冬の訪れ
村に戻っても、結局は誰からもスケルトンが1体増えていることは咎められなかった。魔法審問の件もあるから、トレマに戻った時の方が心配がある。
村での滞在は当初の予定よりは3日ほど延長された。
その間にレッドスケルトンが再び現れることはなかった。
俺のババアに対する認識が間違っていなかったということだろう。
トレマの方で元々決まっていた予定もあったので、これ以上の延長は難しいという判断をハルモニアがして、トレマへと戻ることとなった。
道中にトラブルはなく、むしろ静けさすら感じるほどだった。
もう冬と言って間違いないほどに冷え込んできている。
野山から生命感が薄れる季節になった。
そのせいだ。
そう思っても、外気の寒さとは違う、薄ら寒さを俺は覚えた。
冬の訪れと共に、俺はトレマへと戻った。
ハルモニアが軍に、ダニエルが登録された奴隷、つまりスケルトンの数をごまかしてくれたために、スケルトンが1体増えたことについては、この後、特別に問題にはならなくなる。
いや、そもそもとしてスケルトンが何体増えていようとも、もうこの時点で問題とはならなくなっていたのだ。
昼過ぎにトレマに入り、ルークと共に邸に腰を落ち着けたのは夜のこと。
ハルモニアは色々と手続きもあるために、邸には戻って来なかった。
ダニエルもちょうど夜の予定が無かったようで、俺の邸を訪れ、食事を共にすることとなった。
そこでダニエルから聞かされたのは、驚くべき内容だった。
「魔法審問は終わった。君があちこち回っている間にね。結果から話そう。ネクロドライブは戦術魔法にはあたらない。正式にそれがこの東方8カ国では共通の認識となった」
「なぜだ?」
この件では特にブレーヴェが声高に主張していたはずだ。実際に俺を雇っていたアキュートがまともに機能していれば、アキュートもいくらかウムラウトに賛同してくれたかもしれない。
それでも、スケルトンの性質を考えれば、きっと戦術魔法に指定してしまいたいと周辺は考えるはずだった。
なにしろ数を揃えられれば兵站を考慮せずに進軍出来る、恐るべき軍隊が出来るのだから。
それを西方で夢見た国もあった。結局は失敗していたが。
ネクロドライブが戦術魔法の指定を免れれば、如何にでも運用できてしまう。
なぜ、周辺の国々がそれを許容したのか?
「発起人であるはずの、ブレーヴェが手の平を返したからさ」
「有り得ないだろう?」
「そうだね。私もそう思うよ。でも、実際にそうなった。こうなってくると、軍の再編すらも有り得る。今頃、軍の方でもどうするのか、議論が続けられているはずさ」
きっと明日にでも、軍から呼び出しが掛かるだろう、とダニエルは笑って告げた。ちょうど次の料理を運んできていたルークが続ける。
「いずれにせよ、元となるべき奴隷……つまり死体がどこからか調達できなければなりませんが、少し状況が変わっておりますので、すぐのことではないかと」
「……アキュートから、とはもういかないのか?」
「はい。実は以前に話を通した業者と連絡がつかなくなってしまいましたので」
今、アキュートは更に酷い状況だとルークは言う。
すべての人里は壊滅状態。
僅かに生き残った人々は生きる気力を失っている。
自力での再建が望める状態ではない。
他国も、そんな国に侵略しても得られる物は無い。領土は切り取り放題なのだが、なにしろゼロから国を作るようなものだ。そんな労力は一朝一夕には出せない。それで今は放置されている。
ルークが使った業者というのは、きっとフェネクスと関係のあるものだったはずだ。それが連絡がつかないというのは、フェネクスが既にあの国にはいないということを示すのではないだろうか?
どこかへ消えたのだ。では、どこへ?
すぐに直感が働く。
最近、事情が変わったらしい国がある。
スケルトンを使うことを反対していたのに、急に認めた国が。
今、フェネクスはブレーヴェにいるのではないのだろうか?
