境界線
ウムラウトに入るのはこれが初めてだった。
当然、地理には明るくない。
今までと同様に、何者とも出会いを避けて、夜の移動によって、人の出入りがありそうな規模の人里を探した。
村と呼ぶのも怪しいような集落ならばすぐに見つけたものの、貴族や役人すらいなさそうな寂れ具合だった。
そんな集落で俺の欲しい情報は手に入らないに決まっている。
まずは情報が欲しい。
ドラゴンについてもそうだし、この国に関する知識というのも薄い。
傭兵のうちでの噂話ていどの知識では、あまりにも偏りがあり過ぎる。
どうにも入った場所が悪かったのか、すぐにはまともな人里には出られなかった。
そもそもとして、しっかりとした街道らしきものもほとんど見当たらない。
未開の地、そんな印象がどうにも強い。
大森林に近ければそれだけ魔物の被害も出やすいのだろう。
そんな場所に人里なんて築きたくないというのは人間として、当然の心理だ。
あの砦から伸びていた街道を使えば、早かったとは思うのだが、この国の兵士が日常的に使っていると思われる道を安易に進めば、どうなるかは明白だ。
いきなり捕縛や尋問の対象になどなりたくはない。
国が変われば、ルールも変わる。
例えばスケルトンについてもそうだろう。
スケルトンを所持しているだけで、罪にあたるとも限らない。
やはり知るべきことは多い。
のどかな風景が広がる新たな国で、妙な緊張感だけを募らせながらも、大森林を背にするように、ウムラウトの内部を目指して進んでいった。
国を超えたからといって、安心も油断も出来ない。
突如としてあのドラゴンが現れないとも限らないのだ。
遥か上空を飛び回るドラゴンに国境など、もともとないようなもの。
すべてのスケルトンに警戒をさせ、昼間は山林に、山林がなければ草原で天幕を張り、その上を草で覆い隠し、隠れ過ごす。
街道も人里もなければ、人目を気にする必要は薄いので、いつの間にか俺は空を見上げることが多くなった。
ドラゴンが俺を探しているというのは、妄想に過ぎないのではないか?
そう思えるほどに、空には雲と太陽の他には、猛禽の類の鳥の姿しか見えない。
そういえば、昔、こんな風にして旅をしていたことを思い出した。
傍らに控えるスケルトンの1体を見る。
カタブツと呼んでいるスケルトンだ。
やや大きめのラウンドシールドを自在に操る、巧みな防御術を持った剣士。
その腕前は、幾度の戦いを生き抜いた熟練の兵士と同じか、それ以上。
……なのだが、いまいち柔軟性に欠けていて、俺の指示に対する融通というのがあまり利かない。
他のスケルトンを指揮出来るほどの意志を持ち合わせていながらも、俺の指示が細かく入らないと咄嗟の事態に対応できず、それで痛い目にあったことがある。
自身のスケルトンがどこまでの能力を持ち、どこまでのことならば任せられるのか、それを見誤った俺自身のミスなので、コイツに非がないといえば、それまでなのだが。
指揮能力のあるスケルトンは貴重だ。
いつでも気軽に簡単に用意出来る代物ではない。ちょっとくらいの傷があるからといって、宝石をそこらに捨てるのは阿呆のすることだ。
俺の大事な戦力には違いがない。
そのカタブツが生きていた頃を少しだけ思い出していた。
その中でも良かった頃、楽しかった頃のことだけを。
スケルトンとは死体の魔物。
それはかつて、死があったということ。
カタブツは、そんな俺の様子には感心がないように、俺の指示通りに俺に従い、ひたすらに俺の後を付いて馬を走らせていた。
何もかもが指示通りのカタブツには、唯一、指示がなくても決まったようにする行動があった。
カタブツが付くのは、決まって俺の右側。
そここそが自分の居場所だと言うように、必ずカタブツはそこにいる。
そのことを思う時、どこか胸にトゲが刺さったような気分になる。
俺はそのトゲは抜くつもりはない。
痛みを覚え、それを忘れていないことに安堵する。
のどかな景色の中を、俺とスケルトンは進んだ。
やっとのことでひとつの村を見つけたのは、その翌日のことだった。
豊かな村だった。
人の住む家々の周りにはしっかりとした柵が、そしてその周りには堀があり、容易には魔物が踏み込めないようになっている。
収穫前の田畑には十分な実り。これならば来年は飢えとは無縁で過ごせることだろう。
すぐ近くには魔物が潜むような森も、山もない。
兵を隠すのに良さそうな場所を、その村に至る前に見つけていたので、スケルトンたちをそこに置き、旅の傭兵を装って、俺ひとりが中へと入った。
人の住む場所だ。
知らず、俺はそれを待ち望んでいたのだろう。
いつもならばうるさいと感じる子どものはしゃぐ声すら、耳に心地よいと思えた。
ようやくウムラウトに入ったのだ。
そう実感が湧いた。
エキオンは最後まで難色を示していた。
何が起きるか分からない以上、自分だけでも側に置いておくべきだと。
エキオンは言葉を扱える。
何か村の中でトラブルがあっても、他のスケルトンと違って、対応出来ることは多い。確かにエキオンならば、どこに連れ歩いても、問題は少なく思える。
他のスケルトンとは確かに違う。
