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2.克服

 季節は2年生の冬が終わり、もうすぐ3年生になる頃。エヴァンは昼休み、教室の窓際の席で友人と昼食を取っていた。


「あっという間に3年生になるねえ」

「そうだな」


 緑色の髪の少年クリント・ワグルドが、のんびりとした口調でエヴァンに他愛無く話しかける。


「そして、次の生徒会の立候補者の選挙戦がもう始まる。エヴァンは会長に立候補するんでしょ?」

「ああ、最優秀成績者になるための最良の手段だ。やらない手はない」

「これだけ圧倒的な成績で周りをぶち抜いておいて、まだ求めるのかい?体質対策とはいえ、もはや執念だねえ」

「教室でその話をするな。誰にも知られたくない」

「ああ、うっかりしてた。ごめんよ」


 エヴァンがクリントを睨みつける。

 体質とは、エヴァンの赤に対するトラウマのことだ。エヴァンは他の誰にもトラウマのことを話したことはない。特に、弱点だと知られれば実技の成績に影響が及ぶ可能性があるため、兵士科の生徒には絶対に気付かれたくない。

 クリントがそのことを知っているのは、エヴァンがクリントの性格を見抜き、バレても問題ないと判断したからだ。

 クリントはあまり兵士科の成績に興味がない。必要最低限の成績だけ要領良く確保して、余った時間を趣味の料理に費やしている、兵士科の中では特に異端な人物だ。本質的に戦いを好まない点で二人は意気投合し、親交を深めて今に至る。

 クリントはボーっとしていることが多く、特に気の抜けやすい昼時には今のようにポロっと口を滑らせそうになることもある。だが、悪気はないとエヴァンも理解しているため、(たしな)める程度で済ませるのだ。

 途切れた会話の間を埋めるように、エヴァンは窓の外を眺める。少し暖かくなってきたからか、この間までは利用者が誰一人居なかった中庭に、人影が散見されるようになっている。ちょうど暖かな日の光が校舎の合間を縫って中庭に差し込み、確かに外で昼食を取るのも有りか、とエヴァンは机を指でコツンと叩きながら納得した。


(下級生の姿も多いな。中庭のスペースは限られているから、上級生に陣取られると下級生が入る隙は減ってしまうものだが、この1年の間に彼らも成長したようだな)


 入学当初は上級生に遠慮しがちで中庭に立ち入ろうとしなかった下級生たちが、いつの間にやら自分たちのスペースを確保できるまでになっている。上級生が所詮は歳が二つしか違わない生き物だと気付いたのだろう。やがて彼ら自身が上級生となり、下級生の心の成長を試す側になる。そうして世代は巡っていく。


(だからといって、ベンチはまだ早いぞ。一年が座ると目を付けられ……、――!!)


 心の中で中庭の情勢を高みから実況するエヴァン。

 しかし次の瞬間、彼の目にとあるものが映ったと同時に、心臓が跳ね上がり心の声が完全に中断されてしまう。

 彼の視線の先には、ベンチに座る赤い髪の女子生徒。ウェーブのかかった長い髪は美しいが、赤は赤。漏れなく彼のトラウマの起動となるはずのものだった。

 だがしかし……。その色を瞳に取り込み続けても、彼の心が嫌悪感に押し潰される瞬間は訪れなかった。

 日の光を受け、鮮やかに色を変化させながら宝石のように輝く赤を、エヴァンは食い入るように見る。髪だけでなく、華奢な体、整った輪郭が、彼の目には燦然たる輝きを放って見えた。髪を掻き上げ微笑む口元に当てられる、たおやかな指の細やかな動きにすら目を奪われる。暖かな春の光に溶かされる氷雪のように、彼の凍てついた心臓は再びドクンと血流を促し、体温を上昇させる。赤を見て、トラウマではない未知の感情が呼び覚まされるのを、エヴァンは戸惑いながら感じていた。


「ん?どうかしたかい?そんなに窓を覗いて」


 エヴァンの異様な、それでいて憑き物が落ちたような表情に、クリントは首を傾げて訪ねる。


「治された……」

「治された?いや、一体何を言って、というか何を見て、……、え?」


 エヴァンの意味不明な呟きに、クリントは自分の目で確かめた方が早いとエヴァンの視線の先を追う。そしてエヴァンの目に映ること許されない色を確認し、されどそれをエヴァンが凝視している現実にただただ驚く。