「まあ、君が実際に戦場に出れば、それですぐに部隊をひとつ増やせる、そう考えるだけでも戦術は随分変わるだろう。軍がそれを期待しないはずがない。結局のところ、死体がなくては使えない魔法、というのが一番の決め手になったようだ。何も土から無尽蔵に兵士が湧いてくる訳では無いのだからな」
「それと、カドモス様が暗殺されるだけで、使い手がいなくなるというのも考えたのかもしれません。しばらくは警護を増やされた方がよろしいかと」
以前に暗殺者の存在について聞かせたからか、ルークがそう警告して次の料理を取りに向かった。
ふたりの言う話は確かにもっともだ。
状態の良い死体がいる。
しかしだ、実際に五体満足で損傷のない死体なんて、そうそう簡単に用意出来るものではない。
戦場でならば必ずどこかが損傷している。全身を金属鎧で覆っていながら、それでもなお死に至るのは、だいたいが内蔵と共に骨も砕けたりしている。それに大勢で走り回る戦場で倒れ伏せば、馬に人にと踏まれて酷いことになる。
ドラゴンに燃やされるのとは訳が違う。
そう単純で簡単な話ではない。
平時では、そもそも一時にそんな大勢の人が死ぬと言うことはない。
流行病でも起これば有り得るが、それも常時蔓延するものでもなし。
病で死んだ者の死体ならば、身体は弱っていて使い物になるかは怪しいものだ。
心臓をひと突きにされて死んだりしてくれれば助かるのだが、一般の人間同士での争いというのは、喧嘩の延長線上でしかない。それも、やりすぎてしまって死んだというふうになりがちだ。頭蓋骨をかち割られて、なんてこともざらにある。
それで千や万の死体を集めるというのは、なかなかに至難の業だ。
そして、暗殺者か。
スケルトンが増えるのを防げるもっとも合理的な手段だ。
俺が死ねばそれで終わる。
確かにそうだ。
今のところは俺しか使えないというのが一般的な認識なのだから。
ただ、エキオンとアカツキがいる現状で護衛を増やすような事態というのは考えられない。エキオンもアカツキも、一時も離れることなく俺の側にいる。今も静かに、存在を消すようにして背後に控えている。
一番警戒するべきは、毒殺くらいのものだろう。
これには護衛うんぬんよりも、ルークにしっかりと目を光らせてもらうしかない。負担が増えるのはむしろルークの方だ。
俺にとっては突飛としか思えない話を聞いて、考え込んでしまい言葉が途絶えた。ダニエルはそれを待つかのように、黙っていた。
どうにもブレーヴェがきなくさい。
あの国で何かが起こっている。そんな気がする。
そう考えてしまうのは、俺のものではないスケルトンが、俺の前へと現れたタイミングだからだろうか。
ブレーヴェ。今は死んだジャックが通じていたとされる国。
ダニエルを見た。
ダニエルはジャックとは違う。そう思っていても、ついそこには何かがないのか?と考えてしまう。
志も信条も違う。ジャックとダニエルとは別の人間なのだ。
何かはあるんじゃないか?そう聞いてしまうこと自体が、ダニエルにとって許しがたいかもしれない。
そこでやっとダニエルは口を開いた。
「何か聞きたそうだね?」
「……そうだな。そうだ。ビフロンスの件はどうなった?」
俺は別のことを聞いた。
レッドスケルトンのことを考えれば、最初に聞くべきだったのかもしれないと、今になって思った。
「影も形もない。なんの噂も、それらしい事件も聞かない。まったくのお手上げ状態だよ……」
少なくとも、国内にはあの1体のレッドスケルトンくらいしか、手がかりはないということか。
ダニエルは続けて何かを言おうとして口を開き、実際には何も言わずに口を閉じた。手元のグラスを見つめる。
そこに浮かぶ自分の顔を見つめるように。
聞くべきじゃない、俺はそう考えたのだが、どうやらダニエルの方は聞いてほしかったようだ。それだけの事情が、俺がトレマを離れる前には無くとも、今はあった。
「実は少し私の方で動きがあってね」
「それは?」
「……君も知っての通り、父上には隣国への伝手があった。父上がなくなり、それはすべて消えたと思った。私自身には何の伝手もなかったしね。誰と接触して、誰に話が行き着くのか、私は何も知らない。しかし、だ。先日、手紙が届いてね。差出人は不明だが、内容は呼び出しだった。表には看板を出していないとある店に来いってね」
「行ったのか?」
「ああ。行った。直感的に父上に関することだと思ったからね。違う可能性もあったが、私にはそうとしか思えなかった」
そこでダニエルはひとりの男と会ったという。
「相手は名乗らなかった。用件は端的に言えば勧誘だ。君を連れてブレーヴェに来いってね」
地位と金。
それがあの国で約束されているという。
それが魔法審問を終わりにした理由だろうか?
