ここはあたしに任せて先に行け!
そして椎名さんの稲光りのような拳が、氏家の顔面を一撃。
椎名さんに殴られた氏家は二転三転しながら、十メートル先の壁に全身を打ち付ける。痙攣しながら動かなくなる氏家。
まさに一蹴。
正直ぼくは椎名さんを舐めていたようだ。まさか一撃で沈めてしまうとは。
「な? マコト。あんたが負けたトリック解っただろ?」
わからんわ! ぼけ! 暴言を吐きそうになったが、怖いので辞めた。
「あいつの服装、黒いだろ。普段見えているのは首から上に視線を集めさせて、咄嗟に顔をかくして夜と同化しているんだ」
なるほど、だからボクシングのピーみたいな構えで首から上を隠すような戦いかたをするのか。
「つまりは相手が消えたという錯覚を起こさせたってわけだ。その瞬間、マコトは心理的に負けた。もちろん相手は手練れ。他にも沢山引き出し持ってると思うけどな」
しかし氏家を倒していろいろ聞き出すつもりが、現在彼はぼくたちの約十メートル先で死にかけている。まるでトラックと正面衝突したみたいだ。
改めて隣にいる鬼神に畏怖するぼく。次元が違うのは椎名さんのほうだった。相手が最強の霊長類なのだから、彼女は人間ではないことになる。
「椎名さんお強いんですね」
「えっ? 知ってたろ?」
「いやいや、ここまで異常だったなんて知らなかった」
それくらいに人という枠組みを逸脱していた。
さて、残るは馬場。しかし、彼は姿を消していた。
「マコト。あんた、ちゃんと見ておけよ」
そう言いながら痙攣している氏家に近づき、懐に手を入れ携帯電話を取り出す椎名さん。
「情報収集の基本っしょ」
ってなわけで氏家の携帯電話をチェックするぼくら。
「おお、すげぇ! こいつこんな厳つい顔して、女の名前でいっぱいだぜ。確かにこいつは霊長類最高峰なのかもしれない」
鼻息の荒い椎名さんの後頭部を強めにひっぱたく。ぼくがスズから受けた仕打ちに比べれば随分と生温い。
「さすがに能美は本名で入ってないか」
「いや普通にあるじゃん。能美」
幸いなことにメールアドレスがある。
『能美さんが殺しそこなったガキを生かしたまま捕まえた。ホテルホールインワンのパンサーに貸していた部屋で待つから引き取りに来てほしい』
「ちょっと、バカっぽくないすか? こんなんでのこのこ来るかな?」
「そうか? じゃあさ」
『能美さんが殺しそこなったガキを生かしたまま捕まえまちた。ホテルホールインワンのパンサーたんに貸していた部屋で待つから引き取りに来てほしいにゃ(はーと』
「オッケーオッケー。これでいこう。なんだか行きたくなっちゃうよね」
パンサーに閉じ込められ、能美に殺され掛けた、おもひでの場所、ホテルホールインワン。まさか自らの意志で戻って来るとは。
「まさか生まれて初めて行くラブホがマコトと一緒だとは」
顔を赤くする椎名さん。何これ? 怖い。まあ、アメリカにはラブホなんて概念が無いからな。処女って意味じゃないよな。無論深くは追求しない。
さてと、ぼくはもう一度作戦を頭の中で整理してみる。氏家を装ってメールを送り、このホテルで能美を待ち伏せするという、シンプルかつ大胆で適当な作戦。
先程のゴリさんもとい、椎名さんの強さを目の当たりにして、『あれ? いけるんじゃね?』と慢心していたから生まれただらしのない雑な作戦。
しかしぼくはこの時忘れていた。能美の側に既に馬場がいる可能性を。
☆ ☆ ☆
深夜に行くホテルホールインワン。
人生とはつねに上手くいかない様にできている。今ぼくらの身におきていることを、IQ一八〇のぼくが、誰にでもわかりやすく、端的に説明すれば、つまるところ『待ち伏せするつもりが待ち伏せされた』だ。
「だぁー、全然ダメじゃん。マコトの作戦」
マシンガンをぶっ放す黒服どもから逃げ惑うぼくと椎名さん。
「くそっ、これじゃ埒外があかない。椎名さん応戦してくれ。目からビームとか出してください」
「無茶苦茶言うな! 怪我でもしたらどうする。あたしは痛いのが大嫌いなんだ」
「安心してください。発想がもう人間じゃない。椎名さんならやれる。きみはやればできる子なんだから」
「わかったよ。あたしやるよ。だからあたしに構わず先に行け」
「断る!! この先もっと恐ろしい敵がいるに決まってるじゃありませんか。だから一緒に行きましょう」
「……マコトお前何しに来たんだよ」
「そこはほら、空気読んでください」
「お前、ずっこいよな」
「頭脳労働者のホワイトカラーですからね。さあさあ、肉体労働は椎名さんの仕事だ。チャッチャと片付けてくださいよ」
応戦を始めた椎名さん。
リズムよく、拳銃にマガジンを込め、一発ずつ目の前の黒服どもを次々と料理していく。銃の腕前も恐るべきものである。さすが元特殊部隊。
「いいか? マコト。ダブルアクションの拳銃は引き金を引くだけで発砲することができるけど、その分拳銃本体に余計な動作が加わり、命中精度も、スピードも落ちるから、ここ一番ではシングルアクションで撃ちな」
偉そうにレクチャーしてくる椎名さん。能美に銃を奪われたぼくは、銃撃戦に参加することはできないのだけれどもな。
鼓膜を揺るがす、銃声が止み、硝煙が立ち込める非常階段に静寂が訪れる。
白く靄の掛かった視界の先には、白衣に身を包んだいつぞやの女医がいた。マダム・パンサー。きっとこれが彼女の戦闘服なのだ。
「何故逃げなかった? 何故ここに来た? あたしはあんたを殺したくはなかったのに」
パンサーは唇を噛む。
パンサーの後ろには、まだ数人の黒服が控える。そして彼女の合図とともに、一斉に手にした突撃銃を構える。
「あんたほどのやつが、なぜ能美なんかに従う?」
腑に落ちない。色んな話を統合すると、彼女は一介のジャパニーズマフィア如きに仕える玉ではないはず。なぜ能美なんかと組んでいるのか。
「子供には解らないさ」
パンサーは後ろを向き、それと同時に黒服たちの指がトリガーを引く。
「マコト。伏せろ!」
椎名さんに押さえ付けられ、間一髪銃弾の雨から身をかわす。




