大日如来とお舟の観音様
婚約した二人は又秩父へ向かいます。
とある人の車で……
羊山公園の芝桜や清雲寺の枝垂れ桜なども網羅し、全て徒歩での秩父札所巡礼が終了した。
きっと迷惑がられると思いながら、婚約したこと上司に打ち明けたら反対に喜ばれた。
もし取材が元で三角関係にでもなったら、なんて勘繰っていたようだ。
(ゆうかさんのことで悩んでいたからかな?)
ふと、そう思った。
ゴールデンウィーク明けに、鉄ちゃんが友人から8人乗りの車を借りた。
でもその人も運転手として同行することになった。
其処に何故家族が加わるのか?
まだまだ鉄ちゃんの行動には疑問符が付いて回る。
「影森駅からタクシーに乗るつもりだったんだけど……」
申し訳なさそうに鉄ちゃんが言った。
(何言ってるんだろう? タクシー一台で乗り切れる人数じゃないのに……)
疑問に感じながらも、私達はその車に乗り込んだ。
私達と言うのは両親と弟だ。
鉄ちゃんは両親と一緒だった。
友人を含めて合計8名。
これから秩父札所32番に向かう。
あの後で解ったことなのだけど、二人の両親は知り合いだった。
同じ地域の公民館仲間だったのだ。
私は両親の元を離れて東京で一人暮らしをしていた。
一方鉄ちゃんは実家から仕事場に向かっていたのだった。
『ウーン、今回は西武線にするか? 土日なら、長瀞まで行けるそうだから……』
あんなこと言うから東京に住んでいるのだと勘違いしていたのだ。
「お互いに売れ残りがいるって話していたけど、まさか二人が恋仲だったとは?」
「売れ残りって、私まだ若いよ」
「だってさ、あんた何時までもアニメオタク気取っているからさ、男性に興味がないのかと思っていた訳よ」
「あんたは鉄オタだしね。二人でどうしたもんかって話していたのよ」
「そしたら、降ってわいた」
「人の恋をアメンボみたいに言わないでくれ」
(えっ、鉄ちゃんは今確かに恋って言った。本当に私のこと好きになってくれたんだ)
私はウキウキより、ドキドキだった。
「ところで、今日は何処へ行くんだ?」
「母の日だからね。プレゼントだよ。可愛い花のイベントがあるんだ」
「あっ、それが例の32番?」
「32番?」
「行ってみれば解る」
鉄ちゃんは背中でしか確認出来ないけど、きっと穏やかな表情をしているのではないかと思っていた。
だって私もさっきから顔が緩みっぱはしなのだから。
私達はまず所作をした後で、般若の面のある鐘突堂へと上った。
其処から見ていると次々と子供達が集まってきた。
「いよいよ始まるよ」
鉄ちゃんが耳打ちした。
それは秩父札所巡礼した後で本で見つけていた。
でも知らない振りをすることにした。
折角のサプライズを台無しにしたくなかったのだ。
子供達が手にした綺麗な花を撒く。
すると花の道が出来上がる。
それが各札所の風習、月遅れの花まつりだった。
秩父札所32番では、お釈迦様の誕生日に甘茶を掛ける行事の花まつりを毎年5月の第2日曜日に行わうのだ。
普通は4月8日だけど母の日にやるのだ。
1番札所では甘茶サービス。
22番札所では子供達が花台を飾りつける。
でも此処はその1週間前の行事なのかも知れない。
新聞にそのようなことが書かれていた。
上に盆鐘のある、般若面を飾った仁王門の前に並んだ子供達。
出発式が済んだ後、手に手に花笊と花の台を持ち階段を上がりながら花弁を撒く。
私達は梵鐘から下りてその後を追って行った。
子供達が撒いて花をなるべく避けて歩くと納経所の前に小さなお釈迦様が濡れ縁前の台の上に置かれていた。
「ありがとう」
甘茶を掛けるために並んだ大勢の人達の後ろに付き、鉄ちゃんに感謝の言葉を伝えた。
