第二話 出発前夜
扉の奥からは、なにやら忙しなく物音が聞こえる。
どうやらエストは、部屋の隅の扉の奥で何かを探しているようだった。
しばらくして、手のひらに収まるくらいの大きさの小袋を片手にぶら下げたエストが扉の奥から姿を現した。
小袋の布は今にも引きちぎれそうなほど膨れ上がっている。
あの小袋には一体何が入っているのだろうか。
「ここに金貨が約100枚ほど入っています。よかったら持って行ってください」
この世界の通貨事情は知らないため、価値は分からないが、恐らく少ない金額ではないだろう。
するとエストは小袋をテーブルの上に置き、ソファに座ってゆっくりと話し始めた。
「金貨1枚は銀貨10枚分,銀貨1枚は銅貨10枚分の価値があります。リエル王国での飲食に
かかるお金は一日に銀貨20枚程度……宿は一晩で銀貨10枚ほどですから、一ヵ月は何も
しなくても暮らしていけるでしょう……」
どうやらこの世界でのお金や年月といった概念は、俺の元居た世界とあまり変わらないらしい。
それよりも、一ヵ月は何もせず暮らせるほどの大金をタダで貰っていいのだろうか。
「これ……大金ですよね? ……頂いて良いんですか?」
「ええ、構いませんよ。私には必要のないものですので……」
皮肉を込めて言っているようにも聞こえたが、あまり深くは聞かない方がいいだろう。
ここはひとまず、大人しくお礼を言っておこう。
「何から何までありがとうございます。大切に使わせて頂きます」
俺も前世で大金を不要なものと言ってみたかったという言葉が口をついて出そうになったが、
俺はその言葉を飲み込んだ。
「あぁ、それとその衣服……街中で行動するには目に余るものがありますね」
エストは再び立ち上がり、扉の奥へと消えていった。
しばらくして、黒いローブを抱えたエストが扉の奥から現れた。
「あまり優れたものではないですが無いよりはマシでしょう。低位の魔物や吸血鬼が放つ
下級魔法程度からは身を守れるかもしれません。……一応これも差し上げておきます」
エストはそう言いながら、おもむろにローブをテーブルの上に乗せた。
「本当にありがとうございます……」
俺がローブを受け取ったことを確認したエストは、またゆっくりとソファに座る。
「さて、私から出来ることはこれ以上なさそうです。何か聞いておきたいことはありますか……?」
エストのその言葉を聞き、俺は肝心なことを聞きそびれていることに気が付いた。
この世界について知っていることがあまりにも少なすぎるのだ。
「この世界のことを教えてほしいです……」
突拍子もない質問をしていることはわかっていたが、他にこのようなことを質問できる
相手などいるはずもなかった。
「なるほど……それを話すにはまず人間と吸血鬼の因縁の歴史から話さなければなりませんね……」
エストは顔色一つ変えず、瞳を閉じてそう言った。
「あの……メモを取ってもいいでしょうか……」
社畜生活で培ったスキルその1、"メモを取る"を異世界でも発揮してしまった。
我ながら恥ずかしい。
「えぇ……構いませんよ。」
エストはそう言いながら胸ポケットから紙とペンを取り出し、俺の前に差し出すと
真剣な表情で語りだした。
俺がその話を聞き、メモに書き込んだことは以下の通りである。
・人間と吸血鬼の戦いはおよそ3000年前から始まった。
・吸血鬼は人間の血を活力とし、定期的に血を吸わなければ死んでしまう。
血を吸い続けていれば永遠に生き続けることができる。
・吸血鬼に咬まれた人間は死に至るが、死後、稀に吸血鬼として覚醒する場合がある。
人はこれを鬼人化現象と呼ぶ。現在存在している吸血鬼の多くは、
この鬼人化現象により生まれた。吸血鬼に生前の記憶は存在しない。
・様々な物に囲まれて育っている人間は、魔力の流れをつかむことを苦手としており、
大気中から魔力を吸収する魔導石を埋め込んだ"法具"という武器を使用し、
詠唱を行ったうえで魔法を行使する。
・吸血鬼は洞窟や森の奥深くといった自然界に生息しており、人間よりも大気中の魔力の
流れをつかむことを得意としている。そのため法具を使用せず詠唱を行い、魔法を行使する。
・魔法の属性は風,炎,雷,水,地,光,闇の7つが存在し、その他回復魔法などは
無属性系統の魔法として扱われている。
・吸血鬼の中でも優れた魔法を使う者には"帝"という二つ名が与えられている。
帝には、"風帝","炎帝","雷帝","水帝",
"地帝","光帝","闇帝"が存在する。
・人間は体で1つ,法具で1つの計2属性を扱う。吸血鬼は基本的に闇属性しか扱えないが、
生前よく使用していた属性を扱える者も存在する。帝がこれにあたる。
・人間の中でも優れた魔法を使う者には"神"という二つ名が与えられている。
神には、"風神","炎神","雷神","水神",
"土神","光神","闇神"が存在する。
「今お話ししたことは全て古文書や魔導書に記されています。他にも色々とありますが…
後は自分で調べてみるといいでしょう。他に何か質問はありますか…?」
「いえ……特になさそうです。あ……」
メモを眺めていると、俺はあることに気付いた。
「現時点で存在する吸血鬼のほとんどが鬼人化現象によるものだとしたら、
初めに存在していた吸血鬼は……」
「――もう日が暮れてきましたから、出発は明日の方がいいでしょう。夜は魔物も多い…」
エストはそう言いながら立ち上がり、扉の奥へと消えていった。
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