名前なんてどうでも良い
2016/04/19 改稿。
ルークの所用というのはあまり長いものではなく、昼過ぎには邸へと戻ってきた。護衛としてエキオン、それにガサツを連れてルークの案内でひとつの倉庫へと向かう。
トレマの外れにある倉庫通り。
そこには家屋とは明らかに造りの違う、大きな建物が並んでいた。
ルークはその中のひとつの入り口を人ひとりが通れる程度に開け、中へと入る。
俺とエキオン、それに連れてきていたガサツも後に続く。
鎧姿がぞろぞろと続いても怪しいので、他のスケルトンは邸に置いてきた。
入ってすぐには麦の袋だろうか。麻袋が幾重にも積み重ねられている。ルークはその間を通って奥へと向かう。
天窓から差し込む光が影をつくりながらも、しっかりと中を照らしている。
決して暗くはない。
幾段かの麻袋の山を通り過ぎると、今度は重ねられた木箱へと変わる。大人ふたりが抱えて持つような真四角の箱。
ルークに言われてエキオンとガサツにその中のひとつを下ろさせた。箱の大きさの割にそこまでは重くないらしい。
下ろされた箱をルークは慣れた手つきで開く。
打ち込まれた釘と木枠が軋む音が倉庫に響く。
開くと中には麻袋が入っていた。異臭はしない。ただ、かすかな焦げ臭さだけを感じた。
縛り口を開き、その中を俺へと見せる。そこに入っていたのはまるで漂白されたように白い頭蓋骨。頭だけじゃない。人ひとり分の骨がそこに入っていた。
「随分と手際が良いんだな」
箱を開く手際ではない。並んでいる箱にはすべてに骨身が入っているという。スケルトンを造るための下準備すらもしてある。ダニエルにドラゴンのことを打ち明け、それからこのトレマに至るまでの僅かな間にこれだけの骨身を他国から運び入れたというのだから、ルークという男の商業的手腕というのは大したものだ。
骨の出処はアキュート。あの国には今、死体はゴロゴロしている。それこそ畑で芋を掘るように、だ。
「私だけの手際、という訳ではございません。それなりの手間賃を取られましただけで、手間自体はそれほどでもありませんでした」
骨の収まっている麻袋の中には、簡単なレポートが入っていた。すべてについているのかは見てみないと分からないが、生前の略歴がついていた。
肉体の記憶によってスケルトンの技量が変わる。
その参考にということだろうが、随分と手回しが良い。その手回しの良さに、ひとつの顔が思い浮かんだ。
その顔は俺に向かっていつも笑顔しか向けない。信用ならない、作り物のような笑顔しか。
これを準備したのが誰か分かった。あの女が俺が動きやすいように手配していたのだろう。ルークが動かなくても、直接俺に売り込むつもりで用意していたに決まっている。
思えばフェネクスが現れたタイミングもあまりにも丁度良かった。
まるではかったようではないか。
ダニエルに望みを打ち明け、ドラゴンについて話し、ナーにも話した。
その日のうちに現れるなんてタイミングが良過ぎる。
ならばあの女は俺がウムラウトにどう接するのかを見ていたのかもしれない。
そしてそれが決まったから話にきたのだ。
もしもウムラウトに肩入れせずに、どこか他国にでも渡ろうとしていたら、きっとフェネクスはここにある死体を直接俺に渡したのだろう。
ネクロドライブについて、十分以上に知っているあの女が用意した死体ならば、すべて確認しなくても大丈夫に決まっていた。
まさかゴブリンだのオークだのといった人型の魔物の死体とすり替わっているなんてこともないだろう。
あの女が見たいのは、俺が間抜けを晒してドラゴンとフェレータに敗北するところではないに決まっているのだから。
俺が確認し終えるのを見計らってルークが声を掛けてくる。
「ひとつ、私にもスケルトンを造るその様を見せて頂いても?」
必要なのはヒュージスケルトンだ。1体2体のスケルトンを造っても、ドラゴン相手では意味が無い。
ただ、フェネクスとルークが用意した死体はあまりにも多い。1体2体のスケルトンを造っても、なんら支障はない。
そういえば、ダニエルに渡したスケルトンは今はどうなっているのだろうか?
