5.結婚か死か
「事の起こりは曾祖父の誕生祝いだった」
バブル崩壊以後表立った宴の席は激減したけど、そこはさすが華藤家、当主の長寿祝いはかなり派手に行ったんですって。
ただ、会社主催のパーティーと違って、昼日中、子供連れもOKのアットホームなもの。
「そこに招待されていたのが、当時まだ起業して間もなかった夏希叔母だ」
あちこちで経営破綻が続く中、夏希さんは敢えて起業に踏み切った若手女社長だった。
「大学を出て就職したものの、バブルのあおりでリストラされて、再就職ではなく自らの会社を興した。今でこそ不動の成功者だが、当時はまだまだ海の者とも山の者ともつかぬ新進の経営者。しかし、彼女の才覚を買った華藤の大物関係者が、顔つなぎのチャンスだと曾祖父の祝いの席に同行させてくれたらしい」
「その大物って?」
「木下の父だ。当時は押しも押されぬ現役社長だった」
あらまぁ、それは確かに物凄い人脈だわね。
「なんでも夏希叔母がリストラ対象になったのは、勤めていた大手企業の男連中が彼女に嫉妬していたせいもあるらしい。女性が社会進出してそれなりだったとはいえ、まだまだ男性偏重な気風が残っていた頃合いだったしな」
それで、やり手の女性社員だった夏希さんを疎んじて追い出した、と。
「その会社、まだ残ってるの?」
「残ってはいる。ただし、夏希叔母をやめさせた連中はほとんど出世コースから外れているそうだ。彼女が退社した後、売り上げがダダ下がりして、その部署は閉鎖されたからな」
あらまぁ。じゃあそこは夏希さんの力で持ってたわけね。
「夏希叔母が担当していた取引先に木下の会社があった。社長だった木下の父が夏希叔母の才を惜しんで自社に招いたらしいんだが、それを固辞して自分の会社を創立した。あの不況真っ只中で、敢えてだ」
改めて聞くとすごいわね、夏希さん。
「で、木下さんのお父さんは、夏希さんにフラれたにも係わらず、目をかけてくれたわけね」
「そうだ。彼女ならば投資して間違いはないと、大口の取引先になり、華陽本社への口利きも買って出た。曾祖父の祝いに連れて行ったのもその流れだ」
なるほど。さすがは評判の成功者になっただけのことはあるわ。若い頃から、有能で運も強かったのね。
感心していたら、突然話の流れが変わった。
「で、そこで曾祖父に挨拶していた夏希叔母を、三千彦叔父が見て…どういうわけだか一目惚れした」
なによ、それは。
「貴方の父親たちは、一目惚れが家訓か何かなの?」
ちょっと呆れるわ。
いや、否定するわけじゃないんだけど、初めて会った相手にコロッと落ちて、そのまま一生ってどーゆー感性なんでしょうね。
思うに、一緒にいるうちに色々粗が見えてくるっていうのが普通なんじゃないかな。痘痕もエクボって言うけど、現実は厳しいってば。
「言うな。それは俺も昔から疑問に思っていることなんだ。うちの両親も大概だが、三千彦叔父の夫婦は最早理解不能の領域だ」
「…」
「高校生の男が、10歳近く年上の女社長にストーカー行為するような状況を、どうやって想像していいか分からん。仮にも受験生が、学校をサボってオフィス街で大騒ぎして補導されたとは…警察に三千彦叔父を迎えに行った祖父母の心情を慮ると、涙が出そうだ」
「!……あー、えー、それ、本当のこと…なんですね」
一目惚れして爆走?華藤の男って、遺伝的にヤバいものでも持ってるんじゃないかしら。
「しかもだ、泡を食って弁護士まで連れて行ったら、グシャグシャの婚姻届を差し出されて、笑顔で保護者承認欄に記入してくれと言われたそうだ。少年課の警察官すら呆れ果てたエピソードらしい」
三千彦叔父さんって、もしかしてアブナイ人?
