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スケルトンの述懐  作者: ぎじえ・いり
本物のビフロンス
33/48

暗殺

 トレマの復旧作業を行っていると、時折、ミハエル・エンデ大司教が顔を見せることがあった。

 大司教はトレマに来てからというもの、良く街の中を歩き、人々を慰めて回っているらしい。

 そうした中で、俺にも会い、食事に誘われることも多かった。

 だが、俺はそれになかなか応える気にはなれなかった。

 特に聖人というものになる気は無い。その気がないのに会っても無駄だろう。

 そう思っていたのだが、ある時、ルークに言われた。


「少し、カドモス様に悪い噂が広まっておりますようです」


 それは、俺が教会を嫌っているというものだった。

 街での大司教の噂は概ね良いものだ。街が大変な時に訪れた教会の人間。それも権威ある大司教が自ら回って人々を慰めている。

 このことに感化して、教会に足を運ぶようになった者も増えているという。

 勿論、ただの人気取りだと揶揄する者もいる。だが、比べればこちらは少数と言うほどのものだった。

 そんな偉人の誘いを英雄は断り続けている。


 教会とは相容れない思想でもあるのではないか?

 過去に何かあったのではないか?


 そんな噂が囁かれ始めていると言うのだ。

 いくら英雄なんて呼ばれていても、一昼夜の内に街を何もかも元通りにできる訳では無い。ドラゴンを倒した偉業も少しずつ風化していく。

 ルークは言う。

 民衆の根も葉もない噂でも、それが時に政治を動かすことに繋がることだってある。あまり噂を軽視するべきではないと。

 今は敬われていても、結局自分の暮らしが変わらず、悪くなったりすれば、恨んだり、ねたんだりするのが民衆というものだ。

 俺は絵物語の英雄ではなく、今を生きる貴族でしかない。

 それであれば、何かをきっかけにして評価が変わることもあるだろう。


 そこまで気にすることか?


 そう思わないでもなかったが、別に大司教その人に対しては、大きな悪感情というものはない。それで噂を少しでも消すために、俺は大司教と食事を共にすることにした。






「それで、聖人となって頂く決意は出来ましたかな?」

「残念だが、そのつもりはない。俺が救いたいのは見ず知らずの国々の教会で祈りを捧げる者たちじゃない。今、目の前にいるこの国の者たちだ」


 いきなり世辞も挨拶もなしに、本題に入ってきたので、俺の方も決めていた答えを端的に告げた。

 予想していた答えだったのか、大司教は笑みを絶やすことはなかった。


「確かに、ドラゴンが去ったとはいえ、未だこの国には苦しんでいる人々が大勢おります。そうした人々の救済をなさずして、より多くの人々の救済などとは、気の早い話でしたな」


 実際の被害の状況を見て回っているから出た言葉だろう。ガレキの撤去もままらなず、未だ崩れたままの家というのも少なくない。そうした人々を置き去りに、どこかへ行ってしまって聖人なんて、笑うしかない。

 大司教はどうやら俺の気が変わるのを待つつもりらしかった。滞在予定を尋ねれば、もう半年くらいはこの街にいるつもりらしい。


「同じことでしょう。目の前に苦しむ人々がいるのに、少しの間だけ滞在して言葉をかけて、それが済めば去ってしまうなどで、いったいどれほどの人々の信が得られるのか。私の最大の努めは、この国の人々と共に、苦楽を共にし、人々の助けとなることです」

「それがただの人気取りだ、なんて声もあるようだが?」

「そういう一面があることを、オストワルト様にだけは否定いたしません。しかしながら、誰が否定出来るのでしょう?私が人々を助け、力になりたいと僅かながらでも思い、尽くしていることを。善意も悪意も、ただの一面に過ぎません。完全な善意、完全な悪意でなければ信じられないと言うのならば、そのお方は果たしてどちらをお持ちなのでしょうね?」


 誰かに優しくする時に、そんな自分が人からどう見られるのかを、完全に意識しないで行動できるか。

 まるで鏡があるように、そこに写る自分の姿を見ることはないか。

 誰が相手でも、どんな時でも。

 こう思われたい、こう思われたくない。

 そんな気持ちがないか。

 あったとして、どうしてそれが悪いと断ずることができる?