イースが依り代を持っているのを見たのが最後であって、本体の姿は見かけていない。
もしかするとジャックのところに行ってしまったのかもしれない。
ならば1体くらい、自由に出来るスケルトンがあって良いかと思えた。俺の手持ちのスケルトンは他人に預けることは難しい。何かの時に自由に出来るスケルトンがあって困ることは無い。
「良いだろう。エキオン、準備しろ」
言われたエキオンが麻袋からすべての骨を取り出し、綺麗に並べた。
俺に何か言われずとも、ルークが下がり、俺は手持ちの古鍵を取り出す。
そうだ。依り代もどうせヒュージスケルトンを造るなら、魔力的な恩恵のある物が欲しい。後で、ルークに調達できないか確認しよう。
「応えよ」
光の粒子と黒いモヤ。ルークはそれを見て、息を呑んだ。
俺が使うネクロドライブの中でも比較的最近の、改良された魔法式を使う。依り代はふたつには分けなかった。今のダニエルとの協力関係を疑っていても仕方が無い。そのまま普通に魔法を進め、1体のスケルトンが眼前に現れた。
実際にただの骨がスケルトンとして動き出すのを見て、ルークは大いに喜んだ。その様は一見すればただの子供だ。
「依り代に良いような魔力的な恩恵をもたらす物、そういう物に心当たりがあれば、調達してほしいんだが」
「……そうですね、今日明日では難しいかもしれませんが、手配しましょう。用意出来そうな人間に心当たりがございます」
「頼む。この依り代は預けておく。言うまでもないが、魔力が切れれば動かなくなる。そこだけは気を付けろよ」
ジャックの本邸には置いておけないから、結局は俺へと与えられた邸に置いておくことになるだろう。
ならば依り代を俺が持っていても良いのだが、あえてルークに預けることにした。そうすることが信用の証になればと思ってのこと。
今のところ、ルークに不審は無い。
俺のことをダニエルと同様に信じているかのように振る舞っている。
それでも、出会ったばかりの人間なのだということを俺は忘れてはいない。
ダニエルに信じて良いと言われても、俺自身の目で見ての判断というのは必要だろう。
同様に、ルークも俺のことを見ているはずだ。
偽りは無いか。何か不利益をもたらそうとしていないか。
目に見える不審を示す人間よりも、それが表には見えない人間の方が実際には恐ろしいものだ。
何を言ったか。何をしたか。
そうした地道な積み重ねなしに他人を深く信じられる人間というのはいないものだ。その積み重ねのひとつとして、依り代をルークに渡した。
ルークは渡された依り代を懐のポケットに大事そうにしまう。
「取りあえずは封印状態にして箱に戻すか」
例のスケルトンを奴隷にという法令はまだ通っていないはずだ。
こんなものがふらふらと街中を歩く訳にはいかない。
「ああ、そうですね。それでしたら邸で造るべきでしたね」
言われてみれば、その通りだった。
だがまあ造ってしまったものは仕方無い。
「後で他のスケルトンの鎧の構造を写させるなりして、同じような鎧でも造らせるんだな」
「助かります。では、少しお待ちを。馬車を用意してきますので」
エキオンに持たせれば、この程度の箱くらい運ぶのは訳ないのだが、鎧姿がこんな大きな箱を持ち歩くのはいかにも目立つ。
ルークはそう考えたようで、すぐにも倉庫を出て行ってしまった。
命令がなく、身じろぎひとつすることなく立ち尽くす造ったばかりのスケルトン、その眼窩を覗き込むようにエキオンが見た。
「これにも名前を付けるのか?」
「ん?そうだな。ルークのものになるのか、ダニエルのものになるのかは分からんが、適当に付けといた方が良いかもな」
そう思って、名前を考え始めると、エキオンがぽつりと言った。
「前から言うべきか迷っていたのだが」
「なんだ?」
「マスターはあまり名前の趣味が良くないと思う」
「そうか?」
「……もう少しマシな名前の付け方があるのではないか?」
「マシな名前?例えば?」
「アレックスとか、ボブとかそういう普通の名前では駄目なのか?」
「それは人の名前だろう?コイツらは人じゃない」
「……一応、理由はあるんだな」
「コイツらが人ならば、俺だって人の名前を付けるさ。しかし、コイツらはただの造られた魔物だ。お前だってそうだ。お前は人じゃない。お前だって名乗って主張などしなければ適当な名前を付けていた」
「ちなみに、名乗らなければ何と付けていたんだ?」
何と付けていただろうか?
