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スケルトンの述懐  作者: ぎじえ・いり
スパルトイ、ドラゴン、そしてフェレータ
6/48

2015/05/03 改稿。

2016/04/03 再度、改稿。

 ◇◇◇


「ねえ?おじさん?それで結局グリパンさんはどうなったの?それにドラゴンも」

「言っただろう。負けたのさ。それで逃げたし、グリパンは見捨てた」

「またそういう言い方をして。私、もうちょっと詳しく知りたいんだけど」

「なぜだ?」

「もしかしたら私もドラゴンと戦うかもしれないし」

「無いな」

「……私もそう思うけど。だけど、おじさんはドラゴンと戦って逃げられた。ドラゴンじゃなくても危険な魔物なんていくらでもいるわ。そういう対処の仕方というか、生きて帰る術みたいなものがあるなら、私は知りたいの」

「戦うな。逃げられない敵には近づくな。英雄なんてものは無謀の結果としてなるものではない。戦略を立て、戦術を用い、戦うべくして戦ってなるものだ」

「おじさんは?英雄になりたかったの?」

「どうだろうな?グリパンのことを馬鹿にしているように振る舞ってはいたが、どこかでそんな気はあったかもしれない。生きていた頃の話だ。今じゃ心底どうでも良い」

「そんな言い方しなくても……英雄になりたい、多くの人を勝利に導きたい、そう考えるのは自然じゃない?」

「そうか。ならなれると良いな。ウムラウト初の女性将軍の誕生だ」

「……おじさん。真面目に聞きたいの。お願い。話して」

「……お前のお願いは俺にとっては強制なんだがな。まあ、良いだろう。つまらん話だがな」


 ◇◇◇


 地響き。

 それは巨大な質量が動き回って生まれる衝撃。

 歩を進めるだけでそれが生まれ、飛び立ち、降り立つたびに、地を進むしかない人間の動きが止められる。

 そして炎が荒れ狂う。

 この世のすべての生物の天敵だ。

 それが荒れ狂い、暴れ回っている。

 そう、ドラゴンだ。

 滅んだはずの魔物の王様。

 今では絵物語でしか名前を聞かなくなった、おとぎ話の悪役。

 今、生きている人間で、誰も見たこともなかったし、戦ったことなどあるはずがない。

 そんな敵が目前に現れている。

 現れているだけでなく、生き延びてみろ、と難題を与えられている。

 その肉体はどれだけの魔力に裏打ちされているのか。

 未だ生き残っていた数少ない魔法兵による炎も、雷撃も、ダメージを与えているようには見えない。

 むしろ、魔法が直撃し、痛痒すら覚えていないように見えるドラゴンに対して誰もが絶望感を募らせるばかりだ。

 一方的な蹂躙は止まる気配を見せず、その場にいる人間には、なにひとつ希望のない状況としか思えない。

 殺戮され、蹂躙され、殲滅されて。

 そうして意志を持って立ち上がっている人間はいなくなっていた。

 真昼の悪夢。

 せめてこれが夜だったら良かったのに。

 夜ならば、闇にまぎれて逃げられたかもしれない。

 いや、これが悪い夢なのだと信じて、笑うことができたかもしれない。

 考えることをやめ、願うことをやめ、すがることをやめていた。

 ただ、待っていたのだ。

 自らの死を。

 こんな酷い最期はない。

 それでも、生きて耐えるよりはマシだと思えた。

 身も心も壊れて、ただ消えてしまいたい。

 そう願っていた。

 壊れた心で。

 もう何も考えたくないと。


 だから、誰もが最初はその変化には気付いていなかった。

 衝撃がやみ、熱気がおさまった。

 ドラゴンが動きを止めていた。

 それだけで、すべてが止まり、一切の音がやんだ。

 不意の静寂。

 現実を理解することを止めていた誰もがその意味を理解できない。

 ただ、疑問だけが頭をよぎった。

 終わった?でもなく。

 止まった?でもなく。

 何が?でもない。

 ただただ戸惑うような疑問だけが、わずかに頭に浮かんだ。


「え?」


 誰かが初めて言葉を漏らした。

 それは、ドラゴンが動きを止めたことに対してではない。

 ひとつの存在に気付いたからだ。

 大きい。

 白く、まるで輝いているような。

 そしてそれは人の形をしていた。

 それこそ悪い夢を見ているように。

 骸骨。

 人が死に、肉を焼かれ、そうして残る最後の身体。

 それが跪いていた。

 生きた人間がするような、そんな自然さでもって。

 咆哮が響く。

 あのドラゴンが、骸骨に向かって吠えかかっていた。

 すべての人間に対して、虫でもつぶすかのように、傲然としていたドラゴンが、初めて己の敵に会ったと言うように。

 ドラゴンと、巨大なスケルトン。

 そのふたつが向き合う。