「その後、祖父母は三千彦叔父を徹底的に思い人から引き離すべくあの手この手を使った。説教・叱責はもちろん、小遣いの停止に監視、果ては謹慎・追放」
「ち、ちょっと待って、穏やかじゃない単語が目白押しなんですが」
話が進むたびに危険度が増してる。
「本当のことだから仕方ない。そして三千彦叔父はそのすべてを弾き返した」
いや本当になんなのよ。金があるとかなんとかの問題じゃないわ、人間性がどうかしてるとしか思えない。
「裏でやっていたソフト製作で荒稼ぎして、監視はサッサと振り切り、閉じ込めていた部屋の鍵はあっさりと壊された」
つ、強い。
「夏休み前、危機感を募らせた祖父が遠方のど田舎――山奥にある寄宿予備校に預けたそうなんだが、そこを3日もせずに脱走、歩きとヒッチハイクで帰還した」
「…どのくらいの時間をかけたの?」
「1週間ほどだ。その間、末っ子が行方不明で華藤は大騒ぎ、預かっていた寄宿予備校は責任問題だと職員全員蒼ざめていたそうだ。なにしろ厳しいことで有名な施設で、脱走者は三千彦叔父が第1号だったらしい」
み、三千彦叔父さんって、もしかしなくても危ない上に怖い人。そりゃ、天才なのは知ってるけど。
彼は日本でも有数の天才学者。理系の博士号を早々と取得して、数々の特許を持ってる。
華陽グループは本業こそ商社だけど、工業・生産分野でも大きな実績を上げていて、その半分以上は三千彦叔父さんの特許が支えているって聞いたわ。
その筋の人たちからは、華藤の金の鶏とか称されてるんだとか。
その頭脳と無駄に激しい行動力――かてて加えて過激な恋心が爆走したのだとすれば、そりゃ止めれる人なんていないでしょうね。
大叔父さんたち夫婦の苦悩は、さぞ深かったでしょう。
「1週間後、開き直った祖母が夏希叔母の会社付近を張るように指示、三千彦叔父はあっさり捕まった」
ブレなかったのね、三千彦さん。
「事ここにいたって、祖父母も曾祖父も叔父を力尽くで止めることは無理だと悟った。で、夏希叔母に頭を下げて、改めて話し合いの場を設けることになった」
「それは、本人からはっきり引導を渡してもらってあきらめさせようってことだったのかしら」
「いや、もう末っ子の勢いを止める術を見出せず、いっそ夏希叔母の方に折れてもらって、取り合えず希望を叶えてやろうという気になっただけだ」
最早なんと言っていいやら…。
「で、曾祖父・祖父母・弁護士に警備員まで立ち合いの元、三千彦叔父と夏希叔母の邂逅が叶ったわけだが…」
だが、どうなったんでしょうねぇ?もう何を言われても驚かないわ。
「三千彦叔父の第1声が『結婚してください。ダメならいっそ殺してください』だったそうだ」
はい、驚きませんよ、その程度じゃ。
「夏希叔母はそんな叔父を呆れた顔で見て、結婚も殺人もご免だと告げだそうだ」
ま、そうでしょう。夏希さんだってその頃にはもう疲れ果ててたはずだし。
「すると三千彦叔父は別の申し出をしてきた。10年以内に可能な課題を出してほしいと」
あん?
「物理的に無理なものでなければなんでもいい、クリア出来たら名実共に夫にしてくれと、婚姻届と離婚届を並べて懇願したそうだ」
「…それ、どういう意味?」
婚姻届けまでは百歩譲ってわかるとして、なんでその状況で離婚届?
