2日目
2日目の巡礼に出ます。
宿で朝食と会計を済ませ、私達は又お遍路へと旅立って行く。
遍路は本当は四国巡礼を指すようで、俳句では春の季語になっている。
それだけ3月1日の解禁と同時に歩く人が多いのだと思った。
昨日やっと渡れた道を真っ直ぐ進むと三角形の土地があった。
左に行くと4番。右に行くと5番と記された案内板があった。
私達は左に曲がった。
次の角は札所4番の山門へと繋がっていた。
でもそれは大きな草鞋の掛けてある仁王門だった。
「おん、まか、きゃろにきゃ、そわか」
札所4金昌寺でのご真言は少し違った。
無人のお寺だと聞いていたので全て唱えようと思っていたが、本堂の外れに安直してある観音様に惹かれての前に立ち尽くしてしまった。
「綺麗な観音様だね」
その声に驚いて振り向くと、目頭を押さえた鉄ちゃんがいた。
「まるで……いや、やめておこう」
しんみりと鉄ちゃんが言った。
その観音様は慈母観音像と言うそうだ。
後ろの台座に蛙がいて、キリスト経聖書の中に登場する大天使ミカエルと解釈される。
だから隠れキリスタンのマリア像だと評判だったのだ。
「本当に綺麗な観音様ね」
慈母観音像の胸に抱かれている子供の像を見つめる振りをしながら鉄ちゃんを見ていた。
(きっと悲しいことでもあったんだろう)
普段見慣れない姿にじんわりきていた。
其処から真っ直ぐ伸びた道を進んで、又同じ角を曲った。
暫く道なりに行くと又三角の土地が見える。
其処を曲がらずに真っ直ぐ行く。
小さな橋を渡り、細い路地を歩く。
次の丁字路を左に曲がり又真っ直ぐ進んだ。
「札所4番の秩父霊験記は荒木丹下の悪行だったけど、何だか丹下佐善丹下佐膳に似てたね?」
「二人共実在の人物なのかな? もしかしたら、モデルにしたのかも知れないですね」
「丹下佐善って確か江戸時代の人だったよね? そんな前にあの板絵があったのかな?」
「うーん?」
鉄ちゃんの発言に私は黙ってしまった。
そのまま暫く道なりに行くと札所5番の納経所の案内板が現れた。
目指す本堂はその先にあった。
何だか少し変わった仁王様だった。
雷神に似ているとも言われているようだ。
左右の門を一礼ずつしてから境内に入り、所作を繰り返した。
立派な仁王門に比べると、何となくこじんまりとした本堂だった。
その横にある藤棚が少しの木陰を作っていた。
「おん、しゃれい、しゅれい、じゅんでい、そわか」
5番札所語歌堂の真言も違っていた。
それ等を唱えながら、あれこれと考える。
でも集中しなければならないと頭を切り替えた。
秩父霊験記の板絵は本間孫八だった。
秩父には和歌などの文芸が伝わり難いことを嘆いていたそうだ。
ある日、救世観音の化身した旅の僧との和歌談義したことで、寺の名を語歌堂としたとの由来が示されていた。
その後、一通りの礼拝を済ませてから納経所である長興寺へと向かい御朱印をいただいた。
再び札所5番方面へ向かい、鉄ちゃんの提案で次なる7番を目指すことにした。
何故6番ではないのかは歩く人の都合なのだ。
編集は勿論、6番を先にするけどね。
町民グランドの横の丁字路を真っ直ぐに行くと下横瀬橋に出た。
此処を渡り、その道を何処までも行くと温泉施設が目に入った。
「何時か来たいね」
鉄ちゃんの言葉に頷いた。
「えっ!?」
「馬鹿かお前は、彼処は日帰り温泉もやっていると聞いたからだ」
私の気持ちを察したのか慌てて返す鉄ちゃんが可愛い。
交差点が見える。
その先は国道299だった。
暫くその道を進むと信号があり、反対側に札所九番の案内板があった。
「先にあっちに行く?」
「いや、やはり順番通りがいいな」
鉄ちゃんにそう言われても心配になった。
もう札所7番は通り過ぎてしまったのかな?
