01話 アリア
よろしくおねがいします
ここは西海大陸の北端、ナザレア帝国。
軍事、産業、経済、文化の全てに優れ、“北の獅子”と畏怖される大陸有数の大帝国だ。
私はこの国で最も尊い一族であるロートシルデ皇家の第二皇子シリウス殿下に仕えている。
シリウス様は私と同い年の19歳。子供の頃から親しかった私にとっては昔からやんちゃで何かと世話の焼ける少年だった。かつては宮中随一の問題児で、とある悪戯が不運にも騒ぎとなり皇后様の雷が落ちて大目玉を食らっていたことも。
べそをかきながら礼儀作法、皇子教育に女性相手の紳士的な振る舞いなどをご母堂に叩き込まれて早8年。悪戯小僧の憎まれっ子は、今や国中の姫君令嬢方が憧れる理想の王子様として他国にその名が轟くほどの立派な青年に成長した。
そんな彼の昔と今の格差に思わずクスッ、と笑いがこぼれる。
「……誰の顔を見て笑っているのだ、アリア?相変わらず失礼なヤツだ」
私の横に置かれた立派な執務机に腰かけ、ぷいっとそっぽを向くこの青年こそ話題の御仁。現ナザレア帝国第二皇子フェルタニア公シリウス・ロートシルデ殿下だ。
「あら、これは申し訳ございません殿下。先ほど皇后様がお茶会で昔話に花を咲かせていらしたので、つい」
「また二人でコソコソ隠れて茶会など開いていたのか?いつもいつも私の恥ずかしい昔話で盛り上がりおって、全く……」
ぷりぷり怒る殿下に思わず噴出しそうになり、笑いを誤魔化すために慌てて周囲の侍女たちにお茶を出すよう指示を出す。彼の、この子供っぽい本性を侍女たちに見られるのはあまりよろしくない。
隣で控えていた側仕えのイザークが私の意図を理解したのか、苦笑しながら彼女たちを連れて執務室を退室した。
部屋を出て行く彼らを見送り一息ついたあと、また皇后様にお話しするシリウス様の日常ネタが増えたことに私は小さくほくそ笑む。
しばらくすると側仕えのイザークが一人で紅茶とタルトを運んできた。貴公子の仮面が剥がれたシリウス殿下を見られないよう、侍女たちを下げてくれたのだろうか。
彼の手元の盆に乗った指示通りのメニューに私は満足げに頷く。
「む?……アリア、其方また私の嫌いなキーウィをタルトに入れるよう命じたな?菓子職人まで抱きこむなど、どこまで私で遊べば気が済むのだ!」
「ご安心くださいませ。お子様な殿下でも食べやすいように砂糖煮にして酸味と種の渋味と食感を和らげております」
「お子様ではない!誰が好き好んで折角の休憩の茶菓子に嫌いなモノを食べねばならんのだ!」
「まあ、殿下。キーウィは此度新たに100年ぶりの貿易協定を結んだイヘニア二重王国の特産物ですのよ?皇家の方々が率先して召し上がることで周囲に両国の友好関係を誇示することが出来ますわ。別に嫌がる殿下が可愛、いえ子供っぽ………こほん、何でもございませんわ。これも立派な公務ですもの、ご理解くださいませ」
「おい途中のは何だ。もう一度言ってみろ」
シリウス様が文字通り、嫌いなものを食卓に出された我侭な子供のような顔をしている。別にからかって遊んでいるわけではない。15歳の成人式を過ぎてまだ食べ物の好き嫌いで騒いでいるなど笑い話にも程がある。晩餐会で恥をかかないように日常の中で克服させようという私の親切を棒に振るなんて、酷い人。
それにこれは皇后様のご命令。私には逆らえない。
そう、これは仕方が無くやっていることなのだ。
そうなのだ。
……書類棚の前で肩を震わせているイザークは何か薬でも盛られたのだろう。
「全く、皇后様にご報告しなくてはならない私の身にもなってくださいませ。ここ最近の内容が全て殿下の好き嫌いの我侭ばかりでそろそろ飽きが来られる頃かと」
「ふざけるな!私は母上や其方の玩具ではないぞ!?」
「ですが皇后様はそのように……あっ」
「おい"あっ"とは何だアリア!母上がどうした!?」
次男のお子様皇子様は母君からの評価が気になって仕方が無いご様子。やはりシリウス殿下はいつになっても皇后様に弄られる運命らしい。
シリウス皇子の母君、ローレ皇后様は私を子供の頃からずっと可愛がってくださった、母親のような存在だ。
不幸にも祖国も家族も名前までも失い途方に暮れていた幼い私を哀れに思い、後宮で保護してくださったのだ。
10歳でナザレア帝国に渡った私は周囲のやっかみを避ける為、皇后様の筆頭側仕えであるミレーヌから仕事を教わり皇后様の使用人としてお仕えすることになった。そして8年もの努力の末、遂に皇家の信頼を勝ち取り去年から次男皇子のシリウス様の側仕えに命じられるまでに成長出来たのだ。
皇后様のお計らいでシリウス様の側仕えに抜擢された今でも、度々二人だけのお茶会にご馳走になっている。
そのたびに話題なるのは決まって彼のお話。いつも笑いのネタになってくれている殿下に少し心が痛むが、皇后様の心からの笑顔を拝見するたびについつい最新のシリウス皇子面白エピソードをお伝えしてしまう。
「本当、いつまでも子供っぽいのですから……」
「イヤだ。嫌いなものは嫌いだ。自室にいるときぐらい好きにさせろ」
そう言って殿下がタルトのキーウィを丁寧に一枚ずつ、フォークでお皿の端にどける。この人が”永遠の貴公子”などと貴族の令嬢達に持てはやされ、宮廷中の女性達を虜にする美青年だとはとても思えない。こんな子供っぽい殿下の本性を、彼を慕う国中の令嬢方に知られたらどのような騒ぎになるのだろう。
「ふん、いつか必ず其方を侍女に格下げしてやる。覚えていろ!」
「あら、クビにはされないのですね」
「…ッ、……ふん、それは簡便してやる。ありがたく思え」
こうして何だかんだと文句を言われるけれど、それほど私のことを悪く思っているわけでは無いらしい。過去の不幸な身の上を不憫に思ってくれているだけなのか、それ以上の親しい感情があるのかはわからないけれど。
素直では無い彼の心の内を察するに、少なくとも嫌われてはいないのかしら……?