いくら強い意志を持っていても、スケルトンソルジャーでは、話すことはできない。何かあって、村の人間に問いつめられても、何ら自身では言い訳ができない。
それが、エキオンには言い繕うことが出来る。
これだけでも、かなりの違いがある。
だからと言って、不意に正体がバレないとも限らないし、なによりもエキオンは裸身であり、骨身のままだ。
カタブツの鎧ならば、着用できないことはなさそうだったが、それでもジャストサイズな訳じゃない。
そんな状態で、化けの皮がはがれれば、やはり無用なトラブルを招くだけだ。
そう説得して置いてきた。
ドラゴンが現れる可能性はどこにいたってある。
しかし、逆に言えば、ピンポイントでこの村に現れる可能性は低いとも言える。
ウムラウトに入ってから、何もなかった。
それが突然、この村に目星をつけて襲いかかってくる。
そんな状況の方が不自然が過ぎる。
誰にも会わなかった以上、誰からも俺の情報が漏れるはずがないのに。
もしも、俺が情報を得ようとした正にこの瞬間に現れるような不運があるのならば、それはどうにも仕方ないだろう。
今まで十分以上に、不必要なまでに隠れてきたのは、こういう時に大胆に動けるようにするためだ。
だからこそ、今は大胆に行動する。
村人とのトラブルというのも想定出来るが、それこそ俺ひとりならば切り抜けようはいくらでもある。
俺を害する人間もいるかもしれない。
それには油断や慢心ではなく、今は、はっきりと自らの肉体に対する自信がある。まるで往時のような力が肉体に宿っていると。
今の今まで戦場で生き抜いてきたのは伊達じゃない。
相手がただの人間ならば、どんな手練が相手でも生き残れる、そんな自信が今の俺にはあった。
魔物退治の流れの傭兵がたまたま現れただけ。
そんな風を装って、それとなくドラゴンのことを探ってみたが、想像通りにこちらでは未だ巨大な災厄の影が大地に落ちたことはないようだ。
大物の魔物は出ていないか?
問いに返ってくるのは、何を馬鹿なことを、という笑い声。
俺のことを一攫千金を目指す傭兵とだけ見たようで、そんな災害の影が存在するとは夢にも思っていない。
実際にそういう傭兵というのは少なくない。
魔物は種族ごとに懸賞金というのが常時懸けられているし、特に危険な魔物が出れば、文字通りの賞金首となるのだ。一生遊んで暮らせるような賞金首も時として出る。
まさしく、あのドラゴンならば、一生どころかこの村の全員が遊んで暮らしても、使い切れない額の懸賞金となるだろう。
あの首にいくら積んだとしても、それに挑戦するような馬鹿はどこの世界にもいないだろうが。
あのドラゴンはアキュートからは出ていない。
あるいは他の国へと行ったのかもしれない。
この国では、ドラゴン関係の情報は手に入らなそうだった。
魔物狙いの賞金稼ぎと勘違いされたことで、情報におまけが付いた。
この村の魔物対策はしっかりしている。
国から派遣された兵が常駐し、朝と夕に必ず異常が無いか、熱心に村の周囲を見まわっているというのだ。
それは実際に村から出て行く時に、騎兵が村の外へと出て行くのを確認した。
派遣された兵士には関わらなかった。
どこかで傭兵の誰かから俺のことを聞いていないとも限らない。
何か目的があるならばともかく、目的もなしにあれこれ聞こうとすれば、無用の疑いを抱かれかねないのだから。
何よりも、時間がなかった。
日暮れまでにはエキオンたちの所へと戻り、合流したかった。
長居は禁物だ。
スケルトンを連れていなくとも、どこから正体が知れるか分かったものではない。
村から出て行く騎兵の練度は高かった。
馬の扱いを見ればそれが分かる。
村には20人ほどの兵が詰めていると聞いていた。
あの練度でその人数ならば、余程の大物に、あるいは大勢の魔物に襲われない限りは十分な数だろう。
ちらりと俺のことを見ていたようだが、通常任務を優先したようで、俺には関わらずに出ていってしまった。
村には普段、旅人が訪れるようなことはなく、人を泊めるような満足な施設は無かった。それで夜を前にして村を出て行く俺のことをそれほど不審とは思わなかったのかもしれない。
村人相手だったので、国について、それほど大きな情報というのは聞けなかった。それでも得られる物は得られたとして馬を走らせ、俺は村を離れた。
いくつも馬を走らせないうちに、1騎の兵が、俺へと向かってきているのに気づいた。
日が傾いているとはいえ、まだ暗くなる時分ではない。
さっき村から出て行った兵にしては、現れた方角がおかしいし、そもそも集団行動を基本とする軍の人間が1騎で俺へと向かってくるというのも有り得ない。
なによりもその馬の走り方は奇妙なもので、夕陽を受けていても分かるほどに色もどこか青白い。
「ゴキゲンか」
暗い緑のマントをまとった騎兵。
それはいつもとは姿を変えていたゴキゲンだった。
村が近いので、全身をマントで覆っている。
それは風を受けても一切はためかず、ぴったりと体に張り付くように留められていた。頭までをも覆い隠していて、中にはヘルムとフェイスガード。その様は不審と言うより他はなく、顔の一切が隠されている。
正直、俺はそれをやり過ぎだと思った。
どこの国の暗殺者のスタイルだ?それは?
