法有り、刃を潰した武器の使用有り、治療困難なレベルの怪我を負わせるのは無し、行動不能かそれに準ずると判断した場合と敗北宣言があった場合に試合終了とする。いいな?」

「おう、それでいいぜ!」

「はい!」

「では、開始!」


 エヴァンの開始宣言と共に、熱い戦いが始まる。かと思われたが、それはあまりに一方的だった。

 ワルターは摸擬剣を手にし、綺麗な構えを取る。役所科という非戦闘職にしては様になっていて、相当鍛錬を積んでいるのが誰の目にも分かった。入学前から決闘の噂を聞いていて、この日の為に準備してきたのだろう。

 そして、対するジルはまさかの無手。剣を持つのを忘れているのではなく、握り拳を作って殴打で攻撃する気満々なのが伝わる。


「やはり素手ですか。聞いてはいましたが、舐められたものですね!」

「舐めちゃいねーぜ。俺はこれが一番得意なだけだ」

「そうは言っても、こうすれば僕が有利なはずです!《水流分身》!」


 ワルターが魔法を発動させた。それと同時に、ワルターが3人に増える。自身の分身を生み出す魔法で、短時間であるもののそれぞれが独立した実体として行動できる。


「おおっ!増えるたぁやるじゃねえか!おもしれえ!」

「3本の剣に拳2つでは戦えないでしょう!覚悟してください、ジル義兄さん!」


 ワルターと分身が3方向に分かれ、同時にジルへと斬りかかる。腕、胴、足を狙ったその包囲は避けることは難しく、当たれば摸擬剣と言えど負傷するのが間違いない力が込められている。恋に落ちひたむきに自らを鍛え上げた少年の努力の勝利が目の前にあった。はずなのだが……。


「お前に義兄さんと呼ばれる筋合いはねえ!ふんっ!」

「へぁ?」


 ジルはジャンプして足に斬りかかっていた剣を躱す。そんな避け方をすれば当然他の2本の剣が直撃してしまう。しかし、そうはならなかった。腕と胴を狙った剣にジルが拳を振るうと、何故か剣の方が粉々に砕け散ったのだ。

 拳に剣を当てた瞬間に勝利を確信したワルターは、何が起こったのかも分からず、剣を振った勢いで体勢を崩す。

 それを見逃さないジルは、恐怖の笑みを浮かべた。


「分身ならぶっ壊しても問題ねえよなあ!?」

「「ひいぃぃ!?魔王ぅおぉぉ!!……」」


 目にも止まらぬ速さで突き出されたジルの拳がワルターの2つの分身にめり込む。分身は断末魔を上げながら、剣の時と同様に宙の塵になって消え去った。

 一人残された本体は、地面に尻もちをつきながら、怯えに染まった顔でブルブルと震えている。自分と全く姿の分身が一瞬で殴殺されたのだ。本人にしか分かり得ない恐怖映像である。

 そんなワルターに、ジルは拳を打ち鳴らしながらゆっくりと迫る。ワルターは小さく「あっ、あっ……」と声にならない声を漏らすだけで、敗北宣言すらまともにできる状態ではなかった。そして、ついに手からカランと剣を落とし……。


「そこまでだ。ワルターの戦闘不能と見なし、ジルの勝利とする」


 エヴァンが宣言する声が響き、決闘は終わりを迎えた。



 エヴァンは目を見開く。ジルがワルターの剣に拳を合わせた時、ジルは敗北するかに見えた。しかし、実際に砕けた、いや、粒子状になって消えたのは剣の方だった。そして、その時にジルの拳が光を放っていたのをエヴァンは見逃さなかった。


(拳に触れたものを粉にして消す魔法?そのような魔法は聞いたことが無い)


 エヴァンはジルに対する評価を甘く見積もりすぎていた。自分と同程度の戦闘力で、知能では自分が上回っている分、1対1の決闘となれば自分に分があると考えていた。

 しかし、クリントから聞いていた、『決闘の時だけジルの力が数倍強くなる』という如何にも作り話のような話が本当だったのだと気付いた。あの拳の前に物理的な接触攻撃は無意味であると考えると、エヴァンの勝算は一気に低くなる。

 何せ、エヴァンの使える土属性の魔法は、全て物理的な干渉だからだ。土で壁を築こうが槍を降らせようが全て打ち砕かれるなら、エヴァンの魔法は意味をなさない。

 波状攻撃を仕掛けたとしても並外れた身体能力で無力化されるであろうことも今回の決闘から予想できた。


「審判あんがとな、エヴァン」


 ジルが涼しい顔でエヴァンに話しかける。ワルターの方は腰を抜かして完全に放心状態になってしまったので、後ろに控えていた同じクラスらしい一年生達に担がれ退場していた。非戦闘職で2歳も年下にしてはかなり頑張っていた。が、ジルもそれを考慮してか、全く力を出しきっていないようだった。エヴァンが相手なら、その容赦は無用となるだろう。


「ジル、さっきの力は何だ?あんな魔法見たことも聞いたこともないぞ」

「あーあれは……。言うなれば『愛の力』って奴だな」

「愛の力……?」

「おうよ。俺がアンナの為に戦う時だけ湧いてくるすげー力だ。それってようは愛の力だろ?」


 ふざけている様子もなくそんなことを言ってのけるジルに、エヴァンは眉間の皺が寄る。本人すらよく分かっていない未知の力は恐ろしい事この上ない。


(これは対策に苦労するな。対策が万全になるまで、決闘は避けなければいけない)


 今のままでは勝てる見込みがない。そう判断したジルは、危機感を強める。今まではまだジルにアンナへの想いがバレて即時決闘となっても、上手くやれば勝てる気でいた。しかしその考えは甘すぎた。これから1年かけてしっかりと対抗策を考えなければ勝つことはできないと考えると、ジルに、ひいては情報を流しかねない他の学生にアンナへの想いがバレるのは絶対に回避しなければならなくなった。


(考えることが多い……。だが、アンナと共にあるにはこれ位の試練は有って然るべきか)


 アンナとの仲を深めつつ、その秘めたる想いを誰にも悟られないようにし、更にはジルに勝つために己の技量を高める。それがエヴァンの最後の学生としての1年間の活動方針となった。

 それは困難な道ではあるが、エヴァンは前向きであった。どれだけ困難な道でも、これまでのトラウマに苛まれて必死に成してきた努力と比べれば、それは明るく楽しいものだからだ。

 長く失われていた人生に対する楽しさを取り戻したエヴァンの、次なる努力のステージが幕を開けた。

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