第1章
1章 かくして俺は
1
「頼む! 俺にはお前しかいないんだ!」
場所は我が高校の屋上。春風が吹く中、開口一番タクヤはそんなことを言ってきやがった。それだけだと、なんだかかなり嫌な誤解を生みそうなので、少しばかり時間を戻して説明するとしよう。
4時限目が終わっての昼休み、いつも通り俺は仲のいいやつらと適当につるんで昼飯を食っていた。
すると突然、クラスの女子さんから「廊下でかわいい子がまってるよ」という知らせを受け、(嫉妬と疑惑の視線を感じつつ)半ば食いかけのコロッケパンを机の上に放置し、意気揚揚と席を立つ。
こんな時間に告白とは、はは・・・大胆な奴め、とこれから起こるであろう世界をもうそ、失礼。想像しながら廊下へと向かう。
「おぃっす!」
お察しの通り、そこで右手を挙げて俺を待ち受けていたのはタクヤである。奴は俺とは一応幼馴染というポジションではあるが、男と女とではその意味や定義は大きく変わるのである。
茶色のショートヘアに、両耳にはピアスをしているせいか、周りからはちゃらちゃらしているというイメージがどうやら強いようだ。いや、実際しているのだけど。
まぁ、童顔という意味では女子からしたらかわいいのかもしれないが、それを男である俺に押し付けるのはどうかと思うぞ、クラスの女子さん。
「ごめんなさい」
俺は真摯な態度でこれから起こるであろう世界を拒絶した。
「はぁっ!? 俺まだ何もいってねぇよ!」
「すまん。俺には今コロッケパン子という恋人がいてだな。現にさっきまで教室で人目もはばからず熱烈なディープキスをしていたぐらいなんだ」
嘘ではないぞ。パンが擬人化しているという点以外では。
「意味わかんねぇけど、とりあえず頼みがあるんだ!頼む!話だけでも聞いてくれ!」
こいつにしては珍しく頭まで下げて頼まれてしまったので、さすがに聞かないわけにもいかない。
聞くだけなら無料だし、一応幼馴染ではあるからな。
一先ず俺は「先に昼飯を食わせてくれ」と断ってから、一度教室へと戻り、愛しの彼女とのディープキスを再開しようと思ったのだが。
「あれ? お前戻ってきたの? わりぃ、食っちまった」
残念ながら、彼女はすでに別の男のものとなってしまっていた。どうやら彼女は相当なさびしがり屋だったらしい。
廊下に戻ると、「ここでは話にくい!」という一方的な理由で、屋上へと移動することとなり、今に至る。
「意味がわからん。先に内容を言え内容を」
「あ、あぁそうか。わりぃ・・・簡潔に言うと、だな・・・」
そこで一つ深呼吸。
「頼む!ラブレターの代筆をしてくれないか!?」
言うと同時に、タクヤは90度腰を曲げて、頭を下げる。
「・・・はぁ?」
それから、タクヤはことの経緯を離し始めた。一体どんな珍妙な物語が始まるのかと思えば、意外や意外、こいつにしてはまともな悩みだった。
どうやら、タクヤは新学期早々、ある女子生徒に一目ぼれをしてしまったらしい。
その子はどうやらB組の子らしく(ちなみに俺はA組、タクヤはC組だ)名前を「桜篠沙佐羅」という。タクヤはこれまで多くの子と付き合っては別れ、付き合っては別れを繰り返していたが、これほど真剣に一人の人間を好きになり、恋に悩んだのは初めてらしく、本人曰く「こんなに一人の女の子に話しかけることに緊張したのは、生まれて初めてなんだ!」ということらしい。
これには俺も少し、いやかなり驚いた。女子に話しかけるという行為は、こいつにとっては呼吸をするも同然のことなのだ。つまり、しないと死んでしまうという意味で。
そこで、話しかけるのが無理ならとりあえずラブレターを書こうと彼は思いつく。思いついたはいいが、そんなもの書いたこともなければ、文才もないと気づいた彼。
そこで俺に代筆を・・・ということらしい。
以上、説明終わり。
「はぁ・・・」
一つ溜息をつく。頭痛を感じる。
こいつは・・・なんというか
「悪いが、断る」
「たのむよ!お前小説家目指してるぐらいなんだから、文才とかあるだろ?」
「それとこれとは別だろ。それに、俺だってラブレターなんて書いたことない」
「いいんだよ!少なくとも俺よりはましなんだからさ! 小説家になるための修行だと思ってさぁ!」
タクヤはもう半ば涙目で、俺に襲いかからん勢いだ。
なんだか恐怖すら感じる。
さすがに、良心がいたたまれるが・・・