なんて思ってしまったからだった。
どうやら、そうだったようだ。
巡礼道は国道を通ることなく行けるようだ。
横瀬橋の信号を左に折れて坂道を暫く行くと札所7番への案内板があった。
実は6番と7番は逆さにしたのではないかと疑うような行程なんだそうだ。
だから先に7番に向かうことにしたのだった。
交差点に右6番と8番、左7番の案内板があった。
其処を左へと曲がった。
その先の案内板を左に折れて細い路地を行くと七番の大きな駐車場があった。
其処にはバイクも止めてあった。
「バイクで回っている人もいるんだ」
何気なく鉄ちゃんの言葉が気になった。
「おん、まか、きゃろにきゃ、そわか」
7番法長寺の御真言を唱える。
境内に黒光りした牛の像があった。
違う色の像もあった。
村民が牛伏堂と名付けて建立したのだそうだ。
だからこの牛の像が此処にあるのはもっともだったのだ。
元々の牛伏堂があったは生川入口の丁字路を少し進んだ場所だったようだ。
天明2年の火災の後で法長寺へと移されたそうだ。
全ての御参りを済ませてから秩父霊験記を探してみた。
それはガラスのむこうに掲示してあった。
信じられない話だが、花園佐衛門督長臣某が平将門の起こした乱に参戦した後で牛に産まれ変わったそうだ。
その足で納経所へ行き御朱印をいただいた。
其処のお寺は駐車場もトイレも立派だった。
僕は輪袈裟を外して此処に寄った。
トイレなどの不浄の場所では外すしきたりになっているのだ。
此処だけではない。
実は本堂は秩父34番札所の中でも最大なのだそうだ。
そしてその寺を設計したのが、あのエレキテルや土用の丑の日のキャッチコピーで有名な平賀源内だと言うことだ。
次は坂を上った場所にある札所6番卜雲寺だ。
「おん、あろりきゃ、そわか」
これは聖観音様のご真言だった。
秩父札所では、この観音様を安直しているお寺が多いようだ。
此処へと登った階段の脇にガマズミの木があった。
初夏に白い花を付けて、秋には真っ赤な実になると言う。
そのガマズミの木の向こうには秩父の象徴、武甲山が聳え立っていた。
僕達は秩父霊験記を見せていただいた後でベンチで少しだけ休ませてもらうことにした。
禅客は深い山の中で6年間修業していた。
そんな時、和歌の一首が聞こえてきた。
初秋に風ふきむすぶ萩の堂宿借りの世の夢ぞさめくる。
これを御詠歌として、其処に小さなお堂を建ててで萩の堂と名付けたそうだ。
8番札所西善寺への道を案内板を頼りに進む。
権現橋を渡り暫く行くと国道の橋架下に出た。
其処を潜り抜け、突き当たりを左に行く。
次の交差点に案内板があった。
その先にあったのは、西武秩父線の橋架だった。
城谷沢に架かる橋を渡る。
急な坂道の先に八番の山門があった。
お寺の入口で私達は入って良いものか迷っていた。
《当山は霊場につき、物見遊山の者、酒気帯びの者境内に入ることを禁ず》
そう書かれていたからだった。
「大丈夫よ。私達は巡礼者なんだから」
私はそう言うと鉄ちゃんの手を取り山門を潜り抜けようとした。
「だめだよ。きっとこう言うのが物見遊山ってことかも知れない」
鉄ちゃんの言葉で私は慌ててその手を離した。
山門に一礼して足を踏み入れた途端、固まった。
寺の象徴であるコミネモミジが境内一杯にその幹を伸ばしていたからだった。
「凄ーい!!」
思わず言った。
石の階段を降りると、まだ冬木立の装いのコミネモミジが六地蔵脇に立っていた。
その先に緑色をしたなで仏。
どこもかしこも、ツルツルだった。
所作を繰り返してから、本堂の前に立った。
秩父霊験記はその中の隅にあった。
