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10話 フェルタニア港の視察(1)


 港の明るい喧騒が石造りの街並に木霊する。色とりどりの鮮やかな反物。日の光に照らされ煌びやかに輝く宝飾品。異国情緒の漂う奇抜な置物。そしてそれらを物色する多種多様な人種。

 様々な国の商品が並ぶフェルタニア港の商店街はまさに、この世の文化の坩堝と言える華やかな世界だ。



 そんな街並を歩く一組のの男女。

 仲睦まじく腕を組み、店々を巡るその姿はどこからどう見ても初々しい恋人同士にしか映らないことだろう。


 まるで夢の中にいるかのようなふわふわとした感覚に包まれたまま、私は隣に寄り添って歩く青年をぼーっと見上げた。

 誇らしげに自分の治める街を見渡し満足げに頷いているのは私の主、フェルタニア公シリウス・ロートシルデ第二皇子。



 互いに髪の色まで変装し、正体を隠して商店街を周る。商人シリウスとその恋人アリア。それが今の私たちだ。


 私たちは今、この港に来た最大の理由である市場調査を行っている。ロフォース共和国から持ち寄られる絹や綿、麻などを用いた繊維製品価格の直近数年間の変化、そして彼の国と他国の製品品質の比較だ。本来は現地の文官に命じるのが適当なのだけど、やんちゃ気質が抜けないお子様殿下は街に遊びに行く名目でよくこうした視察やら調査やらを自分で行っている。いつもはイザークが従者として付き従っているけれど、今回その役目を負うことが出来るのは私しかいない。

 正直、子供の頃のように大人に隠れて2人きりで外に遊びに出かけていたあのステキな記憶を思い出し、私はいけないと思いつつもこの役割を密かに……とても楽しみにしていた。


 それがこんなことになるなんて……



「って、おいアリア。もう少し楽しそうな顔をしろ」


「……殿下、流石にこのような───」


「何だ……そんなに私と“恋人”でいるのが気に食わんのか?」


「…ッ、でっ、ですから私は……っ」



 “恋人”というシリウス様の発言に思わずドキッと胸が跳ね上がった。咄嗟に顔を逸らして本来の仕事をしようと周囲の店に目を向ける。でも、この状況ではいくら頑張っても集中力が直ぐに霧散してしまう。

 今まで隠してきた想いが吹き零れて、まるで熱に冒されたかのように頭がクラクラする。何度も“いけない”とうわごとのように口にするも、身も心も完全にこの2人だけの世界に陶酔してしまっている。到底許されることではないのに、もう自分の行動がどれほど罪深いことなのかすら判断出来ない。



「……ふん。ならせめて腕は放すな。興味のない男に微笑みかけることは出来ずともエスコートくらいなら受け入れられるだろう」


「……興味が……無いなんて……」


「何だ、ボソボソ喋るな。街の喧騒で聞こえんだろう」


「い、いえ……何でもございません……」



 本当、どうしてこんなことに……




 私は“男女2人で怪しまれずに行動するため夫婦か恋人の演技しよう”、というシリウス様の暴論に反論する間もなく、まるで本当の恋人のように腕を組まれて町を歩いていた。館の化粧室での“聞き間違い”といい、既に破裂しそうなほど心臓が高鳴っているのにいきなりこんなことをされて、まともな演技なんて出来る訳がない。顔は紅潮し、瞳は潤み、今の私はどこからどう見ても本当に隣の青年に想いを寄せている一人の女になっているのだろう。


 チラッと上目で彼の表情を伺う。不機嫌そうな顔だ。私の無愛想な態度が気に入らないのか、少しイライラしながら商品を物色している。そんな彼に、勝手に舞い上がっていた自分の心が急激に冷やされた。


 また、私一人で勝手に期待して……



「……おい、人の顔を見ている暇があったらちゃんと布を調べろ。何のために其方を連れてきたと思っている」


「……ぁ、は、はい。申し訳ございません……」


「ふん、その方が其方も嫌な演技に気を揉むこともなかろうな」


「……ッ」



 突っぱねるような彼の態度に、胸にズキリと悲痛が走る。

 咄嗟に制服の胸元をぎゅっと握り締めて痛みを誤魔化した。彼にこの気持ちを気付かれる訳にはいかないのだから、仕方が無いことなのだ。面白おかしく揶揄からかって、時には無愛想に接して、本当の感情を分厚い蓋の奥に秘め続ける。そうして彼に本音を隠し続けた結果、ヴァネッサ様との婚姻の邪魔にならずに済んだのだ。