「俺は恋愛小説をかくつもりはない」
「なぁ、頼むよ! それに、SFだって、ホラーだって、伝記だって、ラブレターがでてくる場面ぐらいあるだろう! なぁ、頼む! この通り!」
伝記は小説じゃないぞ。
それにしてもこいつ、とうとう土下座までしやがった。
「頼む頼む頼む!」
屋上のコンクリートの冷たい床に額をくっつけ、頼むと連呼までされる。
さすがに、これ以上は俺の良心が持たない。
心なしか、頭痛がさっきよりひどくなった気がする。
一つ大きなため息をつく。
まぁ、こいつがいつも厄介事を持ってくるってのは、小さいころから身に染みてるしな・・・
「わかったよ・・・」
「まじか!?」
さっきまで床にくっついていた頭が、ガバッと持ちあがる。
「ただし、うまくいかなくたって俺を恨むなよ」
「・・・雄一ぃぃぃぃ!」
タクヤは床に正座するような形で半ば放心状態だったが、突如立ち上がると俺の名前を叫びながら両手を広げてせまってきた。
俺は身の危険を感じ、咄嗟に奴の鳩尾あたりに正拳突きをかます。
グボッという鈍い音ともに、タクヤが崩れ落ちたところで、俺は正気を取り戻した。
「すまん、わざとだ」
最初から正気だったけど。
「お、おう。いいってことよ・・・」
「それで? 一体どの子なんだ? その・・・桜・・・なんだっけ?」
「桜篠沙佐羅。えっと・・・」
ラブレターを書こうにも、相手がどんな子かわからないとどうしようもない、と俺が意見を出したところ、「それではまず敵情視察だ!」とタクヤが叫び、その子がいる教室まで移動することとなった。
敵?俺は敵にラブレターを書くのか?あぁ、つまりラブレターとは果し状のことだったのか。なるほど、ひとつ謎が解決した。
そして俺たちは今、B組の教室の後ろからこっそり中をのぞき、例の子を探していた。
「えーっと、あ、あれあれ! あの窓側の席で一人読書してる子!」
タクヤが指差すその先には、確かに教室後方の窓際の席で読書をする1人の女子がいた。
腰まで届くだろう流れるような黒髪。決して他を寄せ付けないような白く透き通った肌。机の下から延びる細く長い脚。その容貌は、まるで日本人形を思わせる。左手で頬杖をつきがら、時折右手の細い指で丁寧にページを捲っている。表情は無表情に限りなく近い微笑。開け放たれた窓からは時折ささやかな春風が吹き、彼女の髪を揺らしていた。
美しいと、素直にそう思った。
「な、かわいいだろ? な!? な!?」
「何をそんなにうれしそうなんだお前は。まだお前の彼女でもなんでもないだろ」
と、言いつつも、俺は桜篠沙佐羅という女の子から目を離すことはできなかった。
彼女は、ただ淡々と本を読んでいた。まるで、彼女のいる空間だけが別世界のように思えた。
しかし、無情にも鐘の音がこの時の終わりを告げる。
タクヤは「放課後になったら便箋渡しにそっちいくから。それじゃ、頼むぜ親友!」とだけ言って、颯爽と教室へと戻っていった。
俺はなんだかもやもやした気持ちを抱えたまま、自分の教室へと戻った。
2
放課後、タクヤは約束通り便箋を渡しに来た。薄い水色で、ごく普通の便箋である。
「それじゃ俺は部活があるんで! 頼むぜ親友!」
便箋を渡すや否や、タクヤはそういって俺の肩をパンパンと叩きまるで台風のように去っていった。
やはり、タクヤのことを真に思うなら断っておくべきだったかもしれないと、少しばかり後悔した。
タクヤから便箋を受け取った俺は、とある教室に向かうために移動を開始する。その移動時間を利用して不本意ながらちょっとした自己紹介をしようと思う。
俺こと、瀬川雄一高校2年生は、小説家を夢見る平々凡々な少年である。ちなみに、俺の夢が小説家ということを知っているのはタクヤとあともう一人だけいるが、そいつについてはひとまず置いておこう。本来なら文芸部といったものに所属したかったのだが、残念ながら我が校にはそういったものはなかったために、しかたなく帰宅部に所属することとなった。
ある日、特に帰ってもすることのなかった俺は、なんとはなしに学校中をさまようことにした。そこで、校舎の地下に唯一今は何にも使われていない教室を発見した。それが
「この、元資料室である!」
「ひゃっ! だ、誰!?」
突如、なぜか教室名を叫びながら部屋の扉を思い切り開いた男子生徒(俺だが)に、相当驚いたのか、座っていたイスからずり落ちやや涙目になっている女子生徒が一人。
