7.自分大好きモンスターによる被害報告
「おい、フリーズするな」
半ば魂を飛ばしているわたしを、年長の又従兄は容赦なく小突いて意識を回復させた。
もう、お願いだからこれ以上のプレッシャーをかけないでよ。
「斜め上からの追い打ちで、キャパオーバーしたのよ。言っておくけど、わたしにそんなご大層なコレクションの責任なんて取れないからね」
はっきり言ってやると、浩和さんは一時〝なに言ってるんだ〟みたいな顔になり、次いでなにかを切り替えたようで、改めて真面目な表情になった。
「それはいい。だが俺がここまでぶっちゃけた以上、そちらも正直に状況を説明してくれるとありがたいんだがな」
浩和さんは真面目な顔で問う。
「正直?なにをよ」
我が家やわたしに何か弁明しなきゃならないことなんてあったかしら。
大体、そんなものがあったら、すぐに調べがつくでしょう。
「とぼけるな。昨日騒ぎを起こしていた母方の従兄とやらだ。言っただろう、これ以上面倒な親戚はご免だと」
ああ、なるほど。
昨日の彼が、わたしのことを知って突撃してきたのかと疑ってるんだ。
「アレなら華藤とは関係ないわよ」
「なに、お前の所に行っていたのか」
お祖父ちゃんが驚きの声を上げた。
「そうなの。相変わらずわちゃわちゃしてるみたいで、なんとかお母さんと連絡を取ってくれって。夕べはわざわざレストランディナーまで用意してきたわ」
結局食べられなかったけどね。
「表に立たされた若いモンが気の毒になるな、気が回るのも考え物だ」
お祖父ちゃんの呆れかえった口調に、浩和さんが眉をひそめた。
「で、どういうことだ。言っておくが、調べようとすればすぐにでも状況を知れるんだからな、誤魔化さないで教えてもらいたい」
浩和さん、ちょっとイラついた声音。
「別に隠してるわけじゃないわよ。ただ、これは親戚なんて名ばかりの他所様の事情だって意識が強くてね。いい加減頭に来てたところだから、わざわざ言いたくなかっただけ」
「なるほど、それで?」
さすがにはぐらかすのは無理か。しょうがない、ちゃんと説明するしかないわね。
「夕べ一緒にいたのは、伯母の息子よ。彼は今の状況を本気で憂えている唯一の人と言っていいでしょうね。なんとかならないかって、相談に来たの」
「状況?なんだ、それは。君は華藤以外にも、なにか事情があるのか?」
その通り。あるんですねぇ、これが。
もっとも、直接じゃないけど。
「あのね、わたしの両親は今海外にいるんだけど、母方の祖母が会わせてくれって、しつこいの。でも、もう出来れば係わって欲しくないなあって」
「なんだそれは」
「だからね」
身も蓋もなく言っちゃえば。
「母の生家の人たちは、どいつもこいつも身勝手極まりないおバカさんばかりだってことよ」
どっから説明したもんだかしばらく迷ったけど、結局昔の事情から話すことにした。でないとわかってもらえそうにないしね。
「母は――華藤梓は、旧姓を等々力っていうんだけど、3人兄妹の末っ子に生まれたの。でね、上の2人と違って――なんて言うか、ギラギラしてない人なのよ」
「それは、競争意識が低いと言うことか」
おお、的確な表現だわ。
「その通りよ。勉強だのスポーツだの、等々力家の姉や兄はとにかく上に行きたがるらしくて。でも母はそういうトップ争いみたいなことより、自分の好きな事をじっくり追求したい人なのよね」
だから、ある意味最後の砦じゃなかったのかなって思う。あの家にとって。
あの出世モンスターな一家で、唯一周囲に和をもたらせる人だったはずよ。
「母の父親、わたしにとってのもう1人の祖父は、もう定年退職したけど、それなりの企業で部長職まで務めた人でね。そのせいか、子供たちの教育には結構厳しかったらしくて、1番上の長女と第2子の長男は、随分学歴にこだわったみたい」
「ああ、受験戦争か」
今だって簡単に入学試験に通れるわけじゃないけど、少子化が問題になってる昨今より競争は酷かったらしいわね。
