天敵は消えて
2016/04/21 改稿。
◇◇◇
「すごい!すごい!!すごい!!やっぱりおじさんは勝ったんだ!」
「……そうだな」
俺の話を聞いて無邪気に笑い、はしゃぎまわっている少女を見る。確かに俺はドラゴンと戦い、フェレータを討滅した。そう、確かに覚えている。決して妄想の産物などではない。
だが、こうも考えてしまう自分がいる。
本当にこの国に記録としてそれが残っているのだろうか?
この記憶は、本当に俺の記憶なのだろうか?
この少女の夢物語を、都合よく語って聞かせているだけなのではないのか?
自分に残る手を見た。
そこには血肉はなく、あるのは骨身のみ。
スケルトン。
そう、俺は人ではない。
スケルトンなのだ。
造られた存在。
その魂は偽りであるはずだった。
かつての俺はずっと考えていた。
その魂は、どこから来ているのか?
その意志は何を支えに成り立っているのか?
俺はその答えを得たはずだった。
だからこそ思う。
あり得ない。
今、ここにこうして俺が俺自身を認識して存在していることは、絶対にあり得ないはずだった。
そんな俺の思いは表情に出ることはない。
そこには目も頬もなく、首を曲げるか顎を開くかくらいしか表現する術がないのだから当然だ。
少女は眩しく見えるほどの笑顔を俺へと向ける。
この少女もやがては大人になる。
何かの拍子に俺の語った話を調べるかもしれない。
その時に、俺の語った話が記録として、歴史として何も残っていなかったならば、少女は俺のことをどう思うのだろうか?
いや、もしも俺のこの記憶通りに記録がきちんとすべて残っていたならば、その時こそ俺のことをどう思うのだろうか?
俺の覚えている俺の最期を聞いたならば。
◇◇◇
早いもので、タイフーンとサイクロンを倒してから1ヶ月が経った。
復興もそれなりに進み、かつての姿を取り戻そうとして街は活気づいている。
あれから色々なことが変わったが、変わらないこともある。変わらないことのひとつは俺は今も、ノヴァク家別邸に住んでいる。
いや、正確には元ノヴァク家別邸ということになる。
新たなノヴァク家当主となったダニエルから、正式に今住んでいる邸宅は俺へと譲渡された。
もともとジャックもそうするつもりだったのだが、準貴族になってから、という話だったので、ようやく晴れて俺のものになった訳だ。
ダニエルは代官の任を解かれ、すぐにジャックの基盤をすべて受け継いで自らのものとした。
ジャックは実際には国を裏切っていたとしても、世間的には事態を誰よりも早く察知し、俺をトレマへと引き入れた救い主として人々から噂され、評されている。
「今の状況は私にとってはそう悲しむべきものではない」
そう告げたダニエルの顔には、どこか悲壮な思いが見て取れた。
ジャックとダニエルには一定の親子の信があるように思えた。
血みどろの家族抗争を繰り広げるのも珍しくない貴族だけあって、表面上とは違う思いはあっても、割り切れない親子の情はあったはずだ。
テネシーのように、殺したいとはダニエルは考えてはいなかった。
夢のために、ただ表舞台から排除するべきだと考えていただけで、いつかダニエルがその夢を叶えた時にはきっと出来る話もあっただろう。
もうその機会は永遠に訪れない。
ダニエルが本当に悲しむべき時は、もしかしたらその時なのかもしれないと俺は思った。
去り際に笑顔と共に残した言葉は、向こうが意図している以上に俺の心に残った。
「君と私の関係は主従ではない、そうだろう?カドモス。私は父とは違う。君と私は友だ。これから始まる。そう、これからなんだ」
ジャックが死に、失われた貴族院の議席はそのままダニエルが埋め、奴は眠る間もないほどに忙しい。
騒動が落ち着き、話を聞きたい相手がいたのだが、そっちは既に叶わなくなってしまった。
父殺しを行ったテネシーは死んだ。
牢の中で自殺したという。
ドラゴン討伐に湧く最中に、ひっそりと、人知れずに死んでいた。
表向きにはジャックも、テネシーも、ドラゴンによって殺されたことになっている。ドラゴン騒ぎの間に、貴族の醜聞をなくしてしまいたいという他の貴族たちの後押しもあったようだ。
こんな醜聞はダニエルにとってもプラスにはならないので、ふたりは救国者として死んでもらった方が良いのは確かだった。
