収集家
グロテスクな表現があるので、苦手な方はご注意ください。
意外なほどにすんなりと、五寸釘は春美ちゃんの眼球に入っていった。
春美ちゃんとは、僕が担任をしている五年三組の生徒だ。色白で頭も良く、今時の子供にしては礼儀正しい。物静かで、将来は大和撫子と称するに値する女性になるのだろう。
その春美ちゃんが、今僕の目の前で人間とは思えない声をあげている。刺さったままの五寸釘は眼球に合わせて動き回る。鎖に縛られた手足を暴れさせるものだから、鎖に触れている皮膚が傷ついて血が滲みはじめた。
ああ、あの可愛らしい春美ちゃんが。
無邪気で澄んだ瞳を潰され、鳥の囀りにも似た声が地を震わせるような低い唸り声になり、細身だが子供らしい柔らかさを感じさせる手足からは血を流している。
これが本当の春美ちゃんなのだと、僕は思う。着飾らず、他人の目を憚らず、本能のままに叫び、血を流す。その姿は僕だけが知っている春美ちゃんだ。
そっと耳たぶを摘まむ。弾力のある柔らかさと仄かに伝わる春美ちゃんの体温。
その耳たぶを鋏で切り落としてみる。
再び絶叫が僕の耳を突いた。痙攣したように五寸釘は小刻みに震えはじめる。なんと愛らしい動きなのだろう。
釘が刺さっていない方の瞳は僕を睨むわけでもなく、虚空を見つめ、隣の眼球と同じように動いている。本当に綺麗な眼だ。
僕は湧き上がる衝動を抑えきれなくなった。頭を片手で固定して、そっと春美ちゃんの眼球を舐める。涙でしょっぱい味が口の中に広がった。ツルツルしていて、とても良い舌触りだ。
春美ちゃんが今どのような表情なのか見ることが出来ないのが残念だ。
春美ちゃんの顔を見たい。けれども、ずっとこの涙の味を、眼球の舌触りを感じ続けていたい。結局、最後にもう一度だけ舐め上げて口を離した。
また釘を刺そうかとも考えたのだが、やはり教師としては様々な体験をさせてあげたい。
思案した後、今度は抉り出す事に決めた。そして、その眼球を舐めまわすのだ。これは名案だと我ながら感心する。
ともすれば、なるべく眼球を無傷に近い形で取り出したい。
先程のように頭を押さえつけ、デザインナイフで、瞼などの周りの皮膚を切開する。そして手近にあった小刀を使い、慎重に摘出する。
途中、眼球を動かすための平たい筋肉が絶えず動いている為に本体を傷付けそうになる等のトラブルがあったものの十数分程で作業を終える事が出来た。
大きなビー玉を舐め回しているようで味気ないが、それでも舌触りは格別だった。
さて、今度は身体だ。
肋骨の隙間に包丁を入れてみよう。肺に穴を開けても、片側だけで包丁も抜かなければ大丈夫だろう。
しかし、春美ちゃんが暴れるせいで狙いが定まらない。拘束したのは手足だけだったのだ。
仕方なく馬乗りになって押さえつける。触れ合った皮膚から伝わる、熱い体温。春美ちゃんの鼓動。抵抗する筋肉のうねり。
それにしても、女児に馬乗りするというのは、些か犯罪的で少し罪悪感に襲われてしまう。
ごめんね、春美ちゃん。
春美ちゃんのお腹の上に乗り、片手で下顎のあたりを押さえると、いよいよ包丁に力を込めていく。
若干の抵抗を感じるものの、思っていたよりも簡単に刺さってしまった。
耳を劈く絶叫が部屋中に響いた。ガクガクと身体を震わせる。
小さな身体に、これだけの力があるものなのか。大人の僕でも押さえつけているのが難しいほどだ。
若干名残惜しい気もするけど、仕方なく春美ちゃんの上から立ち上がった。
見下ろすと、歪な円を描いて血が広がっている。春美ちゃんに流れていた、春美ちゃんの一部だった血だ。堪えきれずに、指先で掬って口に含む。
たったそれだけの行動だが、今までの人生の中で一番の興奮と幸福感に包まれた。
涙と涎と血液でぐしゃぐしゃになった春美ちゃんの顔を見つめて考える。
