蒼き月
比較的富豪層の多いマクレーンと言えど、飲食店はピンキリで、ぼくらはそのピンとキリの丁度中間くらいのさじ加減を目指し、今夜の晩餐会場を探した。
結局行き着いたのは、郊外にそびえるアジア料理店『ビクトリア』。いかにも怪しげな空気の漂う、西洋と東洋を足して二で割って、さらに安っぽさをブレンドさせ発酵させたような味のある店だ。
「今夜九時に予約したいんですけど」
「あ、マコト待って。ここのクーポン見つけた」
そう言ってケータイ電話に表示されるQRコードを店員さんに見せ、あっさりと目的が達成される。……達成されてしまう。
結局残った時間を持て余すぼくら二人。近くのカフェなんだかダイナーなんだか区別のつかない謎のフードコートで、時間を潰すことにした。
案内などないのでは適当な席に座り、メロンソーダを頼み、暫しるくつろいだ。否、くつろげない。
気心の知れない相手と過ごすのが、こんなに神経を使うとは知らなかった。
マイペースに携帯ゲーム機を取り出すシャロン。ぼくなりに歩み寄ろうと会話を試みるが、二三やり取りをすると、また沈黙が産声を上げる。駄目だ。会話が続かない。
なんだか、先刻から一人で勝手にそわそわしているぼく。そもそもスタンフォード大学であまたのカリキュラムを学んだ優等生なぼくではあるが、こと婦女子とのトーク術など学んだことがない。こんな時女子とはどんな話をすればよいのであろうか。
「そうだ。買い物でも行かないか?」
ぼくの思いつきによる、突発的提案。よそよそしい上に、白々しい。だが初めてここでシャロンは任天堂の携帯ゲーム機から視線を逸らした。
「買い物……付き合ってくれるの?」
ぼくは女の買い物というものを侮っていたようだ。優秀なぼくの脳にあるデータバンクに書き込んでおかねばなるまい。
『女の買い物には、絶対に付き合ってはならない』と。
瞬く間に飲み物を飲み終えたシャロンは、ぼくを引っ張り凄まじいスピードでショッピングモールへ潜入することに成功する。
「あっ、マコトこっち来て。ねえねえ、どっちが似合う?」
「青いほうじゃね?」
「そう? 私はでもこっちの赤いのが好き」
なら訊くなよ。
「ねえ、これ持って。んーとこれも」
ぼくの両腕に抱えきれないほどの荷物という名の負担が掛けられる。もうちぎれてしまいそうだ。
先ほどから、怪しげな店に入ってはヴィヴィアン・ウェストウッドの新作とやらを山のように激安で買い込んでいる。
本人が気づいているかどうかは、定かではないが、きっとバッタモンである。
「ああ、楽しかったねえ。たまにはいいよね。最近仕事ばっかだったからさ」
すっきりした顔のシャロン。こっちはたった今一仕事終えたような感じだ。
ぼくらはショッピングモール内にある野外フードコートで、ジュースとポテトチップスを買った。日本のメーカーのポテトチップスだが、『エクストラバージンオイル味』……どんな味やねーん……と心の中でツッコミを入れることもせず、大人しくポリポリ栄養を摂取していた。
そして突然真顔で切り出すシャロン。
「しのちゃんが言ってた。マコトは凄いルーキーなんだってね。でもとても私にはそうみえない」
この小娘、頭脳明晰な一流の工作員にむかって何を。いや、だがしかし、この場合、謙遜したほうが美しいのであろうか。まてよ? 強気にでて今後のアドバンテージを取っておいたほうがよいだろうか。
あれこれぼくが返答を迷っていると、「でもね。あんたはいい人だ」などと口を『にぃ』と横に開き悪戯っ子みたく笑うシャロン。
不覚にも可愛いなどと馬鹿げたことを思ったのは秘密だ。
「馬鹿を言うな。工作員ったら悪党の中の悪党だろ」
「ううん。悪党は私」
天を仰ぐシャロン。つられてぼくは空を見上げた。
完全に暗くなった空。淀んだ空気が作り出した濁った雲。東の空にうっすらと蒼い月が浮かぶ。
「マコトは太陽かな。私は淀んだあの濁った月。夜の闇でしか輝くことはできない」
そして太陽と月が出会うことはない。
寂しいこの表情がシャロン・オールグリーンという人物の薄暗い背景をほんのりと映し出した。
そして、何事もなかったかのようにまた笑う。
「なんちゃってー。そろそろ時間だね。行こっか」
何事もなかったかのように歩きだすシャロンの背中は実物よりも小さく見えた。
「なあ」
「なに?」
「シャロンは何者なんだ? 椎名さんは元軍人、ぼくは元大学生(次期ミュージシャン兼アドベンチャラー)、シャロンは?」
「うーん、災いかな」
振り返るその寂しい泣き顔みたいな笑顔のシャロンを抱きしめてやれるほど、まだぼくらはお互いを知らなかったし、絆もなかった。