おそらくはエキオンの指示だったのだろう。
俺が色々と理屈をこねて拒否したために、こうしたのだ。
もしかしたら、当てつけのつもりなのかもしれない。
まったく人間と同じように話すエキオンならば、有り得るのかもしれないと思えた。
距離が近くなってきたところで俺は馬の足を緩める。
ゴキゲンもそれに合わせて馬の足を緩めた。
あの村を肉眼で確認できる距離ではあるが、それは建物が見えるというだけであって、何もかもが子細に見えるほどではない。
それを確認して、まとっていた暑苦しいマントを脱ぎ、息を吐く。
村で補給していた水を飲み、頭にかけた。
既に夏の盛りは過ぎていて、秋に差し掛かっているというのに、まだまだ暑い。
水はボサボサに伸ばしたままだった髪をつたっていく。
そのまま同じく伸ばしたままにしている髭をつたい、着込んでいる鎧へと垂れた。
俺は村の中ではずっと鎧をマントで隠していた。さすがにゴキゲンほどに不自然にではなく、自然に隠れるようにして、だ。
俺の鎧には普通の鎧には見られない、目立つ装飾がある。見る人間に強烈な印象を残す装飾が。
それはおとぎ話の英雄が着るような華美な金色の装飾などではない。
鋼色の地味な、どちらかと言えば古臭いデザインの鎧。
その胸に、肩に、手甲に、鎧の各部に白くくすんだ銀色の意匠がある。
それは人の骨が絡みついたような不気味な意匠。
傍目にはまるで骸骨が立っているかのように見えるかもしれない。
近くで見れば、おぞましく感じてもおかしくない。
白銀の骨が全身に象眼され、刻み込まれていた。
銘は骸装。
正直、制作者のセンスを疑わずにはいられない。
さらにこの鎧をまじまじ見る度に、胸糞悪いクソババアの顔が頭に浮かんで気分が悪くなるという、呪いじみたろくでもない効果まであった。粘着くような笑い声を思い出しかけて、頭を振る。
どんなに目立とうとも、ろくでもない記憶が過ぎろうとも、この鎧には着ているべき利点がある。
この鎧には魔力経路が仕込まれているのだ。
それによって装着者の周囲に存在する魔力を自然に吸い集める。
大気、地脈、その他、ありとあらゆる物質から拡散し、散逸する魔力をだ。
これは太古よりの遺跡と同じ仕組みであり、そうして集まった魔力は装着者へと還元されていく。いわばこの鎧自体が太古より存在する神殿のようなものだ。
俺はこの右手の紋章が刻み込まれる以前から、普通の人間以上の魔力を扱えた。
もともとの俺自身の魔力総量が多かったことに加えて、この鎧によっても底上げされていたのだ。
魔力が多ければ、それだけ魔法を使うことができる。
例え、俺に使える魔法というのがそう多くなくても、いざという時に魔力がなくては何も使えない。
エキオンをはじめとして、スケルトンの部隊を維持するにも、それなりの魔力が必要だし、不意にスケルトンを増やす機会に恵まれることだってあるだろう。
そんな時に魔力が足りてないでは話にならない。
この地では孤立無援なのだ。
現状、己の身は己自身で守らなくてはならない。
緩めた歩調で近づいてきていたゴキゲンが傍らに来て止まった。
頭からマントを被ったままの無言で佇む鎧姿。
コイツにとって、それで特に不便はないのだろう。
スケルトンの身なのだから、当たり前だ。
スケルトンに暑さ寒さは関係ない。
少しばかりの涼を得ると、マントを被ったままのゴキゲンを見ているだけで、暑苦しい気になる。
水を飲みながら、マントを脱げと指示を出すと、言われるままにゴキゲンは頭からマントを外した。
ウムラウトに入ってからはフェイスガードもしっかり付けさせているので、一見しただけでは鎧姿の中身が骨身とは誰も思わないだろう。あんな暑苦しい格好をしている方が不自然極まりない。
見渡す限り広がっているのは背の高くない草に覆われた大地と、ぽつりぽつりと生えるひょろ長く、背の高い木。
何ひとつ、人の手による物はなく、当然人影もない。
村を出た直後は街道を走り、しばらくしてから外れ、この場所へと進んできた。
騎兵が向かったのとは逆の方向であったし、ここで今、俺を見ている存在といえば遠く上空で旋回する鳥の姿が1羽のみ。
今、この場に限っては、そこまで神経質になる必要性はない。
それでも一切の骨身が見えないように、鎧われたままに、フェイスガードだけは外させる気はなかった。
スケルトンの知名度は国によって異なる。
何しろネクロドライブを使える魔法使いが少ない。
少ないというよりも、自分の師であるあのクソババアしか知らないのだ。
ネクロドライブの使い手は希少で、それによって造られるスケルトンは同じくらい稀な存在である。
ネクロドライブも、スケルトンも俺にはただの日常。
だが、普通の人間にとってはそうではない。
聞いた訳ではなかったが、あのババアが最初にこの魔法を考えついた人間だったとしても、おかしくないくらいに他のネクロドライブを使える人間、ネクロマンサーの存在は聞かない。
つまり、動く骨身を目にする機会というのは、俺が通った後でない限り、絶対に有り得ないのだ。
そんな見たことも聞いたこともない存在を、不用意に人に見せればどうなるか?