 戦いと呼べるようなことは何ひとつ起きなかったこの刑場が、今、初めて戦場へと変わろうとしていた。






 俺は引き伸ばされた意識の中で笑った。

 俺にはひどくゆっくりと、ドラゴンがもったいぶって振り返ったように見えた。

 俺に背を向けて炎を吐いていたドラゴンが、首を上げ、一瞬その動きを完全に止めたのだ。

 そして振り返る。

 その顔が俺の目に映る。

 人と違って、ドラゴンの顔に、表情のようなものは見えない。分からない。

 だが、ドラゴンは確かに目を細めた。

 俺の目前にある存在を目にして。

 怪訝そうに。

 見定めるように。

 炎が消え、開いていた口が閉ざされる。

 俺の目前にドラゴンに匹敵するような巨大な存在が現れていた。

 ヒュージスケルトン。

 真っ白なその姿はすべて骨。

 一切の肉はなく、血も流れてはいない。

 あるのは骨だけ。

 本来なら動き出すはずのない路傍の石に等しい存在。

 それが俺の目前に跪いている。


「さて、命令だ。あのデカブツを黙らせろ。地に這いつくばらせて、この地に現れた不幸を嘆かせろ」


 そこでほんの少しだけ考えた。

 そうだ、名前を付けるなら、ソレしかない。

 死んだものの不運。

 戦場に立ち、己自身で生命を自由にできないものの不運。

 それを嘆くのなら、己自身が敵にとっての不運となれ。

 俺は笑う。

 笑いながら命じる。


「行け。フウン。奴にとっての災厄たれ」


 跪き、地へと視線を落としていた巨大なスケルトンが顔を上げ、自らの敵へと眼窩を向ける。

 純粋な魔力のみによって動く人造の魔物と、膨大な魔力に裏打ちされた鋼の肉体を持つ災厄の魔物とが、お互いを認識した。

 ドラゴンの目が見開かれる。

 そしてその口が再び開く。

 その瞬間、空間そのものが震えた。

 炎を吐いたのではない。

 放たれたのは、世界そのものを壊し割るような叫びだった。


「威嚇か。喜べ、フウン。正当なる敵と認められたってことだ」


 フウンに武器はない。

 あるのは己の骨身のみ。

 フウンはドラゴンの叫びに怯むことなく、跪いたまま姿勢をやや前へと傾ける。

 そうしてそのまま身体を一気に伸ばした。

 その動きはまるで身体を縮めた猫が、一息に飛び出すようだった。

 低い姿勢のまま、前方へと、己の敵へと向かって一気に加速していく。

 最初の一歩で地が爆ぜ、揺れた。

 それだけで、飛翔するようにドラゴンへの距離が縮まる。

 ドラゴンはその動きに呼応するように羽ばたいた。

 ありえない質量がすぐに宙へと上がる。

 逃さない。

 そう言うように、さらなる一歩でフウンは身体を起こす。

 今まで遥か上空に感じていたドラゴンの空。

 そこが近くに見えた。

 身体を起こしただけで、確かに距離が縮んだように見えたのだ。


 その間にもドラゴンは深く息を吸い込む。

 人と人ならばあまりにも離れた距離だったが、巨大な2体にとってはごく僅かな距離でしか無い。

 ひと呼吸の間に縮まり、ふた呼吸もあれば衝突する。

 宙へと上がったドラゴンは、接近されるのを嫌うように、吸い込んだ息を、凶悪な炎と共に吐き出した。

 やはりこの魔物はただの魔物とは違う。

 己の炎の間合いを理解しているし、それ以上に己の呼吸の間合いを理解している。

 距離を過たず、業火は津波となってフウンへと押し寄せた。

 生き物ならば、その熱波だけで行動できなくなり、息を吸ってしまえば肺が焼け、一瞬で肌どころか血肉まで沸騰させられる業火だ。

 それが有効なのは生き物だけではない。純然たる生き物ではないヒュージスケルトンでも、至近でくらえば全身の魔力経路レイラインを一瞬で崩壊へと至らしめるだろう。

 しかし、フウンは走りを緩めなかった。

 それどころか、さらに力強く地を踏み抜く。

 さらなる地響きが起こる。

 いや、さながら爆発だ。


 その瞬間、巨大なスケルトンの姿が地から消えた。


 フウンは跳んでいた。

 炎をまたぎ、飛翔するように空を駆ける。

 ついさっきまで絶対に人間の身では届き得なかった、ドラゴンだけの絶対領域へと。

 不可侵だったはずの領域を侵し、巨大なスケルトンはあっという間に手を伸ばす。

 そこは果てではない。

 隔絶されることなく繋がっている現実だ。

 フウンはその現実に向かって、まっすぐに手を伸ばしていた。


「届け」


 ぽつりと声が聞こえた。

 最初は俺が呟いたのかと思った。

 だがしかし、俺の声ではない。

 先ほどまで傍らにいたグリパンの声でもない。

 それはどこからか届いた、僅かながらに生き延びた兵士の声だった。

 地にあるのは、死に絶えた兵士の死体だけ?