 鏡があることで、正しい行いができるのならば、その鏡は否定されるべきものではないだろう。

 偽善だって善の内。誰もが偽善をなしたならば、そこにあるのは善の国だ。

 結局、善や正義は、ただの顔。

 それが内実を、そして真実を表しているとは限らない。

 どんなに綺麗に心に響いても、どんなに救われても、相手に顔が映っているだけだ。誰にもその裏側なんて見えやしない。

 だから、自分の正しさに向き合って生きるしかないのだ。


「かつてこの世には悪魔がいた」

「滅んだ72の魔物、ですか?」

「そうだ。人にとって害悪にしかならず、やがては人を滅ぼすとされながらも滅ぼされた魔物たちだ」


 かつての人間は弱い存在だった。ドラゴンどころか、それ以外の魔物にも滅ぼされそうになっていた。そうした脅威の中でも特に恐れられていた72の魔物たちがいた。

 バエル、アガレス、マルバス、アモン、バルバトス、それにビフロンス、フェネクス。

 今では傭兵や暗殺者たちにその名前は受け継がれているのだが、この悪魔の名で呼ばれる者たちには共通していることがある。


「その悪魔になぞらえて、あだ名される者たちがいる。俺もそのひとりだ」

「自ら進んで悪を為す、でしたかな?」

「そうだ。人を殺し、他国を滅ぼし、他人の死を利用する。そうして俺はあの頃の教皇に不快な存在とまで言われた。俺は教会にとっては、その完全な悪意という奴の稀な持ち主ということになっていると思っていたんだがな」

「前にも申し上げましたが、今の猊下はそういうお方ではありません。私と同じく、人間が完全なる悪意を持ち得るとは考えておりません」


 思わず笑ってしまった。

 いるぞ?そういう人間は。

 それもすぐ側に、だ。

 あのババアには悪意しかない。善意などというものを欠片たりとも信じていない。いや、知らないのだろう。あのババアは生まれながらの悪魔だ。

 だからこそ、あのババアこそが、本物のビフロンスなのだ。


「まあ、あんたと話していると、少しばかり教会の人間にも興味というのは出たのは確かだ」

「それは僥倖の極みですな。私がお会いすることができて、本当に良かった」


 笑う姿はまるで善意しかないようだが、それを自ら否定もして見せる。

 善意も、親愛も、悪意も、打算も、それらすべてがあってこその人間なのだと笑い飛ばすようにも見えた。

 用件は済んだとばかりに、この後には普通の雑談をして別れた。

 教会自体には色々と思うところがあるのだが、少なくとも大司教に対しては、思うところというのは少なくなっている。

 半年後にはそれこそ本当に少しくらいならば教会のために、何かをしても良いと思ったかもしれない。

 ミハエル・エンデ大司教が暗殺などされなければ。

 俺と食事を共にしたこの夜、ミハエル・エンデ大司教はトレマの大聖堂の片隅で胸を刺され、自ら流した血だまりの中で息絶えていた。






「まさかとは思うが、君じゃないだろうね?」

「そんなことして何の得がある?」


 思ってもみないことで膨大な時間を取られることになった。

 憲兵の訪問も受けた。呼び出しではなく訪問だった辺りはまだ配慮がされていると思うべきなのか。

 俺は大司教と別れた後にはずっとルークやハルモニアと一緒だったので、俺自身の犯行ではないとすぐに証明出来たのだが、どうやら憲兵の中に、俺がスケルトンで襲わせたのではないかと疑う者がいるようだった。

 すべてのスケルトンの所在についても確かめられ、そのひとつひとつの確認にも付き合わされた。

 どうやら殺人者について、有力な手がかりというのがないようだった。誰が、何の目的で殺したのか、その予想すらもついていないようだ。

 単純に考えれば、そんなものは同じ教会内の誰かじゃないだろうか?教会内部なんてのは、貴族以上の権力闘争の舞台だ。特に今は再来派と安寧派の争いだってある。そちらの方のごたごたで暗殺者でも送られたのだろう。

