再会
2016/04/21 改稿。
「久しぶりだな、マスター」
「ああ。無事でなによりだ」
そう言ってフェイスガードを外してその骨身の顔を見せるエキオンに右手の甲を示した。
右手にはエキオンの依り代たる刻印がある。
これが無事である以上は、何も問題が起こっていないのは明らかだ。
とは言え、何もトラブルがなかったとは限らない。
無いとは思うが、エキオンが勝手にどこかの村を無人の廃村に変えていたって俺は関知できなかったのだから。
勿論、別れる時には前のスタンピードの時のような事がないようにと厳命したので、まずないだろう。
「さて、それじゃあ一応見せてくれ」
そう言うと、エキオンは小山を構成する岩のひとつへと手を掛けた。
そうして簡単には動きそうにない、ひと抱え以上もある岩へと力を込める。
果たして、岩はずるずると動いていき、やがて完全に動いた後には空洞があった。
それを見て、眉をしかめる。
陽は既に沈みきって、残照のみがあたりを照らしている。
影となるそこはかなり暗いのだが、それでも俺の想像と違っていることは確認できた。
「……どうしてふたり分ある?」
「頼まれてな。マスターじゃなく、アレにだ」
「アレ?」
そこにあるはずのものはフェレータの死体、それだけのはずだった。
エキオンにはフェレータ、サイクロンの死体を隠し、合流できるタイミングを計れと命じた。
あの時の俺は魔力はほとんど空。サイクロンをスケルトンにするだけの余力はなかった。
だが、死体をそのままそこに置いておくわけにはいかない。
魔物に食われて欲しくはないし、人に見つかっても面倒になる。
そこで防腐の処置だけを行い、エキオンに隠させたのだ。
合流をすぐにしなかったのは、スケルトンという存在に人と同じだけの知性を持たせられるということは、隠しておきたかったためだ。
何しろ、今そんな存在はエキオンだけなのだし、スパルトイをどうして造れたのか、それを今の俺では理屈で説明することはできない。エキオンが変に融通をきかせて入るのに審査が必要な街の中に突然現れたら、どう考えてもおかしく思われるのは避けられないだろう。
人の言葉を話す知性ある死体。
果たしてそれを簡単に人が受け入れられるだろうか?
村の人々の反応を見ても、やはりそれは難しいと俺は判断している。
魔物は人の言葉を話さない。
魔物は人とは相容れない存在なのだから。
その前提が崩れた時、俺は異能の異端者となるのだ。
今までも扱いとしてはそれに近いものだった。だからといって決定的に人と相容れないとまでされたくはない。
スケルトンとは所詮は魔物。かつて人であったとしても、今は人ではない。
人の言葉を解するが、それは単に命令を聞くために過ぎない。
意志はあっても、その意志とは隷属するためだけであって、自らを表現する術を持つためではないのだと、そう理解し、やがてそれが人々にも当たり前になってそこで初めてエキオンのようなスケルトンがいても良いと思わせられるのだと思う。
段階が必要なのだ。
フェレータもドラゴンも消えた。
今の俺には直近の脅威はない。
焦ることはない。
今はまだ大丈夫だ。
サイクロンの死体を隠させたのは勿論、俺自身のスケルトンに関する研究を進める、そのための素材とするためだった。
今回の騒動で色々と考え、立てた推論がある。
それを確かめるためにだったのだが、今、ここにはふたつの死体がある。
エキオンが言うアレについて聞くよりも先に、目を凝らして見ると、そのもうひとつの謎の死体の正体が分かった。
それは緑色の鎧を着ていた。
防腐処理が施されているのか、腐ってはいないが水分が抜け落ちてその肉は至るところが窪んでいる。
鎧で既にピンときていてたが、やはりその顔には見覚えがある。
その首には痣があるのが見て取れる。
その者は首を絞め殺されたのだ。
「グリパン……」
それはかつて別れた戦友の亡骸だった。
死地に置いてきて、その死をフェネクスから聞かされた男の変わり果てた姿だった。
「マスターの知り合いか?」
「ああ。命の恩人さ」
言って気がついた。
そうだ、グリパンは俺の命の恩人だった。
死んだと聞かされ、そして納得もしたつもりだったが、こうして自分の目でその死を確認するのはキツイ。
自分の体温が下がった気がした。
これは俺の選択の結果だ。
俺がグリパンを死地に残した。
それはグリパンも望んだこと。
相手が望んだとしても、その通りに動くことが果たして最善と言えたのか?
