凍土の王子と紅の姫君 5話
いよいよ生徒会選挙当日がやって来た。
大会堂の壇上に他の候補者と共に並ぶエヴァンの心は、人生で最も落ち着かない。自身ではなく、アンナの当落が気になって仕方がない。
アンナを副会長にするのはあくまで最終手段だ。いくらジルからの頼みを盾にすると言っても、エヴァンのアンナへの想いに関する憶測が飛び交うのは目に見えている。まあ、この場合はその憶測は事実となるわけだが。何にせよ、そうなれば面倒事が起きるのは確実だ。例えば、アンナに対する嫌がらせや、ジルとの決闘の囃し立て等々。
アンナがこのまま会計の座を自らの手で勝ち取ったなら、そのような心配は無用となる。エヴァンはじっくりとアンナを攻略していきたいのだ。1年かけて生徒会でアンナを知り、仲を深め、卒業の日に桜が舞い散る中で告白をする。そんなロマンティックな展開を思い描いているエヴァンにとって、この選挙戦は今後1年間の動きが決まる重要な分岐点となっている。
「そんなに心配しなくても良いと思うけどねえ」
そうボヤくのは応援演説を頼んだクリントだ。今回の選挙は候補者数が多く応援演説者の有無は任意となっている。しかし、会長を志す者が応援演説者を連れていないのは世間体が悪いとエヴァンは考え、クリントに頼んだのだった。
「これだけの人数が会計の座を争うんだ。心配にもなる」
エヴァンは、横目で他の候補者達の列を見る。会計候補は計7人。書記候補の11人に比べればまだマシだが、例年の3人程度の候補者数に比べれば倍以上だ。ちなみにそのほとんどは女性であり、真面目な理由で立候補した男子生徒は文字通り肩身が狭そうにしている。
会計には計算能力が求められるため、そこに特化したギルド職員科は有利ではあるものの、アンナを除いた6人の候補の内3人がギルド職員科の生徒である。アンナがギルド職員科1年のトップの成績であることを加味しても、油断できる相手ではない。
また、他科の3人の候補者は全て2年生で、前回の生徒会選挙を知っている。入学前の3月に選挙が行われることの弊害とも言えるが、在学期間が2年のギルド職員科の生徒は選挙を経験するタイミングが一度しかなく、立候補するのであれば選挙未経験のままぶっつけ本番で挑むしかない。だから、能力で優っているからと油断すれば、経験の差から思わぬ差し込みを食らう可能性もある。
(まったく、それならアドバイスの一つでもしてあげれば良かったのに)
クリントはその言葉を飲み込んだ。恋愛力の低いエヴァンのことだ、どうせまだアンナと直接話す勇気が無いとか言い出すのだろう、と。更には頭の良さを無駄に使ってそれらしい言い訳を被せてくるかもしれない。
選挙は進み、会計候補者の演説が始まる。
最初の演説者は、エヴァンが最も警戒している、商人科の女子生徒ハイディだ。親が大商人で金による買収行為も辞さない人物だと聞いている。
金と人の動かし方を知っている人物は敵に回すと何に置いても厄介だ。
「私が会計になった暁には、老朽化した設備の改修、更にはデザインの古い制服の改善や学食メニューの増強をするだけのお金をうちから出します!」
高らかに宣言するハイディ。学校外から運営資金を調達するのは生徒会の活動範疇から逸脱している。だが、明確に違反しているわけでもない。衣食住を狙い打ったその公約は生徒にとって魅力的であり、逸脱など関係なくハイディに投票する者が多く出てきてもおかしくない。
「学食メニューの増強かあ、気になるね」
エヴァンの味方であるはずのクリントまで少し興味を引かれている始末だ。クリントは気まぐれな性格であり、冗談なのかどうかの判断も難しい。
その後も会計候補者の演説が続くが、ハイディのインパクトが強く、それを越えられる者は現れない。そのまま最後のアンナの番が回ってくる。
アンナが立ち上がる前に、アンナの後ろに控えていた黒髪の少女が前に出た。他の候補者のほとんどが応援演説者を連れていなかったが、アンナは違うらしい。
黒髪の少女は緊張の面持ちで聴衆に顔を向け、一つ深呼吸をする。
