橋を越えて
サイクル巡礼か始まります。
他サイトに掲載時、巡礼にあるまじき行為と避難されましたが……
鉄ちゃんは、早起きして文机で写経を始めた。
書きためて、お寺に奉納するのだ。
何故そんなに本気なのか知りたい。私は鉄ちゃんが物凄く気になり初めていた。
その後で朝食を済ませ、女将さんにオニギリを作ってもらい西部秩父駅に向かう。
近くの観光案内所にレンタル自転車があるからだ。
鉄ちゃんが持参したサイクル巡礼のパンフレット。其処に示してあったのだ。
予約は出来ないようだから早めに行くしかない。
遅れを取り戻すべく、その方法を選んだのだ。
昨日より多く参拝するためには仕方ない。
それに日程が限られていたのだ。
26番の奥の院には秩父の清水の舞台と言われている寺院があるらしい。其処から護国観音への山道を通る予定だ。
どのくらいかかるか解らないから、なるべく多くの札所行っておきたいと思っていた。
札所の納経所は朝8時から夕方5時まで。
幾つ回れるか解らないけど……
私達は徒歩で西武秩父駅近くにある観光案内所前に来ていた。
でもまだ開いていなかった。
「嘘だろ。札所の納経所が8時から開くのに、サイクル巡礼をうたっている観光案内所が9時からだなんて……馬鹿にしてる」
鉄ちゃんが言った。
「まだ8時前だよ。こんな場所で1時間以上並んで待たなければいけないのか……」
鉄ちゃんは携帯で時間を確認しながら不満をぶちまけていた。
「だったら先に12番へ行く?」
「そうだな。うん、そうしよう」
鉄ちゃんは頷きながら言った。
そう言ってはみたものの何だかしっくりこない。
(本当に馬鹿にしてる)
実は私も怒っていたのだった。
「巡礼者の都合なんて考えてもいないんだよね。お役所仕事だからかな? 自分達に合わせろってことなんだよ。それとも……」
「それとも?」
「サイクル巡礼なんて姑息な手を使わず歩けってことかも知れないな」
私は鉄ちゃんの言葉にショックを受けていた。
「姑息って?」
だから私は聞いた。
「自転車で回れば早いなんて考えたから、きっと罰でも与えるつもりなんだよ」
「でも自動車やバイクの人もいるのよね? その人達に比べたら……姑息な手段なんて言えないよ」
私は鉄ちゃんを宥めるように言った。
だって、どの札所にも駐車場はあるし、タクシーで回っている人もいる。そう思った。
私達は札所12番の野坂寺へ向かった。
26番札所に近いことから一緒に回ろうとしたけれど、観光案内所が開く時間までが勿体ないからだ。
8時に納経所が開くのになんで自転車を貸してくれる観光案内所が何故9時からなんだろう?
鉄ちゃんの言う通り、巡礼者を軽くみているとしか考えられなかった。
(良し此処もアピールして、東京五輪迄には改善してもらおう)
私は息巻いていた。
西武秩父駅を暫く行くと国道に出る。
其処を真っ直ぐに行くと三叉路があった。
其処をほぼ直角に曲がり暫く行くと、12番入口の道標があった。
其処を真っ直ぐ行った場所が札所だった。
山門には閻魔様と阿修羅像。
苦痛に満ちた顔が3つあった。
「おん、あろりきゃ、そわか」
山門に挨拶をしてから中に入り、所作の後聖観音様のご真言を唱えた。
札所12番は花の寺だと聞く。
蹲の中には蓮の葉が浮いていた。
秩父霊験記は甲斐の商人だった。
昔、甲斐の商人がこの地で山賊に襲われた。
商人が南無観世音と一心に唱えると、お守りが光り輝き事なきを得た。
商人は故郷から聖徳太子の作った観音像を運びこの場所に堂を建てたそうだ。
野坂寺で納経などを済ませてから、西武秩父駅を目指した。さっき来た道とは別の進む。
お墓参りの時もそうだけど、往路は道変えした方がいいそうだ。
やっと開いた観光案内所でレンタサイクルを借りた。
鉄ちゃんは七段ギア、私は電動アシスト自転車。
実は、この方が楽だからと勧めてみても鉄ちゃんは聞く耳さえ持ち合わせていないようだった。
