ガミジン
俺とハルモニアがトレマへと辿り着いた時、未だ化け物はトレマを目指す途上だった。トレマからすぐに肉眼で見える訳では無い。
しかし、街は既に混乱に陥っている。
誰もが街から、国から逃げ出そうとしていた。
それはそうだろう。
強大な魔物が襲いかかりつつあるのに、国を守る兵士たちは出て行ってしまっているのだから。
自分達が守られていないことを誰もが知る状況となっていた。
それにしたって、酷い混乱だ。
ドラゴンの時にはもう少し情報に統制が取れていたのに、今は肉眼で化け物を誰もが見ているような騒ぎとなっている。
そんな中を俺はハルモニアと共に走った。
確かめるべきことがある。
きっともうこの国、この街にはいないだろう。
そう思っても、確かめたかった。
ダニエル・ノヴァクという男が、この国の未来を夢見た貴族が、本当は裏切者だったという事実を。
向かった貴族院は、既にまともに機能しなくなっていた。
ダニエルが揶揄したように、そのほとんどが自らの保身に走る、民よりも財を惜しむような貴族だったということだろう。
その中に意外な者を見た。
本当に意外だった。
そこにダニエルがいた。
幾人かの貴族と共に話し合っていたのだ。
真剣な表情で、この状況をどうするべきかと。
「ダニエル!」
叫ぶと、ダニエルが俺を見た。そこに浮かんだのは、笑顔だった。
笑顔?
あざ笑うようなものではなく、旧来の親友にしばらくぶりに出会えたような、そんな僥倖を喜ぶような笑顔。
「カドモス!戻ってきてくれたのか!君が来てくれたならば心強い!皆!ドラゴン退治の英雄が来たぞ!」
言葉に、周囲の者が希望のまなざしで俺を見る。あの砦の作戦室の面々と同じように。
とても裏でババアと共謀して国の転覆を謀っていたとは思えない。
どういうことだ?
俺はダニエルだけを引き離して、確認する。
ダニエルは側にハルモニアがいることを心底嫌そうに見た。
ハルモニアは平時の無表情のままだった。
「状況は聞いたん……」
「待て。まず最初に確認すべきことがある。ここに来る前に俺はひとりの男と戦った。ゲヴィン・クランというブレーヴェの兵士だ」
俺が語る言葉に、ダニエルの顔色が曇っていった。
そこにあるのははっきりとした不快の表情だった。
「敵国に通じていたのが父ではなく、本当は私だったと?馬鹿なことを。ならば、なぜ私は未だこの国にいる?魔物が迫っている状況で、共に滅ぼされかねないというのに、なぜブレーヴェに逃げない」
そうだ。その通りだった。
もう事は成ったのだ。留まる必要というのがひとつもない。
貴族というのは、ダニエルのことではなかったのか?
「だが、確かに君が私を疑うというのも分かる状況だな……この国で君のことを過去、現在と通じて良く知り、ブレーヴェと通じながらスケルトンを仕込んだり、大司教を殺したり、か……」
そこまでダニエルは口にして、目を見開いた。
俺にも同じ思いがあった。
閃くように。
声にせずともお互いの目に、同じ結論があったことを認めた。
「……ルークはどこにいる?」
その姿は見えない。まさか、俺の邸で俺の帰りを待っていると?