「そう、特に長男のエリート意識は凄くてね、有名私立の中高一貫校へ進学して、これまた有名な大学に合格、一流企業へ就職っていう、見事なまでの勝ち組人生を歩んでたんですって」
まぁ華陽グループほどじゃないけど、一部上場企業で結構有名よ。
等々力の伯父が勤めている会社の名前を言うと、浩和さんは“ほう”という顔になった。
「確かに大企業だな。華陽の系列とも取引があったはずだ。あそこの役員なら、確かにエリートコースだ。――それが今になって躓いたのか?」
うーん、ちょっと違うかな。
「躓いたのは確かだけど、今だけじゃないわ。まだ若手の平社員だった頃に、そりゃあ見事なコケっぷりをさらしちゃったのよ。で、それから20年以上経った今、とうとう再起することも難しいほどにすっ転んで、更に転がり堕ちてるのよ」
「20年以上?」
「そう、当時母の兄――つまりわたしにとっては伯父ね。伯父は結婚寸前だった婚約者がいたんだけど、他の男に心変わりされちゃったんですって。で、破談」
浩和さんの目が見開かれた。
「それは確かに大コケだな。しかし相手の心が離れたのではどうしようもない」
「まあね。でも、事はそう単純じゃなくてね」
「と言うと?」
わたしとお祖父ちゃんは目を見合わせて、この先のしょうもなさに身構えた。
「その、婚約者を奪った相手っていうのがねぇ…」
問題だったわけで。
「当時桜の母親が付き合っていた恋人というやつだったんだ。今時の呼び方だと、妹の彼氏と言う奴か」
結論をお祖父ちゃんが引き受けてくれた。
「――は?」
浩和さんの顔がポカンとした。
「つ、つまり、兄妹そろって振られたと」
あー、そうよね。第三者の目から見たらそう言うことになるわよね。
「その通りなんだけど」
「それで済ませればよかったものを、自分可愛さばかりが先に立つ愚か者というのは、どうしようもない」
お祖父ちゃんがしみじみと呟く。
まったくその通り。どう考えても、理不尽よ。
「母はね、それが原因で家から追い出されたの」
わたしの母は勉強漬けの兄や成功を目指した姉と違って、おっとりした人だったから、学歴もガツガツしなかった。
小中高と公立に通い、外国の文学に興味を持った。同時に異国の人たちとの意思疎通を目指すようになり、通訳や翻訳の仕事を希望して、そっち系の大学に入学した。
そして、大学生になった母は、学業の傍ら、社会勉強とお小遣い稼ぎを兼ねてバイトを始めた。件の恋人と言うのは、そこでで知り合った先輩バイト仲間だったそうだ。
母とは違う工学系の大学生で、1人暮らしの苦学生だけど、やさしくて優秀な人だったらしい。
知り合って数か月で、向こうから申し込まれて付き合い始めたんだとか。
それが3年程した頃、とんでもないことになってしまった。
当時母は大学も最終学年で、就職内定も出た頃のことだった。
「伯父は、どっかのお嬢様と婚約してたんですって」
詳しくは知らないけど、お祖父さんの上司に当たる専務だか常務だかの縁で、紹介されたとか。
「エリート志向の伯父さんだったから、とにかく本人より条件で選んでたところがあったらしくて、あんまり熱はなかったみたいだって聞いたわ。でもってお嬢さんの方は、断れない筋からの縁談だったそうで、半ば嫌々婚約してたんですって」
そんな間柄じゃ、最初から無理があったとしか思えないんだけどね。
出会いがいつどんなもので、その後どんなやり取りだったかなんて知らない。
ただ、恋人を送り届けてきた男と婚約相手の両親に挨拶に来た女が、たまたま顔を合わせて――後は偶然とか、放っておけなかったとか、そういうの。
「愛情を感じられない婚約者に悩む女性に落ちた、という訳か」
「そういうことね」
自分も恋人がいる。にも係わらず、燃え上がっちゃった新しい恋は止められなかった。
それなりに悩んだんだろう、とは思う。
でも結論から言うと、知り合って3ヶ月そこらの女性のために、3年も付き合った恋人はあっさり捨てられた。
他のなにもかもと一緒にね。
「その頃にはもう男の方は大学を卒業して社会人だったけど、会社を辞めて恋人と別れて、更には生家との縁も切って、他人の婚約者と一緒に姿を消したらしいわ」