唄念仏。
戦国時代の兵乱によって神社仏閣が荒廃した頃、観音菩薩の化身が里の人に御詠歌を教えた謂れだった。
「おん、まか、きゃろにきゃ、そわか」
このご真言だけで、十一面聖観音様が祀られていると解る。
それだけ私は成長したのかも知れない。
その脇にある木戸の先に武甲山があった。
思わず足を伸ばそうとして驚いた。
お釈迦様の涅槃像があったからだ。
「初めて見た」
私は思わず呟いた。
でも私はすぐ境内に戻って行った。
やはりコミネモミジが気になったのだ。
私は暫く其処から動かなかった。
両手を大きく広げて、まるでコミネモミジの精霊を取り込もうとするみたいに深呼吸した。
9番明智寺へは国道を通る道へ行くことにした。
さっきの案内板が気になっていたからだった。
結局さっき来た道を逆戻りした。
鉄道と国道の橋架下を潜り抜け権現橋を渡る。
次の丁字路を右に折れると、其処が国道299だった。
私達はその道を進んだ。
横瀬橋信号の次にある信号がお目当ての9番入口だった。
其処はセメント工場へと続く道だった。
「おん、はんどめい、しんだまに、じんばら、そわか」
如意輪観音のご真言だ。
お堂は八角型をしていた。
その中はこじんまりとしていた。
赤いおみくじは《みくじ》と書かれていた。
(みくじとおみくじ、どっちが正しいのかな?)
そんなくだらないことを考えていた。
この中にご本尊と、折り鶴の陰に隠れた秩父霊験の板絵はあった。
横瀬の兵衛の母は盲目で、木の実を拾って食べるほど貧しかった。
無垢清浄光恵日破緒闇を老僧に教えられ一心に祈ったところ、母の目は見えるようになったと言うことだ。
次は10番だ。
階段を登って大きな山門潜る。
勿論、礼は欠かせない。
「おん、あろりきゃ、そわか」
聖観音のご真言だ。
中には撫でると疾患を肩代わりしてくれると言う、おびんづる様が安直してあった。
その姿は8番札所のなで仏のようにピカピカだった。
秩父霊験記は摂津の儒師だ。
寺のご本尊が老僧に化身して仏教を羅刹鬼国と侮辱した者を諭したようだ。
1番札所で板絵を見つけて以来、それが秘かな楽しみになっていたのだった。
秩父札所各々にその霊験記が存在すると聞いたからだった。
次は札所の11番は、かなり勾配がある坂道の上にあった。
「おん、まか、きゃろにきゃ、そわか」
札所11番常楽寺の十一面観音のご真言だ。
(札所11番が十一面観音か? うん、良く出来てる)
私はそんなくだらないことを考えていた。
秩父霊験記は住持門海だった。
この者は仁王門の工事中に病に犯された。
ご本尊を祈願したところ回復したそうだ。
納経所の先に山道がある。
その道も通れるようだ。
でも入口から見てもかなりの細い。
境内の脇にある赤い連なる鳥居を進むと、琴平神社と稲荷神社があるそうだ。
関東地方では、神社仏閣は同じ敷地内に建てられていた。
それが明治時代の改革によって切り離されたようだ。
(そう言えば、札所1番の近くにも神社があったな)
そう思った。
以前は神仏一体だったけど、明治時代に引き離されたそうだ。
だから今でも近くにあるようだ。
宿に入りお風呂と食事を済ま、女将さんに許可をもらってローテーブルを借り鉄ちゃんは写経を始めた。
一字一字丁寧に書いていると、女将さんがコーヒーを入れてくれた。
「明日はなるべく早く出たいと思っております。どうぞよろしくお願い致します」
鉄ちゃんの言葉に女将さんは微笑んでいた。
何故そんなに本気なのか解らない。でもその思いは確実に尊敬の念へと代わっていったのだ。
札所8番のコミネモミジの大きさ、幹の太さに感銘を受けた。