だが、例え俺が残ったとして何ができた?
既に結果は出ている。
それを今更、ああしていれば、こうしていればなんてことを考えても仕方が無い。
仕方が無い?
自分で考えて苛立つ気持ちと、自分を責めることでごまかそうとしているんじゃないかと考える気持ちと、どこかそれを俯瞰して見るようなそんな自分と。
俺はいつもそうだ。
自分のことでもどこか冷めている。
平板で気持ちが死んだ自分がいるのだ。
人のように振る舞いながらも人で無い者。
自分もスケルトンと何も変わらないんじゃないのか?
「マスター」
思考がどこか暗い底へと向かう、その前にエキオンが声をかけてきた。
その声に意識を自分の身体へと浮かび上がらせる。
右手を握った。
そして開く。
この手には血が通っている。
これは確かに俺の身体だ。
クソババアに操られている死体の身体なんかじゃない。
「何でもない。気にするな。……剣がないな?」
グリパンをエキオンに渡したのはフェネクスだろう。
なにしろ俺が頼んだのだ。
グリパンの死体を探して俺に渡して欲しいと。
どういう状態なのかは分からなかったが、グリパンの死を受け入れたかった。
そしてもしも俺の望む状態だったならば、俺は約束を果たしたかった。
グリパンを英雄にする。その約束を。
例え死んでいても、俺ならば英雄に出来る。
その名前を残してやることは出来なくとも。
「それは壊れてたから直しておくって言っていたな。サービスだそうだ」
サービス?
声には出さずに咄嗟に思った。
嘘だな。
間違いなく嘘だ。
きっと後から難癖付けられるに決っている。
魔剣を直せる、それ自体が眉唾ものだが、そう言ってくるからには完全な状態の剣が届くと考えて良いのかもしれない。
正直、剣を渡してくれるというのは助かる。
魔剣というのは単純に金を積んで手に入る類の物ではない。
大戦時に大量消費された上に、それを造れた国のいくつかが無くなった結果、ただでさえ馬鹿みたいに希少だったそれがさらに希少となっている。
自然、個人よりも先に国や組織に優先的に出回るようになっていて、それは国外よりも国内優先になる。
ウムラウトにはその工房はないという。
ならば現状、俺がそれを手に入れる方法はない。
エキオンが創造した武器もそれに近い性質を帯びるが、本職が長年の研究の果てに造り出す魔剣とではその性能に違いがあって当然だ。
俺が要求したのはあくまでもグリパンの死体だけだ。
フェネクスならば、このカボチャ色の鎧が付いている時点でサービスされていると言い出しかねない。
恐らくはまた何かに俺を付き合わせるつもりなのだろう。
そのためにもしかするとそういう剣が必要なだけなのではないだろうか?
