間章 ルーシー・ホァン1
ああ、男っていくつになっても馬鹿だな。
昨日、アメリカのマクレーンにて、訊くに堪えないマコちゃんの一人面白戯れ事を訊かされ、私の耳は腐乱寸前だった。と言うかあいつ私の顔を覚えていないのか。気づけ馬鹿。イラついた私は日本に着いたその足、ついつい飲み過ぎてしまった。
千鳥足で向かうマンションのエレベーターホール。ここの八〇五号室は、私が私のダ-である政治家の三好 宗一郎から唯一買い与えられている犬小屋だ。代わりに私は、もうこのマンションが何軒も建つくらい、彼に援助しているのだから、はっきりいえば割に合わないのだけれども。
知らない内に、自動操縦のアルコールで浮腫くんだ身体は、エレベーターで運ばれていて、気がつけば私は自室の前に立ち尽くしていた。
眩暈を振り払うように軽く頭を振る。あー、やだやだ。
解りきっていたことなのだけれど、マコちゃんが今の私を見ても、幼染みのスズだなんて気づくはずが無い。解ってる。私は変わった。それなのに腹立たしかったし、凄く寂しい自分がいる。
私はマコちゃんに幻想を押し付け、記憶の中のマコちゃんに甘えていたのだ。
身も心も、あんなに不細工だった昔の私の側にいてくれた唯一の人間。彼だけは、世界中が私を見放しても、側にいてくれると信じていたのだ。
つまるところ、あの時いたポッと出のオールグリーンの娘に妬いてるのだ。あー、やだやだ。
ああ、女っていくつになっても馬鹿だな。
悪戦苦闘の末、どうにかブーツを脱ぐことに成功した私は、適当に服を脱ぎ散らかし、そのままキングサイズのベッドにダイビング。
でも、なんだかアルコールくさくて、更には汗くさいような気がして、シャワーを浴びることにする。くるぶしで丸まるショーツを洗濯バスケットに得意のスリーポイント。
酔った手元が逆に攻を奏したようで、私は誰にも見えないように小さくガッツポーズ。まあ、私以外に誰もいないのだけれども。
昨年初めて人を殺した。最愛の三好のために。
それからわかるようになった。人殺しの臭い。人を殺めている人外を臭いで感じ取っていた。
でもまだマコちゃんは戻れる。人外でない人の道に。
だから情報局なんて辞めさせたい。それなのに女子二人を引き連れて、大奥を闊歩する上様の如く振る舞う彼に妬んで、羨んで、結局何も言えなかった。だから私は今でも心が不細工なのだ。悔しいから唇を奪ってやった。殿の唇はとても柔らかかった。ついついニヤついてしまう。
スポンジでごしごしと今日一日の汚れや、モヤモヤを落とした。化粧を落とした素顔の私は、泣きそうな顔だった。肘に残った泡に一息、ふわふわ浮かんで、それでも天井までたどり着けず、割れてしまうシャボン。泡沫の幸せ。
「私って幸薄女なのかな」
ため息を一つ、膝を抱えてお湯のはってないバスタブで丸くなる。頭を振る。振り払う。
私は決して幸せでない。そして強くもない。けれどこんな風にウジウジするのにもなれたし、切り替えることができるようにもなった。
女子たるもの、一たび化粧をすれば、何度でも別人に生まれ変わることができる。
身体を丁寧に拭き、髪を乾かし、顔の手入れをする。淑女失格なスポーツブラをつけ、再びベッドにダイブ。
携帯を観る。三好からの着信はない。
金曜の夜と土曜と日曜は、こちらから連絡することも止められているが、今日は平日。まあ、それでも連絡する勇気など無いのだけれども。
慣れている。今さら寂しくもなんともない。
「パジャマは着ないのか?」
声。そこに声。突然の男の声。
完全に油断しきっていた。まさかの侵入者。気配など何も感じなかった。もちろん一番の不覚は、今現在、自分がすっぴんなことである。そして私のシックスセンスが言っている。この声は間違いなくいい男の声だ。
男は私がダイブしたベッドの端っこに座っていた。銀色のファーが付いたジャケット、意図的で人工的に作られた無造作な髪型、端正な顔立ち、そして私に向けられた銀色のリボルバ-。
「また胸を大きくしたのか? 懲りないな」
「馬場、裏切り者の私を消しに?」
彼は知っている。日本に来た当初からのパートナーであり、もっと言えば私たち裏社会の住人からは人類最悪の殺し屋と恐れられている。
世界中に黄色の旗を掲げる盗賊団ホァン一族が香港の中国返還と同時にその力を失い、政府の犬になった頃からこういった裏社会の住人たちと付き合いがあるらしい。
この呪われた血筋に生まれたが故、私は死んだ母と二人、この日本でとある任務に就いていた。彼はそのクライアントとも言うべき日本人に組する者なのである。
「いや。今は俺もあんたと同じ裏切り者さ」
かと言って、裏切り者同士仲良くしよう、なーんて雰囲気ではなさそう。
「用件は?」
ふん、って彼は鼻で笑う。昔からこういうキザったらしい雰囲気が大嫌い。まあ、確かにいい男ではあるのだけれども。
「一人始末してもらいたい男がいる」
「断ったら?」
緊張しつつも、私は枕の下に手を忍ばせる。こうみえても私は闇の住人。部屋のあちこちに武器が隠してある。枕の下にもデリンジャ-があるはず。
「無駄だよ。あんたがシャワーを浴びてる時にあらかた武器は回収した」
舌打ちを一つ。眉間にしわを寄せる。自分で言うのもなんだけど、美人が台なしだ。
「人質がいるんだ」
「だれ?」
「あんたの彼氏……」
「なっ!」
「……の、奥さんと子供」
微妙である。非常に微妙である。
私が断って、三好の奥さんと子供が殺されれば、私はひょっとすると晴れて愛人を卒業し、本妻になれるかもしれない。
私はなんと愚かで醜いのであろうか。