鉄ちゃんは代金のことを考えていたのだった。
電動アシスト自転車は普通の自転車の倍だったからだった。
鉄ちゃんは自力で何とかすると言う。
でも私には坂道はキツいからと勧められたのだ。
本当は私だって同じのを選びたかったのに……
ううん、出来ることなら鉄ちゃんも電動アシスト自転車を借りてほしかったのだ。
だって、その方が絶対に楽だと思っていたからだった。
鉄ちゃん私に負担を掛けたくなかったのだった。
それは鉄ちゃんの優しさに外ならない。私は思いやりに涙した。
とは言っても、三段ギアより七段ギア付きの方を選んで次なる目的地に札所20番へと急いだ。
旧秩父橋を歩いて渡る。
それも鉄ちゃんの優しさだ。
秩父橋と旧秩父橋。
二つを見比べながらその下を見る。
その川原は断崖絶壁へと繋がっていた。
その昔。
19番から20番へ向かうには、渡し舟か泳いで渡るしかなかったそうだ。
でも巡礼者の苦労はそれで終わらなかった。
断崖絶壁の石段をよじ登らなければならなかったのだ。
そのために死者が相次いだとされる難所だったようだ。
明治18年に秩父橋が完成するまで、この川渡りは続いていたそうだ。
旧秩父橋は昭和6年に完成した歴史的建造物で、埼玉県の有形文化財に指定されているそうだ。
だから作り替えても遊歩道として残すことにしたのかも知れない。
その文化財が今ある橋なのか、川の中に残されている橋桁なのかは解らないけど……
秩父橋から続く坂道を必死にペダルを漕ぐ鉄ちゃん。
でも私は楽々だった。
(私の言うこと聞なかったからよ)
私は鉄ちゃんに勝ったような気になっていた。
ても本当は解っていた。
レンタサイクル代だって勿体無いのだと言うことも……
(来週はいよいよ企画会議か?)
会社の方針で、来週末に開かれる予定なのだ。だからそれまでに全行程を回らなくてはいけなかったのだ。
途中にあった可愛い花を思いながら坂の上で鉄ちゃんを待つ。
(先に行ってもし道に迷ったらどうしよう)
私は不安だった。
だから鉄ちゃんの思い遣りも少し妬ましくなっていたのだった。
秩父の巡礼道は狭いから並列走行は出来ないけど、ただ傍に居たかったのだ。
次の交差点を左に折れる。
案内板通りに行くと札所札所20番岩之上堂が現れた。
「おん、あろりきゃ、そわか」
所作の後で唱えたのは又聖観音のご真言だった。
観音堂は秩父札所の中では最古で、驚いたことに個人の所有物なのだそうだ。
江戸時代に這い上がった崖を見るのは怖い。
だからその先には行かないことにした。
さっき、旧秩父橋から川を見た時その崖の高さに目を見はった。
彼処を必死に登るお遍路達。
その御苦労を思いはかっていた。
秩父霊験記は寺尾村の孝子だ。
ある日、寺尾に住む男性に母が倒れたとの知らせが入った。
急いで川を渡ろうとしても大雨で増水していた。
其処へ童子が舟に乗って現れ、男性を対岸まで送ってくれた。
その者は観音様だったようだ。
清苔閣の額を掲げた観音堂は間口も広くて立派だった。
外陣の天井から何かがぶら下がっていた。
それは別名おさると言うそうだ。
近所の夫人達が12年に一度の午年御開帳の時にに祈りを込めて一体ずつ布に綿を詰めて手作りするそうだ。
だからなのか、とても美しかった。
此処では良く句会も開かれるそうだ。
「此処は静かな上に涼しいので、吟行の途中で休んで行かれる方も多いんですよ」
参拝者の方がそう言っていた。
私はふと、旧秩父橋を渡った場所にある小さな公園から続く細い参道を思い浮かべていた。
21番観音寺は通りに建っていた。
山門や塀はなく、開放的な印象だった。
境内に入ればすぐ正面に観音堂があった。
「おん、あろりきゃ、そわか」
所作の後で聖観音様のご真言を唱えた。
一般住宅と見間違えるような簡素な造りのお堂だった。
先ほどの岩上堂が立派過ぎたからだろうか?