 そうは思っても、教会という閉じた世界に、一国の憲兵が踏み込んでいけるはずがない。つまりは調べようがないのだろう。

 暗殺者にしたところで、既にトレマの外に出てしまっているに決まっている。殺された時点で、勝負は決まってしまったのだ。

 それでも、俺を調べにきたのには理由があった。

 また噂だ。

 それは俺が大司教を殺したのではないかという、まさしく根も葉もない噂だった。


「昔、教皇様に嫌われていたそうじゃないか?」

「それを恨みに思っているなら、当時の内に教会を襲ったさ」


 実際にはそんなことはしなかった。

 つまりこれはただの冗談だ。

 ダニエルには通じなかったようで、苦笑が浮かぶのみだった。

 まさしく噂では、その昔の教皇のお言葉とやらが引用されているのだった。


「誰かが意図的に流しているとしか思えませんね。これだけ短い間にこうも街中に広まっているのですから」


 邸を訪れたダニエルは気晴らしにとビリヤードルームに俺とルークを誘った。あらかじめハルモニアの予定を調べていたのか、丁度軍に趣いていて留守の間のことだった。

 側には勿論、エキオンもアカツキもいる。部屋の片隅にはいつの間にかバンザイの姿もあった。興味を持ったのか、キューを手にしようとして、それをエキオンに止められていた。俺もこっそりと黙って見ているように命令した。

 ルークの側には以前に倉庫で造ったスケルトン、ソウコの姿もある。俺を襲ってくる暗殺者がいるのならば、ルークが襲われることもあるかもしれないと考えて、護衛に付けさせていた。ダニエルには山のように私兵が付いているので、まず心配ないだろう。

 ところが、襲われたのは俺でも、ルークでも、ダニエルでもなくて、なぜかあの大司教だった訳だ。


「……殺しを指示した奴がまだトレマの中にいるってことか?」


 わざわざ矛先を俺に向けるのならば、そこには俺以外に向いては困る矛先があるのだろう。そう口にしながらも、手球を突いた。的球には当たったものの、ポケットに入るにはいたらなかった。


「かもしれません。ですが、誰がどうやって襲ったのかも分からない状況では、それこそ調べようがございませんが」


 そう言って、突いたルークはそつなくポケットに的球を沈める。どうやら得意らしい。ダニエルも上手いのだが、ルークの方がより上手かった。


「君に何か恨みでもあるんじゃないか?」

「……恨みなら、色んなところから買い過ぎていて、どれだか分からんよ」


 そう思いながらも、一番に思い浮かんだのは、金飾りの黒鎧、ジャックを殺して行方知れずになったイースのことだった。

 佇まいからして暗殺者じみていたあの男ならば、確かにことをやってのけそうだ。

 ただ、その後の噂を広める辺りまでは得意そうには見えなかったが、それも金を使えば済む話か。

 勿論、なんの証拠もない。ただの心証だ。

 ルークがミスして、ダニエルが構えた。


「なかなか清算できないものだな、過去というものは」


 そう言って笑う目がやや真剣さを帯びているのは、例の父親の件があるからだろう。手球が的球に当たる。的球が転がり、ポケットへと進んでいく。やや力が弱かったのか、的球はポケットに落ちる寸前で止まった。

 未だ、父親の件は公表されていない。資料が揃えばすぐにでも行うつもりだったのかもしれないが、大司教の死という事件に湧いている状況で公表するべきなのか、迷っているのかもしれない。


「それがあるから、誰しもが今を生きているものですよ」


 ルークが笑って続けた。

 確かにその通りだ。

 ポケットへと最後の球が落ちる。

 意外に大きな音が室内に響く。

 俺はあっさり失敗し、ゲームを終わらせたのはルークだった。

 次までにはもう少しうまくなっておこう。

 そうルークに告げると、ルークは笑ったまま返す。


「そうでなくては、面白くありません」と。


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