6.顔合わせ
3月30日、卒業式の日。この日の朝、現生徒会は新生徒会に業務の引継ぎを行う。現生徒会の最後の仕事であると共に、新生徒会の初顔合わせにもなる。
だから、エヴァンは集合時間の1時間前に生徒会室へとやってきた。エヴァンの予想では、アンナは30分前にはやってくる。少しでも二人で話す時間を作るためには、エヴァンの方が先に着いている必要があった。
そして予想通り、次にやって来たのはアンナで、きっかり集合の30分前だった。アンナは生徒会室の扉を静かに開き、ひょこっと中の様子を探るように顔だけを覗かせる。
「あっ、エヴァン先輩。もういらしてたんですね。ノックもせずにすみません」
自分が一番最初だと思っていたアンナは、少し驚いた様子だ。想い人に初めて名前を呼ばれたエヴァンの方はそれ以上の不意打ちを食らった気分だが。
そして、返事をしようにも、エヴァンは大事なことを考え忘れていた。それはアンナの呼び方だ。
(初めて呼ぶのなら一先ずフルネーム呼びが無難か?いきなり名前呼びは攻めすぎかと思ったが、向こうはエヴァン先輩と呼んでくれた。なら攻めても良いのか?)
「あ、ああ、ア、アン……」
「アン?私のことですか?」
「いや、それは違ってだな……」
考えが纏らずどもってしまい、愛称呼びのようになってしまった。ほぼ初対面の男に愛称呼びされ、アンナは眉を顰める。
早々にやらかしてしまったエヴァンは、すぐに訂正しようと言い訳を考える。しかし、言い訳が完成する前にアンナが笑った。
「クスッ、エヴァン先輩って結構面白い人なんですね」
「は?面白い?」
「はい。クールで隙の無い人って噂で聞いていたので、そんないきなりフランクに接してくるとは思いませんでした。アンでも何でも楽な呼び方をしてください」
口元に指を当てて笑うその顔。前に中庭でユナと話していた時と同じ顔で、それが今はエヴァンに向けられている。
思わず見惚れて言葉を失うエヴァン。真面目で固いイメージのアンナが顔を綻ばせると、それはもう破壊力抜群である。
しかし、このままでは本当にアン呼びをすることになってしまう。二人きりの時ならそれでもいいが、人前でアンナだけ愛称呼びをすれば一発で関係が疑われてしまうだろう。二人きりの時だけアン呼びをするのもまた問題で、アンナから、どうして人前では呼ばないの?と不審がられかねない。
まだ想いを勘付かれるには早すぎる。ならば、しばらくはアンナがイメージしている通りの『クールで隙の無い人』で居るべきだ。
「いや、君を見たらジルが頭に浮かんで、注意が散漫になっただけだ。呼び方はアンナで良いか?」
「はぁ、別に何でもいいですけど。そういえば、兄さんが勝手に私のことを頼んだのでしたね。まだ会計になれるかも決まってない段階で、まったく……」
アンナは本当に呼び方など何でもよかったらしく、すぐにジルの話に切り替えた。腕を組んで過保護な兄に関する愚痴をこぼす。
エヴァンは愛称呼びのチャンスを見送ることになったのをほんの少しは勿体無く感じながらも、話が逸れたことに安心し、それに合わせた。
「それだけジルは君を大切にしているということだ。彼の信頼に応えられるよう、生徒会では僕が君を守るよ」
たとえアンナが落選していようと、副会長にして無理矢理生徒会に引き入れようとしていたことは口が裂けても言えない。あくまでジルに頼まれたからという体で、さりげなく守る宣言を織り交ぜていく。
それでもエヴァンにこんなキザなセリフを言われれば普通の女子生徒なら一発で落ちるところだが、アンナの心には一切の波風すら立たなかった。
「兄さんの言うことは真に受けなくていいですよ。あんまり先輩に迷惑をかけるようなら私の方から言いつけておきますから、何かあったら教えてくださいね」
「迷惑なんて掛けられてない。彼からは色々学ばせてもらっているから、その恩返しだ」
「そうなんですか?まあ、兄さんは強いですし、同じ兵士科なら学ぶところもあるのでしょうね」
アンナは頭の悪い兄から学ぶと聞いて一瞬怪訝そうにするも、戦術の話だと解釈する。