「まぁ、三千彦叔父もここが最後のチャンスだと、捨て身の覚悟で挑んだ場だったようだな。で、考えて考えて――どんな状況になっても良い、取り合えず自分と確かな縁を結ぶことができれば、という結論に達して、どうしてもダメならこちらがあるからと理屈をつけるために両方を用意した」
うーん、確かに捨て身だわ。
「でも、夏希さんが署名してくれる可能性があるなんて思えないけど」
「詳しいことはわからないが、夏希叔母は生まれ育った家庭の事情で、一生結婚しないと決めていたそうだ。三千彦叔父はそれを逆手に取った。誰とも結婚しないなら、むしろ書類だけの婚姻関係は好都合だろうと言ってな」
「は?好都合って、なにが」
「自社を軌道に乗せ始めた夏希叔母は、資産がある上若くて魅力的な女性だったから、彼女の意に反して本気で結婚したいと言う男はそこそこいたらしい。そういう連中への虫よけにしてくれて構わないから、と」
そ、それはなんと言うか…すごい逆転の発想だわね。
確かに戸籍上既婚者ならば、他の男がどう迫って来ても結婚は無理だわ。
「それでもし10年経っても課題がこなせず、尚且つ自分を愛することが出来ないと言うなら、改めて離婚届を提出して夏希さんのことはあきらめると宣言した」
えっと、それは。
「逆に課題をクリア出来て、夏希さんが少しでも好意を持ってくれれば、本当の夫婦になってくれって話?」
なんなの、その逃げ道をふさぐみたいな手は。
「そういうことだ。更に課題がクリア出来るまでは、夏希さんにまとわりつくことはやめるとも」
はぁ、それはまた、思い切ったことを。
「なるほど。で、夏希さんはその申し出を受けたんだ。やっぱり少しは絆されてたのかな」
「どうなんだろうな。もういい加減はねつけるのに疲れたのか、華藤とのつながりができることのメリットを取ったのか…わからんが。なにはともあれ、婚姻届と離婚届両方が完成して、婚姻届は即日提出された。同時に離婚届は厳重に封をされて、弁護士事務所の金庫に保管されることになった」
「10年後まで…」
「そうだ。そして三千彦叔父は結果が出るまで夏希叔母の近くに許可なく意図的に出没しないとの念書を認めた。これに違反した場合は即離婚届が提出されてもかまわない、それだけでなく華藤家の相続権の一切を放棄する旨を全員の前で誓約した」
「か、勘当されても構わないってこと?」
すごい、なんかもう捨て身というより、最期の賭けだわ。
「で、三千彦叔父と夏希叔母は戸籍上夫婦でありながら数年別々に暮らし、その間に夏希叔母の会社は押しも押されぬ優良企業として世間に認められて、現在に至る」
はぁぁ…。
なるほど、恋に爆走した男の物語だわ。
「夏希さんが出した課題ってなんだったの?まぁ今の状況から見るに、無事クリアした見たいだけど」
ちゃんと一緒に暮らして、子供が3人もいるんだものね。
「そうだな、言うは易く行うは難しという奴だな。まずは高校を無事に卒業すること」
それはまぁ当たり前というか、基本よね。
「そして三千彦叔父が志望していた大学に受かること」
ふむふむ。
「難しいのはここからだ。三千彦叔父の志望を確認したうえで提案した――期限の10年以内に博士号、更に特許をとって5,000万円以上の利益を上げろ、と」
博士号?…えーっと確か大学で4年、それから更に5年間大学院行って単位を取得して研究論文書いて、それが認められたら取れるのよね、確か。つまり、最低でも9年必要、ギリギリだわ。
特許って、要は発明よね。それまで誰も作ったことのない者を開発・作成して、利益の数%は自分に権利があると認めさせるアレ。
年間すごい量の特許出願があるけど、なかなか難しいって聞いたことがあるわ。取れるかどうかだけじゃなくて、それが売れるかどうかなんて、ほとんど運だって。それで、5,000万円…。
未だなんの実績もない高校生に、10年以内でそれをやり遂げろって言ったの?無茶もいい所じゃない。
それに確か。
「受験生だったってことは3年生の夏の話よね。それまで恋に狂って学業をおろそかにしてたんでしょう。そこから頑張って、現役合格なんてできたの?」
確か三千彦さんの出身大学は、国立のすっごい難関校だったはず。1年か2年くらいは留年してても不思議じゃない。だとしたらギリギリどころか、タイムアップ確実じゃない。