名付け方については、以前に言われた方法を習慣のように守っている。
スケルトンはそのままだと恐ろしげに、不気味に見えるから、ふざけた適当な名前の方が良いと。子どものあだ名みたいな、しかも人から馬鹿にされるくらいの名前の方が丁度良いのだ、と。
最初は色々と躊躇もあったが、慣れるもので別にスケルトンの名前なんて、今では心底なんでも良いと思っている。
今では自分自身の身体で造られたスケルトンもそんな風に呼ばれているのだが、自分が言い出したことだから文句はないだろう。
「そうだな……ウデキキとかどうだ?」
「……マスター自身に不満というのは特にないんだが、自分が名を持って生まれなければ、大きな不満を持っていただろうな」
「じゃあタッシャとかの方が良かったか?」
「マスター、私の名前はエキオンだ。だから他の名前は必要無い」
エキオンは俺から眼窩を外して倉庫の奥へと歩いていった。
結局、スケルトンの名前はソウコにした。
この名前を聞くとルークは俺から視線を外して「そうですか」とだけの、簡単な返事しか返ってこなかった。
名前なんてどうでも良い。
そうだろう?
そう思って見たガサツは、いつものように命令を待ちながら、右手で己の左肩を叩き、首を左に、右にと振った。
邸へと戻ると今度は来客があった。
「久しぶり、という程ではないか」
ハルモニア・ナー。こっちに来たら少しこの女についても調べるつもりだったのだが、相手が来る方が早かった。
今日は鎧は着ていない。傍らに槍もなく、この国の軍装であろうカーキ色のそれを着ていた。スカートではなく男物のであろうパンツを履いているのがいかにもナーらしい。
「事前の連絡も無しに訪ねてすまなかった」
「いや、いいさ。良くここが分かったな」
「子爵の家を当たれば良いだけなのだから、そう難しくはない」
言われてみれば、そうか。
相変わらずの無表情で、そこに感情というのは見えない。
ナーは供を連れずにひとりで現れたようだ。
ルークが茶のひとつも出さないのは失礼に当たると、用意をしに向かおうとしたところで、ナーに止められていた。どうやら時間もそれほど余裕がある訳ではないらしい。
「茶を飲んでいる時間は無いから、どうか構わないでもらいたい。それよりも……内密に願いたい話があるのだが」
「そうか。ルーク、悪いが外してくれるか?」
「かしこまりました。何かあれば、お呼びください」
ルークは簡単に下がっていった。もしかすると、ナーの来訪の目的を既に掴んでいるのだろうか?
