まことけしからん相棒
☆ ☆ ☆
ぼくは現代に戻ると時間の扉を閉じる。勿論これは小粋な比喩表現であり、実際には閉じたのは時間の扉なんかじゃなくて、トイレのドアだ。
「おいおい、人の話の途中でどこに行ってたんだ」
「ちょいと、時間旅行に」
「兎に角だ、今日は殴ってでも連れて行くからな。ミスターカンダガワ」
拳を強く握り締める椎名さん。
「まあまあ、落ち着いてくださいよ。ミスシイナ」
ぼくの言葉を聞いた椎名さんは更に激怒し、ぼくんちのダイニングキッチンにあるテーブルに拳を叩きつける。
「なんだと? ミスシイナだ? それじゃまるであたしがミスって結婚できないみたいじゃないか」
とんでもない被害妄想である。椎名さんは、見た目は少女だが、こう見えて新卒でおまけに飛び級したぼくより、四つも歳上で中途採用。結婚していてもおかしくない年頃で結婚という言葉には酷く敏感なのである。まあ彼氏さえいないのではあるが。
「マコト。あんたがいないと話にならないんだよ。黙って出社しろ。そしてあたしのチームに来い」
チームと聞いてぼくはため息を吐く。椎名さんと組んで幾つかの模擬ミッションなる課題をクリアしてきた。
人を騙したり、CQBなどの軍事的なものだったり、拳銃の解体組み立てだったり、一般教養を試されるものであったり、時にちょっとした格闘技だったり、実に様々であったが、知識の分野ではぼくが。準軍事的な分野では椎名さんが他を寄せ付けない圧倒的好成績で今日まで生き残ってきた。
だが、ここに来てついにチェックメイト。ぼくたち二人が最も苦手とする課題が目の前に壁として立ちふさがったのだ。
『いよいよザ・ファームの奥底にて、本格的なミッションの課題に入る。そのためのチームとして自由に五人組の班を作れ』
なんと残酷なミッションであろうか。前回の二人組とは次元が違う。今年度この情報局で仮採用になったぼくたち研修生は、全部で五十四人。二人組なら必ず全員がクリアすることが可能である。ところがだ、今回の五人組は絶対に全員がクリアすることが不可能なのである。なぜならどう頑張ってみても四人余ってしまうからだ。そしてその余った四人は直ちに荷物を纏めて、この職場からグッバイするのだ。恐ろしすぎる。仮採用は辛いや。
さて、もう一つこのミッションが残酷なのは、五人の内最低一人は、今まで二人三脚でやってきた相棒と決別しなくてはならない。裏切りあい、化かしあいは既に始まっている。
「椎名さん、今日はちゃんと行きますよ。あと着替えるんで先に出て行ってもらえますか?」
ぼくが目の前で部屋着を脱ぎだすものだから、赤い顔をした椎名さんは慌ててぼくが暮らす寮の一室から出て行く。
溜息を一つ。今日も出勤だ。焼けたトーストを食べたあと、入念に歯を磨き、鏡を観ながらワックスで髪を整える。いい男である。彼女も友人もいない根暗男にしておくにはもったいない。そもそもぼくにはなぜ友人が一人もいないのであろうか? ぼくの何がいけないというのだ。
そう自分に問い掛けながら玄関をでるAM七時半、日本に住んでいた時から愛用していたママチャリのアンジュリーナ号に跨る。朝日は眩しい。
使い古した赤茶色のコンバースがペダルを漕ぐ。回り出す錆びかけた車輪と運命の歯車。動き出す時間と景色。
杉と楓の香りがする林道。木漏れ日のレーザービームを抜けると雨池があり、その外周である緩い下り坂を下る。太陽の光がきらきら反射してなんだか綺麗だった。俄然仕事に行きたくなくなる。
そんな風に美しい朝を堪能していると、ぼくのずっと後ろの方から凶悪そうな漆黒のマウンテンバイクが、スピードを上げて追い上げてくる。無論椎名さんである。
「よう。あたしを追い出すなんていい度胸じゃないか」
声。そこに声。
凶悪そうな漆黒のマウンテンバイクが颯爽と背後から軽やかにぼくを抜き去る。
「椎名さんが勝手に出て行ったんじゃないですか。それともぼくの着替え見たかったんですか?」