 シリウス様に最も相応しい縁談を守りきった。その成果の代償なのならば、こんな痛みなんていくらでも耐えられる。


 耐えてみせる……



「……そうですわね。でも、あからさまに調べると足が付いてしまうかもしれませんもの」


「……ああ」


「ですので……あなた様はお嫌でしょうけれど、もうしばらく……こ、恋人として……私を側に置いてくださいませ」



 何とか搾り出せたその言葉に、しかめっ面をするシリウス様。

 ……そんな嫌そうな顔をしないで欲しい。どれほど嫌でも、せめて心に留めていてくれれば、こんなにも辛い想いをしなくて済んだのに……


 ズキズキと胸の痛みが大きくなる。握り締めるブラウスの胸元はもう皺くちゃになっている。ボタンのスキマからふわりと漂ってきたのは今日のためにこっそり付けて来た、子供の頃にシリウス様に好きだと言われたあの香水の香り。でも今は、その甘く優しい香りに自分の惨めさを強く突きつけられている。今更こんなもので、絶対に思いを伝えてはいけないこの人の……彼の気を引こうだなんて。


 でも────




「……私は別に嫌ではない」


「……ぇ」



 ────シリウス様はいつもそう。


 何度諦めようとしても直ぐこんな風に私の決心を叩き砕いてくる。



「其方が嫌がるから私もそれに応えているだけだ。……最近の其方はワザとらしいほど明るかったり、ふとした拍子に泣きそうな顔をしていたり……」


「…ッ、そ、それは……」


「何か気分転換をさせてやろうとこうして連れ出してみれば、今のように俯いてばかり。嫌なら嫌だとはっきり言え。それすら言いたくないのなら仕事に集中していろ。……其方の辛そうな顔は中々堪える」


「……ぁ」



 それは、叶わない夢に僅かに届きそうな細い糸を垂らして人の心を弄ぶ、まるで伝承に出てくる悪魔のよう。何も言わずただ黙って無視してくれれば良かったものを。プライドが高いクセにこういう時ばかり正直に本音をあらわにしてくるなんて、本当にズルい。


 ……そんな彼のズルさに、私はいつもこんな風に一喜一憂してしまう。


 嬉しさと虚しさと期待と諦観で心がぐちゃぐちゃになる。そんな私を支えるように腕を組んでくれるシリウス様の大きさに、どうしようもないほど膨れ上がった感情が心の蓋を突き上げる。

 皇子と側仕えという身分を忘れ、愛し合う平民の男女を演じている。そんな非現実に────ずっと張り詰めていた自制心が緩んで、つい気分が大きくなってしまう。



 私は両腕にきゅっと力を込め、彼の逞しい右腕を自分の胸に押し当てた。


 とくん……、とくん……、とくん……


 胸に響いているのは私の秘めた最奥の、最も尊い想いの脈動。

 2人の服に阻まれて、この音が彼に聞こえることは決して無いだろう。


 それでも……少し。ほんの少しでいいの。


 私は力を強めて彼の腕を抱きしめる。もしこの音が伝わってしまったとしても、今ならただの“恋人”の演技だといくらでも誤魔化すことが出来る。私に相応しい、卑怯で無様な手段だ。


 この想いは伝わってはいけない。

 どれほど苦しくても、私さえ我慢出来ればこのまま何事もなく2人の婚約は交わされる。王族の義務を放棄して国の末路から逃げ出した私などより、祖国のために100年の凍りついた関係を溶かそうと見ず知らずの皇子に嫁いで来られる健気なヴァネッサ姫様の方が遥かに彼に相応しいのだから。

 だからきっと、私の選択は間違っていない。


 でも、せめて……せめてこの小さな音だけは、届いて欲しい。



 それが私の……精一杯の我侭。



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