未だルークの能力の全容は掴めていないが、それくらいの能力を持っていてもおかしくないような印象はある。
ルークが退室して、扉が閉まるのを自身の目で確認してからナーは口を開いた。傍らにいるエキオンは、中身がスケルトンだと知っているので、気にしないことにしたのだろう。
「子爵の客人、今はその立場で良いのか?」
「ああ。そうなるな」
「ジャック・ノヴァク子爵の人となりは知っていて、収まっているのか?」
「おおよそは」
相変わらずの無表情、その額にわずかな皺が寄る。
次の言葉を発するまでには間があった。
おおよそ、という意味をはかりかねているのだろう。
「……あまりこの邸で口にするべきことではないが、あの方には噂がある。ウムラウトは隣国ブレーヴェと領土問題でここ3年くらい揉めているのだが、あの方はどうにもあちら側と親交があるらしい」
「……らしいな」
ナーの目が見開かれる。
だがそれも一瞬のことだった。
俺の方も驚いていた。軍の方でも情報を得ているとは思わなかったからだ。
詳しくは聞けなかったが、もしかすると最後にあった会戦というのが、よほど不自然だったのかもしれない。
「……用件はそれについて、で良いのか?」
「いや、この場でこれ以上、このことについて話す気はない。この件については日を改めよう」
ここは子爵の邸のひとつだ。あまり長く話し込めるような内容ではない。
話を打ち切るように、一度目をつぶり、間を置いてから開いた。
「今日来たのは他でもない。ドラゴンの件だ」
「それで?調べた結果は?」
ただの流れの傭兵が滅んだはずの魔物の名を口にしても、信じられるはずが無い。きっと俺が詐欺師であることを疑ったはずだ。
デタラメついでにデタラメを重ねるというのは交渉で案外有効だが、ドラゴンの存在はいくらなんでもデタラメ過ぎる。
しかし、トレマに戻ってすぐに聞いたはずだ。それこそ縁のあるという将軍にでも聞けば、一発で答えが出たはずだった。
「貴君の話した通りだった。アキュートについて情報を集め、そして最初のドラゴンと会敵して生き残った者の話を聞いた。少し無理して人員を送り込んで、実際にアキュート本都、ティルデの上空を旋回するドラゴンの姿も確認されている。どうやら白昼に見る悪い夢として片付けられないらしい」
「そうだな。俺も、一緒にいた傭兵も、地獄だなと笑ったものだ」
「だが、貴君は生き残った。それも他の兵士とは違う。本当の意味でドラゴンと戦い、傷を負わせた」
「あれは俺ひとりでやった訳じゃない。共に戦う者がいたからだ」
「ドラゴンと同じくらいに巨大なスケルトンのことか?」
俺はスケルトンをひとりとは数えない。
一緒に戦った者の名は、この国までは知られなかったらしい。
「……違う。だが、どうでも良いか。俺は負けた。だから逃げた。この国へと。大森林を通るなんていう無謀なことをしてでも」
奴の名誉のために、その名を口にするか迷った。だが、口にしなかった。
奴の望みは英雄になることだ。そしてそれは果たされなかった。
俺も、奴も失敗したのだ。
英雄はいない。
あの場に英雄は現れなかったのだ。
「そうだろうか?一度は地に落とし、追い詰めたのだろう?その力を貸して欲しい。貴君の力が必要なのだ」
不意に、エキオンが音を立てた。直立していたのだが、わずかに姿勢を変えたらしい。鎧が軽い金属音を立てる。
僅かにエキオンを振り返ると、エキオンはヘルムを俺へと向けた。
そして何事もなかったかのようにヘルムは動き、視線を虚空へと戻す。
なんだ?
何が言いたい?エキオン?
ナーもエキオンを見ていたが、すぐに俺へと視線を戻す。
ナーの視線を受けて気がついた。
エキオンが何を言いたいのか。
望まれて力を。
本心からの助力を。
それはナーに望みを聞かれて、俺が答えたことだった。
ナーがそれを意識しているのか、いないのか。
目からも、表情からも読めなかった。
だが、これは確かに俺の望んだことだった。
「必要ね……他国はどうしたんだ?こんな時こそ国際協調という奴が必要なんじゃないのか?」
これはナーが来たら、最優先で確認したいことだった。
俺が何もしなくとも、どこかの国が戦術魔法でも打ち込んで殺してくれるならば、それが一番良い。
