思い
2016/04/21 改稿。
エキオンのこと、これからのこと。
考えるべきことはいくつもある。
だが、それらのことには意識を向けられなかった。
野営地へと戻る道すがら、何かを尋ねてくるかと思ったナーは何も言わずに俺の前を歩いて行く。
「何の話だったか?とは聞かないんだな」
俺の言葉にやっとナーは振り向いて、僅かな間だけ俺を見る。
「聞いて欲しいのでしょうか」
「いいや」
「それならば、私からお聞きすることはございません」
「そうか」
このタイミングで教会から声が掛かるということは、想像するだけならば簡単だ。
力を示した者にはあらゆるところから声がかかるものというのは誰にでも分かる。
本人が望むと望まないとに関わらず。
その一環に違いないとナーは思っているのかもしれない。
ナーの考えはともかく、今の話の内容は話すべきではないだろうと、大司教が去り、冷静になった頭で思考する。
さっき大司教に放った言葉とは逆だったが、誰にも話すべきではないだろう。
それは教会のためなどではない。
自分自身のためだ。
全土に広がる教会の信用と、ドラゴンを倒したとはいえ、この周辺でしか知られていない英雄の信用と、それを天秤に掛けた時、果たしてどちらの側へと傾くのだろうか?
ウムラウトが仮に信じたとして、それだけでどう世界が変わるだろうか?
きっと何も変わらない。
あの終わらなかった大戦と同じだ。
どこの国が勝っても、誰が生き残っても、戦争は続いた。
勝利は新たな敵を作り続けた。
新たな領土は新たな敵との隣接点。
生き残った者は次の戦いに生命を賭ける、降りられない最悪のギャンブル。ベットは常に自らの生存と加担した国への勝利のみ。
そんなものはもう御免だ。
だから西から東へと逃げてきたのだ。
無用な争いを自ら望むことはない。
教会にドラゴンがいるという事実は確かにある。そのはずだ。
大司教が公然と嘘をつくにはあまりにもいろんなピースが合いすぎる。
でも、それは俺の認識しているピースによってそう見えるだけだ。
この頭のなかのピースが誰の目の前にも提示されないかぎり、それは事実ではない。少なくとも世界にとっては。
もう長いこと人間の敵は人間だったのだ。ドラゴンほどではなくとも、強力な敵となる魔物はいる。にしても、国や種が滅ぶ程の敵は人間だけだった。
ドラゴンがいて、常に人々が怯えていた時代は太古と呼んでも相違ない。
誰も見たことがない存在なんて、空想上の魔物、おとぎ話の妖精でしかないのだ。それを信じるには、直接目にするしか方法はない。
ドラゴンを操る大司教の姿でもあって、率先して世界を混沌に至らしめ、それを直接世界中の人々が目にすれば信じるかもしれないのだが、現実にはフェレータがあの場にいた事を知る人間すらいない。
つまりは酔っぱらいの戯言以下だ。
俺がそんなことを口にしたところで、過去に何か因縁があったのかと疑われるだけに違いないだろう。
証拠を示せと言われても、具体的にどこにあれがいるのか、知っている訳でもない。俺だけが知る事実があっても、それは俺自身にとっての事実に過ぎないのだ。それを共通の認識とするには、必ず労力と時間が必要になる。
ただ、他者に話すだけではなんら意味がない。
ドラゴンによって死んだ人間は大勢いる。
そうした人間たちがこの真実を知りたいと思うか?
答えはノーだ。
むしろ、そんな妙なことを言い出す俺を、イタズラに人心を惑わす悪と断じられてもおかしくない。
真実とは、人が信じるに足るべき内容でなくてはならない。
誰からも信じられないものを真実とは呼べないものだ。
必ず目をそらす。それどころか目を閉ざし、耳を塞ぐ。
ドラゴンは滅んだ。
もう人の目に触れるべき存在ではなくなってあまりにも長すぎる時間が経ったのだ。
その夜は目を閉じても、なかなか眠ることはできなかった。
酷く落ち着かない夜を、落ち着かないままに過ごし、それを察したのか、わざわざ天幕を覗き込んでくるスケルトンが1体いて、それを適当に追い払いつつも夜明けを迎えた。その頃には俺はドラゴンの真実については考えないことに決めた。
行動するべきことは何もない。むしろ考え、行動するのならば聖人になどというメリット以上にデメリットとなる面倒ごとの方が多そうなそれを如何にして回避するかだ。
教会がドラゴンを隠匿していても、俺ができることは何もない。
本当にそれを暴きたいと考えるのならば、聖人になり、内部で調査し、時間かけ、その上で味方を集めながら実行しなくてはならない。
これからかなりの時間をかけて、俺がしたいこと、成し遂げたいこととはそんなことなのか?と問われれば、違うと答える。
いつか、誰かに伝えるべきなのかもしれない事柄であっても、今の状況で現実に直面するべき問題では無いのだ。
だから俺は、ドラゴンについての真実について考えるべきことはなにもないのだ。
そう決めていた。
村での作業は何の滞りもなく進んでいく。
既にいくつもの村でしてきた作業なので、兵士も俺も慣れたものだったのだが、やや疲労の度合いが見える兵士は少なくないので、そこは積極的にスケルトンを活用するようにして、負担を肩代わりしてやる。