「治されたって、まさか……」

「いや、まだ確信はない。クリント、ちょっと出血してみてくれないか」

「急に怖いこと言わないで欲しいな……。要は赤いもの見たいんだろう?ほら、朝市で買った新鮮な奴だ」


 クリントは引き気味ながらも意図を察し、鞄の底から真っ赤に熟したイチゴの袋を取り出した。

 エヴァンはそれを見て反射的にビクつくも、本能的な拒絶反応は起こらなかった。


「だ、大丈夫だ……」

「本当かい!?それはとてもめでたいな。けど、一体何が……。って、彼女、『紅の姫君』じゃないか」

「彼女のことを知っているのか!?」

「まあ、彼女有名だし。本名は『アンナ・ガーネット』、ギルド職員科の一年生で、美人だって男子生徒からの人気が高いよ。エヴァンとは相性が悪いだろうと思ってたけど、いやはやまさか特効薬になるとは……」


 普段異性に興味を一切示さないエヴァンの紅潮した顔を見て、クリントは全てを察した。心理的で複雑だと思っていた友人の深い傷が、まさか美少女への一目惚れであっさり解決するなど、思っても居なかった。


「……他には何か情報はないか?彼女のことを詳しく知りたい」

「ははっ、グイグイいくね。そういうことなら、僕よりも適任者が居るよ。2組の『ジル・ガーネット』は君も知っているだろうけど、彼は紅の姫君の兄だから、彼女のこともよく知っているだろうね」

「ジル・ガーネット……。戦闘に関してだけなら僕と同等がそれ以上だと言われているあいつか」


 その名はエヴァンもよく知っていた。組が違い直接戦う機会は無かったが、兵士科の生徒の間ではよく『エヴァンに勝てるとしたらジルしかいない』と噂になっていた。直接対決を望む外野の声も多かったが、ジルが赤髪であるためエヴァンは極力戦いたくなく、それどころか視界にすら映したくなかった。ジルは座学の方はからっきしでエヴァンの成績最優秀者の地位を脅かす恐れもなく、関わる必要性も無かった。

 しかし、たった今状況が一変した。赤を恐れる必要が無くなった以上、エヴァンに怖いものなど無い。それよりも、今はアンナについて知ることが最優先となっている。


「さあさあ、行くなら早くしないと。紅の姫君は人気も人気、時間が経つと誰かにあっさり取られちゃうよ?」

「それは、困るな……」


 面白くなってきたと言わんばかりにクリントはエヴァンを急かす。エヴァンとしては中庭で友人らしき黒髪の少女とお喋りするアンナをもう少し眺めていたかったが、誰かに先を越されるのも容認できない。

 結局、昼食を食べ終えるまでと言い訳しながらアンナに熱い視線を送りその後、隣の2組へと向かったのだった。



 2組の教室の扉の前までやって来たエヴァン。しかし、扉を開けようとする体勢のままで、ふと思う。


(今まで嫌っていた人間に、急に嫌う理由が無くなったからといってずけずけと質問するのは、都合が良すぎるのではないか?)


 今の自分があまりに衝動的で冷静さを欠いていることに気付いたのだ。エヴァンにとってジルは顔見知りではなく、むしろ視界に入れないようすれ違い時には故意に目線を逸らしてきた程だ。ジル本人を嫌っていたわけではなく、トラウマの関係で仕方なくではあったものの、事情を知らないジルからすれば悪印象であるに違いない。ならば、まずはジルとの交友関係を構築する必要があるのではと思い至る。


(直前に冷静になれて良かった。僕もまだ変化が急すぎて心の状態を掴めていないし、やはり今日のところは引き返すとしよう)


 長年抱えてきたトラウマが消え、過去に無く動揺している現状では、迂闊に動くべきではないと踏み止まる。

 いくらアンナが競争率が高い相手だからと言って、今日明日でどうにかなることはない。一目惚れで即日行動するなど馬鹿のやることだ。

 もう少し冷静になってから策を講じようと、開けかけていた扉から手を放し振り返ろうとした。その時だった。


「おい、そこ邪魔なんだが?」


 背後に大きな影が接近し、威圧感のある声が浴びせられる。エヴァンが振り返ると、そこには大柄な赤髪の男、ジル・ガーネットが立っており、睨むようにエヴァンを見下ろしていた。


「すまない、すぐに離れる」

「ん?入らねえのか?てかお前エヴァンじゃねえか!」


 教室に居ると思っていた目的の男が背後に現れエヴァンは怯みかけるも、なんとか穏便にこの場を納めようとする。

 しかし、ジルは相手がエヴァンであると気付くと、エヴァンの方に手をバンと乗せて引き留めた。強い力で抑えられ、簡単には振り払えそうにない。


(やはり向こうからも嫌われていたか。妹のことなど聞き出せる雰囲気では……)