「…できた。できてしまった。恐ろしいことに。言っておくが、華藤の力で裏口入学など絶対にしていない、らしいからな」
て、天才って怖い。
「夏希さん、最初っから三千彦さんを受け入れる気なしだったんじゃ…」
「と言うより、大学に入って年頃の女子大生たちに囲まれていれば、年上の自分など早々に飽きられるだろうと踏んでいたみたいだな」
ああ、確かにね。
わたしも大学に入ってから、周囲の女友達たちが次々とオシャレに、綺麗になっていくのを見てる。制服を脱いでお化粧を覚えれば、女ってすごく変わるものねぇ。
そりゃ、わたしだってそれなりに頑張ってはいますよ、うん。
でも
「三千彦さんは、そんな同世代の女性には目もくれなかったんだ」
「ああ、夏希叔母以外の女はまったく眼中になかったようだ。身内の俺が言うのも何だが、三千彦叔父は顔はいいからな、金持ちの3男坊ということもあってかなり言い寄られたようだ。しかしどんな美人にもまったく靡かなくて、終いには同性愛者説まで出たらしい。」
いやまぁなんて言うか。
確かに三千彦さんって、3兄弟の中で1番の美形なのよね。もう中年なのに、まったく容色の衰えってものを感じない。
彼の20歳前後ってどれほどの…いや、ストーカーしてた頃のあの人はかなりな美少年、ただし、中身は残念極まりなくて。
あ、ダメだ。考え出したら頭が痛くなりそう。
「…最終的に、博士号も特許も見事に取得して、お金も稼いだと」
今や彼の特許利益は5000万どころじゃなく、億単位のはず。
浩和さんは大きくうなずいて、息を吐いた。
「10年目、三千彦叔父のと夏希叔母は壮大に結婚式を挙げて、豪華な新居で暮らし始めた。翌年には寛と匠の双子が生まれた。叔母はいい加減高齢出産での双子だったから、無事に生まれてくれて一安心だったそうだ。で、少し離れて涼だ」
ああ、1番下の涼さんはまだ高校生だったわね。
頑張ったんだ、夏希さん。
「なるほどねぇ、長男と末っ子がド派手な恋愛活劇を繰り広げてくれたおかげで、真ん中の宗次さんはすんなりと好きになった女性と結婚できたんだ」
駆け落ちにストーカーとくれば、多少の格差婚なんて大したことないわね、確かに。
「すんなり、とはいかなかったみたいだがな。兄弟の中で1番騒ぎが少なかったのは事実だ」
互いにランチを食べ終わり、食後のコーヒーと紅茶を頂きながら、わたしたちはどちらからともなく大きな溜息を吐き合った。
「宗次叔父は元々あまり自分を押し出すタイプじゃない。しっかり者の長男と個性的だが優秀な三男に挟まれて、穏やかと言えば聞こえはいいが、要は目立たない人間になった。ただなにかこれと決めたことができると、絶対に譲らないところはさすがに華藤の血筋だな」
へぇ、そうなんだ。
「じゃあもしかして、渚さんのこともその“譲れない”ことだったの?」
「そうだったんだろうな。宗次叔父は本家の次男などという看板を背負って華陽で働けば、却って色々と不自由だと、あえて華陽の本社ではなく、中堅どころの子会社に就職した」
あらら。今の状況とはずいぶん違ってるわね。
「家を出て本家ではなく分家の出身だと公言して仕事を始めた。大口の取引先こそ扱わなかったが、その人当たりの良さで、まずまずの営業成績を上げていたらしい」
へーえ、そうなんだ。
「渚叔母の実家である居酒屋は、その会社で度々飲み会に使っていた、云わばご贔屓店だ。叔母は高校を卒業した後調理師の専門学校を出て、その店で両親と共に働いていた。当時は看板娘だの名物娘だのと呼ばれて、人気者だったそうだぞ」
それはそれは。
看板娘だなんて古い呼び方だけど、分かんないでもないわね。渚さんって見た目結構美人だし、若い頃はそりゃモテたんじゃないかな。
性格はアレだけど。
「同僚の付き合いで行った居酒屋で渚叔母と会った叔父は、そのきっぷの良さと明るさ、そして多少のことではびくともしない気の強さに惚れ込んだそうだ」
はぁ、押しの弱い男が自分にはない強さを持った女性に参っちゃったと。
「特に、酒癖の悪い先輩社員に絡まれて困っていたところを救われて以来完全にオチて、周りの視線も状況もすっ飛ばしてプロポーズしたと、そういうことらしい」