2.ドリンクバーはファミレスだけじゃない
役所で知らない間に婚姻届けが出されていないことを確認した。
曾お祖父さんの遺言を知って、即日役所に婚姻届不受理願を提出したけど、道理を分かっていない誰かさんが暴走しないとも限らないからね。定期的に窓口に確認に来ている。
この辺りはお祖父ちゃん関係で知った知識が生きてる。面倒くさいことの代名詞みたいなお役所仕事だけど、手続きさえ真面目に取り組めば、何よりも心強い味方になってくれるはず。
でもねぇ、何しろ天下の華藤だからその筋にも伝手はあるはずだし、どんな横紙破りをしてくるかわかったもんじゃない。
何より怖いのは、本人たちよりその周りで甘い汁を吸いたがってる取り巻きどもよ。ああいう輩は後ろ暗いことでも平気でやらかして、自分のためじゃない貴方のためなんですとか言って泣き落そうとするんだから。
自己犠牲に酔ってるバカほど怖いものはない、ってのはお祖父ちゃんの言。――この数ヶ月でそれをうんざりするほど体感させられたわ。
さて、役所での確認も終わったし、これからどうしよう。すぐにお祖父ちゃんの所に帰ろうか、それとも昼時だし、何か軽く食べて。
「探したぞ、ようやく会えたな。――わかっているだろうが話がある、まさか断らないだろうな」
役所の出入り口をくぐった途端かけられた声は、よぉく知ってる人のもので、昨夜も聞いたばかり。
何でここが?
「なんでって顔だな。木下に聞いた、公的機関に寄ってから実家に帰ると。このタイミングならまだこっちだと踏んで来ただけだ。――ちょうどいい、昼飯に付き合え。お互い確認しないとならないことがあるしな」
しがない学生と違って、数年社会人としての経歴を持つ彼は、ここぞという時には逆らい難い空気で迫ってくる。
さて、どうしよう。
それこそ大声をあげてでも逃げることは出来るだろうけど、問題を先送りにするだけって気もするし。
まぁ、いいか。
「わかったわ。ただし入るお店はわたしが決めるからね」
「いいだろう」
おそらく昼休憩を利用してきてるだろう彼は、憮然としながらもわたしを自分のテリトリーに引き込まないことを了承した。
「じゃあ、あそこの店にしましょう。わかっていると思うけど、余計な揉め事は厳禁ですからね、華藤のご長男様」
華藤浩和。
先日わたしにプロポーズ――もどきをした、最年長の又従兄は、黙ってうなずいた。
昼時のファミレスは賑やかだ。特に今は夏休み期間だから、子連れの客が大勢いる。
「プライベートな話をしたいのに、こんな所でいいのか?」
浩和さんは辺りを気にして、苦い表情をしている。わかってないなぁ。
「こんな所だからいいんじゃない。よっぽど大声で騒がない限り、隣の席なんて気にしないわよ。ある意味それがマナーよね。ざわついてるから、聞き耳を立てるのも難しいだろうし」
華藤御用達の高級レストランなんて場所に入ったら、そっちの方が周囲を気にしなきゃならなくなるわ。たとえ会話を聞かれなくったって、席を一緒にしていたって事実は丸わかりなんだもの、後でなんの話をしたのか、根掘り葉掘り聞かれること請け合いだわ。
「そうかもしれんが…」
「あら、お坊ちゃまはこんな庶民的な店は馴染めないのかしら」
「ここ最近、小さい子供がいる店には縁がなかっただけだ」
ああ、なるほどね。
ファミレスは子連れ歓迎の食事処だものね。高級レストランや料亭じゃ低年齢のお子様お断りって店が多いから、小さい子の泣いたりわめいたりで騒がしいなんてないんだろうな。
「まぁ学生時代や新社会人だった頃には、こういう店も何度か来たが」
周りを見渡して、ちょっと懐かし気な笑みを浮かべる大富豪の御曹司。
「なら大丈夫よね。ドリンクバーの使い方も知らないってわけじゃなさそうで安心したわ」
「ドリンクバーなら会社の食堂にもある」
さいで。
「まぁいいわ、注文はこのタブレットで出来るから、先に何を食べるか決めちゃいましょう。話はその後でね」
というわけで、お互いメニューを選ぶところから始まった。
お互いランチセットを注文して、飲み物をテーブルに持ってきてから一息。
「で、夕べ一緒にいた男は誰なんだ」
先に口を開いたのは浩和さん。
「そちらの女性は誰なの?」
すかさず疑問を疑問で返した。ここで下手に出て相手に主導権を取らせるわけにはいかない。
「親戚だ。と、言っても華藤ではないがな」
「そう、わたしもよ。華藤じゃない親戚」
