飛び交うTバック
マリーさんは、ハッと何かに気づき気まずそうな表情で眉間にしわを寄せる。
「そういえば返して貰ってない。部屋に行ってみよう」
何も買わずに引き返すぼくら。駆け足でエレベーターに乗り込む。二階と三階に部屋が用意されている。
「女の子は三階だからここで」
二階で降りるぼくはマリーさんと別れる。
石灰石の廊下は味気ないが、部屋の扉は東南アジア風味な装飾が施され、廊下に設置された小さなヤマハのスピーカーから、心地の良いガムランミュージックが流れている。腕時計は壊れて時間はわからないが、きっと夕方くらいだ。みんなは疲れ果てて各々部屋で眠りについているかもしれない。
「そういえば……」
独り言を言いかけてやめる。ダーウィンに沈められたぼくは自分の部屋番号を知らない。適当な扉をノックしてみるものの、応答はなく、途方に暮れる。
知らない場所で一人きり。孤独について廻る不安。慌てても仕方がない。ぼくは再び適当な部屋をノックする。
あてもなく幾つかの扉を叩くこと数十分。ようやく一人の同僚が中から目を擦りながら現れ、ぼくの部屋を教えてもらう。
十六号室。それがどうやらぼくの部屋番号であった。廊下の一番奥にある角部屋だ。ドアノブを回すと鍵は掛かってなく、ゆっくりと扉を開ける。
中は狭く、しかし小綺麗でシングルサイズのベッドが二つ置かれている。
そしてそのベッドの内一つで鼾をかきながら、熟睡している男がいた。
掛け布団からはみ出した筋肉質な二の腕に若干見覚えがある。弟のミノルである。
そしてミノルは突然ひゅーひゅーと喉を鳴らし、咳込みだす。
「げほっ、げほっ、おえっ」
「大丈夫かね。弟よ」
目覚めたのか、ぼくに気づくバカ弟。
「み、水……水と薬を」
ぼくは適当に水道から置いてあるマグカップに水を注いでやる。勿論良い子はここアメリカで生水を飲んではいけない。
そしてピルケースから薬を渡す。
バカ弟はそれを吸引機に溶かし、暫し吸う。喘息の薬だ。昔から気管支の弱い男だ。
しばらくして落ち着いた弟のミノル。
「あ、マコト。シャロンは大丈夫なのか?」
「かなり重症みたいだ。もちろん命に別条はないが、ヘリでワシントンのホスピタルに飛んだ」
バカはまたため息を一つ、つかつか歩き冷蔵庫を開ける。兄の容体も訊けってんだ。
「何か飲むか?」
「ミネラルウォーターを」
ぼくにペットボトルを投げよこすと、寝汗で湿ったタンクトップを脱ぎだす、ミノル。
「あのさ、ぼくたちの荷物は?」
「そうそう、あのガイドと子供たち、忽然と姿を消したんだ。盗まれちまったようだな。やっぱ人は信じちゃいけないな」
さらっと言うバカの頭をぽかっとゲンコツで制裁。何するんだ! なんて言うけど、仮にも次期悪の工作員が子供に騙されてちゃ話にならんだろ。
「どうすんだよ。あの中にはクレジットカードと財布が入ってるんだぞ」
「あれ? 兄貴、手持ちのバッグの方に入れてなかったか? それだったら、肌身放さず持ってたろ。ダーウィンのくそ野郎にのされた時だって、医務室に一緒に運んだぜ」
そうだ。確かに手持ちのバッグに入れていたはずだ。しかしぼくが目覚めた時には、もう無かった。ここは悪の秘密結社の訓練施設ファーム。既に騙し合いは始まっているのだ。
ぼくを心配する彼女の、あの目は嘘だったのだ。
「あのアマ……」
舌打ちを一つ。ぼくは三階へ行こうとするが、ミノルに止められる。
「マリーなのか? 仲間を疑うってのか?」
「ばかー。よくよく考えてみろよ。椎名さんでなく、お前でもなくなんでよりにもよってマリーさんがぼくに付き添ってたんだよ」
またもぽかっとゲンコツで弟の頭を殴る。兄ちゃんは情けないよ。なーんて、できる弟を叱り優越感に浸る。
「あれがなければぼくたちのここでの生活は終わりだ。証拠なんていらない。盗まれた物は盗み返せばいいだけだ」
ケースオフィサー候補のぼくたちは、思わぬ試練に悪戦苦闘をし、体力を大幅に奪われた。だからみんな寝静まっているはずの真夜中にぼくとミノルは行動を始めた。
「なんで俺まで。いや俺はパートナーのマリーを信じる。あいつの無罪を証明しに来たのだ」
キビダンゴ無しで勝手に着いて来るお供のミノルは、そう言いながらも、結構楽しそうで気持ちが悪い。
この施設の三階は、所謂女子寮。ぼくたちは禁断の園へ、足を踏み入れた。
一部屋、一部屋、音をたてないように静かに即席で手造りしたピッキングツールで鍵を開ける。ここにきて日頃の訓練が役に立つ。
そして四部屋目。これ以上続くと、お供のミノルが興奮しすぎて何をするかわからないって所で、やっと『おしゃべりマリー』を発見。一人部屋のようだ。
そろそろと忍び足で近づくぼくたち二人。息を殺し、そっと暗い部屋を物色する。彼女は小さな寝息を立てている。
マリーさんは子供たちに預けていなかったのか、クローゼットの中から、大きめのリュックを見つける。ファスナーを開けて、中身を掻き出す。空中に飛び交うマリーさんのTバックたち。
興奮しすぎたお供の愚かな弟は、はあはあと荒い息をあげながら、眠っているマリーさんに近づいていく。
「何する気だ」
「俺はずっとこいつにからかわられてきたんだ。復讐するなら今しかない」
ミノルは自分の股間に手を入れ油性ペンを取り出す。荒い呼吸と血走った目で何やらゴソゴソマリーさんの顔に落書きを始める。おいおい、パートナーを信じるんじゃなかったのかい。どいつもこいつもクレイジーでいけない。
寝返りをうつマリーさんにびくっと反応するお供の変態。
そんな変態はほっといて、リュックをさばくぼく。Tバックばかりで、中々目当ての物が出てこない。仕方がないので、お土産に一枚変態の頭に被せてやる。
うひょひょひょっと嬉しそうな人には見せたくない弟。どうやらリュックには着替えしか入っていないようだ。




