フライト
☆ ☆ ☆
飛行機は苦手である。
離陸して一時間、未だ落ち着かないぼくは、四方に目を配らせ、気をまぎらわせる物を探すが期待に沿える様な物質はない。
ぼくは溜息を一つ、ミネラルウォーターでも飲もうと手持ちのバッグから水を取り出すが、隣の席で眠った男の寝相が悪く、その腕がぼくの手元のペットボトルを叩き落とす。
ただでさえエコノミーな狭い空間、隣の座席で眠る小動物のような男の顔がぼくの心を余計に狭くさせる。
ファーの付いたパーカー、何処までも人工的に造られた無造作な髪型、酷い寝相。そして天使みたいな寝顔は正しくファーストクラスである。イケメンは嫌いだ。
イライラと共に咳ばらいを一つ、肘で彼の二の腕を一突き。すぐさま渾身の力を込めて二突き。渾身の悪意を込めて三突き。一向に目を覚ます気配はない。
激しい運動に少々喉が渇いたぼくは、カートを押すキャビンアテンダントに二本目のミネラルウォーターを頼む。
この男ただ者ではない。何となくバトルの後、ライバルとの友情が芽生え始めるぼく。
ぼくに本気を出させるとはなかなかやるなと、手持ちのバッグから先の尖った物を探す。愛車プジョーの鍵を見つけたので、それを彼の腕に突き刺す。文字に変換することのできない、正体不明の声をあげるイケメン。
彼の悲鳴に、乗客全員の注目を集めるぼくたち。バトルはまだまだ始まったばかりだ。観客は多い方がいい。
「てめえ! いきなり何しやがる」
まるで取って食いそうなほど怒り狂ったイケメン。眉間にしわを寄せた顔が笑える。
「なんですか? 貴方は。ぼくは何もしていないですよ。他の乗客に迷惑じゃないですか?」
ぼくは火に油を注ごうと、用意していた台詞を棒読みしてみせる。滑らかに動くぼくのベロは軽はずみな挑発を自動で繰り出す。
これで顔を真っ赤にしたイケメンは、ぼくに掴み掛かってくるはずだったが、机の上での計算で生み出した空論は、上手くいかないことだってある。
「って、あれ? お前、マコトじゃないか」
どうやら彼にとってぼくは顔見知りだったようだ。だからといってぼくが彼を知っているかと聞かれれば、答えはノーだ。
ぼくの頭脳をもってしても全く思い出せない。
「まさか……これが記憶喪失」
「何言ってんるだか。相変わらずだな。馬場だよ。馬場。人の顔を覚えるのはホストの基本だって教えただろ」
何かにがっかりした顔のイケメン。不本意ではあるが、彼のがっかりした顔を見れただけでもよしとするか。
「ちっ、何だよ。思い出せよ」
モヤモヤと走馬灯のように脳裏に過る桃源町での思い出。ああ馬場ってこんな顔してたっけ。どうも男子の顔に興味が薄いもので。
スズのやつ、元気にしてるかな。
「ここであったが百年目ってやつだ。ドンパチするかい?」
「冗談。ぼく今日オフなんだ」
「奇遇だな。俺もだ。命拾いしたな」
「求職中の癖に」
「雇用主が行方不明だからな」
人類最悪の殺し屋と謳われる彼の台所事情も大変そうだ。
「復讐とかしてくると思ってた」
「金にならないことはしない。うーじーと違ってこちとらプロだからな」
「氏家生きているのか?」
「あのおっさん不死身だからな。なんか恋をしたとか気持ち悪いこと言ってたな。ありゃ乙女の顔だった」
あれまあ、それは不吉な未来を暗示することで。椎名さんに殴られて、おかしくなってしまったらしい。花畑を駆ける氏家を想像しかけて辞めておく。
「次にぼくの行く手を阻むなら、容赦しないからな」
「ふん、次は殺してやるよ。新しいクライアント次第だがな」
「二度と会いたくないものだ」
そこまで言うと、馬場はまた眠りにつく。少年みたいな寝顔である。