出来れば、なぜジャックを殺すに至ったのか、その理由をもう少しばかり詳しく聞きたかったが、今となってはどうしようもない。
イースの行方は杳として知れない。
他のでっち上げられた罪によって手配はされているのだが、情報は何も得られていない。おそらく既にこの国にはいないのだろう。
イースのあの最後の口ぶりでは俺に対して思うことが色々あったようだ。
現れれば必ず面倒事になる。
そう思えばこのまま、どこへなりとも消えたままでいてもらいたいと思う。
面倒事と言えば、他にもある。
ひとつは最近はじまった魔法審問についてだ。
ドラゴンは個では打倒し得ない。
個が扱えるいかなる魔法でも不可能とされていた。
もしもそれを打倒し得たならば、その方法、魔法は戦術的に大きな意味を持つ。そうした戦術的に大きな意味を個人が持ちえるというのは、国にとっては大問題になる。
国内的にも、対外的にも。
国ひとつを滅ぼせるドラゴンを、個人が撃退してしまったのだ。
それは考えようによっては、その個人も国を滅ぼせる手段を持ちえるということに等しく思えるだろう。
実際がどうであれ、だ。
俺がドラゴンを滅ぼしたのは個を相手にするための魔法、インシネレイションだ。それが戦術的に大きな意味を持つことは、軍と軍とでぶつかり合う戦争においては全く意味が無い。
対象に直接触れる必要がある魔法なのだから、その効果範囲は極めて限定的になる。つまり、多くの国々で相互に協定を取り交わして厳しく使用が制限されている戦術魔法にはなりえない。
そんなことはどこの国も分かっている。
問題なのは、ドラゴンすらも拘束し得た、スケルトンを造る魔法、ネクロドライブだ。
それについては、大戦収束直後にも西方の国々では議論になっていた。入れば即拘束されてもおかしくない国々もあったほどだ。東方では大戦時ほどの活動をしておらず、それ故に見逃されていただけで、ドラゴンを倒したことで改めて議論の対象になってしまったということだろう。
東方8カ国協定の間で魔法審問が開かれ、ネクロドライブが戦術魔法に当たるのかどうか、戦術魔法の専門家が集められ、議論されていた。
俺がただの準貴族ではなく、この国の騎士伯として叙任されると同時に。
俺はドラゴンを倒した。そんな人間をウムラウトが手放すはずがない。そんな人間が国内にいるというだけで、他国は侵略の手を緩める。
アキュートを滅ぼしたドラゴン、それを倒した英雄のいる国。
どこの国だって相手にしたくないはずだ。
それでも、未だ争っているブレーヴェにしてみれば、そんなことは許容できるはずがない。
それで自らが旗印となって、戦術魔法指定のための審問をはじめたのだ。
戦術魔法としての指定を受ければ、俺は戦地に出られないだろう。
敵にしてみれば、いくら兵を減らしても、スケルトンになって復活してくるのだから嫌に決まっている。
だから何としても、俺を、ネクロドライブを戦術魔法指定とするはずだ。
今回の一件で、俺の未来は決まってしまった。
俺はもうどこにも行けない。
このウムラウトで生きていくしかない。
ネクロドライブが戦術魔法指定を受ければ、現状、それを使用できる唯一の存在に等しい俺には、戦地に出られないだけでなく、国家間の移動にも制限がつきまとうことになる。
騎士伯を辞し、再びフリーになろうとも、どこかの国に入国しようとすれば、審査は厳しく、入国しても常に監視を受け、他国からの破壊工作を請け負っていないかと常に疑われ続ける。
だからといって、個人である以上、どこかの国に入らなければ、この魔物が繁栄している世界で野で人間らしく生きるのは不可能だ。
クソババアのように、人間らしく、なんてことに価値がないと考えていれば問題ないかもしれないが、俺はそんな暮らしは全くもって御免だ。
今回の指定は、俺をまるで災害のひとつとして認定すると言っているに等しい。そんな指定を受けてしまえば、尚更どこかの国に属する必要が出てくる。
それならば大恩のある俺を大事にしてくれる、この国にいるしかない。
ウムラウトとしては、戦術魔法指定を逃れられるように動きたいところだろう。折角の戦力ならば、様々な面であてにしたい。
ルークの話では俺の昔話だけでなく、あのクソババアのしでかした事件までもが引用されてきているようで、どうやら難しいという判断になりそうだった。