その結果は散々、これまでにも見てきた。
少なくとも、違法か、合法か、それくらいの確認を済ませない限り、ただの1体もスケルトンに正体を明かさせる訳にはいかない。
例えば、今いる大陸東方ではなく、大陸西方であれば、恐れられる以上に騒ぎとなる。国によってはそのまま捕縛される。俺に賞金を懸けている国すらあるのだ。
大陸西方。
大戦でもっとも戦禍が燃え上がった地。
そこは俺がかつてスケルトンと共に動き回った地であり、そしてその前にもクソババアが若かりし頃に色々としでかした地だ。
動く死体と、死体を動かす人間。
あの土地では、このふたつは禁忌として扱われていると思って間違いが無い。教会の時の教皇がネクロマンサーへの嫌悪感を表明していたくらいである。
俺はまるで死を弄んでいるかのように言われ、そして捕まればどんな犯罪者よりも外道のように扱われる。
どこにでも戦場があったために、そしてその戦場で有用だったために、当時は動き回れた。
その戦場がなくなり、スケルトンに対する忌避感と、ネクロマンサーである俺への嫌悪感は、軍や政府関係者だけでなく、民衆にまで喧伝されてしまい、そうして西方に俺の居場所は無くなった。
西方を出た理由はふたつある。
ひとつはそうした後ろ指が、実際の排斥、攻撃へと変わりつつあったこと、そしてもうひとつは、傭兵が戦場無き世界にいても仕方がないことによってだ。
そうして東方へとやってきて、いくつかの国で雇われた後、乞われる形で前の国であるアキュートへと訪れていた。
そんなアキュートですら、スケルトンのことを知っている兵士は決して多くはなかった。軍の一部の上層部に、西方出の人間がいて、俺を有用に思っただけに過ぎない。
そのアキュートの隣国に、どれくらいのスケルトンとネクロマンサーに対する知識があるのか。突撃して確認するつもりが微塵もないのは当然と言えるだろう。
分からない以上は慎重に。
そして不幸な出会いは極力避けるべきだ。
俺がこれからやることはシンプルである。
未知を既知に、誤解なく正確に。
恐れはあっても良いが、騒ぎになっては困る。
俺自身を認めさせ、そしてスケルトンを認めさせる。
どこの国に入っても、最初にやるべきことで、その方針に変わりはない。
ドラゴンという厄介ごとが加わっているために、面倒が増えているだけで、スケルトンの噂が広まっている国でも、スケルトンを全く知らない国でも、まずはそこから始めなくてはならない。
水を飲み終える間もじっと佇んでいたところからも、ゴキゲンは俺を迎えにきただけのようだ。
エキオンが寄越したのだろう。
意外にもエキオンは心配性なのかもしれない。
一体、誰に似たんだか。
そう思ったが、考えてみれば、何事にも先回りして考えようとする俺の性質に似ているといえば似ているのかもしれない。
だから一体なんだというのか?
ゴキゲンは周囲を見回し、ドラゴンに、あるいは他の魔物に備えていた。
時折、ただひとつの武器である、鎧姿には不似合いに小さなナイフを腰から抜き、器用に手元で回転させて鞘に戻すという、意味のない動作を手慰みに続けている。
それはゴキゲンが良くやる動作だ。
その身体に染み付いているのだろう。
かつてのゴキゲンが、まだゴキゲンじゃなかった頃の姿を、あの人の姿を思い浮かべ、感傷的な気分になる。
「待たせたな、行くぞ」
感傷を振り払うように、馬を走らせた。
ゴキゲンも後に付いて走ってくる。
まあ、俺が死ねば、エキオンも滅ぶ。
何事にも用心したくなる気持ちは分からないでもない。
それならばさっさと安心させてやるかと、ゴキゲンを伴って速度を上げた。
アキュートでは実力を買われていて、大きな面倒事にはならなかった。
だが結局は異端の傭兵としての扱いは、グリパンを除いて、ただのひとりも変わることはなかった。
逃げろと言ったグリパンは生きているだろうか?
生きているなら、あいつは英雄になれただろうか?