 違う。

 違った。

 ドラゴンが飛び、フウンが跳び、一瞬だけ訪れた静寂。

 その静寂を見上げる者の姿があった。


 ドラゴンに挑む、死したる同胞の骨身によって現れた、人ならざる魔物の跳躍を。


 嘆き、逃げることを諦めていた兵士も。

 焼かれ、今まさに死にかけている兵士も。

 死を免れ、未だ生きる兵士すべてが。


「届け」


 力ない呟きが漏れた。


「届け!」


 切なる祈り。


「届け!!」


 それは、生への渇望。

 地に生きる人間たちが声を上げ、同じくしてドラゴンの息が切れる。

 炎が、途切れた。

 それを待っていたかのように、そして兵士たちの希望に後押しされたかのように、フウンの手が伸びる。

 ドラゴンの首へと掴みかかり、もう一方の手でドラゴンの翼を掴む。


「命令を果たせ、フウン」


 羽ばたきが止まった。

 湧き上がるのは歓声。

 そしてひとつになった巨大な影が地上に落ちる。

 ひとつの星が落ちるように。

 ひとつの舞台に上がるように。

 やっと同じ舞台に立った。

 独壇場はこれでおしまい。

 ここからが戦いだ。

 ここからが殺し合いだ。

 本当の勝負がやっと始まる。


 衝撃は地をゆらし、そこにいた生きているとも死んでいるともつかない兵士たちを吹き飛ばした。

 ドラゴンの片翼が墜落の衝撃で折れていた。

 フウンはそのままドラゴンの首に巻き付くように、押さえ込み、締め上げていく。

 時折吐き出される炎は、あまりにも近すぎる骨身にはまったく当たらない。

 ひとつになった巨大な質量が暴れ回り、その度に地が揺れる。

 聖痕教会によれば、地獄とは、滅ぼし去ったドラゴンの魂が集うこの世の果て。

 その地へと死後の罪人の魂は飛び去り、絶えず焼かれ、絶えず潰され、絶えず食われ続けるという。


 魂の一片すら残さず、そのすべてが塵芥と消え去るまで。


 そんなところへ飛ばされなくとも、地獄は今まさにここにある。

 ここが地獄だ。

 近づけば、為す術もなく焼かれ、潰されてしまう。

 そんな地獄の1歩手前、そのギリギリの範疇で、俺は馬を駆っていた。

 状況に対処するために。

 ヒュージスケルトンも所詮はスケルトン。

 命令によって動く、ただの使役される魔物だ。

 命令がなくてはならない。

 俺が命令しなくてはならない。

 今も依り代を握りしめ、そして叫んでいる。

 この叫びが届かなくてはならない。

 決して少なくない危険を承知で馬を駆り、距離を測って状況を観察し続けていた。俺の率いるスケルトンと共に、命を懸けて、戦場を駆けている。

 もしも、フウンが自力でドラゴンを押さえ続けるだけの意志があれば、すぐにもグリパンと共に逃げていた。

 だが、残念ながら、そこまでの意志はないようだった。

 だから、俺自身が戦うように、あのスケルトンを操らなくてはならない。


 現状は俺の思惑通り。

 なのだが、この現状がずっと続いてしまえば結果は負けだ。

 負けしかあり得ない。

 なにしろ決め手がない。

 もしも出来るなら、既に首の骨を折り、頭を砕いている。

 それが出来ていない。

 膂力が足りないのだ。

 あの硬い鱗と強固な肉体をいくら締めあげても、殺すには至らないということ。

 魔物の王様と称されるのは伊達じゃない。

 相手は無尽蔵の魔力を持つドラゴンだ。

 対するフウンは俺が込めたありったけの魔力を今も消費し続けている。

 フウンが持っている数多の兵士の肉体の記憶、その技によって今は均衡を保っているが、フウンの魔力が切れればそれまで。

 ゴキゲンが差し出してきた筒を受け取る。

 その中の水を飲む。

 少しずつ、一気に飲まずに。

 今この時に、これで戻る魔力は微々たるもの。

 フウンに魔力の補充を行おうにも、そもそも補充する魔力がないということ。

 つまり、俺の出来ることは、これですべてだ。

 後は、俺以外が何とかするしかない。


「歯がゆいな。勝てるかどうかが、俺次第じゃないってのは」


 見ている先で、ひとつの大質量となって地獄絵図を作り出していた、フウンとドラゴンの動きが止まった。

 地に落ち、もつれ合うように転がり、それでも己の優位を取り戻そうとしていたドラゴンの頭の正面、そこにフウンの頭があった。

 ドラゴンの四肢はフウンによって押さえられている。

 しかし、頭の真正面に位置すれば、どんなに身体の自由を奪っていても意味は無い。何しろ奴は口を開くだけで、攻撃が可能だ。

 それに思い至ったのか、ドラゴンが口を開く。

 フウンに抵抗しながらも、息を吸う。

 息を吸い終われば、後は吐き出すだけ。

 フウンがそこから逃れようとするなら、拘束はとける。

 ドラゴンにとっては、フウンが炎に巻かれようが、炎から逃れようが、どちらにしても損はない。

 その様子を見ても、俺はフウンに何も命じなかった。

 俺は既にすべてを命じ終えている。

 フウンはそれに従って動いている。

 今、この瞬間も。


 勝てるかどうかは、俺次第じゃない。


「勝てるかどうかはお前次第だ、グリパン!」


 フウンがドラゴンと同じくして、その顎を開いた。

 ドラゴンから逃れること無く、真正面に位置するままに。

 ドラゴンの目が細められる。

 目前の敵が、自らに噛みつき、抗しようとしているのを、不可能であると断じて笑ったのか。

 俺も笑った。

 状況は成った。

 正に、俺の望んだ瞬間が訪れていた。

 満足したように口にする。


「約束通り勝算は立てたぞ。だから笑え。今が英雄になる時だ」


 フウンは顎を開いただけで、その動きを止めた。

 噛みつきかかったりはしない。

 ファイアーブレスのように特殊な能力が無ければ、ただ己の口内をさらしただけの行為。

 だが、ドラゴンの目が見開かれた。

 巨大な骸骨の顎の中から飛び出すものがあった。


 色は緑。


 発光するように煌めき、光の尾を引いてドラゴンへと流れ落ちる。


 煌めくのは発光するほどの魔力が込められた魔剣。


 グリパンがこの上ないほどの魔力を魔剣に込めて、ドラゴンの口の中へと飛んでいた。

 生物であれば、頭の中には当然脳がつまっている。

 あまりにも当たり前のことだ。

 だからその頭の中に、何かが潜み、隠れているとは考えない。