「この騒動が始まってからは見ていない。……私が父上を疑い出したのはルークを家に上げるようになってからのことだった。まさか、父上は……」
「今は、そのことは考えてる場合じゃない。一度、邸に戻る。いないとは思うがな」
ダニエルを置いて貴族院を出て、邸に向かう。
すべてはルークだったのだ。そう思えばより辻褄が合った。
ルークは大量の死体をアキュートから用意した。
業者を使って。
俺はその業者をフェネクスだと勘違いした。
実際には違う。
ババアだ。
既にアキュートに現れていたババアが用意したものだ。
フェネクスとは入れ違いだったのか、それとも出くわさないように気を使ったのかは分からない。
だが、俺がドラゴンと対峙している時点で既にアキュートにババアは現れていたのだ。
ジャックを殺したのは、次の段階にジャックが邪魔になると判断したためかもしれない。テネシーとイースによるただの私怨の線も有り得るが、ルークが動いた可能性は高いと思える。
どういう言葉を使ったのかは分からないが、テネシーとイースにジャックを殺すに足る動機を与え、ジャックを始末した。
そして俺がドラゴン退治をすると、次の行動に移った。
レッドスケルトンをあの村に送り込んだ。
あの時、ルークは同行しなかった。自由に動き回れたのだ。それこそ自らの手で運ぶ事すら出来たはずだ。
大司教がトレマに現れれば、俺と教会との過去を噂として流し、大司教を殺してまた噂を流す。
俺と教会の結びつきが強くなって、俺がウムラウトを出る事を危惧したのかもしれない。確かに俺はあの大司教を嫌ってはいなかった。
ダニエルのもとにブレーヴェからの使いが来たのも、俺がダニエルを疑うように誘導するためだったのかもしれない。
ダニエルが打ち明けなければ、ルークが言ったのだろう。
どうやらダニエルはブレーヴェと繋がりがあるようだ、と。
その間にも誰からも疑いを持たれなかったルークは、ブレーヴェとババアの橋渡しとなり、ブレーヴェを使って魔法審問を打ち切らせ、レッドスケルトンやスケルトン、それにあの大量のもどきを送り届ける。
すべてはこのタイミングに合わせるために。
ウムラウトを滅ぼし、俺を丸裸にするために。
「……私が調べた情報でも、確かにそれで辻褄が合う部分がございます」
「うまくジャックやダニエルを隠れ蓑にして、これまで動いてきたということか」
かつてルークは言った。
スケルトンは良い商材になると。
そして実際にブレーヴェに売り渡したという事か。
大した商人だ。
それにこうも言っていた。
例え目先に損となることがあろうとも、それがリスクになろうとも、商人にはそこに金銭と時間を掛けるべき時がある、と。
随分な時間をかけたものだ。
周りを欺き、捕らえられ、断罪されるリスクを犯しながらも、ずっとこの時を待っていたというのだから。
こうなれば、この街の混乱すらもルークが引き起こしたもののように思えた。
「ハルモニア、憲兵や軍の兵士は動かせるか?」
「……この状況では難しいかと」
今更、捕らえたところで、この騒ぎは治まらない。
アイツはただのスパイであって、首謀者ではないのだから。
それでも、野放しには出来ない。
出来ないのだが、こうも混乱していれば、至るところで争いが起こっている。
喧嘩に留まらず、強盗なども起きているはずだ。
それを治めるのに手一杯で、たったひとりの裏切者を探す余裕はどこにもなさそうだった。
「自分で捕まえるしかないってことか」
付き従うスケルトンに探させるというのも無理な話だろう。
下手に見つけ出して、その側にジョーカーが配られていたら目も当てられない。
今、この街にデスナイトなんて持ち込まれたら、それこそ化け物の襲来を待たずに甚大な被害が出る。
「全部が後手に回っているな」
これが本気の、本物のビフロンス、か。
恐ろしいなんてものではない。
すべてが手の内じゃないか。
じわりと手に汗をかいていた。
嫌な汗だ。
そう思っても、消す事はできない。
これは俺の根源的な恐れから来るものなのだから。
その手を握るものがあった。
