護国観音
秩父の清水の舞台から山道を歩くと護国観音があります。
朝起きて鉄ちゃんは又写経を始めた
『これを百円均一で見つけた時鳥肌が立った。僕ははその頃心の拠り所を探していたんだ。だから衝動買いをしてしまった』
写経を始めた経緯を私に話す。
でも私が知りたいのはそんなことじゃない。
鉄ちゃんのその傷みが何処にあるのかなのだ。
「今日は奥の院から護国観音を回ってみるつもりです」
朝食を取りながら女将さんに言った。
「その道は工場の中を抜けて行くの。皆その手前で躊躇するらしいけど、堂々と入って行っていいのよ」
女将さんが何を言っているのか判らないけど、とりあえず頷いていた。
「あの焼きオニギリとても美味しかったです。又今日もよろしくお願い致します」
「そうくると思ってもう用意しておいたわよ」
女将さんが笑いながら言った。
「甘えついでにもう一つお願いしたいことがあります。お遍路を甘くみていたようで、回りきれそうもありません。来週の予約をしたいのですが……」
鉄ちゃんの発言に女将さんは戸惑っていた。
「残念ながら全室埋まっているわ」
女将さんが申し訳なさそうに言った。
「女将さん、何時も早くて申し訳なく思っています」
「あらっ、そんなこと気にしていたの? お遍路なら当たり前でしょ。8時から納経所が開くのにこんな場でのんびり過ごす訳いかないんだからね。心配しないでね。なんか嬉しいわ。よし、私が宿の方は何とかしてみるわ」
女将さんはそう言ってくれた。
26番円融寺は、野坂寺の先にある。
西部秩父駅前を真っ直ぐに行き、五方の辻より野坂寺方面へ進んで行くつもりだった。
でも女将さんはもっと楽な道があると教えてくれた。
影森駅前の信号を進むと女将さんの言った踏み切りがあった。
其処を渡り次の丁字路右へ折れる。
その道を左へ行くと又丁字路があった。
その先を更に進むと広い駐車場があった。
それを左に見ながら、階段を上って行った。
「おん、あろりきゃ、そわか」
所作の後で聖観音のご真言を唱え、お礼まできちんと済ませた私達だった。
札所26番は立派なお寺だった。
でも驚いたことに花が一つも咲いていなかった。
「まだ3月だからだよ。ほら躑躅も花芽を持っている」
鉄ちゃんの言葉もろくすっぽ聞かないで私は周りを見ていた。
「これ牡丹じゃない? ゴールデンウィークの頃は花盛りだったかもね」
どうやら躑躅と牡丹以外はないのかも知れない。
そしてあるべき物がもう一つ見当たらなかった。
何時か二人の楽しみとなった秩父観音霊験記が無かったのだ。
秩父観音霊験記とはその寺にまつわる由来を記した板絵のことだった。
「あの、すいません。秩父観音霊験記と言う板絵を探しているのですが……」
「ああ、此処には無いですね」
納経所にいた人は言った。
掲示板の中に別な絵の貼り紙がしてあった。
その隣には、丸い可愛らしい子供の仏様鎮座していた。
その別な絵が貴重なのだそうだ。
平景清の牢破りの額なのだそうだ。
雲の上に立つ白衣観音が悪名高い平景清を放射状に七本の光で金縛りに合わせていると見られているそうだ。
又観音信仰に対するご威光とも言わたりもしているらしい。
興味深いのは、その光は実際の鉄線で出来ている、と言うことだ。
僕はこれが秩父観音霊験記の代わりに置かれた物ではないかと思った。
札所26番脇の巡礼道を進むと、丁字路に突き当たる。
其処を左に曲がると工場が現れた。
其処が女将さんが教えてくれた工場のようだ。
私達はその前で佇んでいた。
工場の中に入る形になるために戸惑ってしまうのだ。
「女将さんの言った通りだね、本当に躊躇する」