「な、なんだ。雄一かぁ・・・驚かさないでよこの、ばかっ! 詫びて死ね!」
「まぁ、そう怒るなよ。伊離奈」
「う る さ い! 私の静寂の時間を邪魔するやつは、喉を餅に詰めて死ねばいいのよ!」
意味不明だが、とりあえずそんな死に方はいやだ。
伊離奈はぶつぶつ言いながら椅子に座りなおし、机へと向きなおした。どうやら、机に向って何かやっているらしい。
この暴言少女の名は、色葉伊離奈。さきほど話した、俺の夢を知るもう一人の存在。こいつとは幼馴染でも何でもなく、知り合ったのは高校に入ってからだ。
身長は多分160センチぐらい。体重は乙女の秘密。髪は肩まで伸びた茶髪のショートヘア。本人は自覚してないが、実は結構男子の間では人気のある少女。そして、俺の小説家の夢を知る2人のうちの1人である。
さて、ここで一旦さっきの話に戻そう。
学校中をさまよっていたある日の俺は、偶然にもこの教室を発見した。そして扉をあけると、何もない教室にただ一人居たのがこの少女、色葉伊離奈だ。
彼女は何もないこの教室に、一体どこから持ってきたのか、イスに座りながら大きな紙を乗せたイーゼルと向き合っていた。どうやら、何かの絵を描いているようだ。彼女の足元には様々な濃さを取りそろえた黒鉛筆が散らかっている。
俺が入ってきたことに気付かないのか、少女は一心不乱に鉛筆を走らせていた。俺は静かに扉を閉め、なるべく足跡を立てないように後ろからそっと少女へと近づく。
なんとなく、何を描いているのか見たくなったのだ。
そして、大きな紙に描かれていたのは
「・・・コロッケパン?」
超リアルなコロッケパンだった。今思い出しても、あれはかなりうまそうだった。
少女はびくりと一度大きく震え、すさまじい勢いでこちらを振り向く。
そして俺と目が合うや否や、急激に顔を真っ赤にして
「き」
「き?」
「きゃあああああああああ!」
と、叫びながらもの凄い勢いでコロッケパン、もとい絵を脇に抱えて、教室の後ろの隅っこまで移動。俺と最大限の距離をとる。
警戒心バリバリだった。
「だ、誰!? い、いいいいつからそこにいたの!? も、もしかして・・・す、スニーカー!?」
惜しい! 最後のはちょっと惜しかった。いや、ストーカーでもないんだけどさ。
などと、馬鹿なことを言っている場合ではない。さすがに、今のは俺が悪かっただろう。振り返ったら見ず知らずの男が立っていて、いつのまにか絵を覗かれていたんだ。
そりゃびびるに決まってるよな。反省。
「いや、悪い。邪魔する気はなかったんだ。この教室に入ってきたのはただの偶然」
「・・・」
少女は何も言わずに、黙って俺をにらみつけていた。
相変わらずの警戒心だったが、どうやら先生を呼ばれるとか、セクハラで訴えられるとか、そういうことはなさそうだったので一安心。しかし、いつまでもこの拮抗状態を続けているわけにはいかない。ここは、俺が折れるべきなのだろう。
一つ溜息。
「悪い、それじゃ俺は帰るから」
軽く手を振って、扉へと手をかける。
「あっ・・・ま、待って!」
すると、意外なことに少女から声がかかる。
俺が驚いて振り向くと、相変わらず教室の後ろのすみっこの方で泣きそうな顔をしていた。
「べ、別にここは私の教室ってわけじゃないから、出て行くことはないんじゃない? そ、それに、ご、ごめん。スニーカーだなんて言っちゃって。すごく、びっくりしたから」
何度も舌を噛みそうになりながらそう言った。
まだ間違いに気づいていないのか。と、思わず突っ込みそうになったが、ここは自重しておこう。
「いや、俺が悪かった。すまん」
ペコリ
「う、ううん! こっちこそ」
ペコリ
そして流れる気まずい沈黙。
人間だれしもこういう沈黙は苦手なわけで、それに特にこの教室にいる理由もないわけで・・・つまり、さっさと帰るべきだと俺の頭は瞬時に判断した。
俺は「じゃっ」と言いながら爽やかかつ迅速に教室を出るために扉へと手をかけようとした。
「あ、あのっ!」
しかし、またしても少女の声によって止められる。
「わ、私! 色葉伊離奈! 1年B組の、色葉伊離奈」
まくしたてるように叫んだ。
呆気にとられた。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