そう言いつつ、ぼくはスピードを上げ、漆黒のマウンテンバイクに並ぶ。皮肉を言ったつもりが、椎名さんの顔はどこか照れくさそうだ。遺憾である。実に遺憾である。ムカついたぼくはスピードを上げる。
愛車のアンジュリーナ号が一見ただのママチャリなのは、世を忍ぶ仮の姿。その実、四段階の変速機能を搭載したハイテクでスポーティーなモデルである。
ぼくは段切り替えをマックスにして、併走していたゴキブリカラーのマウンテンバイクを引き離す。
背後から吹き抜ける追い風はプレリュード。物語はここからだ。
「なんだよ。友達甲斐のないやつだな」
ぼやく椎名さん。
たしかにぼくには友達がいない。そしていつか自分が孤独でなくなることを望んでいる。
だけれど、友達を選ぶ権利くらいは、この社会というコミュニティーの最下層にいる自分にだってあるのではないか。今はそう信じたい。
類は友を呼ぶと先人は巧いこと言うが、断じてぼくは彼女を同類とも友人とも思いたくないのだ。
アンジュリーナ号の秘められたスペックを発揮し、椎名さんのゴキブリマウンテンバイクを引き離すも、結局最後の上り坂では、あっさりとぶっちぎられた。マウンテンバイクはヒルクライムにめっぽう強いのだ。
意地になったぶん、随分早くついてしまった職場。中央情報局本部。
「まさか町内最速のあたしをここまで手こずらせるとは」
小動物みたいな椎名さんの顔がまるで戦友を見るような眼差しで柔らかい笑みを浮かべる。見た目だけでは、彼女がとてつもなく厄介な人物であることなど想像もつかないのだが、入社してほんの数週間で、彼女の変人っぷりは、みんなに露見してしまっていた。
「まあ何にしても、あたしの勝ちだ。約束通りうちのチームに参加してもらう」
説明など不用だと思うが一応言っておく。ぼくは勿論事前に椎名さんと約束などしていない。確かに現在バディを組む間柄ではあるが、椎名さんと同じチームに入るというだけで、余計に友達ができなくなりそうだ。
そもそもぼくに友達ができないのには、少々人見知りが強くて、話し下手で、嘘つきな他にもう一つ大きな理由があると推測される。
今年度一の奇人、椎名さんにに目を付けられているからだ。
ただの変人なら彼女がここまで避けられる理由にはならない。我が儘が服を着て歩いているような椎名さんではあるが、それだけではないのだ。
もっとも彼女が他人から避けられる理由は、その所行が何とも質が悪いことにある。簡単に言えば他人の幸せを奪い、不幸を敏腕プロデュースする事にある。
一ヶ月前。まだ入社して間もない、初々しかった我らが仮採用の新人組。
信じられないほど過酷な採用試験、化かし合いとも言える面接、身辺調査と嘘発見器に掛けられ筒抜けになるプライベートなど、入社直後の極限状態の中、過度のストレスによる吊り橋効果からか、入社早々早くも交際していた美男美女のまことけしからんカップルがいた。
仕事柄、家族にも友人にも何一つとして仕事のことを話せない守秘義務の発生する職場なので、同僚をパートナーに選ぶことは別段珍しいことではないらしい。
しかしだ! 休憩時間、仕事中、訓練中、あっちでイチャイチャ、こっちでイチャイチャ、所構わずイチャイチャ。確かにそれは我々誇り高き国家機関員の本分からは逸脱した存在であった。
そんな彼らへ天誅を下したのが、椎名さんだ。彼女はどこからか連れてきたのか、とてつもなくベッピンなおねーちゃんを男に紹介して、浮気をさせ、それを彼女にバラしたのだ。
程なく二人は破局。しばらく重い空気が訓練施設中に漂っていた。
椎名 志乃。彼女は何もない所から不幸を生み出すアルケミスト。しかしそれはことの発端に過ぎない。
その後、短期間の間に女性教官の縁談をダメにし、同期で一番の美人をメンヘラにし、直属の上司を失脚させ、強きを騙し、弱きを挫く。同じ人間として何一つ尊重できない、とてつもなく不毛な諜報戦をたった一人で繰り広げてきたのである。