それでも騎士伯にまで叙任して、俺をこの国に留めたのは、単に労働力としてスケルトンを使うのもありだし、魔物の討伐戦力として、国内の安定にも効果が見込めるからだろう。
この国の騎士伯という身分には、貴族でありながらも領地が必要ない。これは俺が望んだことだ。面倒な政治に関わり合いたくなかった。領地を得れば、どうしても政治に関わらざるを得ない。
俺はもうどこにも行けなくなった。
それで良いと思っているし、そして俺にはやる事がある。
あのババアを打ち倒さなくてはならない。
あのババアが生きているのならば、どこかでいつか俺の噂を聞くだろう。
そうすれば必ず来る。
アーレスと供に。
大量の死を引き連れて。
その時に備えなくてはならない。
政治なんてものに関わっていられるはずがない。
ダニエルはそれを了承してくれた。
勿論、アイツの夢に必要なことは行うつもりだ。
それこそが約束なのだから。
未だにダニエルの方では何もババアの噂ひとつ掴めていない。
それでもアイツは尽力してくれているのだ。
そんなアイツのために、俺の名声というのはきっと何かの役に立つ。今の段階では、ダニエルにとってもそれで十分なようだった。
ジャックが死んだことで、当初描かれていた状況とはだいぶ変わっている。
貴族院主導でのドラゴン退治とはならなかった。
しかしながら、元々進められていた話もあったし、ダニエルとの関係で貴族院に属する身分にはなっている。
軍主導でのドラゴン退治ともならなかった。
ほとんどが俺の武勇のみで倒されたのだ。
それでも、軍はナーを通して協力を行い、ドラゴンを倒した。
それによって、軍務にも携わる必要のある騎士伯となった。
どちらか一方に過剰に肩入れするのではなく、どちらにも属しているような状況となっていた。
ワグナー将軍とも、まるで既知の間柄のように今では話をしている。
しばらくは国内の魔物の討伐、駆除をメインとした、軍とは別の貴族院直轄の独立部隊、といっても俺ひとりな訳だがそれになりそうだ。
特にこの国は無尽蔵に魔物が湧いてくるハーチェク大森林と隣接しているので、仕事は決してなくなることはない。
将軍としても、俺個人がうまく機能してくれれば大森林への予算の削減になり、その分をちょっかいを出してくることが多い隣国に対する国防費に回せるので大助かりということだった。
能力を示せば、それに期待する人間は必ず出てくる。それが権力者であれば、大きな報酬を用意しつつも、相応の責任を要求してくるのは当然だろう。
ルークはまるで俺の従者のように振る舞いっている。正式に貴族となったのだから、他の従者でも執事でも雇えば良いのだが、下働きの人間ばかり増やしても気疲れするばかりだ。
だからスケルトンがいれば十分ということにして、実際には以前と同じ暮らしをしていた。
スケルトンを奴隷とする、この法案は既に可決されている。
民衆にも公示され、それを示すように壁の修復にガラクタや他のスケルトンが使われていた。
ドラゴンを撃退した功績も大きかったが、ダニエルとルークの根回しと尽力があったおかげだ。
ドラゴン襲来時に俺がスケルトンを動かした結果生じた混乱と破壊、これについては不問となっている。
ルークは貴族院の方からお目付け役としての任を渡されているのかもしれないが、気の合わない人間を付けられても困るので、俺もルークを受け入れて暮らしている。
そして俺の邸にいる人間はもうひとり増えていた。
「さて、それじゃあ行ってくる」
「いってらっしゃいませ、カドモス様」
見送るルークと、やはり特にやることが無くて暇だったのか、一緒になって見送りに来て大げさな敬礼をしていたバンザイを背に、未だ続いている今後の細かな調整のために軍へと向かう。
そんな俺に物言わぬ影が3つ付き従う。
ふたつはゴキゲンとガサツ、そしてもうひとつはスケルトン並に無口な女、ハルモニア・ナーだった。
護衛を付ける、ドラゴンを撃退して将軍にまず要求したのはそれだったのだが、意外なことにそれに現れたのはナーとその部下2名だった。
お前は士官クラスじゃなかったのか?と問えば、魔法にも対処が出来て、ある程度の階級職の者の方が現場判断も出来て望ましいので、と簡単に返された。
そしてその時にはナーは、今までと口調、態度が変わっていた。