さっきまでストーカーもといスニーカー扱いしていた男に対して、少女が突如始めた自己紹介。
俺はどうすればいいのか分からず、ただ少女を黙って見つめていた。
当の色葉と名乗った少女は、相変わらずいまにも泣き出しそうな顔だったが、決して俺の視線から目を逸らさないという、強い意志が感じられた。胸に抱きかかえるにようしているから紙から、コロッケパンが見え隠れしている。
俺は何故かはわからないけど、こいつとはうまくやっていけそうだ、と思った。もちろん人間関係的な意味で。
だから俺は
「瀬川雄一。1年A組。よろしく」
そういって、手を伸ばした。
少女は少し困惑していたが、とことこと俺の正面まで移動すると、
「よ、よろしく」
おっかなびっくりといった感じで、だけどしっかりと俺の右手を握った。
ふと、自分のほほが緩むのを感じた。久々だった。こんなに自然と笑えたのは。
すると少女も、はにかみがちにほほ笑んだ。
胸の奥が温かくなるのを感じた。
何もない教室に、俺たちの心だけが確かにそこには存在していた。
これが俺と伊離奈との初めての出会い。それから俺たちは特に約束をするわけでもなく、毎日放課後になるとこの部屋で暇をつぶしていた。
伊離奈は真っ白な紙に向かって、俺は原稿用紙に向かって、鉛筆を走らせていた。
3
「てか、お前なにやってんの?」
そう言いながら、俺も自分の椅子に座る。
なぜかイーゼルではなく、机に向って鉛筆を走らせている伊離奈。どうやら、ノートになにか書いているようだった。ちなみに、机と椅子は同じくこの階にある倉庫のようなところから運んできた。俺の机と椅子は、伊離奈の正面に位置している。つまり、何もない教室のど真ん中に、ふたつの机が向きあう形でくっ付いている状態だ。
普段なら真っ白な紙が立てかけてあるはずのイーゼルは、教室の隅にポツンと置かれていた。
「春休みの宿題・・・数学だけ残ってた」
「なるほどな・・・」
提出期限はもう1か月近く前に過ぎたはずだが。
と、そこで俺もタクヤから頼まれたことを思い出し、便箋を1枚取り出して机の上に置く。
さて、どうしたものか。とりあえずは、「はじめまして」だよな・・・あれ、これってラブレターだっけ?果し状だっけ?まぁいいや、両方書いちまえ。
「何書いてるの?」
「ん?」
気づくと、伊離奈が興味深そうに身を乗り出して便箋を見つめていた。
なんだか女の子らしい匂いが鼻をつく。こいつの無防備さは今に始まったことじゃないので、これぐらいでドキドキしたりはしないが。
「これ、便箋だよね?」
「そうだな」
「手紙でも書くの?」
「お前は便せんに日記でも書くのか? 手紙以外何書くんだよ」
「・・・」
口を三角形にし、マニアにはたまらないジト目で見つめられる。くやしいので俺もジト目で見返す。
誰もいない教室、ジト目で見つめ合う二人の男女・・・ロマンチックのかけらもないな。
伊離奈は一つ溜息をついて、乗り出していた身を元の態勢に戻し、再びノートに向かい始めた。
俺もジト目を元に戻し、便箋に再び向き合う。
はじめまして、私は瀬川・・・じゃねぇ、あれ、あいつの苗字なんだっけ?まぁいいや。
僕は、初めて見た時からあなたと決闘をしたいと常々・・・
俺はそこで鉛筆を止める。
「・・・なんだよ?」
なにやら気になって仕方ないのか、さっきから伊離奈がちらちらとこっちを見てくるため、どうにも集中して作業できないのだ。
「べ、別になんでもない」
再びノートに向きなおす。
が、やっぱり伊離奈もどうにも集中できないのか。相変わらずちらちらとこっちを見てくる。
俺はこういう、なんだかはっきりしない態度はかなり嫌だ。
「あぁーもう・・・気になることがあったら言えよ」
普段やたらめったら暴言振りまいてるくせに、こういう時になると急に弱気似なるのは伊離奈の悪い癖だ。
俺が許可を出したにもかかわらず、伊離奈はなかなか口を開こうとしない。
そしておずおずと、右手を上げた。どうやら、指名してほしいらしい。
「はいどうぞ、伊離奈君」
とりあえず、ここは伊離奈の劇にのってやることにした。
「えっと、そ、その手紙は・・・だ、誰に書いてるんですか?」
あいかわらず、なぜかやたら躊躇いがちにそう言った。
「えっと・・・桜篠さん・・・だったかな」
「えっ・・・」
どうやらかなり驚いているご様子。なんだろう、桜篠という少女に何か問題でもあるのだろうか?
