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凍土の王子と紅の姫君 7話

 4月に入り、学校では入学式と進級が行われた。

 生徒達が皆、心機一転して次の一年間に臨もうというその新たな門出から二日経ち、新生徒会初の活動が始まる。

 それはつまり、エヴァンの恋の戦いもゴングを鳴らすということだ。


「今日から新生徒会が本格的に始動する。よろしく頼む」


 生徒会長用の机とセットになった椅子に座り、机に肘をついて手を組みながら、エヴァンが挨拶をした。


「よろしくお願いします」

「よろしく」

「よろしくね~」


 エヴァンの前に立つアンナ、クリント、サティアも、エヴァンに合わせて挨拶を返した。アンナは平常運転、クリントはエヴァンが初手にどう出るのかを楽しみに観察していて、サティアは何を考えているか分からないぽやぽや~っとした笑顔を浮かべている。


「では、顔合わせは引継ぎの時に済んでいることだし、早速業務の方に取り掛かってもらいたい。新入生の同好会加入申請が多く、手間がかかると覚悟しておいてくれ」


 生徒会の主な仕事は、同好会と呼ばれる、趣味や特技を同じくする生徒同士が集まってコミュニケーションを楽しむ集まりの管理だ。卒業と入学が重なるこの時期は、新入生の加入申請が殺到するだけでなく、人数が足りずに解散となったり、新入生が新たな同好会を作ろうとしたりで、同好会関連の業務が最も忙しくなる。新生徒会発足直後に必ず発生するこの激務期間は、実質的に新生徒会の力量を測る役割を担っていると言える。


「サティアにはこれだ。同好会申請書を表に纏めてもらい、教師への報告書を作って欲しい」

「分かったわ~。ひゃあ、すごい量ね~。こんなにいっぱい入っちゃうなんて、今年の新入生はお盛んね~。時間がかかりそうだし、先にコーヒーを淹れて来るわね~」


 サティアは受け取った申請書の束の厚みにしかめっ面を見せるもすぐにその表情は薄れ、作業用の机にそれらを置いてカップを取りに離れた。


「次、アンナにはこれを頼む。先月の同好会の支出と今月の同好会予算の配分のチェックだ」

「はい。……あれ?サティア先輩に比べて少なくないですか?」


 アンナはサティアに渡されたものの3分の1程度しかない紙の束の厚みに、疑問を放つ。


「ああ、だが、この時期の会計の作業はかなり複雑なんだ」

「なるほど、つまり、枚数は少なくても一つ一つの処理の難易度が高いというわけですか。腕の見せ所――」

「いや、複雑な箇所は僕が代わりに処理しておいた」


 複雑と聞いて、やる気を奮い立たせるアンナ。しかし、エヴァンは言葉を遮り。


「だから、君はこの簡単な計算だけで済むものだけを処理してくれればいい」

「え??」

「ぶふぅっ!!」


 空気になって見守っていたクリントが思わず吹き出してしまう。どのように立ち回るかと思えば、まさかのアシスト路線。しかも過剰。


(そうじゃないでしょ!自分の能力の高さを押し出したいのは分かるし、難しい手伝ってあげるのが優しさだと思ってるんだろうけど、紅の姫君みたいなプライドが高いタイプにそれは逆効果だって!)


 クリントは心の中でツッコみ隣のアンナを見やると、僅かに口を開いて何とも言えない気まずい表情をしているのが見えた。自分にやらせて欲しかったのに仕事を奪われて、されども相手が先輩だから文句を言うこともできず、言葉が喉で行き詰っている様子だ。

 難しいならそれを口実に側に付いて教えることもできたのに、こうも悪手を貫くとは思いもよらなかった。何をするにもハイスペックな友人が、恋愛になるとここまでポンコツだとは。

 このままではマズい、しかし、クリントは極力手助けをするつもりはなかった。エヴァンの恋路を特等席から見守る、副会長になるのに挙げたその理由に偽りは無く、自分が手助けをして劇の登場人物になるのはその趣旨に反してしまう。

 ならばこのままエヴァンを信じて見守るしかない。エヴァンに対してまさか泥船のような信頼を覚えるのは、クリントの2年の付き合いの中で初めてのことだった。

 しかし、思わぬ事件で事態は急変する。


「あら~?まだお話終わってないの~?きゃっ!?」


 コーヒーを淹れ終わったサティアが、お盆に4人分のコーヒーカップを乗せて戻って来た。しかし、その一つを会長の机に置こうとした時、サティアは何も無いのに躓いてしまう。そして、持っていたコーヒーカップはその衝撃に中の液体を大きく溢れさせ、ビチャチャッ、と机の上の書類を黒く塗りつぶしてしまった。


