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ゴールデンウィークまでに  作者: 四色美美
5/12

秩父の闇の時代

闇の時代。

生糸暴落から始まる、秩父事件のことです。

 次は16番の西光寺に行くはずだけど、その前に秩父公園橋に寄り道してみた。

駅前から真っ直ぐ下りてきたからどうしても気になったのだ。



驚いたことにその下にも橋があった。

その橋は武之鼻橋と言い、秩父川瀬祭りの時に御輿を水洗いする川原へと続く橋だと言うことだ。



今から130年以上前、吉田の椋神社に集まった暴徒が札所23番裏の小鹿坂峠を越えて今の秩父中心街を焼き討ちしたて言われている秩父事件。

その時渡ったのが下に見える橋のようだ。

それは秩父が抱える貧困の歴史だった。





 明治17年11月1日。

生糸価格の暴落に端を発し、一斉蜂起した秩父事件。

それは高利貸しの横暴や政府への不満を募らせた結果だった。



秩父を語る上で、この事件は欠かせない。

貧困に喘いでもがき苦しみ、遂に爆発した人々。

舞台となったのは手作りロケット・龍勢で知られる吉田地方。


実は此処もアニメあの花の聖地だったのだ。

去年も多くのファンが訪れ、龍勢を奉納したと聞いていた。

埼玉版に掲載されていた記事を親私がアニメオタクだと知っている親戚が送ってくれたのだ。





 秩父地方は絹織物の産地だった。

生糸価格の下落はそのまま生活苦に繋がってしまったのだった。

高利貸しに借金をしていた農家は特に大変だった。

厳しい取り立てに四苦八苦させられていたからだ。





 この年の10月30日から11月9日にかけて、埼玉・群馬・長野などの民衆数千人が世直しと負債の延納雑税の減少などとともに立憲政体をもとめて蜂起した事件と位置付けられている。



山国の秩父では江戸時代から養蚕が盛んだった。

農民達は石だらけの傾斜地に桑を植え、蚕を飼って糸をとったのだ。

ヨーロッパやアメリカと貿易が始まった頃、日本の最大な輸出品は生糸だった。

秩父の生糸は横浜に運ばれ、山村に生糸景気が訪れた。





 その3年前に板垣退助等が日本の最初の政党である自由党を結成、秩父自由党もその後に作られた。



デフレ政策の影響が出始めたのはその年辺りからからだった。

軍備拡大の雑税などの増税と緊縮財政によって生糸の価格は大暴落したのだ。

これにより農民の生活は破滅した。

秩父自由党員達は農民達を困民党に組織、大規模な反政府運動へと突き進んで行ったのだった。





 最初に蜂起したのは北限の蜜柑で有名な風布だった。

今や蜜柑は群馬でも作られるようになったが、最近までその地位にいたことは事実だった。

この地より、多くの勇士が排出されたそうだ。



風布では金比羅神社にて、吉田では椋神社に集結した。

そしてこの地で困民党は組織され拡大していったのだ。

秩父事件百年を記念として、2つの神社には碑が建てられているそうだ。





 その年の10月28日、信州よりの使者が秩父郡石間に入った。

そして同年の11月1日に椋神社に結集したのだ。



一気団結したものの、困民党軍は厳しい軍律にて統制された。

一時は秩父の中心部に当たる大宮郷を占領したが、政府は警察や憲兵などで交戦した。

困民党軍は本部解散後も信州まで進み、東馬流で最後の銃撃戦が交わされた八ヶ岳山麓でその姿を消したと言われている。

使者の故郷に同行したのかどうか解らないけど、その行動は多くの書物などに残されている。





 秩父事件の首謀者の一人は欠席裁判で死刑が確定していたが逃走した。

まず武甲山に身を隠しで、その後に北海道に逃げて暮らしたと言う。





 死に直面した時、その事件の証言を残そうと思い真実を連れ合いに打ち明けた。

それを切っ掛けに、家族全員が集まっだ。

その集結写真は今では多くの書物の中に納められている。





 昨日訪ねた札所5にもエピソードがある。

花火職人が機転をきかせて、大砲と見せ掛けて尺玉を打ち上げて暴徒達を逃がしたそうだ。


秩父にも暗い時代があったのだと感じた。





 秩父公園橋近くにあるスーパーマーケットの横を秩父駅方面へ歩く。



(あっ、此処実家の近くにもあったな。だとすると、此処にも休めるスペースがあるかも知れないな)

そんなことを思いながら歩いていた。



暫く行くと札所16番の駐車場が現れる。

其処から入って階段を上る。

塀の脇に道があり、山門まで続いていた。





 山門に一礼をして潜り抜けると、目の前に本堂らしき建物が見えた。

たどり着くまでに色々な物と出会った。

西光寺の庭には、大正時代に作られたと言われる酒の仕込み樽を利用した酒樽大黒天があった。



「おん、ばざら、だらま、きりく」

これは千手観音のご真言だ。

般若心経の読み上げも板に着いてきた。

私達は少しずつ巡礼者のようになったのかも知れない。



納経場の前の本堂の壁に圓比丘の秩父霊験記が掲げられていた。

寺の僧の前に阿鼻地獄に落ちた老婆が現れ、霊験あらたか観音像を導いたそうだ。





 帰り際に回廊が目にとまり、中に入り驚いた。

此処には四国八十八観音を模した観音像が全て奉られていたからだった。





 回廊を暫く行くと、目映いほどの大日如来様が姿を現したた。



「大日如来様。大日如来様。唱え奉る光明真言は大日普門の万徳を二十三字に集めたり……己の空しゅうして一心に唱え奉ればみ仏の光明に照らされて三妄の霧自ずから晴れ浄心の玉明らかにして真如の月まどかならん」