ドラゴンを倒した英雄のひとり。
そうなるつもりで結局は、逃げ出しただけ。
そうして逃げこんだ先の街が滅んだ。
俺を追ってきたドラゴンと裏切者によって。
まだひと月ほどしか経っていないのに、グリパンとドラゴンを目前に話したのが遠い昔の出来事のように思えた。
グリパンの声は遠く、ドラゴンの叫びが俺の耳にこだました気がした。
草原としか言いようのない、何もない平野を走る。
時折、鹿が草を食み、鷹か何かが空を旋回するのみで、魔物の姿はない。
俺が乗る馬は栗毛の体格の良い大柄な馬。
毛並みも良く、力強さが外見にも表れている。
それとは対照的に俺が駆る馬を追走するゴキゲンの馬は奇妙な外見をしていた。
不自然に青く、そして痩せている。
病的な馬。
筋肉質というよりは筋張っていた。
抜け落ちてしまったのか、その青い体にはたてがみはおろか、一切の毛がない。
目はガラス質というよりもガラスそのもの。
これはアンデッドの馬だ。
ネクロドライブによって造り出された動く死体。
それがこの馬の正体だ。
防腐処理をほどこした、ほとんど剥製のようなそれはスケルトンを乗せるのを嫌がる馬の代わりに造り出したスケアクロウ。
文字通りのカカシの馬。
処理のせいか走るリズムはこちらの馬とは違い、一定していない。
理由は足の運びもそうだが、首の振り方がおかしな事に起因しているのだろう。
青馬は一度首を振ると、そこで奇妙なブレが生じるのだ。
それが体全体にもブレとして伝わり、足の運びが狂い、おかしな挙動としてリズムに表れる。
ゴキゲンはそんな見るからに乗りにくそうな馬を見事に乗りこなしていた。
立ち上がるようにしてまたがり、周囲の警戒を続けている。
時折、その首は人としてはありえないくらいにまで後ろに向き、全方位を見渡す。
俺自身も、気を抜いたりはしていなかったが、ゴキゲンが警戒していれば、まず不測の事態は起きないだろう。
疾走によって鎧に風が入る。
ようやく得た涼を楽しんでいると、遠くに小山が見えた。
草原の中に突如として現れた小山。
ごつごつとした岩がいくつも重なりあってできた山だ。
その山の一番高い所に人影が見える。
あれはおそらくドジっ子だろう。
手にしているのはやや体に不釣り合いな大きな弓。
俺が率いるスケルトンの中で、今では唯一になってしまった弓使いだった。
目端が効き、気がつけば高所を抑えている。
かつて、矢を持たないで高所に陣取り、なんの援護の役にも立たなかったことがあったのは決して忘れられないが、基本的には優秀なやつだ。
その側にもう1体の人型が立っている。
馬で走る俺に気がついたドジっ子が軽く弓を振った。
それに合わせて、先程までのゴキゲンのように全身をマントで覆い隠したスケルトンが敬礼をする。
その動作に合わせて、マントがはだけて白い骨身が覗けた。
まるでバネ仕掛けのような敬礼。
思わず目が細まった。
なぜ、あれはドジっ子の側にいる?
鎧を着ていないスケルトン。
現状、エキオンもそうだが、間違いようがない。
間違いなくバンザイだろう。
ガサツに付いているようにと命じたはずなんだが、なぜか今はドジっ子と共にいる。
いったいどうやって命令を抜けたのか。
思わず胸にある鍵束を見た。
そこにはバンザイの依り代たる古鍵も間違いなく存在している。
命令が解除されるような道理はない。
なのだが、どうやってかバンザイはそこから抜けたらしい。
「なぜだ?」
思わず、呟きとして疑問が漏れた。
しばらく付き合ってみて分かったのだが、バンザイはこういうふうに命令を無視するかのような振る舞いをすることがまれにあった。
とはいえ、別に俺の意志に背くため、という訳ではないらしい。
無視というよりも、命令から抜けるという感じの方がふさわしい。
どうやってかは分からないが、命令とは別の行動をしている時があるのだ。
改めて、あの時の魔法式を思い浮かべたが、さすがに命令無視をして自由に振る舞えるほどに破綻していたとは思えない。
思わず手綱を握る手を離し、寄った眉間に手をやった。
ドジっ子たちの様子に気がついたのだろう。
岩山の影から人影が現れる。
現れたのは鎧をきっちりと着込んだガサツだ。
岩山のふもとまでたどり着いた時には、スケルトンたちが並び、俺が馬を降りると武器を地面に突いて待機した。
「なにかあったか?」
するすると岩山から下りてきていた弓持ちの鎧姿が、一段前に出てきて簡単に首を振った。
何もない、それは何よりのことだ。
特に近くを街道が通っている訳ではないので、人に出くわしてトラブルになる可能性は極端に低い。
あるとすればあの村から出てきた騎兵と遭遇することだが、さすがにそんなくらいは想定して、人が現れたなら隠れろと指示してあった。
今いるスケルトンは皆、俺の指示を理解して、それを意志として実行できる。
想定外の何かがあるとすれば魔物の襲撃だろう。この辺りにも魔物は出る。
それに出くわしてスケルトンが減るのが一番困る。
ドジっ子の隣へと、やっと岩山から恐る恐るといった感じで下りてきたバンザイが立ち、大げさな敬礼をしていたが、それは無視した。
コイツの感じでは、やることがなくて暇だったのだろう。
特に何かをしていたとは思えないので、バンザイのことは放っておくことに決めた。
エキオンはどうやら出かけているようだ。
エキオンの補佐につけていたカタブツの姿もない。
そう思っていると、ちょうどエキオンが馬を駆っているのが遠くに見えた。
バンザイと同じくマントで全身を覆い隠していたが、バンザイと違ってはだけることなく、きっちりと身を包んでいる。骨身がちらりとでも見えることはない。先程のゴキゲンもそうだったが、遠目に見ても、怪しさ満点といった風情だ。
まあ、骨身をさらして走り回り、怪談じみた噂が広まるよりは、怪しい占い師か暗殺者のような姿の方が良いのだろう。
エキオンの後ろにはカタブツの姿もあった。
「それじゃあ魔力の補充でもしておくか」
俺の言葉を聞いて、バンザイが敬礼から万歳へとポーズを変える。
飯だ、とでも言われたつもりなのだろう。
手を上げた瞬間にまたマントが大きくはだけた。
俺がため息をついたのに反応したのか、骨身を隠せという命令がきちんときいているドジっ子が、自分の骨身を隠すように、そそくさとバンザイのはだけたマントを直した。
スケルトンがスケルトンの気を使う、そういう風に見える動作をする。
それを目にするのは別に初めてではない。