さて、今度はどうしてみようか…………
そこから少し後、僕は過ちに気がついた。春美ちゃんが死んでしまったのだ。
医学に疎いために原因は判らないが、おそらく血を失い過ぎたのだろう。
「……ごめんね、春美ちゃん。もっと生きたかったよね?」
先程までガチャガチャと鳴っていた鎖の音も聞こえなくなり、僕の声だけが響いた。
もっと色々な経験をさせてあげたかった。肉を削ぎ落としてあげたかったし、舌を二つに裂いてあげたかった。
春美ちゃんが暴れた事が、多量に血を流した一番の原因だけど、僕の方も悪かった。止血をしてあげるべきだった。
いつしか僕は泣いていた。でも、やるべき事はまだ残っている。
春美ちゃんの血肉を味わい、骨を砕いて埋めなければならない。これが春美ちゃんへの供養であり、僕が春美ちゃんを忘れないための儀式だ。
先程から口の中にあった眼球を噛み砕きつつ、薄く整った涎まみれの唇を鋏で切り落とた。それを口に含んでみると、噛みきれない程の弾力が奥歯に伝わる。だが、諦めない。辛抱強く何度も咀嚼し、春美ちゃんの唇を舌の上で転がす。
やがて柔らかくなったソレを、喉を鳴らして嚥下した時、堪え切れずに再び僕は涙を流した。
春美ちゃんの肉体がこの世から無くなったのは、彼女の死から四日後のことだった。
* * *
春美ちゃんが世間的に失踪してから幾ばくか経ったある日。僕が学校で仕事を終え帰宅すると、そこには春美ちゃんが立っていた。
なんと、春美ちゃんがわざわざ天国から僕に会いに来てくれたのだ。
目に釘は刺さっていない。しかし生前のような溌剌とした光は無く、深い井戸を覗き込んだような暗い穴があった。
どれだけの間、視線を通わせていたのだろうか。気がつけば春美ちゃんの亡霊は消えていた。
それがとても残念でならなかった。春美ちゃんをもっと見ていたかった。
生来の春美ちゃんも愛くるしい姿だったが、今見た春美ちゃんこそ僕の追い求めた理想の姿だったのだと確信したからだ。
天使のような神々しさと、以前よりあった愛くるしさ。大和撫子のような物静かさは、怨嗟を内に秘めた無表情により完成されていた。
そして、なにより、記憶の中でしか会えないであろうと思っていた春美ちゃんに、また会えたのだ。しかも、完璧な姿の春美ちゃんと。
かのライジーアを愛した男も、このような気持ちだったのだろうか。
もう二度と会う事の出来ない最愛の女性との再会。死からの復活。まさかこれほど感動的な事だとは思わなかった。
* * *
ある日の放課後。新しく赴任してきた若い先生と雑談をしていた時の事。ふいに「平井先生は結婚されないのですか」と聞かれた。偽りの笑顔を貼り付けて軽く受け流す。
まさか。結婚なんてしなくとも、既に僕は最愛の女性達と暮らしているのだ。
彼女達は僕を驚かせるようなタイミングで現れる。
ドアを開けた先や、シャワーを浴びている時などだ。一番驚いたのは、夜中に息苦しさから目を覚ました時に僕の胸の上に座っていた時だった。小学生がそんな事をしちゃダメだよ、と叱る前に消えてしまうのだからタチが悪い。
僕の認めた少女達が、僕によって完成させられ、僕の部屋に集まってくる。
それは少年時代に、お菓子のシールを集めていた時のような充実感だ。
一刻も早く、家へと帰りたい。彼女達に会いたい。
だが今日は以前から計画していた予定日だ。適当に赴任してきた先生との雑談を切りあげて、目的地へと車を走らせる。
今日は隣町にある有名な塾の辺りを回らなければならないのだ。下調べも済んでいるから、失敗することも無いだろう。
僕の部屋に、また一人完成された少女が増える日も近い。
7月24日
ホラー企画に参加する為、以前投稿したものに千字ほど加筆しました。