そこまでやられちゃ、どうしようもない。
そしてお嬢様は、婚約指輪と『ごめんなさい』の書き置きを残して消えた。謝ってた相手がエリート意識の権化みたいな婚約者なのか、親不孝した両親なのかは微妙な所だわね。
「なるほど、それは確かに大騒ぎだな」
浩和さんの声が呆れてる。
「まぁね。聞いた話だから、どれ程のものだったかは想像するしかないんだけど、当時はやれ捜索だ失踪届だと大変だったみたい。だけど、本当に問題だったのはこの後よ」
当時のお母さんの心情を思うと、ブチギレそう。
「伯父は自分がフラれたっていう事実を、妹の――母のせいにしたのよ」
「は?なんだそれは」
「だから、婚約者に逃げられたのは、自分に非があったんじゃなくて、妹が恋人を繋ぎ止めておけないようなダメ女だったからだ、なんて身勝手な理屈をつけて、母を非難したの」
自意識過剰なバカだ。1回死んでやり直せと言いたい。
お祖父ちゃんが溜息を吐いて続きを引き受けてくれた。
「また質の悪いことに、両親が完全に息子の肩を持った。恋人に捨てられて嘆く娘の心情などお構いなしに、お前が悪い兄に謝れと、とことん追い詰めたそうだ」
まったく腹立たしい、と、お祖父ちゃんが言う。
「なにを考えているんですか、どう考えても悪くない人を責めても、なんの解決にもならないのに」
「そういう正論が通じない連中ということだ。昔から息子ばかり優先する家庭だったらしい。だから本人に魅力がなくてフラれたと認めたくはなかったんだろう」
それで同じ――いや、1番辛い目に遭っている妹に責任転嫁って、絶対に間違ってる。
そんなだから――。
「姉は味方になってくれたけど、色々あって実家とは疎遠になっていたから、状況になかなか気づけなかったらしいわ」
そして、事を知った時にはもうどうしようもなくなってた。
伯母は母に、すぐに家を出るようにと勧めてくれたそうだ。あの両親と弟がそろって自己保身にはいったら、もう相手をするだけ無駄だと言い放って。
母は好意に甘えて、姉一家の家に転がり込んだ。
伯母とその夫は第2子の娘が産まれたばかりだったにもかかわらず、母を温かく迎え入れてくれた。だから、両親や兄とは縁切りしたけど伯母一家とは今でも親しくしている。ある意味母に残された、唯一の身内ね。
生まれた家より、そっちの方が実家みたいなもんだわ。
「当時伯母は第2子の産休明けで、いよいよ仕事を再開ってところだったんですって。忙しい姉のために、昼は家事や甥っ子や姪っ子の世話、夕方以降はバイトって生活。幸いにもって言うか、その頃母は大学4年の後期で、既に授業料なんかは支払済みだったから卒業は滞りなくできたみたい」
おかげで無事大卒として、希望通り通訳・翻訳の仕事にありつくことができた。
それからしばらく新社会人として働く傍ら、忙しい姉を助けて暮らして、叔母の娘が幼稚園児になる頃、姉の家を出て1人暮らしを始めた。
仕事関係で知り合った外資系メーカーの社員と結婚したのは、それから2年ほど後だそう。
ま、それがわたしの父親よ。先に惚れて口説きまくったのは父の方らしいけど、さすがにその辺詳しくは教えてくれない。
「でね、事情は聞いてたけど、まぁ結婚するんだから挨拶は必要だろうって、そろって母の実家を訪ねたんですって」
その頃には伯父も別の女性と結婚していて、これを機会に和解できたらって思ったらしい。
「で、どうなった?」
「けんもほろろに追い返されたそうよ。かなり酷いことを言われて、父もさすがに腹に据えかねたそうだから」
あの穏やかなお父さんをあそこまで怒らせるなんて、一体なにがあったんだか。
以来、母の実家である等々力家とは完全に没交渉となった。
伯母とだけは親しくしていたから、その筋から最低限の状況は聞いていたけど。
そして実に20年以上経た今になって、救けて欲しいと懇願してきた。
うん、とっても図々しいわね。
「そんな事情があったにもかかわらず、なんでまた?」
浩和さんは本気で不思議がっている。