「……アキュートは既に滅んだも同然だ。今、あの国には国としての機能はない。グレイヴは静観を決め込んだ。ドラゴンが今後どこに向かうかは不明だが、このまま西方に向かうことだってありえる。そうなれば、ただで領土が手に入るとでも思っているのだろう。ブレーヴェとは現在協力してドラゴンの討伐に当たれないか交渉中だ。あの国には東方8カ国協定で禁じられた強力な戦術魔法がある。それが使えればドラゴンにも効果はあるはずなんだが、出し渋っている。これを機に、領土で揉めている我が国に恩を大きく売りたいんだろう。交渉している時間があると思っているのが甚だ信じられないことだが」
既にひとつの国が滅んだ。それもたった1頭のドラゴンによってだ。その意味が、分かっていない。
ナーの口調が珍しく苛立っていた。ブレーヴェやグレイヴだけでなく、周辺国家はどこもバラバラで、昨日まで領土や文化の違いで散々に争ってきたのだ。
共通の敵が現れたからとて、一足飛びにまとまったりはできないらしい。例えそれが既に伝説と化したような人間にとって最大の天敵であっても。
吐き捨てるような口調でナーは話す。
「ウムラウトにも戦術魔法はいくつかある。だが、ブレーヴェのそれと比べてしまえば、ドラゴンに対してどこまで有効かは不明だ。それに我が国の戦術魔法は使い勝手が少々悪い。トレマの直上まで来られたら、それだけで使いようがなくなってしまう。聖痕教会にもドラゴンを滅ぼしたというその方法を使えないのか打診しているのだが……」
「間に合うのか?」
「何しろ聖痕教会の本部は西方だ。そこに希望を持ちたいとは思えない」
あまりにも長過ぎる大戦によって、多くの魔法が失われた。だが、それはすべてではない。中には超のつく強力な魔法が残っている国もある。
ただし、それは地域ごとの協定で使用が禁じられている。破れば待っているのは、再び始まる暗く長い大戦への道だ。
だから持っていても、どこの国も使えない。何でもありにしてしまったら、結局自分たちが損をする。それが分かっている。
それでも各国が戦術魔法を残しているのはこんな時に使うためのようで、実際にはただの牽制のためだというのだから笑うしかない。
聖痕教会はドラゴンを滅ぼしたミレニアム1世を救世主として、やがて聖痕を持った英雄が再来し、世界を導くというのが最も有名な教義だったが、千年王国が滅んだ後に大きく衰退した。
何しろあれほどまでに長い大戦時に、結局救世主は現れなかったのだから教えから離れていくのも無理はない。
なぜ千年の安寧が、よりにもよって自分たちが生きている時代に終わるのか?そう呪った人間は少なくなかったのだ。
呪われ、恨まれ、しかし、教会は決してなくなりはしなかった。
それは新たに起こった安寧派が人々の心に根付いていったから、ではない。ドラゴンを滅ぼす術を聖痕教会の本部が今でも継承しているという話が広く伝わっていたからだった。
その詳細は俺のようなただの傭兵には想像するべくもない。
聖痕教会の本部は西方にある。東方にまではその術は伝えられていないと俺も聞いている。
既に隣国を蹂躙しきったドラゴンの気ひとつで、今日この日に襲われてもおかしくない状況の今、そんなものをあてにしても仕方が無い。
「何も、前と同じように、貴君ひとりでドラゴンに挑めとは言っていない。知恵を貸してくれるだけでも良い。軍でも不安が大きくなっている。なにしろ隣国をただの1体で滅ぼしたような魔物など、誰も戦ったことが無いのだ。戦い、生き残った者が近くにいる。その事実だけでも、兵士の力となる。どうか、力を貸して欲しい」
そう言って、ナーは頭を下げた。
深く、深く。
ナーに頭を上げるように言う。
そして俺を見るのを待ってから答えた。
「既に子爵としてしまった約束がある。今回の件、貴族院でも動いているというのは知っているか?」
ナーは黙ったまま俺を見た後、頷いた。
「俺はじきに準貴族となることが決まっている。まだ会って間もないが、俺が独断で動き回ったら、きっとあの御仁はすぐにでも俺を失脚させるだろう。スケルトンなんて存在もあるしな。それはきっとそう難しくないだろう」
ナーは俺の考えに理解を示した。そういう御仁だろうと、俺よりも良く知っているはずのナーもそう思うのなら、それはきっと真実だろう。
「良いか、俺はドラゴンに対して、逃げようとは思っていない。ただし、既に貴族院の、子爵の思惑にもう乗ってしまっている。俺もそれに生半可な思いで乗った訳では無い。望みがあって、それに決意を持って望んでいる。俺はそれを逃したくない」
ナーにはまだ話していない。
俺の本当の望みを。
魔物じみたあのババアを打倒することが、俺の望みであると。
ダニエルは既に動いている。まだ何も掴んでいないかもしれない?