 だが、スケルトンのそれは空洞だ。

 そこには思考するべき脳も、体中へと伝達するべき信号も存在しない。

 完全な空だ。

 それはドラゴンの直近から隙を窺うグリパンを守る殻、足り得た。

 落ちたる流れ星のごとく、グリパンはドラゴンの口中へと飛翔する。

 ドラゴンは未だ炎を吐けない。

 炎を吐くには、一度、息を吸わねばならない。

 深く。

 深く。

 俺はドラゴンのファイアーブレスについて、ひとつの確証を得ていた。

 あれも魔法の一種のはずである、と。

 そうでなければ油もなしに、息吹のみであれほどの高温の炎が吐き出せるはずがない。

 それは延焼なしに、吐ききれば消え去る炎を見れば明らかだ。

 己の身を、息を吸った先である肺を炉として、炎を生成し、吐き出す。

 それがファイアーブレスの正体。


 息を吸い、吐く。


 それだけだが、ドラゴンにとっては魔法式の構築と同じなのだろう。

 人間とはあまりにも違いすぎる、究極的に効率化された魔法が能力として発現しているのだ。

 そして究極的に効率化された結果、あれには欠陥ができた。

 ファイアーブレスを吐くつもりで息を吸えば、息を吸うのも、吐き出すのもやめることができない。

 これはただの推論だ。

 証拠があった訳ではない。

 だが、確証があった。

 魔法にはルールがある。

 そして制限も。

 あんな究極的に効率化されているならば、その制限も究極化されているに決っている。

 膨大な魔力があろうとも、制限を乗り越えることはできない。

 だからこそ、あのクソババアの究極のスケルトンの研究は止まっているのだ。

 その証拠に、ドラゴンはその口を閉ざさない。

 吸い終わり、吐く瞬間には高温の炎が現れるのは、吸っている瞬間には炎の生成が肺で始まっているということだ。

 そして、生成してしまった炎は吐き出さなくてはならない。

 それも制限。

 俺の推論が外れ、仮に口を閉ざされたとしても、グリパンは自身の肉体に作用する魔法で超常的な力を発揮できる。

 頭を蹴り飛ばして離脱するくらいは造作も無い。

 やるだけの価値は十分にあった。


 そして、それは今、ここに成果を為した。


 あのドラゴンはそれをあまりにも安易に人間に己の武器を見せすぎた。

 あまりにも人間を舐めすぎた。

 それは致命的な隙。

 こちらには武器がない。

 それは確かだ。

 相手がデカければ、こちらの武器もデカくないと急所には届かない。

 それでドラゴンはこちらを舐めていた。

 俺とグリパンが狙ったのは最初から局部破壊。

 心臓は無理だと判断した。

 ならば目だ。

 だが、両目を同時に破壊するのは困難。

 そうして考えたのが、鱗のない口の中から頭に抜けるように刃を突き立てること。

 脳にまで達すれば、どんな生物でも障害は生じる。

 そしてグリパンの両手剣は確実に脳にまで届く。


 勝った。


 確かにそう思った。


 しかし、煌めきは口中へと飛び込む前に潰える。

 潰えてしまった。

 潰えた?

 何が?

 どうして?

 成功したのに?

 いや、違う。

 刃は届いていない。

 成功とは、そこまで達成してからだ。

 輝きは消える。

 そして水仙にも似た、業火の花が空に向かって放たれた。

 非情にも。

 無情にも。


 俺は、俺たちは、失敗した。






「な!?」


 何が起きたのか、分からなかった。

 見えなかった訳じゃない。

 目にした現実が理解できなかった。

 ドラゴンのアギト、その直前で、まるで撃ち出された黒い砲弾のような何かにグリパンは弾かれた。

 いや、蹴られたのだ。

 黒い鎧の人影に。

 グリパンはそのまま彼方へと飛び去っていく。

 突き立てられるはずだった刃が、代わりにたった1本のドラゴンの牙を切り飛ばしたのが嫌に印象的に目に映った。

 グリパンの姿はフウンの向こうへと消える。そしてグリパンが飛び込むはずだったドラゴンのアギトから、業火が放たれた。


「避けろ!フウン!!」


 俺の命令を受けるまでもなく、フウンは動いていた。

 しかし、目前で放たれた炎を完全には躱し得ない。

 フウンの右側頭部と、右肩を焼き、炎は過ぎ去る。

 その瞬間にもドラゴンは暴れ出し、フウンは耐え切れずに倒された。

 勝利を確信した瞬間に、すべてが引っくり返っていた。

 嫌な感覚が背筋を撫でる。

 こういうことはかつての大戦でも何度もあった。

 味方の裏切り、敵の増援。

 俺が考える中で、これ以上ない最悪の事態というのは、あらゆる前提が覆る、想像の範囲外からの一手だ。

 そう、覆ってしまった。

 舞台の演者が増えた訳じゃない。

 ただ、舞台の袖から出てきただけだ。

 配役不明だったのが、敵として。

 敵はひとりじゃない。

 個だと思っていた敵が、群だった。

 様々な思惑が頭をめぐる。


 どこから謀られていた?


 敵は他にもいるんじゃないのか?


 いや、そもそもなぜドラゴンを守る人間がいる?


 ドラゴンとは人間全体の敵じゃないのか!?


 そう、それも前提だ。

 俺の思い込み。

 ドラゴンに味方する人間もいるのだ。

 まさに、今ここに。

 不吉な黒い鎧姿。

 俺はソイツを知っている。

 確かに俺はソイツを警戒していたのだから。

 あれは何だったのだろうか、と。

 戦争に向かう軍隊の前に、単身で姿を晒した黒鎧は何だったのか、と。


「ドジっ子、すぐにあの牙を拾って来い」


 俺の言葉を受けて、騎乗しているドジっ子が今、まさにドラゴンとフウンが暴れている、戦術魔法の爆心地のような場所へと走って行く。

 整理しろ。

 状況は変わったが、何もドラゴンが増えた訳じゃない。

 増えたのは人間ひとりだ。

 ならば、問題は変わらない。

 ドラゴンにダメージが与えられないこと。

 武器がない、それだけのことだ。

 ドラゴン自身の牙なら、ダメージが通るかもしれない。

 なにしろドラゴンとは、自らと同種の他に滅ぼし得る敵を持たない、という存在なのだから。

 それはつまり、同種の武器、その牙ならば傷を負わせられるのではないのか?

 もしかしたら武器を増やせるかもしれない。

 フウンは未だドラゴンを押さえている。

 損傷は出ているが、動けないほどではない。

 グリパンはどうだ?