「そ、それじゃ・・・」
伊離奈の目がなぜか落ち着いていない。あっちにいったりこっちにいったり、完全に泳いでいる。なんだか、見ていて面白い。
「も、もしかしてそれはラブレターだったり・・・しちゃったり?」
あきらかな作り笑顔の伊離奈。ものすごくひきつっていて、見ているこっちがつらい。
なぜそんな作り笑いをするのか、わけがわからない。
・・・ん? あ、そうか。これラブレターだった。危ない危ない。
「うん。そう」
「えっ・・・?」
今度は伊離奈の顔が凍りついたように見えた。
急な腹痛だろうか? だとしたら早くトイレに行ったほうがいいのではないだろうか。
「冗談・・・だよね? さくらっちにラブレターって」
さくらっち?あぁ、桜篠さんのことか。どうやら二人は知り合い、しかも仇名から察するに仲良しさんのようだ。なるほど、さっき驚いたのはこういう理由だったのか。
「いや、冗談じゃないぞ? 俺は今そのさくらっちさんにラブレターを書いてるんだ」
タクヤの代筆で、とはタクヤに悪いので一応言わないでおいた。
「だ、だめだよ!」
突然伊離奈が机を叩き、立ちあがる。ガタンと椅子が倒れる音。
伊離奈は泣きだしそうな顔をしていた。伊離奈は必死になればなるほど泣き出しそうな顔になるのだけど、こんなに泣き出しそうな伊離奈は久々に見た気がする。
「い、いきなりどうしたんだよ?」
「と、とにかく! さくらっちは駄目なの!」
「俺が誰にラブレターだそうが、勝手だろ」
「そうだけど・・・そうじゃないの! さくらっちは駄目! というか、雄一はラブレターなんて出しちゃ駄目!」
「なんでだよ!?」
思わず声を荒げてしまった。反省。
でも、今回は明らかに伊離奈が悪いだろう。誰が誰にラブレターを出そうが、誰が誰に好意を寄せようが、それは個人の勝手であり自由だ。
「なんでって・・・・」
急に口ごもり、俯く伊離奈。
そして、きっと睨むような顔をしたかと思うと
「雄一の馬鹿! 雄一なんて、コッペパンに挟まれて窒息死すればいいのよ!」
一瞬、巨大なコッペパンに挟まれる自分を想像した。
・・・すごく嫌だった。
そんなことを考えていると、伊離奈は持っていたノートを乱暴にカバンに突っ込むと、教室から出て行ってしまった。俺はそんな伊離奈をただ黙ってみていた。特に止めるわけでもなく。
「・・・こんな喧嘩は、久々だな」
ひとつ溜息。
天井を見上げる。
昔は、もっと頻繁に伊離奈と喧嘩していた。その度に、伊離奈は今みたいに泣きそうになって教室から出て行った。そのくせ、次の日になると何もなかったかのように「雄一〜!」とか言いながら、にこやかに手を振ってくるのだ。
「今回もいつもと同じ・・・だよな」
隅っこに置かれたイーゼルの前に今伊離奈が座ってないことが、なんだか酷くさびしかった。
俺は結局それからラブレターを書こうにもどうにも鉛筆が進まないので、ひとまず家に帰ることにした。帰宅部の部活動開始だ。
俺は出る前に、なんとなく教室を改めて見直した。
こんなにもこの教室は広かっただろうか。
胸に嫌な違和感を抱えたまま、俺はドアを閉めた。
4
翌日、俺はものすごく気だるい体に鞭打って起床した。
昨日は徹夜となってしまった。ラブレターを書こうとするたびに、伊離奈の泣きそうな顔が浮かんでしまい、どうにも集中できず、結局ラブレターが完成したのは深夜の二時を回るころだった。
「くそっ・・・一体なんだったんだよ・・・」
とりあえず、今日会ったら昨日のことを謝らせると、心に誓い制服へと身を包んだ。
「おいっす!」
「・・・」
玄関を出ると、さわやかな笑顔で出迎えてくれる幼馴染(男)・・・テンションを下げるには十分なシチュエーションだった。