村では冬が近いとあって冷え込む日も少なくない。
時に、大司教が酒や肉を差し入れてきて兵士たちを喜ばせていた。
まあ、これは別に俺への配慮とかではなく、日頃の行いの内なのだろう。
何か言ってくるかと思ったが、考える時間を与えるつもりなのか、特には言ってこなかった。
おおよその事情が見えてきたので、俺自身も理性で考える部分が多くなり、出会った時ほどにはエンデに対する悪感情というのは薄れている。
世界はひとつではない。
分かりきっている。
馬鹿をやる人間というのはいつだっているし、そしてその尻拭いをする人間も必ず現れる。
勿論、エンデが真実のみを語っているとは限らない。
嘘を付いている可能性もあるし、都合の良い部分だけを選んで別の真実に見えるように仕向けているかもしれない。
だが、今の俺にはそれを確認する術はないのだ。
ずっと動きまわって、敵を作って逃げ出して。
決して多くは無かったが、かつてはいた仲間たちも既に周りにはいない。
そんな状況に俺は疲れているのかもしれない。
大司教が何を考えていようとも、それはそれで良いと思えた。
逃げ出すだけならいつでも出来る。
特にああいう権力だったりしがらみだったりに縛られているような人間から逃げるのは容易い。それこそ、そいつの敵となり得るような相手の元にいくだけで良かったりする。
難しいのは何にも縛られない相手だ。
例えばフェレータのような。
あるいは、人としての生活すべてに意味も意義も見いだせず、己の研究のみを追求するあのババアのような。
そういう相手はどこまでも追ってくる。誰の領地であっても、誰が阻もうとも。
自分と相手との間にあると信じる線を辿ってどこまでもだ。
そういう手合に比べたら、まだなんとかなるだろう。
教会の勢力は西方に比べて、この東方では弱い。己の武力を過信するつもりはないが、なんとか出来る。
そこまで考えて、己の手のひらを見た。
傷が多く、まるで荒野の岩のようだ。
そこにあるのはかつての小さなそれではない。
社会も人も分からず、ただババアの元から逃げ去り、そして何も分からないままに戦い続けた子どもの手などではなかった。
自嘲的に思う。昔の俺だったら、真実か嘘か、見極められないような人間が不用意に近づいてきたら遠ざけていた。いや、それよりも自ら遠ざかっていったと言った方が正確だろう。
信じられるのは自らの能力のみ。
そしてその能力によって生み出されたものたちのみだった。
傍らで作業を指揮するナーを見る。
綺麗に切りそろえられた金色の髪が風に揺れる。
こういう女が身近にいても、不信しか覚えなかっただろう。
その女が俺の視線に気がついて俺を見た。
じっと何の感情も浮かべずに、窺うような素振りすら見せずに。
俺は何でもないとでも言うように手を振って、視線を外した。
ちょうどそこにドジっ子がいて、バンザイと何やら身振り手振りを交わしていた。
あれで何か会話にでもなっているのだろうか?
それが成立したのか、しないのか。
一応の解決を見たようで、2体は俺から遠ざかるように歩いて行く。
一瞬、幻視があった。
山猫を思わせる、癖のある短い髪の女と、共に歩く子どもの姿。
そういえばずっと彼女とはどう接して良いのか分からなかった。
敵ではないと思えた後でも、どう話したら良いのか、まるで分からなかった。
もしも生きていたら。
そんな言葉が浮かんだが、俺は考えるのをやめた。
山猫はもういない。
今そこにあるのは骨身の奴隷たる魔物の姿だ。
視線を感じてそちらを見れば、金色の髪の女が俺を見ていた。
じっと。まるで固定されたような目で。
いつもと変わらないようで、でもどこか違うような。
それが何なのか、確かめる前に視線が外れる。
「まったく」
言いたいことがあるのか、ないのか。
せめてどこかにそれが表れて欲しいのだが、まったく読めないままだ。
兵士に指示する指、そこには指輪がはまったままだ。
それがそこにある以上は、何らかの信頼か、何らかの良い感情があるのだろう。
少なくとも嫌われ、恐れられてはいないはずだ。
嫌われていないはず?
思わず俺は笑いたい気持ちになる。
とても俺の思うことではないなと思えた。
他人の感情が気になるのか?
どこかで俯瞰している自分が問いかける。
「まったく」
馬鹿らしい。そう言葉で考えて、作業に戻った。
敵の姿は無く、戦う必要もない。
それは考えてみれば、とても幸福な時間だったのかもしれない。
そう考えるのは、ずっとずっと後のこと。
1体のスケルトンが、ひとりの少女と話をしている時のことだった。
◇◇◇
「話を聞かせて」
少女はスケルトンに言った。
スケルトンは語る。
それはただの述懐。
スケルトンは語る。
それはひとつの物語。
どれだけの話をしただろうか。
少女はその度に喜び、笑い、そして時に怒り、涙を流して悲しんだ。
少女は分かっていなかった。
物語の結末を。
目の前のスケルトンは死んでいたのだ。
死んでいた者が語る話の結末は決まりきっていることを。
それは死を覆そうと足掻き、それ故に周囲に死を振り撒いた、ただのひとりの人間の死に至る話。
◇◇◇