「…」
「…」
無言は10秒ほど続いただろうか。
「従妹だ、母方のな」
観念したように浩和さんはつぶやいた。ほほう、なるほど。
「奇遇ねぇ。わたしの方も、母方の従兄よ」
「…」
「…」
どうすればいいんだ、この沈黙は。声を出しづらいったらありゃしない、
「こちらの状況をまったく理解しようとしない親戚か」
ああ、その通りよ。
「ええ、そちらも?」
「その通りだ」
「…」
「…」
三度の沈黙は、同時の溜息によって終焉した。
「あれは母の実家の娘だ。昔から何とか華藤と関わろうとする叔父の手先になって、俺や母に接触して来る。正直相手をするのは面倒なんだが、無下にもできない」
「そっか。お母さんの実家って言うと、あの名家のお嬢様ってことね」
浩和さんの母親晶子さんは、古い歴史と由緒のある家の出身。
歴史の教科書を開けば、晶子さんのご先祖様が必ず載っている。過去には皇室から降嫁されたお姫様や、逆にあちらに嫁いだお嬢様もいるとかなんとか。
現代でもその姓を名乗れば、ああ、あの有名なって感心されるのがデフォルト。宮様とかが名誉総裁になってるような有名な団体の常任理事をしてる、やんごとないお家柄。
「名家か。娘や息子、甥姪や孫まで売り払って面目を保っているような腐った家だがな」
「は?」
今なんかすごいことを聞いたような。
「あまり知られていないが、俺の母はあの家で半ば厄介者扱いされていた不肖の娘だ。当人にはまったく罪がないにもかかわらず、理不尽に責められていた」
「なに、それ?」
晶子さんは先代当主の長女で、それこそどこに出しても恥ずかしくないようなお嬢様として育ったって聞いたんだけど。
「娘の人生を勝手に捻じ曲げた挙句、自分たちの不手際までお前のせいだと言いつのって…何が名家だ。あいつらはただの無能者集団だ」
いやまぁ何と言うか。
華藤のご長男様が、意外に毒を持つお方だということはわかったわ。
しかし、自分の親類縁者に対してこの言い様はあんまりじゃなかろうか。
「言っておくがな、格式だの由緒だので飯は食えないんだぞ。守るものが多ければ多いほど、先立つものは必要になる。――そこまではいい、そこまでは俺にも理解できる。だがな、だからと言って今生きている人間を蔑ろにして、どうでもいい先祖の名誉を大事にするような奴はバカだ」
確かにその通りだとは思うけど。
「いや、それも表向きだな。真実は自分がかわいいだけだ。自分の生活や自尊心を守るために、立場が下の子供たちをいいように使いまわす。挙句、金があるだけのロクデナシに売り渡してポイだ」
…この人こんなんだったんだ。
どれだけストレス溜めてたんだろう。長男って何かと労苦を引受けがちなところがあるから、傍からはわかりにくい毒を秘めてるってお祖父ちゃんが言ってたけど、その通りだわ。
わたしに結婚を含めた申し入れをしてきた時は、いかにも良家の子息らしい、もうちょっと紳士的な態度だったんだけど。
「つまり、昨夜のお嬢様は、貴方からなんらかの利益を引っ張ろうとする目的で近づいてきた人なの?」
すると、浩和さんはようやく自分が頭に血を登らせてると気づいたらしい。
「いやすまない、ちょっとタガが外れたようだ。――君には関係のないことなのに、感情的になって…」
はぁ、まぁ気持ちはわからないでもないけど。
「それでなくても君には迷惑をかけているのにな。曾祖父があんな遺言を遺したばかりに、申し訳ない。いや、それだけじゃないな、我々が和泉をもう少しまともな女になるよう教育していれば、こんなことにはならなかっただろう」
それはそうね。――いや、違う。和泉さんについては本人の責任もあるけど、母親やおべっか使いの取り巻きにも責任があると思う。
「貴方だけのせいじゃないでしょう。ましてや曾お祖父さんに関しては、完全に被害者よね。…ただわかんないのは、どうしてお祖父ちゃんたちがあんなとんでもない遺言を守ろうとしているかなんだけど」
家を継いだ大叔父さんはともかく、50年ぶりに実家と連絡を取ったお祖父ちゃんまでが、遺言を守ろうとしてわたしに頭を下げるんだもの。
お祖母ちゃんや連絡を受けた息子夫婦から怒鳴りつけられても、意見を翻そうとせずにね。
「ああ、そうか。君は何も知らされていないんだな。無理もない、祖父や大伯父にしてみれば、自分たちの若気の至りを暴露するようなものだしな」
はあ?