残念ながら俺には、「ほら、朝だよ! 早くしないと遅刻しちゃうよ〜」と言いながら優しく起こしてくれる幼馴染の女の子も、「しょうがないな〜」といいながら面倒を見てくれる頼もしいお姉ちゃんも、「お兄ちゃん大好きっ!」と言ってくれる健気でかわいい妹もいない。いたって平々凡々な高校男児なのである。
「お〜い。雄一く〜ん?」
目の前で幼馴染(男)の手がぶんぶんと振られていた。
「悪い、ちょっと現実逃避してた」
「・・・大丈夫か?」
「お前のせいだけどな」
とりあえず、学校までの道のりをこいつと一緒に歩く。
学校まではここから歩いて15分程度の距離に位置しているから、その間の辛抱だ。
「それで、昨日お願いした例の物なんですけど・・・」
タクヤが手をいやらしく擦っている。
俺は悪代官か何かか。
「あぁ、書いたよ」
カバンの中から一枚の便せんを取り出して、タクヤに渡してやる。
タクヤはそれをまるで卒業証書を受け取るかのように、震える両手で受取り、涙ながらに「ありがとう! ありがとう!」と頭を下げた。
まぁ、そこまで喜んでもらえればこっちも本望だ。これでこの恋がかなったあかつきには、コロッケパンを10個ほど奢ってもらおう。
「んじゃ、俺はこれからサッカー部の朝練があるから先に行くぜ。それじゃな!」
ダッシュで駆けていった。なんだか、ひどく忙しい奴だなぁ、と思いながらその背中を見送った。
俺はいつも学校にはかなり早い段階で到着するのだけど、教室につくのはHRギリギリだ。だから、クラスメイトには寝ぼすけと思われているが、実はかなりの早起きだったりする。
では、HRまで何をしているのかというと、例の教室で小説を読んだり、書いたりして過ごしている。あの教室は滅多なことでは人は来ない。たまに先生が「何やってんだ?」といった感じで顔をのぞかせるが、別段怒られたりはしないので問題ない。
そして今日もいつも通りに、元資料室の前にたどりつく。普通なら、扉をあけてすぐにあいつの声が聞こえてくるはずなのだが・・・
俺は確信めいたものを持って、扉を開く。
「・・・やっぱりな」
そこには、昨日と変わらずにイーゼルだけがポツンと置いてあった。
俺はすっかり定位置となった席に座り、机の中に保存してある原稿用紙を広げ、鉛筆を走らせる。
鉛筆のかりかりという音と、まだ動いている時計の針の音だけが、教室に響いていた。
20分ぐらいたっただろうか。あと10分でHRというところで、俺は作業を切り上げた。
ガラッ
突然、後方で扉が開く音が聞こえた。
思わず勢いよく振り向いてしまう。そこに立っていたのは。
「桜篠・・・さん?」
「え? えっと・・・雄一・・・君?」
そこに立っていたのは、タクヤがひそかに恋心を抱く桜篠沙佐羅本人であった。
なんだか、(桜篠さんには失礼だけど)少し残念な気持ちでいる自分に気づく。何を期待していたのかは、自分にもよくわからないが・・・
「えっと、なんでここに?」
この場所は、俺とあいつしか使っていない場所だ。今の今まで他の生徒が来たことなど一度もなかった。・・・いや、昔一度だけあったか。
とにかく生徒は滅多に来ない場所だし、第一来る必要のない場所である。そんな所に他の生徒が、しかもよりにもよって桜篠さんが来るなんて、あまりにも予想外の展開すぎる。
「えーっと、いろっちにこの教室に来るといいことがあるって・・・」
いろっちというのは、十中八九伊離奈のことだろう。
「いいこと?」
はて、ここにきていいことなどあっただろうか。俺は1年ほどここを利用しているが、いいことなど何もなかったぞ。何かイベントでもやるのだろうか?