俺が使役するスケルトンには、たまに他のスケルトンを自身の一部のように振る舞う時がある。依り代たる古鍵を一緒に持っているせいだろうか。
だが、こうまでその光景が人と人の関係らしく見えるのは初めてのことだった。
戦闘中にかばう動作とは違う、他者を気遣うようなそれを。
「……バンザイ、いや、いい」
何かを言いかけて、何を言葉にするつもりだったのか分からず、口を閉ざした。
バンザイはそんな俺を見て、首をわずかに傾げていた。
「それで?どこに行っていた?」
「ここに来る途中、北に森があったろう?あそこの森が騒がしい」
スケルトンたちに魔力の補充を行いながら、エキオンの報告を聞いた。
昼なお暗い森。
ハーチェク大森林ほどではなかったが、そこも立派な魔物が潜む異境。
村からはかなり距離があったが、確かに途中、通りかかった。
エキオンと行動を共にしていたカタブツも、俺から魔力の補充を受けながら深くうなずく。
思わずゴキゲンとドジっ子を見る。
この2体は古株のスケルトンの中では気配に敏い。
しかし、2体は首を振った。
どちらも分からないらしい。
「まさかドラゴンって訳じゃないだろう?」
「それはない。いたら近づいた時点で目視できるはずだ」
それはそうだ。
反論の余地はなく、疑う必要もないだろう。
何か別のそれなりの格の魔物でも流れ込んだのか。
通り過ぎる時にはこの距離感で逗留すると思わなかったため、口にはしなかったらしい。エキオンは騒がしい気配がすると、気になっていたようだ。
「中まで入って調べたのか?」
「いや、外から少しばかり見て回っただけだ」
「村では別に話題に上がっていなかったがな」
あの村の兵士でも、森までは見回らないのだろうか。
変にヤブを突付いて、中の魔物に匂いを辿られたりしたらことだ。
年に何回かは入り込んで必要な兵力を揃えて駆除を行うこともあるだろう。
しかし普段からはそんな危険な真似はせず、あの村の兵士が森まで行くことはないのかもしれない。
ハーチェク大森林での振る舞いを見るに、エキオンの言には一定の信頼が置ける。エキオンの察知能力は、ゴキゲン、ドジっ子を超えていた。そこを疑っていても仕方ない。
「それで?エキオン、お前はどう考えている?」
端的に尋ねる。騒がしいだけでは何だか分からない。
俺は見ていないから、なんとも判断しにくい。
ならば、エキオン自身に判断をさせてみることにした。
もっと詳細に調べるか、放置するか、この場でもって警戒するか。
選択肢はこんなところだろうか?
その中で、何を正解とエキオンはするのか。
「外から得られた情報は何かの叫び声が森の外まで響いていたってことだけだな。もっと知りたいなら戻ってすぐにでも調べてこよう」
「叫び?何のだ?」
「さあな。あの大森林でも聞いた気はする。ゴブリンのそれに似ていたとは思うが、私に判別はできない」
エキオンがすべての魔物の叫びに通じているはずもない。確かにそれは道理だ。
憶測が嫌なら、調べさせるしかない。あの森はいかにも魔物の巣といった風情だった。魔物同士で食い合いでもしているのか。
同じようなことをエキオンも考えいていたのだろう。
「負けた方がこっちに来るかもな」
ぽつりとこぼした言葉に俺は顔をしかめた。魔物の多くは放牧民の生活に近い。
人里離れた場所でそこにいる動物たちを食らいつくし、餌が減れば別の狩場を目指して移動する。
群れが大きくなれば散らばることもあるし、逆に同種の別の群れと出くわして吸収されることもある。
そして同種、別種に関わらず、争いになることも決して少なくない。一度争いが起これば、どちらかがその狩場を去らねばならない。
騒がしいという魔物がゴブリン程度の小物なら大したことはないが、別の魔物だったりしたらまた話は変わってくる。
「……ゴキゲン、ガサツと見張ってこい」
今日はもう、ここで野営しなければならない。
今更場所を変えるには、下調べが済んでいる安全な場所というのがないからだ。
どこでこの国の人間に不意に会うかも分からず、別の魔物の巣に近い場所で野営する羽目になっても面倒という事情がある。
得た情報から、これからについても考えたい。そうして方針を得てから動くべきだとも思っていた。
「いや、それなら私が行こう」
「どうした?ずいぶんやる気だな」
ある程度、自由にして良いと命じてあるとはいえ、森の様子を見に行ったり、すぐにまた出ると言ったり、ここまで積極的に動きたがるエキオンは、作ってからこっち初めてのことだ。
だが、その理由はどうにもバンザイの考えるような安易なもので、内心がっかりさせられた。
「大森林ではそれなりに腕の見せ場があって良かったが、こっちに来てからは正直暇なんでな」
「ふん。好きにしろ」
エキオン、お前もか。
スケルトンが暇を訴えるなどというのは、ずっと経験のないことだった。
それがこうして立て続けに起こると、興味が湧くより先に、まじめにやれよ、という呆れが先だった。
「待て」
俺の言葉を受けて、再びカタブツと共に去ろうとしたエキオンを呼び止める。
そんなに余裕があるならば、確認したかった残りを片付けよう。
自身の手を握り、開く。
すべてのスケルトンに魔力を補充したばかりだというのに、魔力に不足はない。
「エキオン、一応聞く。お前、魔力に不足はあるか?」
この場に至るまでに、得た結論。
それは俺自身の身体の変化だけじゃない。
エキオンには、今に至るまで、他のスケルトンにするようには一度も魔力を補充していない。エキオンには魔力補充の必要がないらしい。
魔力消費がない訳じゃない。魔力によってのみ行動するスケルトンに、それはあり得ない。
どうやらエキオンは、俺から必要な分を自動的に補充しているようだ。
いや、もしかすると、俺から補充を受けているというよりも、俺自身の魔力を共有しているのかもしれない。
「いや、不足はない」
「そうか。なら、以前に言っていた創造魔法、それを試してから行け」
防御に不安がないからといって、いつまでも鎧無しという訳にはいかない。鎧はスケルトンの姿を隠すためにも必要なのだから。
俺から離れて行動するのなら、尚更だ。
創造魔法の準備を始めると、バンザイがはしゃぐように走り回る。
どうやらイベントごとだと思っているのかもしれない。
バンザイを興味本位で観察しても、得る物は少ないように思えてきた。
じっとしていろ。
そう命じられたバンザイは正座して、楽しそうに体を震わせていた。
それはそれで鬱陶しい。
そう思ってみると、バンザイは勢い良く敬礼をする。
命令通りに待機しています!