今までは流れの傭兵相手だったので、ある程度の示しを付ける必要があったからというのもあったろうが、護衛として付いてからはまるで将軍にでも話しかけるような口調になった。
それと、元々の愛想の無さに磨きが掛かったように、実質的な事以外をあまり話さなくなった。
一度、ルークに相談してみたが、どうやら軍部での素行を聞くに、素と言えば素らしかったが、最近、さらに感情を表に出すことが無くなったらしい。
もしかすると、俺の護衛に付けられた事が不満なのかと思ったが、自ら望んで今の職務に就いたという噂もある。
正直、訳が分からん、という思いが強い。
今はスケルトンの護衛を戻されたので、一時的に護衛を交代する必要がある時以外は、ナーがひとりで俺に付いている事も多い。
ドラゴン騒ぎで兵士は減っているし、どこも復旧に向けて人手は不足している。
それを考えれば、士官クラスの人間が側に仕えているというのも贅沢と言えば贅沢な話だ。
「それにしても」
邸とルークの姿が見えなくなり、通りの周囲にも近くに人がいなくなったのを見計らったかのように、珍しくナーが口を開いた。
「なんだ?」
「エキオンはまだ戻ってこないのでしょうか?」
エキオンとは、街の外で別れてそれきりだ。
俺の右手が無事なので、当然滅んだ訳ではない。
消えたエキオンの行方、それをナーは度々気にしていた。
エキオンの正体、スパルトイについては未だ誰にも話していない。
だが、ナーはそれが精強であり、他のスケルトンとは様子が違うことを知っている。知っているといえばダニエルやルークもそうだったが、ふたりはドラゴンとの戦闘で滅んだとでも思っているのか、直接俺に聞いてくることはなかった。
ナーにも滅んだと言っても良かったが、それだと手元に戻すことができなくなるので、あの燃え盛りつつ飛び去ったドラゴンに引っ掛かって飛んでいってしまったとだけ言っておいた。
我ながら苦しい言い訳だったが、嘘と断じるには証拠がない。
実際に、与えた命令が済めば戻ってくる手筈になっているので、国内のどこかで見かけられたとしてもそれはそれで問題ないだろう。
「さてな。魔力が尽きなければ、その内戻ってくるはずだ」
「本当に探さなくてもよろしいのですか?」
「今はまだ良い。人手だって足りないだろうし、何よりまだ審問は終わっていない。終われば多少の行動の自由も出来るだろうから、それからだって遅くはない」
軽く笑って話す俺に、ナーはやや粘性を感じる視線を向けてくる。
相変わらず表情の変化はない。
納得はしていないようだったが、ナーはややあってからその手に嵌めた指輪を、もう片方の手の指先でそっと触れて位置を直すような仕草をして離した。
律儀な奴だ。
ドラゴンは倒した。
約束を俺は果たした。
だからこそ、ナー自身も約束を果たすべきだと考えているようだ。
何があっても俺を守れ。
それを一時的な約束であるとはナーは捉えなかったらしい。
俺はナーのそんな様子を確認すると、空を見上げた。
雲ひとつない晴天。
嵐は過ぎ去ったのだ。
当面の問題は何もない。
ならば俺はこれから、自らの目的のために前へと進んで行かなければならない。
ちらりと傍らのスケルトンを見る。
俺の兵を。
エキオンを造ったとはいえ、それを量産できる訳ではない。
より強いスケルトンを造り出す。
意志を持ち、自ら進んで戦えるようなそんな存在を。
青空から目を閉じ、瞼の裏の闇に目をこらす。
そこに浮かぶのは真っ黒な鎧姿のスケルトン。
アーレス。
俺は勝てるだろうか?
一度として勝ったことのないあのスケルトンに。
再び目を開く。
やや足取りが鈍っていた俺をナーがやや追い越す形で見ていた。
今の俺はあの時とは違う。
あの時は俺は完全にひとりだった。
身を守る術は己の肉体のみ。
今は違う。
エキオンがいる。
それにウムラウトという国の庇護にも入っている。
だがそれでも不安に思う自分がいるのを強く自覚していた。
「ナー」
「なんでしょうか?」
呼びかけてから何を口にするべきなのか、分からなくなって開いたままの口を閉じた。
まだ時間はある。
そのはずだ。
「いや、何でもない」
これでは何かあると言っているようなものか。
そう自嘲する俺を、ナーはしばらくじっと無言で、無表情で見ていた。