色々と考えていると、どうやら桜篠さんは1人納得したようで、「ふむ、なるほど」とかいって、なんだかやたら嬉しそうだった。一体何がなるほどなのか、さっぱりわけがわからない。
「なるほどって?」
「あ、ううん。雄一君は気にしないで、多分いろっちの勘違いだから」
なるほど、あいつの勘違いというのなら筋が通る。何せあいつは365日何かしら勘違いをしているからな。
「あ、まだ自己紹介してなかったね。2年B組、桜篠沙佐羅。よろしくね」
そう言いながら、桜篠さんはにっこりと微笑んだ。
なるほど。こりゃタクヤが惚れるわけだ、と1人納得。
「あ、ども。2年A組瀬川雄一です」
「うん、知ってる。いろっちから色々聞かされたから」
いろっちから色々・・・洒落か?
というか、色々ってなんだ。すごく気になる。まさか俺の夢のことは話してない・・・よな。あいつ口だけは堅い奴だから。
「あれ? 私はいろっちから聞かされてたから知ってたとしても、なんで雄一君は私の苗字知ってたの?」
「え?」
おっと、なんだか気まずい質問。どうやって答えるか。「ラブレターを書くためには相手の容姿と名前を知っておくべきだと思ったので、この前こっそり調べさせていただきました」とか? 間違いなく3秒後には目の前の少女は脱兎のごとく駈け出して先生を連れてくるか、あるいはポケットから携帯を出して1を2回0を1回押すだろう。
よし、ここはあいつの言葉を借りるとしよう。
「敵情視察です」
「はい?」
桜篠さんはまさにきょとんとした顔をしていた。
しまった、間違えたか。しかし、ここは強引に突きとおすしかない。
「あれです。敵を知るにはまず味方からっていいますよね?」
「いいませんよね?」
「あれ?」
「え?」
沈黙。
いかん、背中に嫌な汗を感じる。
あわやお互いにとって全くもって意味不明の印象しか残さない最悪の出会いとなる寸前で、予鈴が鳴った。HR5分前の合図だ。
俺は生まれてこの方、今ほど予鈴に感謝したことはない。
「あ、予鈴だ。教室に戻らないと」
「ですね」
俺は机の上に広げてあった原稿用紙を机の中に入れ、カバンを持って立ち上がった。
「早く行こっ! HR遅れちゃうよ」
「あ、はい」
いつの間にか途中まで一緒に戻ることになっていたらしい。どうやら、世界は俺の知らないところで進んでいるようだ。
「さっきから思ってたんだけどさ」
一緒に階段を駆け上りながら、桜篠さんが突如口を開く。ちなみに、2年生のクラスは3階だ。地下から一気に駆け上がるのはそれなりに疲れる。
最初見たイメージが強いせいか、一段飛ばしで軽快に階段を駆け上がる桜篠さんが、なんだか不思議だった。てっきり家に籠って本を読んでいるような文学少女タイプかと思ったんだけど、意外にも実は体育会系なのかもしれない。
「なんですか?」
「雄一君、なんで敬語なの? 私たち同い年だよね?」
「・・・そうえいばそうですね」
なんでだろ?