知らなかった。こんな素敵な行事だったこと。
私はただ、子供達が花を撒く絵だけを見たのだ。
それだけで、知った気になっていただけなのだ。
感慨に浸っていたら肩を叩かれた。
其処を見て驚いた。
あの日の同行者だったからだ。
「やっぱり来たね。私達はこれから上に行くけど二人はどうする?」
「勿論、これから向かいます」
「それじゃ、見届け人の私達も行くか」
何故か二人は張り切っていた。
あの日行けなかった奥の院へと足を運んだ。
細い参道を行くと胎内観音様があった。
切り立った崖のような場所にチェーンがあり、其処に行くには危険が伴いそうだ。
だから断腸の思いで諦めた。
でもその中に、ゆうかさんの胎児が観音様と一緒にいるような気になった。
私が鉄ちゃんに耳打ちしたら、鉄ちゃんもそう感じていたようだ。
次の瞬間、私達は一生懸命に祈りを捧げていた。
私達は次の目的地の奥の院にあると言うお舟の観音様を目指すことにした。
其処に未練を残しつつ次なる月光坂を目指して行くことにした。
岩に穴を堀り足場が出来ていた。
階段も出来ていた。
チェーンも備え付けられていた。
私達は覚悟してこの急な参道を登り続けていた。
頂上らしき下の岩を削った洞窟とでも言われるような場所には仏様達が沢山並んでいた。
その先に、左大日如来右岩舟観音と書かれた札を見つけた。
「大日如来!?」
二人同時に言った。
その途端に、札所16番にあった四国88ヵ所の大日如来様を思い出した。
でもまずは、本来の目的だった岩舟観音様に挨拶しようと右へ行く。
僅かな距離のはずなのになかなか辿り着かない。
命の危険もあるような柵もない絶壁。
そんな箇所を更に奥へと進む。
すると小さくそれらしき影が見えて来た。
それが岩舟観音だった。
手には蓮の蕾を持ち、薄いベールを纏った青銅の観音様のお顔は何処となく泣いているように思えた。
秩父札所を巡礼する時に哀しみに打ちひしがれていた鉄ちゃんのように……
あれがあったから、私は鉄ちゃんに惹かれたのかも知れない。
だから鉄ちゃんを笑顔にしたくなったのだ。
其処はつかまる場所もないような岩壁の尾根の先だった。
だから自然と足が震えた。
反対側は絶壁になっていて、きっと大勢の方が命を落としたのだと感じられた。
そっと身を乗り出してみたら、鉄ちゃんに抱き抱えられた。
それは紛れもない私への愛の行為だった。
お舟の観音様に心を残しながら、反対側の大日如来様を目指す。
其処も危険に満ちた行程だった。
岩壁の横の手すりを伝わり、隙間をよじ登る。
最初は何も見えなかったけど徐々に姿を表す大日如来様。
その方は岩を砕いた洞窟の中に鎮座していた。
鉄ちゃんが熱心に祈りを捧げると、後光が包み込んだ。
一瞬の出来事だった。
でもその光は確かに存在していた。
大日如来様の後にある大きな輪が光となったのだ。
私は鉄ちゃんが光明真言の御加護をただいたの思った。
「大日如来様。大日如来様。どうか熊谷鉄也さんを御守りください」
不意に出た言葉に、家族も鉄ちゃんに起きた奇跡を目の当たりにした。
「大日如来様。大日如来様。どうか息子をお守りください」
一生懸命に祈りを捧げるお母様の姿に声を失った。
それは見事な家族愛だった。
母も声が出ないようだ。
だから鉄ちゃんを後ろから抱き締めた。
(あん、それ私がやりたいよ)
それでも、嬉しかった。
嬉しくて涙が溢れた。
母も鉄ちゃんを理解してくれたのだと感じたからだった。
私が再び願いを掛けると、今度は鉄ちゃんが追々した。