「だ、大丈夫ですか!?」


 アンナがサティアに慌てて駆け寄り、体を支える。


「う~ん、私は大丈夫。でも、ごめんなさい。書類をダメにしてしまったわ」


 会長の机の惨状に、サティアは肩を縮めて申し訳なさを示す。アンナも机の上の様子を見てどうすべきか分からず困った顔をするが、ハッと何かに気付く。


「あっ、でも、駄目になったのは会計の書類だけみたいです。このままだと私の仕事が少なくなるところでしたし、私が何とかしてみせます!」

「あら、良いの~?私のドジなのに、アンナちゃんってば優しいのね。頼りがいがありすぎて、惚れちゃそ~」

「ふふっ、惚れるのはアレですけど、頼るのはいくらでもいいですよ!」


 サティアの()()()()が奇跡的に最悪の状況を打ち破った。しかも、アンナが頼られると喜ぶという情報をエヴァンにしっかりと残すおまけのファインプレー付きで。


「……大事にならなくて良かったが、今後は気を付けてるように。アンナ、分からない点があれば僕に聞いてくれ」


 流石のエヴァンも自分の失敗を悟ったらしい。少し目の奥に動揺を浮かべながら、それがバレないよう自然に会話を繋げる。


「分かりました。うっ……。これは確かに複雑そうですね。見たことがない様式です」

「ああ、何分古い様式だからな。ここはこうして……」


 汚れの無い新しい用紙を見た途端に怯んだアンナに、エヴァンが横に立って書き方を教える。

 最初のミスを取り返せそうでクリントは安堵する。しかし、あまりに展開が上手くいきすぎていて、この展開を生んだサティアに疑いの目を向けざるを得ない。


(絶対にわざとコーヒーを溢したよね?エヴァンの気持ちに気付いてるのは確実だけど、一体何が狙いなんだ?)


 サティアの様子を伺うも、机にこぼしたコーヒーを拭くために背を向けているので、表情が見えない。クリントはただでさえ不安定なエヴァンの恋愛に、サティアという更なる不安定要素が加わったと判断し、額に手を当てて溜息を吐いた。


(あ、そういえば僕は何をすれば……。ま、どうせエヴァンが全部やってくれるよね)


 クリントは自分が仕事を何も振られていないことを思い出しエヴァンの方を見るも、エヴァンはアンナに会計の仕事を教えるのに集中している。自分が所詮会長の予備人員である副会長にすぎないことを思い出し、二人の邪魔をするまいと再び部屋の空気に徹するのだった。



― - ― - ― - ―


「すごいな。もうこの部分のやり方をマスターしたのか」

「会長の教え方が上手かったのですよ。お陰でまた一段と賢くなれました」


 10分ほどエヴァンはアンナに書類の書き方を教え、なかなか良い雰囲気を作り出せていた。しれっと事務用のソファに座るアンナの隣に座り、時折肩が密着しそうなほど二人の距離が縮まることもあった。

 以前のエヴァンであればアンナとこの距離に居れば意識してしまい顔に表れていたところだが、今はクールな表情を保てている。サティアに気持ちバレしたことから反省し、ポーカーフェイスに磨きをかけたのだ。

 元々トラウマを隠すために心のコントロールには長けていたため、それを恋の動揺に応用するのに時間はかからなかった。その驚くべき成長速度がエヴァンの持ち味なのである。


「あ、また分からない所が……。ここはどうすれば良いのでしょう?」


 アンナが再びペンを止め、エヴァンに質問を投げかける。しかし、エヴァンは答えに詰まってしまった。エヴァンにも分からなかったのだ。一度はエヴァンが完璧に終わらせた書類であり、分からないというのはおかしい話だ。しかし、それも無理もない。何せ、アンナが質問している部分の空欄が、アンナ自身の垂れ下がった髪によってエヴァンの視界から隠されているのだ。


(落ち着け、思い出せば位置から空欄への記入事項は分かる。というか、普通に髪をどけて貰えば……。!!)