 姿は見えない。

 生きているのか、死んでいるのか。

 生きていても、意識を失っていては意味が無い。

 グリパンが動ければ、ドラゴンの両目を同時に潰すことすらできるかもしれない。

 何はなくとも、グリパンの状態は確認する必要がある。

 今すぐに。


「ゴキゲン、グリパンを探して来い。生死に関わらず、連れてくるんだ。魔剣も忘れるなよ」


 ゴキゲンが馬で去っていく。

 死んでいるとは思いたくない。


 ……だが、もしもそうならば。


 ちらりと考えて、明確に言葉で考えるのはやめた。

 それはそうなってからのことだ。

 フウンの中で、落下の衝撃にも、暴れまわるドラゴンとの格闘の衝撃にも耐えたのだ。

 大丈夫だと信じることにする。

 願望?

 違う。

 事実を確認してから考えれば良いだけのことだ。

 まだ、奴の死は確認していない。

 手を握り、開く。

 相変わらず魔力は足りていない。

 死体はゴロゴロしているが、それでただのスケルトンを造っても、意味は無い。

 あのドラゴンを止めることが、何よりも最優先なのだから。

 ヒュージスケルトンを造るだけの魔力はもうない。

 出来ることは?

 他にないのか?

 いつの間にか頬を汗が伝っていた。

 ドラゴンの炎の熱気によるものか。

 それとも焦りが生んだ、ただの冷や汗か。

 何も思いつかず、出来ることを探すように視線を走らせる。

 と、そこに人影を見つけた。


 黒鎧。

 ドラゴンに味方する常識外の存在。

 黒い鎧姿は、フウンとドラゴンが取っ組み合っている場所、その至近にいた。

 恐れはないのか?

 はっとなってドジっ子の姿を探す。

 アイツがあの黒鎧にどうにかされるのはマズい。

 警戒して迂回したのか、近くに姿がないことに安堵する。

 フウンはファイアーブレスを食らった影響か、右手の動きが鈍い。

 押さえきれずに不自由な右手に噛みつかれた。

 フウンが抵抗し、それに引かれるようにドラゴンも動く。

 巨体同士の取っ組み合いは、僅かな身体の動きだけでも、雪崩に身を晒すに等しい。

 ほんのささいな体の動きで、人間なんて容易に押しつぶされてしまう。

 実際に、暴れたドラゴンに振られてフウンの体が揺れた。

 踏ん張ろうと動かした足が、黒鎧へと迫る。


「死ね」


 望みを、そのままに言葉にした。

 あれは邪魔だ。

 グリパンを簡単に蹴り飛ばしたのだ。

 もしかすると、グリパンと同様、同等の魔法が使えるのかもしれない。

 そのままひき肉にされれば良い。

 そんな俺の願いが届いたのか、黒い鎧姿は動かなかった。

 避ける素振りさえ見せない。

 どうして恐れないのか。

 どうして逃げないのか。

 どうして動かないのか。

 その理由はすぐに明らかになった。

 あの黒鎧を常識外、とは言ったが、それは行動についての評価だ。

 だが、あの黒鎧は真実、常識外の存在だった。

 あまりにも人間が持ち得る能力から外れ過ぎていた。

 あんな人間が存在して良いはずがない。

 それこそ、ドラゴンのように。

 あんなものが世界に存在して良いはずがない。


「馬鹿な!?」


 アイツは押し寄せたフウンの足を受け止めた。

 伸ばしたその自らの手で。


 ありえない。


 いくら骨身とはいえ、ヒュージスケルトンは決して軽くはない。

 ドラゴンに抵抗できるほどの力で踏ん張っているのだ。

 ドラゴンの膂力すらも掛かっている。

 それをどんな人間ならば、肉体で支えることが可能だと言うのか。

 骨は砕け、肉は爆ぜる。

 あの黒鎧が俺の鎧と同様に何らかの魔法じかけでも、ありえるとは考えられない。

 どんな魔法を自身の肉体に掛けたとしても、ありえない。

 現実として目にしているにも関わらず、信じられなかった。

 あの巨体同士の争いのただ中で、そして人の身で、あんなにも容易に押さえられるはずがない。


「ありえん!」


 アイツは手を離さなかった。

 フウンの足に手を伸ばしたまま。

 最初に異変に気がついたのは俺の胸に下がる古鍵だった。

 一際大きな古鍵から甲高い金属音が響いていた。

 それはまるで嘆きにも似ている。

 悲鳴をあげることのできないスケルトンの嘆き。

 さながら悲鳴だ。

 やがて、古鍵はガラスを割るような響きを残して一部が欠け落ちる。

 それと同時にフウンの足が、人影の伸ばす手の場所から砕けて折れた。

 その瞬間に思い至る。

 あの黒鎧の正体に。


「まさか……馬鹿な」


 どう考えても、人間業じゃない。

 その力はむしろ魔物のそれだ。

 そうだ。

 魔物なのだ。

 グリパンのように、魔力で裏打ちし、自らの肉体強度を高め、筋力を強める魔法でも、輝くほどの強い魔力反応が出るそれを使わなくては不可能だろう。

 しかし、そんな痕跡はなかった。

 ただ手を伸ばし、そして砕いた。

 それだけだ。

 ドラゴンが息を吸って吐くだけで業火を生じ得ているように、自然で、当たり前の能力として、そうした。

 いくらフウンが骨身とはいえ、それは実際の人間の骨と同じ強度ではない。

 全身に張り巡らされた魔力経路レイライン

 そこに通う魔力によって実際の骨身以上の強度をほこっている。

 ましてやヒュージスケルトンに込められた魔力と死体の数は並ではない。

 人力で砕けるような柔な代物では決してない。


「フェレータ」


 それは人の姿をした魔物のこと。

 人だとも言われる。

 魔物だとも言われる。

 人が魔物になったのか。

 魔物が人になったのか。

 