エヴァンもそう取られると予想して話したが、実際はアンナについての学びの話だ。エヴァンはちょくちょくジルと会話し、その度にアンナの話を引き出している、いや、放っておけば勝手にジルがアンナのかわいい自慢を聞かせて来るからそれを耳を大にして聞いている。
その後、少しジルの話題を続けたが、ある程度したところで会話が途切れてしまった。
エヴァンはアンナに聞きたいことが山ほどあったが、どれから聞けばいいか分からない。いきなりプライベートなことに突っ込むのは悪手だと流石の恋愛初心者のエヴァンでも分かる。ここは無難に生徒会について話すべきだと考えが至った。
「そういえば、この前の選挙演説は見事だったな。あれだけ芯の強さを見せつけられれば、安心して会計を任せられるというものだ」
「あら、エヴァン先輩に褒めてもらえるなんて光栄ですね。先輩も何もしなくても当選確実だって言われてるのに、手を抜かず他のクラスを周ったり応援演説を頼んだりしてて、しっかりした人だと思いましたよ」
微笑みを浮かべてエヴァンを称賛するアンナ。その微笑みにエヴァンも口元が緩みそうになった。しかし、他のクラスを周ったのは、ただアンナの顔を見たいという不純な理由だったことから、そこを褒められても後ろめたい気持ちになる。
アンナの演説内容からしても、そのような不純さを嫌っているのは容易に理解できる。アンナに好かれたいならば、もっとアンナがエヴァンに抱いている『しっかりした人』のイメージに近づかなければならない。エヴァンはそう判断し、自戒する。
このままの流れでアンナが生徒会に入った理由でも聞いてみようかと思ったのだが、それは同じ質問が返って来た時にエヴァンは本音を言えなくなってしまうので、思い留まった。
そして、結局他愛ない話で可もなく不可もなくな時間を数分過ごし、生徒会室に二人きりというシチュエーションは終わりの時を迎える。3人目が扉をカチャリと開けて入って来たのだ。
「あらぁ~?男女が狭い部屋で二人きり。もしかしてお邪魔しちゃったかしら~?」
おっとりとした言葉遣いとは反し、爆弾のような言葉を初手で投げ込みながら入って来たのは、長い銀髪の女子生徒だった。
エヴァンは、余計なことを、と思いつつも、アンナがどのような反応をするのか見守る。
「新生徒会書記のサティア先輩ですね。私はエヴァン先輩を狙っている口ではないので、邪推ですよ。ね、先輩?」
「そ、そうだな。生徒会に入ってすぐに役員同士でそのような不純な関係を築くなど、言語道断だ」
一寸の照れも見せないアンナに、エヴァンは心の中でがっくしと肩を落とす。だが、今はアンナに合わせるしかない。
「ふ~ん……?だったら私がアンナちゃんをもらっちゃってもいいのかしら~?」
「え、それはどういう……」
サティアが悪戯っぽい笑みを浮かべて、ススッとアンナに身を寄せる。アンナはその妙な動きを警戒し、反射的にサティアから距離を取った。
「なんで避けるの~?私は前々からアンナちゃんを可愛いな~って思ってて、妹になって欲しいだけなのに~」
「妹になる……?それはサティア先輩が兄の伴侶になるということですか?」
「そういうことじゃなくてぇ~。もっとこう、血は繋がっていないけど姉妹みたいな仲良しになりたい、みたいな~?」
「うーん?なるほど?だったらその、怪しい手の動きを止めてもらえればと」
アンナは何となくながら理解しつつ、頭に伸びているサティアの手に指摘を入れる。
「ええ~。撫でるくらいさせてくれてもいいんじゃないの~?」
「そこまでだ。アンナが困っているだろう」
様子を見ていたエヴァンが、ストップをかける。ちゃっかりサティアにはアンナのガードの固さを確認する試金石になってもらいつつ、充分な判断ができたところで二人の間を手で仕切った。
しかし、止められたサティアは嫌な顔をするでもなく、ニンマリと頬を緩めた。
「うふふふ……。やっぱり、そうなのね~」
サティアはエヴァンの顔を見て意味深にそう言うと、あっさり身を引いて姿勢を正した。
(バレた、のか?)