鉄ちゃんが言った。
それでも私達は受付の前を進んでいた。
(巡礼者なのだから、何の遠慮もいらないんだ)
そう思い込ませることにしたのだ。
それでも気が引けた。
恐縮しながらも堂々と進む。
半ば開き直りって心境だった。
女将さんの言う通り、遠慮はいらないのだ。
工場の敷地を抜けて暫く行くと、太子堂と書かれた建物があった。
その横には琴平神社。
真ん中にある道を進む。
するとスローな階段が現れた。
さっき、工場の受付の人に聞いてみたら此処までは車でも入って来られるそうだ。
その先にいよいよ覚悟のいる、300の石段が控えている。
それを登りきると見えて来るのが懸涯造りの岩井堂だ。
秩父の清水の舞台とうたわれた場所で、此処は元々は札所だったそうだ。
秩父の清水の舞台とは良く言った。
とは思いつつ、スケールは段違いだった。
懸崖造りは埼玉県には4所あり、秩父地方には3つの寺院があるそうだ。
この岩井堂と明日行くつもりの32番札所法性寺だ。
もう1つは何時か訪ねてみたいと思っている太陽寺だ。
此処は関東の女人高野と呼ばれていて、宿坊として女性に人気のようだ。
残る1つは埼玉のほぼ中央に位置する吉見町にある岩室観音だそうだ。
吉見百穴入口付近の山肌にあり、岩を見事に活かした造りは一見の価値がある。
こじんまりとしていているけど……
私が県民の日に良く友人と行っていた場所だ。
願い事を叶えてくれると言う、この上の百観音の砂を踏むために……
その頃の私の願いは、素敵な男性との出逢い。
それと、聖地巡礼だ。
まだその頃、その言葉はなかったけどね。
私は岩井堂のその懸崖造り舞台を下から見上げようと柱まで降りてみることにした。
(あれっ!?)
何かが気になりすぐに崖をよじ登り、その舞台上がった。
26番の探し物が其処に無造作に置かれていた。
それが秩父観音霊験記だった。
「やっと見つけた。やはりあの金縛りの絵ではなかったんだ」
鉄ちゃんは嬉しそうだった。
秩父霊験記は秩父次郎重忠だ。
愛宕、金比羅を神としてまつる山。
重忠もこの霊場を保護し霊験をこうむっていた。
「此処まで上がって来るのも大変だったけど、この先もっと厳しい行程になると思う。俺の我が儘に付き合わさせてしまって本当にすまないと思っているんだ」
「そんなこと……こんな山の奥に建設するなんて、凄いのを見せていただいて感謝してます」
懸崖造りの舞台の上から次の行程を見ながらそっと呟いた。
「ありがとう。だけど此処、清水の舞台と言うには小さいね」
「確かに……」
私はその独特のお堂を思い浮かべながら頷いた。
二本渡しただけの橋。
木の根で出来た自然な階段。
もし此処のすき間に足でも取られたら、即死が待っている。
そう感じた。
マジな話。
即谷底へ繋がることだろう。
もしかしたら、何人もの命を奪ってきたのかも知れない。
私は鉄ちゃんと此処に来たことを後悔していた。
鉄ちゃんは勘違いしてる。誘ったのは私なのだ。
無いようである、道なき道を進む。
まるで獣道。
其処はまさに、修験道そのものだった。
暫く歩いていくと護国観音様と出会した。
「やっと会えた」
鉄ちゃんが台座の下によじ登った。
「此処の観音様には下に台座に顔があるだよ」
その後で声が聞こえない。仕方なく私もよじ登ることにした。
でも、私の視線の先にあったのは蛙だった。
鉄ちゃんの示す指先を良く見てみると台座の下に確かに観音様のお顔があった。
それはまるで大切な物を隠すように其処に描かれていた。
昭和11年建立のコンクリート製だと言うことだ。
秩父札所の発展に寄与した当時の住職のアイデアだと聞いている。
27番大淵寺。