とでも言っているのだろうか?
疑問に思っても、バンザイには答えはない。
話すのがエキオンで、こいつじゃなくて良かった。
そう思いながらも、準備を進めた。
エキオンとバンザイを造ったあの村で死んでいた兵士たち、その壊れた鎧や、錆びて汚れた剣が地に重ねて置かれる。エキオン自身から、「必要になるから、荷物になっても持っていくように」と言われてここまで運んだ物だった。
その屑山にエキオンが手をかざすと、茜色の光が鎧へと降り注いでいく。
鎧を光が包み込むとやがて溶け出し、地の上で茜色に輝く水たまりと化す。どこかネクロドライブにも、インシネレイションにも似ている印象を俺は持った。
魔法によってほどけた鋼はまるで生き物のように蠢く。
創造魔法と言っても、無から有を造り出す完全なる創造をなすものもあれば、存在している物を造りかえて新たな形となすものもある。
今、エキオンが使っているのは後者だ。
聞けば、前者を使うこともできるらしい。
ただし、無から魔力のみを元に造り出された物質を安定した状態でこの世界に固定するには莫大な魔力を消費するだけでなく、常に魔力を送り込み続けなければならない。
常備する物とするより、攻撃魔法のように瞬間的に運用する方が使い勝手は良いらしい。それもいつか試したいとは思うが、様々な面で不安がある今の状況で魔力を空にされるのは困る。
それはもっと平穏無事な暮らしが確約されてからだろう。
蠢く茜色。
それがエキオンが築く魔力経路によって、ひとつの形へと収束していく。光は徐々に弱まり、それが消えた時には、ひとつの茜色の鎧が残った。
鎧には骸骨の意匠。
それは色以外は俺が着ている鎧に酷似していた。
聞いている創造魔法の内容から想像するに、ただ鋼を望む形に形成しなおしただけでなく、俺の依り代と同様に、魔法式に物質を取り込んでいる時点で、構造として内部に魔力経路を持ち、それが魔力を散逸させずに物質としての強度を高めているはずだ。
「どういうつもりだ?」
つい、睨むように尋ねる俺に、エキオンはまるでバンザイがやるそれのように首を傾げた。
「何がだ?」
「どうして俺の鎧と同じ形をしている?」
睨む俺にエキオンは軽く答えた。
「単純に格好良いと思っただけさ。マスターもそう思って着ているんじゃないのか?」
そんな訳ない。誰がこんな目立つ鎧を好き好んで着るか。
そう思ったが、俺は苦々しく睨むに留めた。仲良くお揃いの鎧を着る趣味などない。視線に不快感がこもるのを抑えきれなくなるのも当然だ。
外見的に真似しただけで、俺の鎧と同様に、周囲の魔力を集めたりまではしないだろう。それが再現されるなら、お揃いになってしまおうとも造らせる価値がある。だがいくら創造魔法とはいえ、そんな簡単に造れるような代物ではないはずだ。
スケルトンとは命じられるままに動く傀儡の人形のようなもの。
偽りの魂と意志。
肉体の記憶による行動。
鎧を造れと命じただけで、確かにどんな鎧を造れとまでは指示しなかった。望まない結果が出るのは、指示した俺の不足によるものだ。
それは分かっている。
分かっているからこそ、これ以上、エキオンには何も言わないと決めた。
気に入らないからといって、わざわざ魔力をまた消費して、鎧を作り直させるのは合理的じゃない。魔力は有限で、そして時間もまた有限だ。
……どうして俺は他人に鎧を造らせるのに、こうも失敗するのだろうか?
周囲のスケルトンソルジャーたちの鎧が目に入り、尚更嘆きたい気分になった。
普通の鎧で良いのだ。
普通の鎧が良いのだ。
妙な意匠に憧れるのは、成人を迎える前には卒業するのが大人というもの。
それなのに、エキオンが造った鎧はヘルムですら普通じゃなかった。
もともと、俺の着る骸装にはヘルムがなく、それで俺はヘルムを被っていない。
しかし、エキオンには骨身を隠すのに必要だ。
だから、付けさせた。
指示はしなかった。
こんな形で、こうしろとは。
エキオン、お前はいったいどこでこんな前時代的なヘルムの知識を得た?