「まぁ、積もりに積もったツケを払う時期になったってことね」
「ツケ?」
「そう、つまりはわたしたちと同世代――伯父の子供たちがね、成長したから」
とうとう母方の祖父母と伯父は、行いの報いを受ける時期を迎えた。言ってみればそういうことね。
「結論から言うとね、母の実家はもう崩壊してるのよ」
伯父一家の崩壊、その種は前々からあった。いずれそうなることは当たり前だったと言ってもいいわ。
具体的に事が始まったのは。
「今から5年ほど前、父親と長男の間で、進路についての喰い違いがあったんですって」
まぁ、よくある話よ。
「と言うと、大学進学か」
「そう、伯父は息子たちも自分と同じような進路を選んで、エリートサラリーマンの道を行くとばかり思ってたそうなんだけどね」
彼にとってそれは、太陽が東から昇るのと同じくらい当然のことだった。また息子たちが、なかなか出来の良い子たちだったから、尚更ね。
だけど、父親と息子は近しくはあっても同一の人間じゃない。
「伯父の長男、わたしの従兄は、中学高校こそ伯父の言うなりに進学私立に入ったけど、大学では全然違う学部を志望して、しかも楽々合格したの。父親が勧めてた大学も受験して受かってたけど、そっちに進む気は皆無だったそうで、入学手続きは一切しなかったんですって」
従兄はなかなかしたたかな人らしい。父親に従うふりして、しっかり自分の道を拓いていた。
「それは、バレた時は大騒ぎだったんじゃないか?」
「ええ。そりゃもうすごかったらしいわね。結果従兄は家を出て、奨学金とバイトで大学に通ったそうよ。去年卒業して、今は希望通りの仕事に就いて頑張ってるんですって」
自分を認めてくれない家を出て、自力で立とうとしたのは母と同じ。でも、入学時からロクに遊びもせず、コンビニ店員や現場仕事まで掛け持ちして、大学4年間を貫き通したっていうのは彼の方が凄いわね。時代や男女の差もあるけど。
「当然ながら家の方は穏便にとはいかないわ。伯父は長男に激怒しっぱなしで、『勘当だ!』の一点張り。彼をまったく認めようとしないそうよ。なんて言うか、自分を否定した者を絶対許さないって感じね。また奥さんである義伯母や祖父母が、伯父の言うことに逆らいませんって姿勢なもんだから、どんなに心配でも手を差し伸べられなかったみたいで」
「…そこは本当に現代の家庭なのか?感覚が50年ほどズレているぞ」
いや、考えが古いと言うより、伯父があまりにも我儘なんだと思う。
勉強ができるからって、祖父母が甘やかした結果だ。テストの点数を褒める前に、世の中は自分を中心に動いてるわけじゃないっていう現実を教えろと言いたい。
「でも、貴方の家だってそんなもんじゃない。今時子供や孫の結婚に口をはさむんだから」
現状を指摘してやると、浩和さんはうっと詰まった。
「…いや、ウチの場合はそういうのとは違う、と思うぞ。それに結婚はともかく、俺たちの進路と職業選択に口は出されなかった」
「あら、そうなんだ。でも貴方や他の又従兄たちは結構華陽に入ってるじゃない」
「全員じゃないだろう。それに、華陽グループに入ったとしても、職業は自分で選べと突き放されるしな。社主の身内だからと言って、甘えは一切許されない。父たちも祖父も、そこは厳しいぞ」
うーん、そうじゃないかとは思ってたけど。
この現代で一族経営なんてやってるってことは、下手な成り上がり社長なんかより、身内にはずっとシビアでなくちゃダメってことか。
自分に逆らわない限りとは言え、息子たちをエリートコースに乗っけて好きなようにしようとする伯父は、やっぱりおかしいわよね。
「で、母上の事情と、その実家が長男の反乱で荒れたということはわかったが、それがどうしてこちらに救けを求める話になったんだ?」
「あら、それだけじゃないわよ、長男の家出は言ってみれば切っ掛けね。それを皮切りに、あの家に潜んでいた不和の種が一気に芽吹いて、気づけばどうしようもなくなってたの」
そして、そのあおりをもろに受けた被害者は――やっぱり1番立場の弱い人間。
やりきれないわよね。