 ぽつりと呟いた俺の言葉に反応したかのように、黒鎧が振り向いた。

 こちらを見た。

 俺を見た。

 視線がぶつかる。

 奴の目は見えない。

 それでも分かる。

 それだけの意志を感じた。

 その気配は魔物とは違って、確かに人のもののようだった。

 あの黒鎧の立ち居振る舞いは、人間のそれそのもの。

 とても魔物の立ち居振る舞いとは思えない。

 それはつまり、確かにあれは人間なのだろう。

 戦いに身を置く者ならば誰もが耳にしたことがあるはずだ。

 伝説のように語られるが実在する、人でありながら、人でなし。

 その性質はむしろ魔物に近い。

 あるいは魔人とも呼ばれる、人にして人の天敵。

 どこから生まれたのか、どうして生まれたのかが語られたことはない。

 だが、歴史上にたびたび現れては、人の世に混乱をもたらす。

 消えたドラゴンの代役なのだと言うように。

 人の姿をしたドラゴンの化身。

 ドラゴンに体を売り渡した裏切者。

 そんな風にも言われるが、何がどうして力を得ているのか今なお不明な怪物だ。

 英雄になって然るべき力を持ちながら、ただのひとりも英雄になった試しがなく、大陸に跋扈していたドラゴンを討伐して得た平穏を乱す、人類にとっての新たな災厄。

 それが俺を見ていた。

 観察していた。


 ぞっとした。

 ドラゴンだけでも、どうにもならないのに、同じくらいに厄介だとされる魔人がこの場にいる。

 それもドラゴンと手を携えるように。

 大戦時にも、ひとり、現れていたと聞いていた。

 だが、俺は出会ったことはない。

 だからこうして生きている。

 どこかの国が今では使用が禁止されているような危険な戦術魔法で国土ごと消失させて、それでやっと殺し得た存在。

 フェレータはその足を砕いたことで、巨大なスケルトンには興味をなくしたようだ。

 ただでさえ、右手をやられて弱っていたフウンが、足を砕かれたことで、さらに多くの魔力を失い、今も流出させている。

 それでも、フウンは残った左手で、ドラゴンの首へと手を伸ばした。

 フウンに諦めはない。

 フウンは人ではないのだから。

 俺の下した命のままに、ただドラゴンに相対し続ける。

 その様を背景に、フェレータが俺に向かって歩きはじめていた。


「ウスノロ、ヤツをおさえろ。兵を惜しむ必要はない」


 声に反応して、槍を手にした1体の騎兵、青い馬に乗ったスケルトンソルジャーが前に出て手を上げた。

 ウスノロは自身の戦闘能力はそこまで高くない。

 他のスケルトンソルジャーに比べたら、一番低い。

 だが、指揮能力は随一だ。

 ウスノロが手を下ろす。

 すると槍や剣を手にした他の騎兵たち、骨の馬に乗る通常のスケルトンたちが走りだした。


 どうする?


 アイツが本当にフェレータで、その力が史実通りなら俺に勝ち目はない。

 強大な魔力に裏打ちされた肉体はドラゴンとなんらかわりない強靭さを誇るという。

 背中を見せて、逃げられる保証はない。

 手の力のみでフウンの足を砕くような相手だ。

 その脚力は果たして馬より遅いだろうか?

 1体のスケルトンが騎乗したまま、フェレータに斬りかかる。

 馬の力すらも刃に乗せた斬撃を、フェレータはその手で掴んだ。

 そっと摘むような、そんな仕草に見えた。

 それだけで剣は折れた。

 あまりにも簡単に。脆弱さすら覚えるほどに。

 瞬間、ひるがえる。

 蹴ったのだ。

 そう思った時には俺の胸の古鍵が砕けていた。

 ただの蹴りの一撃でスケルトンは鎧ごと、そして乗っている骨の馬ごと両断されるように砕けていた。

 その間にもスケルトンは殺到する。

 3体同時に。

 2体が左右から、1体が正面から突撃する。

 先に到達した2枚の刃は簡単に掴み砕かれ、残った正面からの槍のひと突きは蹴り砕かれる。

 そして、またフェレータの身体がひるがえった。

 それで殺到していたスケルトンは崩れ落ちる。

 俺の胸の古鍵が砕けていく。

 何事もなかったかのように、ゆっくりと歩み、俺へと近づいてくる。


 さあ、次はどうする?

 次は何を見せてくれる?


 言葉はない。

 ヘルムに守られた頭部から、表情は見えない。

 しかし、明らかに俺を観察し、そして試している。

 そんな気配があった。

 フェレータは、すれ違うように接近した騎乗したスケルトンの刃を受け止める。

 その瞬間に、受け止められたスケルトンが馬ごと倒れこんだ。

 受け止められたスケルトンは剣を離し、素手で掴みかかっていく。

 倒れる馬はフェレータへとのしかかる。

 まずは動きを封じる。

 そのためのウスノロの策だった。

 フェレータはまず掴みかかってくるスケルトンに回し蹴りを浴びせた。

 それは何度も見せている動きだ。

 スケルトンはただの一蹴りで、実際にフェレータの身体に触れることなく鎧ごと砕かれる。

 蹴撃は絵を描く筆先のように鮮やかに弧を描いた。

 蹴りはそのまま斧のごとき重さをともなって振り下ろされる。

 それで倒れ来る馬は大地に埋もれるように動きを止めた。

 だが、それでフェレータの動きに一瞬だけ、空白が生じた。

 膝を曲げて、深々と振り下ろされたその瞬間に、ウスノロの槍が突き出される。

 急激な動きのバランスを制御するためか、フェレータの両腕は自らの左右を指し、胸はがら空きとなっている。

 その胸へと、槍が伸びる。

 完璧なタイミングだった。

 これ以上、それを求められないのではと思える連携。

 それなのに、俺は感動よりも先に薄ら寒さを覚える。

 奴は楽しんでいる。

 見たことのない連携を。

 戦ったことのない相手との戦いを。

 どうしてフェレータは最初のスケルトンを後ろに跳んで避けなかった?