 エヴァンの高速の思考回路すらも寸断する発想が稲妻のように走った。エヴァンのトラウマを打ち破った、アンナの美しい紅の髪。アンナの象徴とも言えるそれはエヴァンにとって神聖さすら放つものとなっており、触れることさえ畏れ多い。

 しかし、今であれば自然な流れで触れられるのではないか?確実にアンナ本人にどけてもらう方が自然ではあるのだが、真面目な雰囲気を演出できている今、何食わぬ顔で軽く触れれば、サラッと流される或いは気付かれない可能性も大きく期待できる。

 運命の選択権が今、エヴァンの手中にあった。しかし、考える時間は無い。返答に詰まっていることがバレても髪が邪魔になっていることに気付かれても、このチャンスは終了となる。

 数秒の間に思考を立体的な波のように重ね、エヴァンは弾き出された己の答えを即座に実行に移す。

 そう、エヴァンは触れたのだ、憧れのアンナの髪に、何でもないことのように、ただ邪魔だったからと言わんばかりに。

 しかし、流される或いは気付かれないというエヴァンの希望的観測はものの見事に外れ――。


「ひゃんっ!?」


 アンナが甲高い声を上げ、体をビクンと跳ねさせる。

 急に動かされた髪に首筋をくすぐられたのだから、反射的にそのような反応を取ってしまうのも仕方ない。仕方ないが、それはエヴァンにとって致命的だった。


「あっ、髪邪魔だったんですね。びっくりしまし……、あれ、会長?」


 幸いアンナがすぐさま事情を察し、やましい理由があったとは思われずに済んだ。

 しかし、アンナの視線の先では、エヴァンが完全にフリーズしてしまっている。指にまだアンナの髪がかかっていることも忘れて。

 エヴァンの脳は、アンナの『ひゃんっ!?」を木霊のようにリピートし、そのシーンから抜け出せなくなっていた。恋愛経験の無いエヴァンには何かと刺激が強すぎたのである。

 仕方ないとはいえ、状況は芳しくない。髪に触れたまま横顔を眺めた状態で硬直しているエヴァンは、どう見ても不審だ。このままではアンナが気味悪がられてしまうだろう。

 再び訪れた数秒しかない猶予。そして、最悪なことに今回はエヴァンの思考がフリーズしてしまっている。考えることができない以上、最早打つ手はないように見えた。しかし。


「ああ、すまない。綺麗な髪だったからつい見てしまった」


 スゥッ、と掠れるように息が吸い込まれた後、エヴァンの口が動いた。

 エヴァンはある技術を持っていたのだ。それは、『脳が機能停止した時、予備の思考回路で場を切り抜く』技術だ。人間離れした技ではあるが、エヴァンのハイスペックな脳はそれを可能にした。

 元々トラウマが発動してもそれを周りに悟られないようにするために身に付けた技術である。


(な、なんて才能の無駄遣い……!)


 想い人に怪しまれないようにする為に超人的な技術を使うエヴァンに、一部始終を見守っていたクリントは唖然とする。また、セリフの内容も関係値が低い状態では気味が悪い点にもツッコみたかったが、そこはイケメン補正で割と様になっているのがエヴァンのスペックの高さを物語っている。


「えっと、ありがとうございます?」


 アンナも髪を褒められるとは思ってもおらず、戸惑い気味だ。しかし、エヴァンの揺れの無い瞳に下心があるとも思えず、純粋な賛辞だと受け取った。揺れが無いのは単に口以外の表情を動かす筋肉が硬直しているだけで、実際は下心満載なのだが。

 何はともあれ、時間稼ぎは間に合い、エヴァンは脳内に反響するアンナの声から抜け出せた。

 こうなれば、平常心を保つことなど造作もない。動揺を見せなければ攻めた行動をしてもアンナに気持ちを悟られることはないことも分かり、攻めた甲斐があったというものだ。


 その後も順調にアンナに教えて行き、教えられることを全て教えた後もちゃっかりアンナの隣を陣取って自身の作業を始めたエヴァン。独りよがりだが幸せな時間を過ごした。


(いやほんと、僕とサティアも居るのに、よくこんなにグイグイいけるね!?これでエヴァンの気持ちに気付かない紅の姫君もすごいけど!)


 最後まで心の中でツッコミを続けたクリントは、エヴァンの栄えある最初の攻勢がガタガタながらも何故か上手くいったことに安堵した。そして、予想の全く付かないエヴァンとアンナの仲の進退に更なる興味を抱いたのだった。

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