……バンザイだった。
お前か。
お前じゃないだろう、この場面で。
単にキツい人ごみにはぐれそうになったから、それが嫌だったのかもしれない。思わず振り払って、代わりにドジっ子にバンザイの手を握らせた。
確かにはぐれてどっかに行かれても、こんな状況では回収すらできなくなる。
面倒な奴め。
そう思ってハルモニアを見れば、ハルモニアが微笑んでいた。
スケルトンと手を繋ぐ光景が可笑しかったのだろう。
「カドモス様のスケルトンは不思議ですね。不気味なはずなのに、どこか人間くささを見せる時があります」
人じゃないのだ。
そう思っても、どこかで人と重ねてしまう。
重なってしまう。
猫でも犬でも、飼っている内にそこに人と同じような性格を、個性を感じてしまうようなものなのかもしれない。
ましてやそれは立ち居振る舞いだけなら確かに人と同じなのだから。
「見る者の勝手な思い入れさ。コイツらにはきっとそんな気はないだろう」
思い入れ、思い込み、思い出す。
どれも人のすることだ。コイツらにあるのはただの命令、ただの判断。
個があるようでも、結局は使う者次第。
あのババアが使えば、そんなものはどこにもなくなる。
あんな人でなしに国なんてつくられてたまるものか。
それこそ路傍の石と同じくらいに生も死もなく人が扱われる国なんてあってはならない。
邸が見えた。
中に入れば、外の喧噪が遠ざかる。
最初に反応したのはエキオンとアカツキだった。
広いホールにふたつの人影。
ひとつはルークだった。
目を細めて笑って俺を見ていた。
もうひとつは金の装飾が輝く漆黒の全身鎧。
顔は見えないのだが、その鎧を見間違えるはずがない。
姿を消していたイースが、この混乱に乗じて姿を現していた。
エキオンは剣を抜いていた。
即座に抜いたのは、その危険度を見抜いたから。
「お帰りなさいませ。カドモス様」
「まさか、待っているとはな」
「意外でしたか?」
「ああ。意外だな」
「それは待っていた甲斐がありました」
「種明かしでもしてくれるのか?」
これまでの経緯を。
「それは必要ないでしょう?私がしてきたことなんて、もう分かっているはずです」
「いいや。分からないこともあるさ。どうしてあのクソババアに味方する?」
「前にあなたにも申し上げた通りですよ。私は魅せられたのですよ、スケルトンという世界を変える力に」
となりのイースは黙ったままだった。
俺に見せた敵意も、いら立ちも、怒りもない。
まるで別人のように静かだった。
ただ、傍らのルークを守るように立っている。
そう、まるで。
「もしも、あの方よりも前に、あなたに出会っていたならば、私はあなたのために全力を尽くしたでしょう。でも、私は出会った。あの方に。誰よりも先に」
ルークの傍らの鎧姿から黒いもやが溢れ出す。
それはまるで死のオーラ。
俺はそれを知っている。
エキオンとは、スパルトイとは正反対の、夜の冷気を思わせる。
「デスナイト」
鎧はイースのものだった。
だが、中身は俺の知るデスナイト、アーレスだったのか?
いいや、違うだろう。
アーレスとは体格が違う。コイツは確かにイースと同じ体格をしている。
「半分は正解です。まあ、出来損ないですよ。私にはこれが精一杯でしたので」
「なに?」
なんて言った?
私には?
「同じ師に出会ったならば、同じ魔法を使えるのは不思議ではないでしょう?」
イースが左手の手袋を外して、その甲を俺へと向ける。
そこには真っ黒な輝きを放つ刻印があった。
依り代だ。
イースの左手に、確かにそれがあった。
「さて、私は師より、あなたの死を命令として賜った。イース、すべてに滅びを」
幅広の両手剣を手にして死を司る騎士が走る。
エキオンが正面から迎え撃つ。
斬撃が噛み合い、剣戟が始まる。
「すべてに静寂を。すべてに沈黙を。すべてに死を。私はすべての苦痛を海に沈めるもの。あらゆる魂を母に捧げるもの。私の名はガミジン。永劫の悪魔に名を連ねるひとりなり!」
滅んだ72の魔物。
悪魔。
自らはそのうちのひとつであるとルークは名乗った。