何だか物足りない気がしていた。
私達は一旦通り過ぎてしまっていた。
気付いたのは22番の案内板によってだった。
急いで元来た道を逆戻りしたら、ほどなく現れた21番の駐車場。
私達は其処で足留めを食らった。
信号も無ければ、横断歩道さえも無かったのだ。
それはあの巡礼橋を渡った後に現れた金昌寺への交差点に似ていた。
「事故でも起きたらどうするの? 責任は誰が……」
ふと、そんなことを呟いた。
「子供の頃に聞いたことだけど。保護者会が信号機の設置を嘆願書に纏め警察署に提出した時のこと。『死亡事故が起きれば一発で出来ますが……』窓口の人がそう言ったそうだ」
「えっ!?」
「当然猛反撃した。でもその声は届かなかったんだ。信号機が設置されたのは、死亡事故の起こった後だったんだよ」
「此処もそうなのかな?」
私は警察が人の命を軽くみているような気がしてならなかった。
信号機などの申請は役所ではなく、警察署に提出するらしい。
死亡事故が起きたら信号機を付けてやる。
そんなこと言っていないで早く安全に巡礼者が渡れる横断歩道から作ってほしいと思った。
秩父霊験記は八幡宮の神鏑だった。
この札所は元々八幡宮の社地だったそうだ。
奈良時代に境内に生えていた神木で観音様を作った。
それによって邪神達が怒り暴れまくった。
武甲山の神と力を合わせて矢を放ち、騒ぎを収めたそうだ。
「お堂から突き出た三段の石段がある観音寺の簡素さは、札所の中でも三本の指に入るそうよ」
知ったか振りをして私は言った。
「確かに簡素だな。さっき気付かなかった訳だ」
調子を合わせるように鉄ちゃんが言った。
さっき引き返した22番の案内板のある脇道を右に入る。
其処には札所10番にあったような大きな石仏があった。
22番入口と表記された石碑の上に石仏が鎮座していた。
私達は自転車を一旦降りて一礼をしてから左へ曲がった。
その通りを暫く行くと左側の奥に山門らしき物が目に入った。
辿り着いた場所にあったのは、藁葺き屋根の仁王門だった。
「わあ、可愛い!」
私は自転車を止めて、其処へ向かって駆け寄った。
その中にはあどけない顔をした仁王様がいた。
その風体は絵本に出てくる赤鬼のようだった。
素人が子供を意識して造った金剛力士像は素朴で愛嬌があった。
「堂子堂か……何だかピッタリの名前だね」
「そうね。みんなこんなユーモラスな仁王様だったらお寺参りも怖くないにね」
「あれっ、怖かったの?」
その言葉に頷いた。
「仁王様を怖くないって思う人いると思う?」
語尾を上げて言う私に鉄ちゃんは笑った。
「居ないかもね」
「そう、居ない居ない。……ってことは、鉄ちゃんも怖かったんだ」
私は笑いながら鉄ちゃんの顔を眺めていた。
札所22番堂子堂。
それぞれの可愛らしい仁王様に一礼ずつしてから中へと進んだ。
「おん、あろりきゃ、そわか」
所作の後は聖観音様のご真言。
少しずつ流暢になった気がしていた。
でもそんなこと言っていられない。
この聖観音は弘法太子の作と伝えられている、由緒正しい観音様だったのだ。
22番堂子堂の秩父霊験記は讃州の人、化犬となるだった。
疱瘡が流行した時観音様の助言に従ったら治った。
貪欲な讃州の人の子供が犬に変えられた。
百観音を巡り童子堂でやっと元にもどされたと言う伝説だった。
22番の境内にはトゲ抜き地蔵や身代わり観音などもあった。
私は鉄ちゃんの苦しみがを取り除かれることを願っていた。
鉄ちゃんは絶対に苦しんでいる。私はそう思っていた。
仕事上での巡礼ですので、次もサイクルです。