見くだす傍観者
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「悪の秘密結社へようこそ。ウジムシ諸君。例年以上に今年はどいつもこいつも腐った目をしているな。なに心配はいらないさ。この世に正義のヒーローなんて存在しない。いるのは諸君らと同じゴミ屑だけだ」
これがバージニア州マクレーンにあるザ・ファームと呼ばれる訓練施設の大講堂で、厳しい採用試験を潜り抜けた、新卒ぴちぴちのぼくたちわたしたち新社会人に向け、初めて会った長官が送った有難いお言葉である。
その日その時、ぼくの自室は宇宙が敷き詰められていた。ヘイリー社の出版する科学雑誌アインシュタインの付録に付いていた自室用のプラネタリウムである。
小さな頃から勉強ばかりだったぼくは、他人とコミュニケーションを取るのが下手くそで、そのくせ人を見下し、宇宙人なんて陰で呼ばれていた。
母方の祖父の影響からぼくは宇宙が好きでいつも天体の本ばかりを読んでいた。宇宙に近づくたび他人との距離は広がった。距離はいつしか溝となり、やがて取り返しのつかない隔たりとなる。
「にんげん怖い。人間怖いぜ。あばばあぶらはむ」
自分の奇声で目覚める月曜日。ブルーマンディなどと人はいうが、ぼくにとっては、毎日が憂鬱でブルーエブリディ。
そんないつも通りの平穏な月曜日、ぼくの自室のインターホンは、二度ベルを鳴らした。
ぴんぽーん。ぴんぽーん。
それと同時にぴこーんぴこーんとぼくの胸の警鐘がなる。この部屋に訪ねて来る人間など二人しか思い浮かばない。一人は神田川 実。苗字からも解る通りぼくの弟である。
そしてもう一人、それはもう身も毛もよだつような、はた迷惑な人物がいる。そしてぼくのシックスセンスは、どうやらこの扉の向こう側にいるのが後者なのだと確信していた。インターホンは鳴り止み、やがて蹴る殴るの物騒な物音が聴こえてくる。
よーし、居留守を使おう。それがぼくが思いついた、たった一つの冴えたやり方だった。結果、扉がベキベキにされたのは言うまでもない。根負けしたぼくはご近所さんを気にしながら、部屋の外で奇声を上げていた人物を部屋に招き入れた。
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椎名 志乃は激怒した。剣呑な世界情勢に嘆いたわけでも、はたまた短命すぎた首相に失望したわけでもなく「けしからーん、実にけしからーん」と繰り返した。
ぼくは「本当にけしからんのはあなたですよ」と心の中で呟いたのだが、声にはできなかった。
兎に角、彼女はご立腹である。それはぼくがこの度、居留守という英断に踏み切ったからではない。
「マコト。失望したぞ。あたしと共に、『幸せバスターズ』の異名を欲しいままにするお前ともあろうものが風邪なんかで三日も仕事を休むなんて」
なんと不名誉な異名であろうか。悪口ではないか! 誰だ。そんな風に呼ぶ奴は。いつか訴えてやる。
椎名 志乃。
彼女とはぼくがこの悪の秘密結社に来てからの付き合いである。傷んだ金髪にヤンキースのキャップを斜めにかぶり、スポーティなノースリーブとメンズのカーゴパンツというラフな服装とは裏腹に、一五〇センチちょいとやや小柄な身体と、二重まぶたの大きく黒目がちな瞳が小動物を思わせる。
少し幼く見えるが美人と言っても過言ではない。そんな風に出会った当初はぼくだって思っていた。思っていたさ。それが大きな間違いだと気づくには時間など掛からなかった。
「へいへいへーい。お前が来ないとあたしがツーマンセル組めないだろ。二人一組で余るなんて恥ずかしいじゃないか」
そう、ぼくと彼女は事もあろうに、所謂バディってやつなのである。
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なぜに彼女とこんな関係になったのかを説明するには、少々時を遡らなくてはならない。喚き散らす椎名さんを無視してぼくは時間の扉を開ける。時空の旅へようこそ。
あれはぼくが零歳のころ……うっかり遡りすぎた。ここでぼくが如何に可愛い赤ちゃんだったかなんて語る必要もないし、初恋である幼稚園の先生との淡い思い出話など、誰も聴きたくはないことであろう。
なのでこの話はジェット機ばりのスピードでぼくがこの悪の秘密結社に入社したところまで飛ぶ。
バージニア州ラングレーなどと人は言うが、実際のところディズニーランドが千葉県にあるように、それはマクレーンにあった。
ワシントンDCからボトマック川を一つ隔てた川沿いに位置するジョージワシントンメモリアルパークウェイ。美しい木々と森に囲まれたその自動車道路を北西に七、八キロほど走ると、右側に青く小さな小さな道路標識が現れる。そこにはさらに小さな文字でこう書かれていた。『アメリカ合衆国中央情報局』と。
その標識通りに車を走らせ観えてくる七階建てのビルがぼくが所属する悪の秘密結社の総本部である。
厳しい面接と採用試験をくぐり抜けたぼくたちは、そこがゴールではないことを知る。半年間の仮採用期間があり、本部の裏手に広がる、広大な面積を誇る森の中にある、訓練施設『ザ・ファーム』にて訓練キャンプを乗り越え、数多の課題をこなさなくてはならない。
それなりに自信はあった。ガリ勉と思われがちなぼくではあるが、実は運動神経抜群だったり、小学生時代空手大会で好成績を修めていたり、光源氏の生まれ変わりか! ってほどの美男子だったりする、自分で言うのもアレだが、天から二物も三物も与えられた、生粋の天才ってやつなのである。
期待と不安で緊張していたぼくたちに与えられた最初の課題、それは『今からきみたちに、二人一組を自由に作ってもらう』である。
なんでもぼくらの仕事は悪の秘密結社と言えど、営業職によく似ているらしい。有益な情報をもつ協力者に近づき、あらゆる方法で信頼関係を築き、持ってる情報を安く買い叩くのが主な業務である。
まず第一に誠意を持つ。第二に打ち解け信頼関係を築く。そして第三に相手を絶対に信用しない。
そんな化かしあいがメインの業務らしい。そして、これがこの職場での最初の挫折であった。
ぼくは他人が苦手なのだ。一緒に入社した弟は、あっさりと適当な相手を見つけぼくを置き去りにする。キョロキョロと辺りを挙動不審見回しているぼくに変声期の少年みたいなハスキーな声が掛けられる。
「あんた日本人だよね。さっきもう一人のにいちゃんと日本語話してたろ。あたしも日本生まれなんだ」