「貴方、何か知ってるの?」
「ああ、君よりはよく知っている。俺たちにも訳があるということだ。それこそ代々積み重ねてきたものから、つい最近の出来事に係るものまで、色々だ」
それは、そうでしょうね。すごくたくさん重なってそうだわ。
「曾祖父や祖父たちの事情、それに父や叔父たちの結婚にまつわるアレコレ。曾祖父があんな遺言を遺したのも、そもそもは華藤の若者たちが好き勝手した挙句の騒動を何とか抑えようとした結果なんだ」
なに、それ。
「簡単に言うと、曾孫同士を結婚させようとしたのは華藤の財産や事業を散逸させないためと、これ以上厄介な親類縁者を増やさないためだ。――完全に裏目に出てしまったが」
それはすごい。裏目も裏目、完全に目的が破綻しているじゃないの。
「曾お祖父さんって、なんでそんな…」
考えてみればわたしは曾お祖父さん――華藤陽介のことをほとんど知らない。
華藤家の先代としてそこそこ記録は残ってるし、〇ikiなんかにも記事が出てるくらいだけど、私人としての彼を、身内の目で見ることなんてなかったもの。
「君は華藤とは無関係で育ったから無理もないだろうが、曾祖父はあれで随分苦労した人だった。もちろん俺もそれを知ったのは大人になってからだが、その頃はもう故人だったからな」
そうでしょうね。20年前って言ったら、彼はまだ小学校の低学年だわ。
「曾祖父が産まれたのは大正時代だが、あの時分の人たちはいわゆる戦争世代だ。戦中戦後と、華藤の社員たちや家族を守るのは大変だっただろう」
なるほど。時代の闇って奴ね。
「戦争前はまだ曾祖父の父――高祖父も健在で、華陽商事の前身華屋総本舗を切り盛りしていたらしいんだが、戦争中に亡くなった。当時まだ若かった曾祖父は兵隊に取られていて、どうにもならなかったそうだ」
それは…。
「じゃあ、曾お祖父さんが戻ってくるまで華藤を支えてたのは誰だったの?」
「曾祖母の聡子と親戚筋で番頭格だった男だ。この番頭というのが、後々面倒な存在になるんだが、当時は彼の尽力で華屋は持っていたらしい」
あー、なんとなくわかってきた。
「旦那様を亡くして若旦那は生きて帰って来るかもわからない。残された若妻は年長の親戚に逆らえなくて、家を食い荒らされても手が出せない――みたいな?」
「まぁ大体そんな所だ」
戦前の頃なら、なおさら粗雑に扱われたんでしょうね。可哀想な曾お祖母さん。
「しかも当時曾祖母は双子を妊娠中で、田舎にあった実家へ疎開を兼ねて帰っていた。それは親戚どもが大きな顔をするのも当然だろう。もっともそれから戦争がどんどん激しくなって空襲が始まったから、美味しい思いが出来た時期はさほど長くはなかったようだが」
そこで浩和さんは更に苦い顔を見せた。
「曾祖母は、実家で兄嫁とそりが合わず苦労したらしい。何とか無事に出産を終えたものの、実家で兄嫁に嫌味を言われながら双子を育てて、終戦の1年前に子連れで婚家に戻ったそうだ」
うーわー、考えただけで気が重くなる。
「戦時下で幼い双子を育てることの大変さは俺でも想像できる。会社は親戚に乗っ取られたも同然の状態でよくまぁ頑張ったものだ」
本当に大変だったでしょうね。身の置き所がないって、そんな感じ。でも子供たちのために必死で頑張ってたんだろうな。
「その親戚は、終戦と同時に責任を取らされるのを嫌がって逃げたそうだが」
「なにそれ?」
「当時の華屋は色々軍事政府に加担していたからな。あの時分の企業なら当たり前のことだったろうが、いざ戦争に負ければ何もかもがひっくり返って、それまでふんぞり返っていた連中は立場を無くしたわけだ。金目の物を奪って、早々に消え失せたと聞いている」
「信じらんない、そういう時こそ踏ん張りどころでしょうに」
しかも、女子供しかいない本家を裏切って逃げるなんて。
「時勢に乗って楽をしたいだけの無能などそんなものだ。代わって華屋を――華藤家を支えたのは曾祖母聡子だった。戦後の政情不穏や食糧難を、双子を抱えて乗り切った。大した女傑だと俺は思うぞ。――ちなみに逃げた分家筋の番頭とやらは、数年後ドヤ街で死体となって発見されたそうだ。自業自得とは言え、哀れなものだな」
某国営放送の朝ドラマみたいね。お祖母ちゃんが好きでよく見てるわ。
「終戦後、曾祖父はなんとか無事に帰って来れた。だが何しろ大変な時代だったからな、その後の苦労は並大抵じゃなかったそうだ。そして父親が亡くなってからの顛末を詳しく聞いた曾祖父は、厄介な親戚がどれほど害になるか思い知ったんだ。何百年も続いた老舗は、分家や暖簾分けした身内がごまんといたからな。平穏な時なら頼りになるそいつらが、いざとなると恐ろしい存在になると、息子や孫に言い含めていたそうだ」
なんとまぁ壮絶な。
「戦後景気は良くなったり悪くなったり、色々あったが華屋は今の華陽商事、そして華陽グループとなって存続している。それは曾祖父の尽力あったればこそだ。だから、曾祖父の遺言は我々にとっては絶対なんだ」
厄介な遺言を遺して勝手に死んだとばかり思ってた曾お祖父さんだったけど、改めて聞いてみれば確かに大した人物だったみたい。
「なるほどね。大叔父さんたちが、あのトンデモ遺言を破棄しきれなかった訳が少しはわかったわ。でも、なんでウチのお祖父ちゃんまでそれに乗っかったのかしら?わたしがいくら文句を言っても、頼むすまん、ばかりで話になんないのよ」
とっくに縁を切ったはずの家族なのに。
「ああ、それは自分に負い目があるからだろう」
え?
「負い目?なにそれ、お祖父ちゃんが何をしたって言うのよ」