「俺は罪を犯しました。その罪を一緒に背負うとみなのさんは思っているようです。でも俺はどうなっても構いません。どうかみなのさんをお守りください」
「大日如来様。大日如来様。どうか鉄也さんをお救いください」
「大日如来様。やはりみなのさんは僕にとって過ぎた人です。このような方と巡り合わせていただきましたご恩は決して忘れません。ありがとうございました」
私達は互いの存在をその時確認しあったのだ。
「お袋、これが俺達だ。俺はコイツを一生大切にする」
「コイツを、ですか?」
「あっ、桜沢みなのさん、をです」
慌てて言い直した鉄ちゃんに私は抱き付いた。
その場が危険な所にあると承知しながらも……
その行為を同行者も涙ぐみながら見守ってくれていた。
「この子は長い間苦しみ続けてきました」
「お袋ありがとう。でもその話はみなのさんに言ってある。俺がストーカーだったってことも」
「はい聞いてます。その上での決断です。私は鉄也さんを苦しみを少しでも取り除きたいのです」
「こんな可愛いお嬢様にそんなことさせるの?」
「私が、そうしたいのです」
「あの……、口を挟んで良いですか?」
それはあの日の同行者だった。
「私が鉄ちゃんに告白したらって迫ったら、みなのちゃんが先に好きだって言っちゃたです」
その発言に私は又顔を両手で隠した。
「可愛いでしょ? みなのちゃん。だから私達がお節介にきた訳です」
「お節介なの?」
「そりゃそうでしょ。あんな素敵な恋の始まりを見たからには、キチンと見届けないとね」
「見届ける?」
「そうよ。はいこれ」
そう言いながら取り出したのは、三三九度の杯だった。
「『此処で結婚式を挙げたい』って、鉄ちゃんから連絡が入って」
「だから待っていてくれたのですか?」
そのあまりの嬉しさに、私は大声で泣き出した。
だから家族全員だったのだ。
だから友人から車を借りたんだ。
そう思いながらその人を見ると、何処と無く誰かに似ていた。
「申し遅れました、以前子役をしていた相澤隼と申します」
「えぇーっ!? あの大女優玲奈さんの息子さん!?」
「しっ!! 声がデカイ。鉄ちゃんからストーカーの話を聞いたそうですが、結夏のお腹の中にいた子の父親は撲なのです。それに、結夏は自分から落ちました」
「じゃあ、鉄ちゃんが見殺しにしたわけじゃ……」
「そのことで苦しんだのです。だからずっと結夏を探してくれていた」
「まさか、亡くなっていたなんて夢にも思わなかったから……」
「子宮外妊娠と落ちたショックで流産してしまいました。だから……」
「いや、俺の責任です。俺が後を付けなければ」
「もう、十字架を背負うのは止めにしません? 結夏だって、望んでいないと思いますので……」
「はい。それじゃ始めるわよ。まず鉄ちゃんから……」
何時の間にか杯に酒が満たされていた。
「違うよ。三三九度は女性からだよ」
「えっー!? 俺口付けちやったよ」
「まぁ、良いじゃん」
「良くないよ。全く……」
そう言いながらも鉄ちゃんは笑っていた。
「前途多難かもな、俺達の夫婦生活」
言ってしまってから、鉄ちゃんは慌てて口を押さえた。
「もう遅いわよ。でも、どんな苦労でも鉄ちゃんと一緒なら大丈夫。私きっと、一生鉄ちゃんから離れない」
それは催促される前に言ってしまった誓いの詞だった。
その結果、皆がいる前で長いキスとハグを受けることになってしまったのだった。
「見た通りよ。本当に似合いのカップルだわ」
同行者の言葉に皆笑い、そして泣いた。
それは私達夫婦の門出を祝福する幸せの涙だった。
完。
とある人は大好きな君へ。の相澤隼だった。
鉄道オタクがストーカーをしていたのは相澤隼の恋人だったのだ。