鉄ちゃんが急に御題目を唱え出したから、私驚きを隠せなかった。

きっと目も白黒させているはずだと思った。



「この後に、光明真言が三度続くんだ。それが正式な光明真言なのかも知れない。阿謨伽尾盧左曩摩訶母捺鉢納入鉢韈野吽」



「オンアボキャベイロウシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」

私は鉄ちゃんの後を追いかけるように唱えた。

何故鉄ちゃんがこんなに真剣なのか解らない。

だけど、相当辛いことがあったのだろうと感じていた。





 四国88ヶ所は弘法大師所縁の霊場で、徳島県から始まる。



1番霊山寺釈迦。

2番極楽寺阿弥陀如来。

3番金泉寺釈迦。

4番大日寺大日如来。

5番地蔵寺勝軍地蔵。

6番安楽寺薬師如来。

7番十楽寺阿弥陀如来。

8番熊谷寺千手観音。

9番法輪寺涅槃釈迦。

10番切幡寺千手観音。

11番藤井寺薬師如来。

12番焼山寺虚空菩薩。

13番大日寺十一面観音。

14番常楽寺弥勒菩薩。

15番国分寺薬師如来。

16番観音寺千手観音。

17番井戸寺七仏薬師。

18番恩山寺薬師如来。

19番立江寺延命地蔵。

20番鶴林寺地蔵菩薩。

21番太龍寺虚空菩薩。

22番平等寺薬師如来。

23番薬王寺厄除け薬師。



 高知県。

24番最御崎寺虚空菩薩。

25番津照寺延命地蔵。

26番金剛頂寺薬師如来。

27番神峯寺千手観音。十一面観世音菩薩。

28番大日寺大日如来。

29番国分寺千手観音。

30番善楽寺阿弥陀如来。

31番竹林寺文殊菩薩。

32番禅師蜂寺十一面観世音菩薩。

33番雪蹊寺薬師如来。

34番種間寺薬師如来。

35番清滝寺薬師如来。

36番青龍寺波切不動明王。

37番岩本寺五体の御本尊内の不動明王だった。聖観世音菩薩。阿弥陀如来。薬師如来。助勝菩薩も所蔵されているそうだ。

38番金剛福寺三面千手観音薬師如来。

39番延光寺薬師如来。



愛媛県。

40番観自在寺薬師如来。

41番龍光寺十一面観世音菩薩。

42番仏木寺大日如来。

43番明石寺千手観音。

44番大寳寺十一面観世音菩薩。

45番岩屋寺不動明王。

46番浄瑠璃寺薬師如来。

47番八坂寺阿弥陀如来。

48番西林寺十一面観世音菩薩。

49番浄土寺釈迦。

50番繁多寺薬師如来。

51番石手寺薬師如来。

52番太山寺十一面観音。

53番円明寺阿弥陀如来。

54番延命寺不動明王。

55番南光坊大通智勝如来。





 56番泰山寺地蔵菩薩。

57番永福寺阿弥陀如来。

58番仙遊寺千手観音。

59番国分寺薬師如来。

60番横峰寺大日如来。

61番香園寺大日如来。

62番宝寿寺十十一面観世音菩薩。

63番吉祥寺毘沙門天。

64番前神寺阿弥陀如来。

65番三角寺十一面観世音菩薩。



香川県。

66番雲辺寺千手観音。

67番大興寺薬師如来。

68番神恵院阿弥陀如来。

69番観音寺聖観音。

70番本山寺馬頭観音。

71番弥谷寺千手観音。

72番曼荼羅寺大日如来。

73番出釈迦寺釈迦。

74番甲山寺薬師如来。

75番善通寺薬師如来。

76番金倉寺薬師如来。

77番道隆寺薬師如来。

78番郷照寺阿弥陀如来。

79番天皇寺十一面観世音菩薩。

80番国分寺十一面千手観音。

81番白峯寺千手観音。

82番根香寺千手観音。

83番一宮寺聖観世音菩薩。

84番屋島寺十一面観世音菩薩。

85番八栗寺聖観世音菩薩。

86番志度寺十一面観世音菩薩。

87番長尾寺聖観世音菩薩。

88番大窪寺薬師如来





 展示仏の中で一番凄いと感じたのは不動明王だ。

あの大日如来様とは比較にならなかったけど……

その反対側に安置してあったおびんづる様も10番のようにピカピカだった。

私はこの二つの像が秩父の未来を照らし、傷を治してくれることを祈っていた。





 本堂の廊下で、両手に筆を持って器用に文字を書いている人がいた。

それはみるみる形になって、『南無大師遍照金剛』と読めた。



(きっと訪れたら方達に挨拶しているんだ)

私はそう思いながらずっと手元を見ていた。



「良かったら差し上げますが……」

その言葉に頷いた。



其処には団体で回っている人達がいた。

その人達を案内していた人が興味深い話をしてくれた。

勿論、私達に向けられた言葉ではないのだが……



西光寺には江戸時代に博打場があったそうで、賭博用語の寺銭はこんな場所から発した言葉ではないのかと言う話だった。



四国88ヶ所の観音霊場を安直しているお寺には似合わないと思った。





 「秩父には聖観音が沢山あるけど、四国には少ないのが印象的だったな」

歩きながら鉄ちゃんが話し掛けた。



「あれっ、お前何だかウキウキしてるな?」



「だって次は……。行ってみれば解るわ」

そう次は、私の憧れの場所だったのだ。






次は秩父を舞台にしたアニメ、あの花の聖地です。

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