少しだけ気になって、悟られないようにそっと隣を窺う。拗ねる彼の端整な横顔が逆光に照らされ輝いて見えて、急にドキッと胸が跳ねた。
ダメ、いけない。
慌てて彼から視線を逸らす。思わぬ不意打ちに動揺してしまった心を誤魔化すために、私は何とか話題を探した。
焦っていたからだろうか。先月から私の頭をずっと支配しているあの話題について、ついポロッと口が滑ってしまった。
「────そ、それではシリウス様にヴァネッサ姫様が嫁がれるまで、もうしばらくお側にお仕え致しましょう」
「…………好きにしろ」
何の抑揚も無い、冷たい一言。
そのあまりの無関心さに、ズキッと鈍い痛みが胸に走る。歪んでしまいそうになる顔を慌てて堪え、私はシリウス様に気付かれないように静かにゆっくりと、胸に溜まった熱と溜息と共に吐き出した。
考えても仕方が無いもの、と心を整理し整える。
カリカリと万年筆を走らせる音のみが執務室に木霊する。少しだけ沈黙が気まずい。
ふと窺った彼の顔に、どこか不服そうな複雑な表情が浮かんだように見えた。何事もなかったかのように執務机に向かうシリウス様の横顔は、まるで何かに苛立っているようにピリピリしていて……
そんな彼の顔から逃げるように目を逸らし、執務机の端に退けられていたデザートプレートと茶器を静かに下げた。目の前にはお皿の端に乗った、食べて貰えなかったキーウィの砂糖漬け。例え苦手であっても、彼が少しでも食べやすいようにと下処理を試行錯誤して見たけれど……
確かに休息の時に嫌いなものをワザと出されたら誰だって嫌がるだろう。流石のシリウス様も人前で好き嫌いを我慢出来ないほど子供ではないのはわかっている。
だけど、そこに純粋な厚意以外に彼をからかう遊び心があったことは否定出来ない。これでは嫌われて当然だ。
何故なら私がワザとそうなるように振舞っているのだから……
「全く……」
顔を伏せて静かに胸の痛みに耐えていると、軽く息を吐いたシリウス様に持っていたお皿を奪われた。そしてそのまま彼は嫌そうな顔でお皿に退けられたキーウィを一気に口に放り込んだ。
えっ?
唖然として殿下の顔を見ていると、視線に気付かれて逆に見つめ返された。
「……ふん、食えなくは無い」
「え……?」
「酸味も渋味も気にならん。種のエグ味も消えている」
「ぁ……」
「……上手に調理されている。大儀である、と言っているのだ。わかったらそんな悲しそうな顔をするな、アリア。気が散る」
そう言い終えて、ふいっと顔を逸らす殿下。未だ彼の言葉が理解できず下品にもポカンと口を開けたまま固まってしまった。
「……何だその阿呆面は!そんなに私が其方を褒めるのが珍しいか!」
殿下の赤く染まった顔をまじまじと見つめてしまう。その表情でようやく彼が恥を忍んで私を労ってくれたのだと気がついた。
いつも不貞腐れているお子様殿下が素直に私に好意を示してくれた。
私が下ごしらえを手伝った、嫌いなタルトを最後まで食べてくれた。
たったそれだけのことなのに、随分と大きいことのように私の心は捉えてしまったらしい。
沸々と胸に暖かいものが湧き上がる。
私は咄嗟にシリウス様を茶化して、そのいけない感情を誤魔化した。
「……あ、あら、素直に側仕えを労ってくださるなんて殊勝ですわね、殿下」
「なっ、其方っ!人の葛藤を一体何だと思って……!」
「ふふっ。とてもわかり辛いですが、いつも私ども使用人に良くしてくださることは皆が存じております」
「……ふん、皇子として配下の者共を労うのは当然だ」
それを決して誇ったり恩着せがましく口にすることがない、私の大切な優しい主人。この方の温かさに私がどれほど救われて────どれほど罪深い想いを抱いてしまったか……
私は心を整えるため気付かれない程度にもう一度深呼吸をして、側仕えのあるべき姿に姿勢を正す。亡国の不幸から救われ、良い主に2度も仕えることが出来、私は今の幸せをかみ締めた。
そう、私は幸せなのだ。
決して辛いだなんて思ってはいけない。
いけないのに……
私の主、フェルタニア公シリウス・ロートシルデ第二皇子殿下は来月、隣国の姫君と婚約することが決まっている。
相手は血筋、経歴共に微塵の隙もなく、強力な後ろ盾を持ち、国に膨大な利益を与えるイヘニア二重王国の姫君、ヴァネッサ・イアンデン第二王女殿下。
彼女以上にシリウス様に相応しい姫はいないだろう。
そんなことはわかっているのだ。
わかっているからこそ、私はせめて、このステキな夢が覚める最後のその時まで、シリウス殿下の側に控えていたいのだ。