プロローグ2
南風があんまりにも気持ちよすぎて、眠ってしまっていたようだ。大きな欠伸をするぼくは、手足を伸ばす。
そんなぼくに椎名志乃は激怒した。
「けしからーん。実にけしからーん」
ぼくはずれ掛けた伊達眼鏡を指先で直し、耳を塞ぎながら本当にけしからんのは貴女ですよ。なんて心の中で言ったが言葉にはもちろんしない。なんだか懐かしいやりとりである。
「恥ずかしいから勘弁してくださいって。みんな視てるじゃないですか」
「感動の再会だっていうのに、会って十分で寝る奴があるか! あたしと積もる話は無いのか」
那覇から本土まで五十時間の船旅。迎えに来たのは二年ちょっとぶりに再会した椎名志乃なる目の前の人物。あれ? この人だれだっけ? 人間嫌な記憶は忘れていくものだ。
ぼくはけらけらとわざと腹が立つよう陽気に笑い、光の角度を計算して、意図的に昔はしていなかったメガネを光らせてみせた。昔から人をイライラさせるのが得意技なのである。
「てめえ! おちょくるのもいい加減にしろ」
ぼくに掴みかかる椎名さんを、陽気なダンスのステップでかわす。
「しいなさんがおこったー」
わーー、っと逃げ出すぼく。
どうせ逃げ場などない。ここは海の上なのだから。フェリーに揺られること数時間、退屈を持て余したぼくと椎名さんの仲睦まじい鬼ごっこの火蓋はこうして切られることとなった。
風は穏やかだ。
南風に流れ、海へ甘え、世捨て人が二人。時は風任せにメロディを奏で、海猫が唄う。海の向こうに人を残して、ぼくらは旅にでるのだ。
椎名さん中々追いかけてこないな。
なんだか寂しくなったぼくってば、隠れていたコインランドリーを出て、デッキを一望し椎名さんが居ないのを確認すると溜め息を一つ。室内に戻ることにする。
フェリーの客室は狭い立て付けの椅子がいくつも並べられており、その内一つに肩まで伸ばした金髪の女が涎を垂らして眠っていた。もちろん椎名さんである。涎で自慢の金髪がカピカピである。
「この人、大人しくしてると、美人だよな」
ノースリーブが寒そうなので、ぼくは自分の着ていたジャケットを掛けてあげる。そして横に腰掛けた。退屈である。
大衆用の大型ディスプレイには、一○○年前の古い映画が、アナログなビデオCDで映し出されていた。ジェームズキャメロン監督のタイタニックだ。
そんな沈没する船のメタファーに物ともせず、ぼくは椎名さんの隣で欠伸をする。窓の外には稲妻が轟き少しずつ時化る海。
ぼくは沖縄から本土に向かう。波の向こうに人を残したままに。
本土の海の玄関口の一つにあたる泡沫市の泡沫港クリスタルポートに辿り着いたのは夕方であった。遠回りしまくりで非効率な船旅にぼくも椎名さんもくたくただった。
「やっと着いたな」
「やっと着きましたね」
お互いウンザリしながら船を降りる。大地の感触を確かめる。浮遊感が今も尚残って、歩行することにさえ、違和感を覚える。
「船酔いしたよ。マコトお前よく平気だな」
「ぼくこう見えて日本にいた時は丁度このあまりに住んでいましたし、船に乗ることも少なくなかったですから」
「つーかさ。それ何年前の話だよ。お前砂漠にいたんだろ? そういえば肌真っ白だな、モヤシくん」
もう十年ぶり以上の日本。このフェリー乗り場だって何度も来たはずなのに、辺りの景色は見違えるほど変わってしまっていた。
時とは残酷なものである。時計の針はチクタク、時は刻一刻とぼくを浦島太郎に仕立て上げる。
されど故郷、テンションの上がっているぼくは免税店にたちよる。空港と違い中々小規模な店が立ち並んでいる。ぼくはハーゲンダッツと水鉄砲を購入。
「シャロンやミノルに連絡してるのか?」
「してるわけないでしょ。古傷えぐるのはやめてください」
「ご愁傷さま」
ちーん、と手を合わせる椎名さんに少し腹がたって、先ほど購入したばかりの水鉄砲を発射してやる。
「うわっ、何するんだやめろって」
なんて言うものだから、ぼくに楽しくなって撃ちまくる。椎名さんが着ていた白のノースリーブが透けて、やりすぎたと反省するも時既に遅し。係員さんに二時間ほどこっぴどく叱られたのは言うまでもない。




