立ち並ぶコンビナート
☆ ☆ ☆
これは夢のワンシーン。まだ日本にいた頃の夢だ。ぼくの身体はまだ小さく子供だった。あんなにも大嫌いだった狭い部屋。畳の上に置かれた二段ベッド。破れた壁紙。祖父が買ってくれた窓際の天体望遠鏡。机の上の地球儀。その全てが事細かに再現されてて、ぼくは不覚にも懐かしんだ。
誰もいない薄暗いモノクロの部屋で、カラーテレビだけが鮮明な色を映し出していた。野球のナイター中継である。ぼくはその色に目を向け、その音に耳を傾ける。
白熱する九回表ランナーは一二塁。一打逆転のチャンス。
アンチ巨人で中日ファンの母親の影響で、ぼくは野球が好きだった。
相手ピッチャーがサインに頷き、大きく振り被る。息を呑むぼく。
そんな手に汗握る絶好の場面。ぼくんちのインターホンは二度ベルを鳴らした。
ぴんぽーん。ぴんぽーん。
マイクもカメラモニターも付いてない集合団地のインターホンなので、鳴らした相手は確認できない。テレビは付けっぱなしのまま、ぼくは玄関にいき扉を開ける。
扉の外にいたのは、泣く子も黙るクラス委員長のスズだった。深津 鈴。泣く子も黙るクラス委員長は目を真っ赤にしていた。鬼の目にも涙なんてよく言ったものだ。
スズはいつもそうだ。いつもアポなしでぼくんちに面倒を運んでくる。
宇宙人なんて呼ばれて誰とも打ち解けず、問題ばかり起こしてぼくんちに押しかけ、わーわーと喚き散らし、時に鉄拳制裁を浴びせてくるのだ。
空手やってたぼくでも喧嘩して一度も勝てなかったし、いつも正しいのはスズで間違っているのはぼくだった。
そんな委員長はこちらを見てに頷いた。まるでロボットみたいに無感情だったスズだがこの日ばかりは少し違った。
「先生から訊いた。アメリカに引っ越すの?」
「ああ、親が離婚するんだ」
瓶底みたいな眼鏡を外し、ゴシゴシと目尻を擦るスズ。酷い面だ。引っ詰めた髪と、垢抜けない服装。矯正金具の付いた歯。でもその鼻筋だけは綺麗で、そこだけは認めていたのに、鼻水なんか垂らしやがって。本当に酷い面だ。お互い様なのだけれども。
スズは何も言わずぼくの腕を引っ張り螺旋階段を降りて、住宅の駐輪場までぼくを誘う。顎でぼくの愛車アンジュリーナ号に跨がれと指図をする。
「海が見たい。一緒にいこうよ。マコちゃん」
ぼくよりデカイくせに、ぼくが漕ぐのかよ。ぶつぶつ言いながらスズを後ろに乗せてペダルを蹴る。
太陽は観えない。空はコールタールみたいな分厚い雲が覆っている。静かすぎる街並み。背中に感じる体温。ぼくもスズも何も話さない。
ぼくはなんだか泣けてきそうで、それでも必死にこらえた。
スズがぼくの肩に爪を立てるから、凄く痛いしスズの手がなんだか震えていた。
本当はもっと話したいことも、伝えたいこともたくさんあったのに。
やがて海が観えてきた。強い風が吹いていた。波が立ち並ぶコンビナートにその身を打つけていた。
スズ。ぼくについてきてくれ。
ぼくが大人だったのなら、そう言えたのかもしれない。
雨は降りそうで降らない。ぼくは泣きそうで泣かない。とあるローカルな海岸に自転車を停め、靴を脱いで砂浜を歩く。スズはどんどんと海のある方へ進む。そして強い波が踝までかかるところまで行き、振り返った。
「マコちゃん。今まで本当にありがとう。いつかまた会おう。その時はきっと綺麗になってて、あんたをびっくりさせるから」
あの無表情なスズが、ニッコリ笑ってぼくにそんなことを言う。
それが悔しくて悔しくて、「煩い。お前と離れ離れになれて清々するよ。ブス」、なんて嘯くぼく。
こんな強い風の日、お構いなしに宙を舞う海鳥が羨ましかった。あんな風にもしも翼があったなら、空を越えてスズといつでも会えるのに。
帰り道。世界はぼくたち二人だけしかいないみたいに静かだった。
スズを送って一人になれば、世界はぼくただ一人だけだった。
ポツリポツリと降り出した雨。やっぱりね。降ると思ってたよ。なんて得意げな顔をするぼく。やがて雨は本降りになって、嗚咽を漏らして泣くぼくを巧く隠してくれた。
☆ ☆ ☆
「うーん、スズー」
「誰? スズって」
澄んだメゾソプラノに目を覚ますぼく。妙に柔らかい後頭部。
多少の頭痛を我慢して目を開けると、すぐ側にシャロンなる人物の顔があることに驚愕する。
「そろそろ太ももが痺れてきたんだけど」
どうやらひざ枕をされていたようだ。恥ずかしくて身体を起こすぼく。空はオレンジがかっていて、ぼくは現在揺れる車内の後部シートにいることを確認する。運転手は椎名さんだ。
「シャロンだっけ。ここは? チームとやらはどうなった?」
だめだ思い出そうとすると記憶にモヤがかかる。頭に何か強い衝撃を受けたようで、記憶の一部を失ってしまったようだ。
「チームって何の話かな? 私たちは鉄球とかに追われたり、トロッコでカーチェイスしたり、古代遺跡で秘宝を探したりするトレジャーハンターじゃない」
あれ? そうだったっけ? いや、そうだった、そうだった。そういえばそうだった。
ぼくは考古学を研究をしていて、世界中の秘境をアドベンチャーする冒険家だった。
そんなことを忘れるなんて、本当にどうにかしてたようだ。
きっとこの頭部の痛みも、お宝を探す途中、ブービートラップに引っ掛かったに違いない。
それでは紹介しよう。
まずぼくの隣に座る一昔前のゴスロリ的服装の美少女。彼女の名前はシャロン・オールグリーン。
以前の冒険で知り合い、ぼくに惚れてついてきた娘だ。たしか悪魔信仰の生け贄にされる直前でぼくが救い出したとかきっとそんなところであろう。
そして運転席に座るのはぼくの助手、椎名 志乃。
かつては悪の組織に属しぼくとライバル関係にあったが、激しい死闘の末ぼくとの友情が芽生え、ぼくの助手として仲間に加わったとかそんな感じだっけ?
「椎名さん。次はどこをアドベントするんですか?」
「インディ・マコト。次は秘宝を手に入れに、あんたの弟の部屋……いや、新しいダンジョンに向かっている」
ダンジョンか。はたしてどんな冒険が、どんな敵が、どんな罠が待ち受けるのか。わくわくするぜ!
兎に角、冒険の旅は、まだまだ始まったばかりだ。
ご愛読ご愛玩ありがとう御座いました。
夕凪もぐら先生の次回作にご期待下さい。