雑学百夜 『ちちんぷいぷい』ってそもそも何?
「ちちんぷいぷい」とはおならの音。
昔話「屁こき爺」より日本一のおならが出来ると出まかせを言った爺さんが殿様の前で必死にこいたおならの音が「ちちんぷいぷい」。これがおまじないの言葉として広がった説がある。
河川敷を歩いていると一輪だけ咲いている菜の花を見つけた。
周りの仲間たちより一足先に咲いたのか、はたまたこの場所に根を張る菜の花は君だけなのか、分からない。ただ一つはっきりしているのは春はもう目の前まで来ているということなのだろう。
俺はそっとその場にしゃがみ込み菜の花を愛でる。そして後ろを向いた、つまりお尻を菜の花に向けた。軽く息を吸い、グッと息を止める。口の中に溜まった空気の塊を飲み込むと同時に背筋を伸ばす。イメージとしては鵜飼の鵜が鮎を丸呑みするイメージだ。ゆっくり、ゆっくりとその空気は滑り落ちながら俺の体内をあてもなく彷徨っている。だから俺は何度か肛門の筋肉を収縮させたり弛緩させたりしてあげた。こっちだよ。さぁおいで、語りかけるように筋肉を動かすのがコツだ。すると迷える子羊もとい空気の塊は「おぉ神よ!」と喜び勇みながら差し込む一縷の光の方へ駆け出す。あとはもう運命に身を任せるのみで良い。俺はそっと目を閉じた。
ばほっ、ばっばっ
菜の花が揺れる。右に左に、いやよいやよというように。
俺は暫くそのままで、やがて菜の花を踏ん付けてしまわないように気を付けながら河川敷に寝ころんだ。背中に当たる草や小石の感触が心地いい。まるで地球をベッドにしているようなそんな感覚だ。
春風が俺の目元を撫でる。優しく、暖かい風に促されるように何だか訳の分からないまま涙が溢れてきた。
あぁ、どうして俺には屁こきの才能しかないんだ。
俺は握りこぶしを固め、腕で目を覆い隠す。泣いたって仕方ない。そんな事は分かっているのにダメだ、涙が止まらない。
22歳。今までいろいろなことにチャレンジしてきた。親に褒めて欲しくて、友達を増やしたくて、好きなあの子に振り向いて欲しくて。音楽、スポーツ、写真、小説、映画、漫画……どれもこれも並以下で終わった。結局ありとあらゆることに手を広げながらも、最後に残っていたのは最初から持っていた屁こきの才能しかなかった。
認めたくなかった。信じられなかった。天は二物を与えずというが、じゃあよりによって何故与えられたのが屁こきなのだ。こんな一物、もはや与えられない方が良かった。
俺は自由自在に屁をコントロールできる。
この世の空気は言ってしまえば全て俺にとっては屁の原料でしかない。タイミング、音量を調整できるのは勿論のこと、どういう理屈かは分からないが体内にある空気を増幅させて放屁することも出来から一人プールで放屁し海坊主のように水面を隆起させる事が出来る。匂いだって変幻自在で希望とあらば薔薇の匂い、或いはスカンクも裸足で逃げ出すような激臭にだって変えられる。
タイミングと音程を操作すれば『菜の花』と屁で語ることだって造作もない。
俺は世界中の誰より屁を理解し支配し、そして自由だ。
いや、いらんわ!
血筋が憎い。何でも俺の先祖は『屁こき爺』という昔話のモデルらしい。日本一の屁こきを自称し殿様の前で「ちちんぷいぷい」という何とも奇妙な音の屁を奏で褒美を貰ったという、こんなにも自慢できない先祖も中々いないなとは思う。それに味を占めた先祖は一族総出で屁の鍛錬に勤しんだのかもしれない。その結果末裔がただこんなにも苦労している。
俺は溜息を風の中に溶かす。
横で菜の花が優しく揺れる。それは「落ち込むなよ」と慰めているようにも見えるし、「えっ? 結局さっきは何で屁こいてきたん?」とブチギレているようにも見える。ごめん、ただの気まぐれさ。
結局どこかでこの才能を誇っている自分もいるのかもしれない。
誰かの笑顔の為に恥もいとわず屁をこいた顔も知らない爺さんの事を想うと、涙跡残ったまま「仕方ねぇな」と苦笑いで許してしまう。
俺もこんなしがない屁みたいな才能で誰かを笑顔に出来る日がくるのかもしれない。
いつまでも寝ている場合じゃないのだろう。
俺は起き上がり大きく伸びをした。
やってやるさ。
深く息を吸い、俺は渾身の思いで我が一族に伝わるおまじないを唱えた。
ばふん! ぷぅぷぅ。