ジャック相手の繋がりを活かして、ダニエルを通じて俺を招聘できると?
それが理由なら、迂闊にもほどがある。
ダニエルに接触するかしないかの間では、何の確約も無い。それでも事が運べると、成せると普通は考えたりしない。そこに何かがなければ。
「何か弱みでも握られたか?」
「なぜそう思うんだい?」
「普通に考えて、父親が子どもにも打ち明けていなかったことを、いきなり子どもに言ってそれで国を捨てろなんて成功するはずがない。交渉する時には、飴も鞭もあった方が良い。最初に飴を見せて、相手が聞かなければ鞭を見せるのは、良くある話だろ?」
飴には飛びつかない人間でも、鞭で打たれたくはない。見せられただけで意見を、立場を変える人間はいる。問題は、ダニエルはどちらか?ということだ。
「なるほどね。弱みならば確かにある。ジャック・ノヴァクが隣国に通じていた。そう国内に知れ渡れば、私はこの国にはいられなくなるだろう」
「そうだな。俺が相手の立場ならば、俺でもそれは考える。で?なんて答えたんだ?」
「考える時間をくれるそうだよ。だから返答はまだしていない」
「まだ、か」
脅すからにはきっと証拠もあるに違いない。貴族というものは、その政治生命を失えば、ただの平民として生きれば良いというものではない。
地位と金をくれると言うのならば、そちらで生きた方が生きやすいに決まっている。
だが、ダニエルには夢がある。
この国の貴族政治を刷新し、新たな国として栄えさせる夢が。
それを簡単に捨てられるのか?
実の父親を表舞台から排除してまで進めたいと願った夢を。
「安心してくれ」
ダニエルは気が付けば笑っていた。笑って俺を見ている。
「君を隣国に売るつもりはない。私もまだこの国でやりたいことがある。だから、今、この国を出る訳にはいかない」
「脅しにはどう対処するんだ?」
「父上が死んだことで見られるようになった資料も多い。隣国に繋がっているとはっきり分かる証拠もあった。せっかく英雄になってもらった父上には悪いが、きちんと生前の罪を償ってもらうことにしよう」
息子自らが父親の罪を告発し、その処罰を貴族の家として自ら受ける。
そうすることで、ダニエル自身の潔白を証明するつもりらしい。
告発を受けるよりも、自ら処断する、その方が傷は少ない。
「それでは、夢は遠ざかるんじゃないか?」
貴族としての家が無くならないように上手くやれたとしても、少なくない財産を失うことになるだろう。貴族院での力も弱まる。それでもやるのだろうか?
「少しばかり遠回りにはなるが、仕方無いさ。それに、私には君がいる。カドモス、君という英雄がね」
「そうか。そうだな」
俺は笑った。確かにそうだ。ドラゴン退治の英雄が側にいれば、少しくらいの醜聞なんて消す機会はいくらでも生まれるだろう。
「それじゃあ、ブレーヴェに攻め入るチャンスがあったならば、お前も俺と共に出陣することだな」
俺にも戦場に出られるチャンスというのが出来た。俺がブレーヴェを打ち倒すだけで、ブレーヴェに関する醜聞を消すことができるはずだ。
ダニエルも笑って答えた。
「そうだな。その時にはあの国も、我が国の一部としよう」
まだ憂いの影は見えるが、それでも俺の言葉に吹っ切れるものがあったのか、目には生気が満ちていた。
「それで、だ。私が会った男が妙なことを言っていた。今、ブレーヴェでは、無敵の軍隊、なるものを作っているらしい」
「なんだって?」
「無敵の軍隊、だそうだ」
そんなことを標榜する軍というのは、意外に多い。
国の内外に喧伝するのにありがちな文句だ。
そんなものが出来るから、俺がこの国にいても関係なくなったのだろうか?