確信はないが、エヴァンはサティアにアンナへの想いがバレたのだと察した。ポーカーフェイスは得意なはずだったが、どうにもアンナのことになるとうまく表情に出るのを隠せないらしい。
「ごめんね、アンナちゃん。困らせるつもりはなかったのよ」
「いえ、混乱はしましたが、大して困ったわけではないので」
「それなら良かったわ~。あ、今更だけど一応自己紹介しておくと、あたしは教会職員科2年の『サティア・スーリィ』。父親が国の最高司祭で、そのしがらみで立候補したの。生徒会書記としてあなた達と一年間密な時間を共にするから、よろしくね~」
言い終わると同時にサティアは紫色の瞳を片方閉じてウィンクした。先ほどのやりとりが無ければエヴァンへの媚びに見える動作だ。
ふわふわと掴みどころのない雰囲気の彼女であるが、最も激戦区だった書記の座を勝ち抜いた強者だ。サティアもまた優れた美貌の持ち主であり男子票を集められたのと、女子からもエヴァンに興味がある女を生徒会に入れたくない票を集められたのが大きいが、素の能力も侮れない。
「あの立候補者数の中から当選するなんて、サティア先輩はすごいですね」
「そうは言っても、ギリギリだったのよ?あたしからすれば、立候補者はこっちより少なくてもその中で圧勝だったアンナちゃんの方がすごいと思うわ~」
「まあ、あんな動機の人たちに負けるわけにはいかなかったので。少し強気に出たのが功を奏したみたいですね」
「ね~。あんな候補者どもに負けてるようじゃ、ダメよね~。おかしな選挙だったけど、何とかなって良かったわ~」
すぐそこに、本人の望みではないとはいえそのおかしな選挙を作り出した張本人が居るのもお構いなしに、エヴァンにぷすぷすと棘の刺さる会話を繰り広げるアンナとサティア。
エヴァンは謝るべきなのか、しかし謝るのも自意識過剰なのではないかと思案する。が、答えが出る前に最後の新生徒会メンバーであるクリントが入って来た。
「あ、新生徒会じゃ僕が最後か。みんな早いね」
「クリント、ちゃんと来てくれたんだな」
「僕を何だと思ってるの?流石に大事な引継ぎをサボるほど神経図太くないよ。あ、エヴァンに副会長に任命された、クリント・ワグルドです。よろしく。ふぁ~……」
普段の登校時間よりも早い集合のため、クリントはとても眠たげだ。やる気が出ない時の彼の行動力は凄まじく低いので、大事な用でなければサボっていたと思われる。
それでも、アンナが会計に無事当選した後、副会長の座を受け持つ約束を果たし、こうして時間を割いてくれているのだから、エヴァンからすれば感謝しかない。
「会計のアンナ・ガーネットです。よろしくお願いします」
「書記のサティアよ~。よろしくね、クリント君」
「うわぁ、二人とも美人だよね。エヴァンもイケメンだし、僕みたいな地味なのがここに居ていいの?」
「そんなこと言って、お前はどうせ料理にしか興味がないだろう?人の顔の美醜なんて欠片も気にしないはずだ」
どことなくわざとらしさが感じられるクリントの言葉に、エヴァンが仕方なくツッコミを入れる。
「どうだろうねえ?客観的に見てこんなに容姿に優れた生徒会は過去に例を見ないレベルだろうし、そんな中に居たら僕もつい惚れちゃうかもしれないよ?」
「おい」
「あはは、冗談だって。少なくとも一目惚れはしなかったから、君が心配するようなことは起こらないさ」
ひとしきりエヴァンをからかえて、クリントは満足げにそう締めくくった。
なんだかんだありつつ、新生徒会のメンバーが集った。
エヴァンからすると、この生徒会は色目を使われて気疲れする心配が無い点は最高だ。というより一番色恋に惚けているのはエヴァン本人である。
そして、アンナが居る点が何より重要で、これからこの生徒会でゆっくりアンナを知り、アンナに自分のことを知っていってもらおうと考えている。
しかし、不安分子もある。クリントの気紛れさはまだ予想の範疇だからいいとしても、サティアが未知数で不気味だ。
何をしでかすか分からない人間が二人も居るとなると、どうしても計画的に行動するのは難しくなる。
初集合の時点で振り回されているのだ。恋愛以前に生徒会長としてメンバーを制御する必要があるかもしれない。エヴァンは己の恋路の険しさを思い知らされた。