グリパンの死体が腐っていないというのも、俺がこういう要求をすると分かっていてフェネクスがそうしたのではないだろうか?グリパンが死んですぐに。
考えればいくつもの可能性が浮かんでくる。
フェネクスにこちらから関わろうと思うのならば、考えて考えすぎることはない。なにせこれまでも碌なことがなかったのだから。
ないのだが、現状では考えても無駄になりそうだった。その問題は置いておくしかない。
「それでどうする?このままスケルトンを造るのか?」
色々と考えこみがちになっている俺にエキオンが尋ねてくる。
既に陽は沈んでいる。
辺りは闇に包まれつつある。
ぼんやり考えこんでいられるような状況じゃない。
傍らではドジっ子がゆっくりと周囲を見回している。
気配に敏いのはドジっ子だけじゃない。
エキオンもそうだ。さすがに魔物に襲撃される心配はないだろう。
もしかしたらあるかと考えていた、ナーの尾行もどうやら無さそうだ。
村にいる間の予定を思う。
新たな状況が揃った。
この村にいる間の指針と計画を立てる必要がある。
ここでスケルトンを造っても魔力的には問題ない。
魔力は十二分に足りている。
だが、今回は試したいことがあるのだ。
もしかしたら不測の事態が起こらないとも限らない。
それがバンザイ程度の想定外ならば良い……いや、それもあまり良くはないが、エキオンの時みたいになるのも困りものだ。
それにだ。
協力半分、監視半分のスパイなんだか味方なんだかなお目付け役もいる。
「いや、今日は無しだ。しばらくあの村には滞在するからな。チャンスはまだあるさ。それにうるさく、はそれほどないが予定にないことがあると俺をじとっと見てくる奴もいるしな」
これでスケルトンが増えていて、しかもエキオンも一緒にいたりしたら何を言われることやら。
あの指輪がある以上は多少のことには目もつぶるし耳も塞いでくれるかもしれないが、どこでナーの限度に達するかは分からない。
今にしても不審がっているナーを置いてきている。きっと不満もあるだろう。
「そうか。それじゃあ私はこのままここで不寝番という訳かな?」
「察しが良いな。まあ、元よりお前に眠りは必要ないだろう?」
俺の言葉にエキオンはやや大げさな身振りで肩を上げてみせた。
「今晩中にどうするかは決めておく。一応言っておくが退屈でも余計なことはするなよ?エキオン」
「そうか。仕方ないな」
エキオンが空を見上げる。
既に空には星が瞬いていた。
釣られるようにドジっ子も空を見る。
勿論、そこにドラゴンの影などがあるはずもない。
「夜は長いんだがな」
ぽつりとエキオンが言った。
夜は長い。
エキオンの顔を思わず見たが、そこにあるのは何の色も示さない眼窩と、動きはするが開くか閉じるかするしかない顎があるだけ。表情なんてあるはずもない。
エキオンは空を見たままだった。
ずっと空を見上げていた。
◇◇◇
「夜は長い、か」
不意にエキオンの言葉を思い出した。
少女の姿は今はない。
薄ぼんやりとした小さな灯火。
部屋というにはあまりにも狭すぎる空間には窓ひとつない。
今が昼なのか、夜なのか、はっきりとそれを区別することはできない。
夜は長い。
いや、もっと言えば1日というのは呆れるほどに長い。
そのことの意味を俺はずっと本当には分かっていなかった。
一時も意識を途切れさせず、一切の眠気もなく、常にクリアな思考のままで時が進んでいく。それがアンデッドの思考、意識だ。
エキオンは退屈そうな愚痴をこぼすことが多かった。
実際に、何かしらのやることがないと本当に退屈なのだ。
あの少女が暇つぶしにと大量の魔法書を置いていかなければ、スケルトンとなった今のこの身では狂うことすら許されずに、ただ闇を凝視して過ごしていただろう。
狂うことができるのは人の特権。
既にこの身は人ではない。
ある種、拷問めいた意識の連続。だがそう思っても、実際にそれは苦痛ですらない。
それは人だった頃の記憶があるからそう思うだけで、それを持たなければそういうものだと受容し、退屈だと嘆きこそすれ実際にはただその退屈に身を任せていただろう。
アイツが夜は長いと言った意味が今なら分かる。
多くの生物が眠りにつき、静かで、まるで世界が死んでしまったような時間。
その中で実際に死したはずのこの身だけが動き、思考している。
それも依り代によって縛られたまま。
そうあれ、こうあれと命じられたまま、それに従わざるを得ず、そこに自由はない。
醒めたままに、ただ世界にあるだけの自分を強く意識してしまう。
だが意識するだけだ。
疑問はない。
ただ長いというその事実だけがある。ならばずっと付き合っていくだけ。
夜は長い。
冷水に身を浸すように、ただただ魔法書をめくり、ただただ少女の来訪を待った。
◇◇◇