「君がブレーヴェに行けば、それはすぐに完成するらしい」
「作っている、ってことは、俺が行かなくとも進んでいるということか?死体を集めているとかじゃなくて?」
「君が行かなくても、完成はするらしい」
「じゃあスケルトンじゃない何かで部隊を創設して、そこに俺がいれば更に補強出来るとかそんな意味合いか……まったく想像がつかんな」
「正直、酔っぱらっているんじゃないか?と疑ったんだが、そんな素振りはなかったな」
「素面で酔っているような人間だったんじゃないのか?」
主に自分に、だ。
そんな奴も意外に多いものだ。わざわざ酒場に行かなくても、ちょっと裏通りに入ったり、あるいは偉いとされる人間が集まる場所に行ったりすれば簡単に見つけられる。
……本人には直接言えないが、ダニエルにも多少そういう面はある。
「まあ、無敵の軍隊とやらを見せてくれるというのなら、それは私と君が向こうに行くか、それともこのウムラウトに攻め入ってくるか、そのどちらかだろうね」
ちょうどそこまで話したところでルークが現れた。もうすべてのメニューが出切ったようだ。
「何の話でございましょうか?」
にこやかに笑ってルークが尋ねる。
それになんでもないようにダニエルが答えた。
「魔法審問が終わったのだから、きっとブレーヴェは動くだろう。それにいかに上手く対処し、さらに今以上の力を手に入れるか、そんな話さ」
少しばかり違和感を覚えた。今の話はルークにはしていないのだろうか?ちょうどルークが外しているタイミングでの話だった。それは狙ってなのか、たまたまなのか。
だが、それをルークがいる前で確認する訳にはいかないだろう。
ルークも卓についたので、話を逸らすという訳じゃないが、俺はあの村であったことを話す。どうせ話しておかなくてはならないのだから。
レッドスケルトン。
ババアの影。
どこまで近づいてきているか分からないこと。
ハルモニアも知っていて、おそらく軍にも動いてもらうことになることを。
ハルモニアの名を聞いた時、ダニエルの顔に苦みが走る。
そういえば、ダニエルはハルモニアのことをあまり評価していないようだった。
いや、はっきりと嫌っていたように思える。
それを尋ねると、ダニエルは表情を変えずに答えた。
「あの女はずっと俺の監視を行っていた。警備だなんだというのは表向きの任務で、あの女は、ブレーヴェと繋がっていないか、何かその証拠がないか、ずっと嗅ぎ回っていた」
ああ、なるほど。ハルモニアは俺にも言った。
ジャックは隣国の間者なのだと。
だが、ダニエルは違う。やってもいないことを疑われ続けたら、それは嫌いもするだろう。
「カドモス。君も気を付けるんだ。あの女が君の側にいるのは、監視だ。将軍は軍の権力を増強させたいと願っている。貴族院を顧みずに、独自の裁量で自由に戦いたいと願っている。あの男は未だに大戦の火をくすぶらせているんだ。必要な戦力があっても、安易に頼ってはいけない。くれぐれも肝にめいじておいてくれ」
ハルモニアと将軍の意外な一面が見えた気がした。
勿論、これはダニエルの視点であって、それがすべてではないだろう。
「心配ない。今はなによりもあのババアのことだ。ドラゴンなんかよりも知恵の働く、ある意味ドラゴン以上の人間の天敵だ。正直どんな手を打ってくるのか、まるで読めない」
ダニエルにはそれなりに話したが、ルークにも聞かせるつもりで改めて語った。
本物のビフロンス。
その悪行を。
その悪を。
冬の凍てつく大地のように、すべてを等しく死に絶えさせる、そんな老婆の苛烈さを。
冬と共に本物のビフロンスがやってくるのだと。