「か、会計候補アンナ・ガーネットの応援演説を担当する、ユナ・ユラです。アンナはとても優しい女の子です。入学当時、田舎から王都に来たばかりで右も左も分からないあたしに丁寧に案内をしてくれました。後は頭も良いです。人に教えるのが上手くて、あたしも勉強を教わって成績がとても向上しました。ギルド職員科1年でトップの成績のアンナであれば、会計の仕事を任せるのに適任だと思います。なにとぞアンナ・ガーネットに清き一票をよろしくお願いします!」
深呼吸しても緊張が解けきらなかったのか、かなり早口になってしまった黒髪の少女、ユナ。しかし、その声は冒険者の喧騒の中でも通るようによく訓練されたもので、聞く者の耳にスッと届いた。
内容も友人目線からのアンナの人となりがよく伝わるもので、応援演説の役割をきちんとこなしたと言える。
エヴァンからしても、アンナが容姿だけではなく性格も良いことが伝わり、喜ばしかった。会場のまばらな拍手に合わせて、エヴァンも密かに、それでいて心の籠った拍手を送った。
そして、いよいよアンナの演説の番だ。
アンナが静かに椅子から立ち上がると、会場の注目が一気に彼女に吸い寄せられる。紅の姫君と呼ばれるだけあり、その注目度の高さは群を抜いている。アンナ自身も視線など慣れっこの落ち着いた立ち姿だ。特に他の会計候補者からは最大の敵と思われているのか悍ましい刃物のような視線が突き刺さっているが、アンナは気になどしていない。
クラス巡りの時は目を合わせるのを控えめにしていたエヴァンも、今回ばかりは壇上の特等席からアンナをガン見だ。そして、その薔薇の唇から紡がれる声色はどのようなものかと耳を澄ます。
「会計候補、ギルド職員科1年のアンナ・ガーネットです。今回の選挙はどうやら盤外戦術やら不純な理由による立候補が散見されるようですが、それが生徒の代表たる生徒会の一員として正しい在り方でしょうか?」
アンナの口からまず出てきたのは、他候補への批判だった。盤外戦術という言葉に、ハイディが目を泳がせる。やはり買収行為が行われていたようであり、アンナはそれを知っていて牽制を掛けているのだ。
不純な理由による立候補という言葉にも、女性候補者達がお互いの顔を見合って唇を引き結ぶ。自分だけは特別で、エヴァンと共に活動するに相応しい。そう思い込んでも、他の立候補者に不純という言葉を当て嵌めようとすると、言葉がブーメランとなって返ってきてしまった。
ついでにエヴァンにもダメージが入っている。エヴァンも一度は取り止めようとした生徒会長への立候補を、アンナへの接近を理由に思い直したのだから。どう考えても不純だ。初めて聞く想い人の声に殴られるとはエヴァンも予想外であった。
総崩れになっている他候補者達を背後に、アンナは凛と澄ました顔で続ける。
「私は、ただ自分がこの学校で培った能力を、学校の為に使いたい。その思いから会計に立候補しました。特に大それた公約などはありませんが、実務能力と生徒会の健全性を保つという点では私はこの中では群を抜いていると自負しているので、良ければ投票の際の参考にして頂ければと思います。それでは、ご清聴ありがとうございました。アンナ・ガーネットでした」
アンナは言い終わると楚々としたお辞儀をし、椅子に座った。
会場からは今日で一番大きな拍手が響き渡る。アンナの真摯な熱意が聴衆に伝わったのだろう。
その強かな立ち振る舞いに、エヴァンのアンナに対する想いは更に高まった。そして、アンナの力を信じることができ、落選するのではという不安も拭い去ることができた。
放課後になり選挙結果の公示がされると、アンナの圧勝だった。
エヴァンも当然信任であり、エヴァンが手を掛けずとも同じ生徒会に居られるという最良の結果に終わる。
エヴァンは密かにガッツポーズを決め、これからの学校生活に思いを馳せる。
(いや、ここからだ。今のところ僕は何のアプローチも掛けていないし、ぐずぐずしていれば一年などあっという間だ)
エヴァンは状況を改めて認識する。今のエヴァンはアンナからすれば『なんか有名でモテる人』くらいの印象しかない。
自分への関心は0であると捉えて、今がスタートだと気を引き締めるのだった。