エキオン造り出したそれはモヒカンのような飾りがあった。
なんて名前だったか……どっかの国の貴族が付けていた記憶がある。
コ……コリュス?
そうだ、コリュスだ。
今時、どこの国の式典でもしないような大げさな飾りのついたフェイスガード付きのそれを被り、エキオンは言う。
「うん。良いだろう?」
うん。どうかと思う。
声には出さなかったのは、創造主としての精一杯の思いやりだ。
スケルトンの美的センスに、とやかく言うのも馬鹿らしいと思っただけかもしれない。バンザイだけはそれを気に入ったようで、エキオンの周りを走り回り、はしゃいでいた。
もしかすると、動作も何もないだけで、他のスケルトンもカッコいい!とか思っているのだろうか?
問えば、肯定か、否定かだけは首を振る方向で返ってくるというのは分かっている。
だが、怖過ぎる。
理性でもって、そう問うのだけはやめておいた。
壊れた鎧はエキオンの鎧を造っても余りがあった。
エキオンにも、俺にも魔力に不足はない。
ならばと、はしゃぎ回っているバンザイの鎧も造ることにした。
動き回る度に、はだけるマントではこの先どこに行くにも不安しか無い。
今度は鎧の形に注文を付けた。
エキオンの傍らに立っているカタブツの鎧を脱がして見せ、同じ構造で表面上は普通の鎧でと頼む。
が、それに難色を示したのがバンザイ自身だった。
ものすごい勢いで、カタブツとカタブツの鎧をあれこれ指差し、地に置かれた壊れた鎧を指差す。
「……マスター」
「……言うな、エキオン。さすがにコイツが何を言いたいか分かった」
分かってしまった、と言うべきか。
要は「みんなと同じ鎧にしろ」と言いたいのだろう。
救いは俺とエキオンの鎧と同じにしろと言わないことか。
放っておけば、そう要請し出すかもしれない。
バンザイが俺とエキオンと同じ鎧を着て、あのへなちょこな剣技を披露する様を想像した。
それだけはなんとしても防がなくてはならない。
結局、エキオンに命じて、他のスケルトンソルジャーと同じ形の鎧を造らせた。
ただし、その色はエキオンと同じく、茜色のそれだった。
「さて、それじゃあ俺はもう今日は休むぞ」
やっとウムラウトの情報が入った。
次はどうにかして、この国の人間に上手く売り込めるように接触しなければならない。そのことについて、やっとゆっくり考えられる。
「ああ。何も心配はいらない。ゆっくり休んでくれ」
そう言うと、カタブツと共にエキオンは森へと向かっていった。
それを見送り、後はドジっ子、ゴキゲン、ガサツに見張りを任せる。
俺は小山に身を寄せるように張った天幕の下へと入った。
夜に休むのは久しぶりだ。
今いる場所は人と魔物との境界線上と言って良い位置だった。
魔物が住むのは森や山だけじゃない。草原にだって住むものもある。
それでも魔物が人の領域に近い場所を住処とするのは稀だ。
時折、魔物の群れの中に強力な個体が生まれ落ち、その個体がリーダーとなって人里を襲い、そのまま住み着くこともあるにはある。
しかし、基本的に魔物と人との間には境界線があった。
それがあるから村や街、国を人は築ける。
とはいえ絶対の領域ではない。
魔物も腹が減れば住処を出ることだってある。武器を得るために人の姿を探してうろつくことだってあるのだ。
この場所は魔物の住処である森と、人の住処である村との境目。
それは現状、人と魔物、その両方を警戒しなくてはならない場所でもある。
それならいっそのこと、後腐れなく殺せる魔物の側に近づいた方がよほど楽そうだ。
例えばあの森なんかがそうだろう。
それでもそうしなかったのは何故か。
都合が良いから?
そう思う端でちらりと思った。
いや、確かに考えた。
そうやって好んで魔物の側に近づき続ければ、俺はクソババアや、あの裏切者のように人でなくなるのかもしれないと。
魔物の側に近づくのは、人の側に近づくよりは余程簡単なことだ。
俺を守る、人を真似た魔物たちの群れを率いている限りはそうなる。
しかし、スケルトンは手放せない。
既にここにいるスケルトンたちは俺の半身と言えた。
それは俺自身を依り代としているエキオンだけじゃない。
昔はもっとスケルトンを、物として扱っていたような気がする。
ドジっ子を、ゴキゲンを、そしてカタブツ、ガサツを造り、それがどんどんと人の意志にも似た挙動を見せるようになり、俺の中の何かも変わっていった。
不意に視線を感じてそちらを見る。
天幕の隙間からヘルムに覆われた頭が覗いていた。
見張れと命じて、見張らないスケルトンには1体しか心当たりはない。
仕事に戻れと言う代わりに、追い払うように手を振った。
びくっと、一度ヘルムを震わせてから、覗いていた頭が消える。
誰の視線も感じなくなったのを確認してから頭を振った。
ずっと緊張のし通しだ。
疲れているのかもしれない。
一度、こめかみを強く揉みしだいてから、これからどうするべきか、それを考え始めた。
2015/4/29 改稿。
2016/4/2 再度、改稿。