 それができないはずがない。

 フェレータは一度も後ろに下がっていない。

 そう、自らに課しているかのように。

 後ろに跳べば、スケルトンも、馬も、それだけで無効化できたのに、それをせずにウスノロの槍を待った。

 待ち望んでいた。


 ウスノロの槍は避けられていた。

 上体をそらす、それだけの簡単に見える動作で。

 槍は鎧の表面、そこに刃が触れるか触れないかのギリギリを通過していく。

 それがウスノロの最期の攻撃となった。

 流麗な輪舞。

 逸らされたままの身体はそのまま回転に変わる。

 刃と化したような足が振り上げられ、フェレータが大地に手を突いた時には槍が砕ける。

 そして即座にウスノロの至近に飛び込み、そのまま首を二の腕で刈り取る。

 ウスノロの首が飛んだ。

 胸の鍵が砕ける。

 それはゴキゲンが見せる動きにも似ていた。

 とても鎧を着ているとは思えない軽業。

 だが、何もかもが一段上どころか、雲の上くらいの実力差だ。

 奴が触れればすべてがガラス細工へと変わる。

 奴にとって、あらゆる武器が、防具が、敵がそうなのだろう。

 いや、もしかしたら世界そのものが、奴にとってはガラス細工なのかもしれない。

 スケルトンソルジャーですら、スケルトンとなんら結果は変わらない。

 残るスケルトンソルジャーは、今、この場にはいないドジっ子とゴキゲンを除き、傍らのカタブツ、ガサツのみ。

 他のスケルトンは1体残らず倒されてしまった。

 消えない寒気。

 どれだけの魔力の裏打ちがあれば、あいつに対抗できるのか?

 かつて見たデスナイトですら簡単に砕かれそうだ。

 それはただの現象。

 魔人がひるがえればすべてが砕ける。

 その膂力に触れれば、なんであっても、そこにそのままで存在することはできない。


 どうするべきか。

 そう思う一方で、どうしようもないとも思っていた。


「これは本当に自分の体でデスナイトでも造らないとな」


 俺の言葉に初めてフェレータの歩みが止まった。


 なぜだ?


 ……そうか、言葉が分かるのだ。


 それが意外に思えた。

 こいつは人間であって、魔物とは違う。

 何か言うつもりがあるのかと思って待ったが、黒い鎧の中から言葉が発せられることは無かった。


 なんだ?

 何を待っている?


 俺よりは低い背の、それでもゴキゲンよりは高い鎧姿が動かずに、ただ待っていた。

 奇妙な間が起きた。

 奴は動かず、俺も動かない。

 俺の傍らにはスケルトンソルジャーたちが新たな指示を待って、ただ侍るだけ。

 ちょうど、そのタイミングでドジっ子が牙を取って戻ってきた。

 既にドジっ子は牙を矢へと付けている。

 だが、今はドラゴンどころではない。

 ある意味、ドラゴン以上に厄介な敵が目前にいるのだ。

 ドラゴンの牙とドジっ子の弓の腕、それをもってしても、この黒鎧の内側へと到達させ、血を流させることは無理に思えた。

 むしろ、その牙すらも砕きかねない。

 奴が歩みを止めている今が、最後の猶予だ。

 奴が一歩でも動き出したらもうそれ以上の余裕はない。

 考えろ。

 俺にあと、何ができる?

 魔力はない。

 つまり、有用な魔法もない。

 武器もない。

 奴に勝るものは?

 奴に届き得るものは?


 ……残念なことに、思い至ったのはひとつしかなかった。


 奴に届き得るもの、それは言葉しかない。

 現に、奴は俺のつぶやきを聞いて足を止めた。

 その理由は、俺が口にしたことを俺ができると思い、やれることがあるなら、すべてやれと、そう言いたいのだ。


「……望みは戦いか?」


 その問が、正解だったのか、フェレータは立ち止まったまま。

 動かない。

 その間にも、周囲に目を走らせる。

 何か無いか。

 周囲にあるのは無数の死体。

 それだけだ。

 むしろそれ以外に何があるというのか。


「カタブツ」


 俺の言葉に、カタブツが前へと出た。

 カタブツは斬りかからずに、剣と盾を構えただけだ。

 斬りかかれば逆に稼げる時間は短くなる。

 それよりも、ただ間に立ってくれるだけのわずかな間が欲しかった。

 俺が何かをしようとしている、そう思ってくれるだけの間が。

 その間にも俺は馬から飛び降りた。

 俺の魔力はほとんどない。

 だが、それでも魔法を使う方法はある。

 死んだばかりの死体なら、その体内には未だ血が残されている。

 そこには散逸してしまう前の魔力があるのだ。

 その魔力に働きかける。

 地に手を置き、地脈へと、そこを流れる魔力へと働きかける。


「起きろ」


 煤けた鎧に身を包んだ兵士が立ち上がる。

 1体だけじゃない。周囲の死体が一斉に立ち上がる。

 これはネクロドライブですらない。

 無理矢理に魔力経路レイラインを広げ、繋げ、ひとつの命令式のみを送っただけにすぎない。

 起きろ、立ち上がれ、と。

 それに、フェレータが、今までにない反応を見せた。

 首を上下に振りながら、全周を見回す。

 それはどこか陽気そうに見えた。

 期待してもらって悪いが、こいつら全部、これ以上の動きはない。

 ただ死体は血管を魔力経路レイラインにして、その身体に電が走ったように、無理矢理走らされた命令に反射的に反応しただけなのだから。

 ここにある、すべての死体を操ろうとしている訳じゃない。

 だが、そう思ってくれれば良いとは思った。

 その間に、ドジっ子を見た。

 分が悪くとも、武器はそれだけだ。

 ならば賭けるしか無い。

 これはただの目くらまし。

 少しでも見るべき物を多くして、見て欲しくない物を見せないように。

 そう思って立ち上がらせただけの死体たち。

 一瞬、迷いがあった。


 あの牙を打ち立てようとするよりも、このまま何も考えずにまっすぐに逃げた方が良いのではないか?