 ジルの行動を敵対的だと見なし、エヴァンは自分の判断の正しさを認識する。そして、どうすればマイナスになっているジルとの関係を良好にしつつこの場を切り抜けられるかを考え始める。

 しかし、次のジルからの思わぬ言葉により、その必要が無くなる。


「エヴァン、噂で聞いたんだがお前、次の生徒会長になるんだろ?」

「ん?あ、ああ……」


 てっきり喧嘩でも申し込まれると思っていたエヴァンは、つい肯定してしまった。トラウマが無くなった以上は成績にこだわって王室近衛兵になる必要もなくなり、わざわざ生徒会長を目指す理由もなくなったのだが。


「うっし、んなら、妹が生徒会の会計になるっつってるからよ、生徒会内であいつが危ない目に遭わないように守ってやってくれ」


 ジルはニカっと笑いながら、エヴァンの肩を再度バンと叩く。ジルのこれまでの行動は敵対的であったのではなく、ただ気安いだけだったのだ。しかし、気安く頼まれるにしては、エヴァンからすればあまりに重大な内容すぎる。


「!?ちょっと待ってくれ、妹というのは、アンナ・ガーネットのことで間違いないな?」

「おお、お前もアンナを知ってたか。なんかやたらと有名になっちまってるみたいだしな」

「ま、まあな。それで、会計になるというのも本当か?」

「マジだぜ。んで、生徒会に入られちゃ、俺の手の届かない所に行かれることも増えるだろうからよ。俺の知らない所であいつに悪い男が寄り付かねえように、見張っといてくれよ」

「なるほど、そういうことか……」


 エヴァンは納得した。昼食の間にクリントからジルの話を軽く聞いていて、シスコンであることも分かっていた。

 ジルはアンナに告白しようとした男子生徒に対して『俺を倒せない奴にアンナは任せられねえ』と決闘を持ち出し、圧倒。

 それ以降は『ジルに決闘で勝たなければアンナに告白することは許されない』という暗黙のルールができ、全ての決闘で完膚なきまでに挑戦者を叩きのめしてきた。

 野次馬からは『赤壁』、潜在的な者を含む挑戦者からは『魔王』、その強さに惚れた女子生徒からは『紅の騎士』などと呼称されるほどだ。元々高い戦闘センスを持つジルだが、何故だかアンナを賭けた決闘の時には、その強さが更に10倍以上に跳ね上がるといい、その強さは正しく魔王級だと見る者を震え上がらせる。

 クリントから聞いたジルの情報はその辺りだった。エヴァンは何とも出鱈目な話だと怪訝な顔をしながら聞いていた。通常時でエヴァンと互角と言われるジルが、アンナの為に戦うと10倍以上強くなるなど、御伽噺にしても誇張がすぎるだろう、と。

 その真偽はさておき、今回のジルからの頼みはエヴァンにとっても好都合だ。ジルから嫌われていないどころか、愛する妹の護衛に近いことを頼まれるほど警戒されていないことが分かったのだから。


「良いだろう。生徒会での君の妹の安全は僕が保証しよう」

「ほんとか!お前良い奴だな!突っぱねられたらもうアンナのことが心配で眠れなくなるところだったぜ!あいつ、どこから狙われるか分かんねえくらい可愛いからな!」

「分かる」

「ん?」

「あ、いや、君が妹のことをよほど可愛がっているのが分かる」

「へへっ、急に褒めやがったら照れるだろ!」


 アンナの可愛さについ共感しかけて、危うく警戒対象になりかけるエヴァン。なんとかごまかして事なきを得た。


(まさか、今まさに妹を守るように頼んだ相手が、その妹を狙っているとは思わないだろうな)


 エヴァンは少し騙しているような気分になるも、ジルは別にアンナが男と付き合うこと全てを嫌っているわけではないのも分かっている。ジルにとって重要なのは、アンナ付き合う男が悪い男でないか、そしてアンナを守れるだけの力があるか、だ。


(ならば、その両方を満たせば、ジルも怒ることはないはずだ)


 そう結論付け、エヴァンは拳をグッと固める。

 入学当初からの目標である生徒会長の座を狙うことは続行決定だ。

 そして、ジルに勝つために力を付ける必要もある。現状エヴァンとジルは互角だと言われているが、ジルの強さは未知数だ。決闘の時だけ本気を出しているのなら、その本気のジルの強さを見極め、それ上回らなければならない。

 奇しくも、トラウマ解消前とやること同じになってしまった。生徒会の選挙戦と鍛練、その両方を見据えた計画を前以上に強化しよう、とエヴァンは固く誓ったのだ。


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