一旦下へ行き、所作を済ませてから通り過ぎた観音堂へ戻った。
護国観音の見える踏み石の上に上がり、先ほどの無礼を詫びた。
「おん、あろりきゃ、そわか」
聖観音のご真言を唱える。
回向文とお礼の後で山門近くにあった延命水を頂くことにした。
秩父霊験記は行脚僧宝明だった。
弘法太子は足が不自由になり巡礼出来ない宝明に観音像を刻んで与えた。
不祥をもって吉事を招くとの言い伝えだった。
28番橋立堂へ向かうには、一旦線路を越えてから二つ目の交差点で線路に架かる橋を渡る。
ほぼ道なりに進むと浄水場があり、そのまま更に山道を行く。
辿り着いた橋立堂の上には切り立った山肌があり、屋根の上を覆い被さるような威圧感があった。
「おん、あみりと、どはんば、うん、はった、そわか」
馬頭観音のご真言で、秩父札所の中では此処だけだった。
それがからか? 境内に大きな馬の像があった。
本堂前に橋立鍾乳洞の入口があり、納経所で入場券も販売していた。
「鍾乳洞なんて初めてだ。入ってみようか?」
鉄ちゃんの言葉に頷いた。
こじんまりとしていて狭い。
暫く行くと、胸付八丁ほどの上がり階段があった。
「何となく胎内潜りに似ているな」
何気なく言っていた。
「胎内潜りって?」
「友達と行った吉見の百穴の近くにたるの。埼玉にもう1つあるけんがい造りの……」
「あっ、行ったことある」
鉄ちゃんが思いもかけないことを言い出した。
「吉見の百穴ってトコの近くに岩室観音ってのがあって、胎内潜りと言う急な階段があるんだ。其処だろ?」
「あっ、其処です」
鉄ちゃんが何故知っているのか知らないけど、私達は以外と近い場所で暮らしていたのかも知れない。
「さっき岩井堂へ寄っただろう? 実はあの時から思い出していたんだ。懸崖造りは埼玉県には4箇所あるそうだ。さっきの岩井堂と吉見岩室観音……秩父には後2つ、32番札所と太陽寺だ」
「えっ、知っていたの? そう太陽寺もよね。彼処は関東の女人高野と呼ばれるトコだから何時か行きたいと思っていたの。鉄ちゃんも行きたいでしょう?」
私の話を聞いて鉄ちゃんは頷いた。
「本当に一度行ってみたい場所だな。其処の懸崖造りもな」
鉄ちゃんは何故か遠い目をしながら言った。
秩父霊験記は郡司蛇身の報いだ。
閻魔大王の恩赦で地獄行きを免れたのに悪行で神馬を飲み込み石になり鍾乳洞に閉じ込められたそうだ。
29番長泉院山門前に樹齢約150年の枝下桜の古木があり人の目を楽しませると言う。
その寺の近くにあるのが、樹齢600年を誇る枝下桜が何本も残る名所の清雲寺だ。
実はこの桜は其処の苗をいただいたそうで、別名よみがえりの一本桜と言うらしい。
杉の木の日陰で育たなかったけど、浦山ダム建設時にそれらが伐採されてからは大きくなったそうだ。
門前で巡礼者を迎える延命地蔵の向こう正面には、沢山の花が咲き乱れていた。
「おん、あろりきゃ、そわか」
所作の後聖観音のご真言を唱える。
本堂前に絵を描いた石が数個あった。
このお寺は江戸時代に二度火事で消失している。
その後に建てられたのが今の本堂だそうだ。
秩父霊験記は瀧女だ。
川の淵から瀧女が現れ山頂に灯りを捧げた。
山の洞窟の中に聖観音があったそうだ。
30番へ行こうと左に折れ、次の路地を左に曲がったった。
其処にあったのは休憩所だった。
其処でオニギリを食べてから青雲寺横の稲荷神社を抜けた。
でもその後が大変だった。
案内板を見失い、目的地に着かないのだ。
気が付いたら、三峰口駅前にいたのだった。
僕達は仕方なく、其処から電車に乗って御花畑駅に戻って来ていた。
鍾乳洞は夏は涼しく冬は暖かいです。