 無駄な足掻きは奴を喜ばせるだけだ。

 逃げろ。

 逃げろ。

 逃げろ。


 いつしか心の内に響いた声は、しわがれたものになっていた。

 逃げろと囁く声には愉悦しかない。

 胸くそ悪い。

 その声に反発するように、俺は口を開き。

 そして、俺は、俺が命じるよりも早く動いた影を見つけていた。

 フェレータが唐突に振り返るように半身になった。

 そこには立ち上がった死体を飛び越し突入してきた、騎乗したゴキゲンと、そこから飛び降りる、魔力反応で発光する剣を携えたグリパンの姿。


「はぁああああ!」


 グリパンの突撃込みでの全力の振り下ろしをフェレータはあっさり掴んだ。

 何度も見た光景だ。

 掴んだこと、それ自体になんら驚きはない。

 しかし、今度は剣は砕けない。

 発光するほどの魔力が込められたグリパンの魔剣の刃をフェレータは砕けなかった。

 フェレータは俺へと頭を向けている。

 油断はないと言うように。


「ビフロンス!あんたは逃げろ!」


 グリパンが叫ぶ。

 その身に鎧はない。

 蹴りを食らって砕けたのか。

 鎧に意味は無いと察したのか。

 頭からは血を流し、それでも揺るがない意志をその目に宿してフェレータを睨む。

 フェレータは動かなかった。

 俺に視線を向けながらも、俺に向かっては動かない。

 グリパンの魔剣を握ったまま、立ち尽くす。

 自らの手で砕けない剣と、戦友を見捨てて俺が逃げるのかどうかと、それを面白がっているのかもしれない。

 やがて剣を握ったフェレータの手が輝き出す。

 発光するほどの魔力をその手に宿す。

 どうあってもその手で剣を砕きたいのだろう。

 ちらりとドラゴンとフウンを見た。

 ちょうどフウンの首にドラゴンのアギトが食い込む。

 既にフウンは炎に何度も包まれたのか、全身は煤け、膝を折り、残った左手で力なくドラゴンの頭を押さえていた。

 そこには既に力はない。

 フウンの首に噛み付いているドラゴンの背に翼が広がる。

 折れていたはずのそれが確かに開かれていく。

 多少の傷なら再生する魔物は珍しくない。

 だが、折れていたそれが僅かな時間で治っていく魔物はコイツだけだろう。

 フェレータをグリパンが、ドラゴンをフウンが、これが本当に最後のチャンスだ。

 どちらかが欠けた瞬間に、選択肢はひとつになる。

 それがふたつなのは、今、この瞬間だけだ。

 逃げられる、それはたった今だけなのだ。


 それを自覚した瞬間、感情が渦巻く。


 戦え。

 逃げろ。

 可能なことは?

 魔力は?

 武器は?

 戦術は?

 何がある?

 何ができる?


 ……いや、何もない。

 何もできない。


 フェレータから視線を切った。

 フェレータの様子も、グリパンの表情も、何も見たくなかった。

 馬に飛び乗る。

 手綱を引いた。

 僅かな痛み。

 鈍いようで鋭い。

 それは肉体に生じた痛みではない。


 そうだ。

 それで良い。


 しわがれた声が俺を肯定する。


 やめろ。

 しわがれた声を振り払うように、感情を平坦にする。

 俺にはそれが出来る。

 出来るはずだ。

 かつての自分を呼び起こすように。


 何も思うな。


 感情を平坦に。


 何も感じるな。


 まるで死んだかのように、スケルトンのように。


 ただ動け。

 命じられたように。


「そうだ!それで良い!あんたがなるんだ!英雄に!」

「続け」


 馬を走らせた。

 俺の命令にすべてのスケルトンが続く。

 グリパンに言葉は掛けなかった。

 どんな言葉を掛ければ良い?

 これから見捨てて逃げる相手に。


 痛みが胸に生じた。

 今なお軋み、金属音を上げる古鍵。

 その音が胸に刺さるように。


「倒せ!コイツを!ドラゴンを!!」


 叫びに振り向いた。

 まるで亡霊の群れだ。

 ただただ立ち尽くすばかりの黒く煤けた死体の群れ。

 その中央に、フェレータと対峙するグリパン、その背景に、力なくドラゴンに抵抗し続けるフウンの姿。


 地獄だ。

 地獄がここにある。

 大戦中のどんな戦場よりも酷い地獄がここにあった。


 俺は視線を切って、そして二度と振り返らなかった。


 走る。

 走った。

 走った。


 どれだけ走ったのだろう。


 世界が夕日に照らしだされ、何もかもを茜色に変えていく中、俺の胸で、一際大きな古鍵が澄んだ音を立てて跡形もなく微塵に砕け散った。


ちなみに、カドモスの推論はおおまかには合っているけど、ちょっと外れています。ドラゴンはファイアーブレス用の内臓炉とも言うべきレイライン機関を持っていて、心臓から直通で大量の魔力を供給、そこで炎を生成しています。吐き出さないと、レイライン機関に負荷が掛かりすぎて壊れ、心臓を傷つけるので超危険。心臓がダメージを食うと、そもそもの魔力生成に支障が生じるので、再生も不可能。だから口を閉じられない。途中で吐き出すのはカドモスの推論通り不可能。超効率化された結果、魔法式がスタートからゴールまで自動化されていて、キャンセル不可能な仕様にという欠陥品。

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