俺にもよくわからなかった。
「まぁ、別にいいんだけど・・・ねっ! よし、到着! 雄一君はA組だよね?」
「はい」
「じゃ、ここでお別れだね。今日は楽しかった。また話そうね」
そう言いながらにこやかに手を振ってまた走り出す桜篠さん。本当に元気な人だ。
というか、さっきの挨拶はまるで今日が終わったみたいじゃないか。むしろどちらかというと今から始まるのだが。
とかどうでもいいことを考えながら席に着き、担任の声でHRが始まる。
さて、退屈な一日の始まりだ。とりあえず俺は・・・机につっぷして寝ることにした。
4
チャイムがなり、本日の授業の全過程が終了したことを知らせる。噛み砕いて言えば、つまり放課後である。
俺はいつも通りあの教室へと向かおうとしたところ。廊下で待ち伏せしていたタクヤにつかまってしまった。本当は無視しようと思ったのだけど、多くの生徒が行き交う中、廊下のど真ん中でぶんぶんと手を振りながら「雄一ぃ!」と叫ぶ健気な彼を無視していくほど、俺は冷血にはなれなかった。周りの視線が痛いからまじでやめてほしい、というのが本当の理由なのは言うまでもない。
「んで、なんだよ?」
例の如く、「ここでは話しにくい!」という彼の意見によって、俺たちは屋上へと来ていた。
今は5月、春には春だが屋上は正直言ってまだ寒いぐらいだ。
そんな寒さもなんのその、彼は興奮冷めやまぬ様子で、一枚のピンク色の紙を取り出した。
「なんだそれ? ピンクちらしか?」
「微妙に危ないことを言うな。ちげーよ! 返事が来たんだよ返事が! 俺の机の中に入ってたんだよ!」
「2年前に死んだお前のじいちゃんからか?」
「なんでだよ!? 桜篠沙佐羅からに決まってるだろ!」
「あー」
ごめん、すっかり忘れてた。
俺の中ではもうこの件はもう終わったことだったのだが・・・
「それで、なんだって? ごめんなさいか? それとも、きもいんだよゲス野郎か? だが断る! ってか?」
「なんで全部否定的なんだよ!? まぁいいから、読んでみろよ」
やたらニコニコしながらピンクの紙、というか便箋を俺に突き付けるタクヤ。どうやらこれを読むまで返してくれる気はないらしい。
仕方がないので、丁寧に折りたたまれたその便箋をゆっくりと開きながら読んでやることにした。
『はじめまして、林タクヤ様
まずはじめに、ごめんなさい。私には想い人がいるんです。』
はてな?どこをどうみても「ごめんなさい」と書いてあるのだが。
とりあえず、全部読んでみることにする。
『ですが、あなたの文章から滲み出る私に対する切実な想いは、私の胸を強く打ちました。いきなりお付き合いすることはできませんが、よかったらお友達として、これからも文通などしませんか? お返事お待ちしております。 2年E組 桜篠沙佐羅』
なるほど・・・どうやら、告白は半分成功、と言ったところだろう。どうやら文通友達として、タクヤとは今後ともお付き合いしてみたいということらしい。
でもなんでわざわざ文通友達からなのだろうか? まぁ、そこは深く考えなくてもいいだろう。彼女にも色々事情があるのだろうし。それよりも、どうやら桜篠さんに好きな人がいるという方が驚きだ。てっきり「私、そんじょそこらの男になんて興味ありませんから」とか言うタイプかと思ってた。どうやら俺には、今朝のことといい、自分の中の「桜篠沙佐羅」という少女の像を大きく変える必要があるようだ。反省。
俺は読み終わったピンクの便箋をタクヤに返し、「まぁ、がんばれよ」と爽やかかつ迅速にその場を去ろうとしたのだが。
「そこで、雄一さんにお願いがあるのですが」
また手を擦り始めるタクヤ。
嫌な予感しかしねぇ。
「頼む! これからも俺の代わりに、手紙を書いてくれないか!?」
そういって思いっきり頭を下げるタクヤ。
あー、どうせそうだろうと思ったよ。そう来ると思ったよ。わかってたさ。
ここで断るとどうせ奴は土下座なりなんなりして、「頼む頼む」と連呼するのだろう。
俺はそんな態度と言葉だけの誠意などいらない。金銭で示してもらおう。
「コロッケパン」
「は?」
「これから毎日、俺にコロッケパンをおごること。それでやってやろう」
「え・・・」
ちなみに、この学校の購買で売っているコロッケパンはかなり手が凝っているもので、一個300円と少々学生には優しくない値段となっている。よって、人気商品なのかそうじゃないのか、いまいち微妙なところではある。
「わ、わかった! コロッケパンぐらい、青春に比べれば安いもんだぜ!」
「よし、交渉成立だ」
ガシッ、とお互いの両手を握りあう。
「ってことで」
タクヤはカバンの中から、水色の便箋を取り出す。
「さっそく今日からお願いしますね。先生」
まぁ、仕方ない。
一つ溜息。
タクヤから水色の便箋を受け取る。
かくして俺は、林タクヤの代筆という不本意な形で美少女桜篠沙佐羅と文通をすることとなったのである。
・・・コロッケパンだけじゃなくて、焼きそばパンもおごらせればよかったと少し後悔した。