それでも、ダニエルがそれを掴んだ時に、俺がそれを知り得ない立場になっていては困る。
ダニエルは未だジャックからは自由になれていない。
そこで俺だけがジャックから自由にはなれない。
既に一蓮托生なのだ。
「きっとすぐに貴族院の方から要請が行くはずだ。俺を中心として、軍部主導ではなく、貴族院主導でドラゴン対策の軍備を進めることになるだろう。軍としては気に入らないと思う人間も多いかもしれない。その時に、ナーが自分の周りの人間を説得しろ。俺はナーの望むように、軍に自分から入って力を振るうことは既に出来なくなっている。だが、俺はこの国の力になる。あのドラゴンは必ず倒す」
ナーが言われたことの意味を考えるように俺を見た。
「求める結果は同じはずだ。俺は直接見ている。あのドラゴンはこの世にいて良い存在じゃない」
俺の言葉にナーがはじめて視線を逸らした。逸らしたままに話し出し、やがて止まった。
「貴君は今回の件で、切り札になってもおかしくない。こちらの上層部、いやトップもそう考えている。だから望むものが……いや、よそう。もう正直に話そう。私は将軍の命令でここに来た。貴族院との繋がりを断ち、こちらとの繋がりをこそ重視してもらえるように、と」
「老将ワグナーか。会ったことはないと思うが」
「だが、あの方は貴君の大戦での噂を直接聞いている。砦落としの孤軍。その力を、この国のために正しく使って欲しいと将軍も私も思っている。だが、貴君の言う通り、ドラゴンを倒すのに、貴族院と軍との軋轢も、子爵の噂も確かに関係ない。それでも、私も将軍も、どうしてもあの子爵の手の内に貴君があるというのが納得できないのだ」
ナーは今日のところは諦めることにしたようだ。「明日、また来る」と言って、立ち上がり、扉へと向かう。
俺はその背中に声を掛けた。
「そうだ。俺もドラゴンがいつ現れてもおかしくないと考えている。だが、貴族院にせよ、軍にせよ、手続きというのは相応に必要になるものだろう?だが、それではいざという時に、例えば今日にでも現れた時には間に合わなくなる。だから」
ナーにひとつの武器を用意してくれと頼んだ。これはエキオンと色々と話し合った中で、出てきたアイデアのひとつだった。ここにならばきっとそれはあるはずだ。
「確かにそれならばある。分かった。必ず用意しよう。……そうだ」
ナーが俺へと何かの金属片を放る。それはあの村で俺がナーに渡した依り代だった。
「これは返しておこう。せっかく渡されたが、私にはもうこれが必要になる時が来るとは思えない」
ゆるい放物線を描いたそれを俺は右手でしっかりと受け止めた。
「せっかくの贈り物だったんだがな」
そう言うと、ナーは僅かに眉を寄せた。俺の言葉には答えず、そのまま立ち去った。
部屋にエキオンと俺だけになって、エキオンが言葉を発する。
「引く手数多、だな」
「そうだな。こういう風に率直に望まれるのは、なかなかにない経験だ」
ドラゴンがいなければもっと素直に嬉しかったかもしれない。
だが、ドラゴンを思えば、そう喜べるものではない。
「まあ、ナーも色々と喋ってくれたが、どこにだって思惑はある。俺に有能な部下がいるなら、間諜を頼みたいところだ」
将軍というのにしたって、会ったことはない。もしかしたら子爵と似たようなものかもしれない。どっちの陣営が俺にとって良いのかなんて、今の言われるままの状況では分かったものでは無い。
ならば、既に頼み事をしてしまっているダニエルを選ぶしか無い。
「頼まれれば行ってくるぞ」
「お前が?そんな才能があったのか?」
「さてね。だが、やれと言われればやるのがスケルトンの本分だ」
俺は笑った。エキオンに仮にそんな才能があったとしても、エキオン最大の秘密が喋ることなのだ。その秘密がバレるような真似をするくらいなら、俺自身が調べに動く。
一層のこと、有能そうなルークが調べてくれれば、随分と楽なのだが。
やはり、それを頼むにも、現状、あまりにもルークのことを知らなすぎる。
そう、俺はあまりにもこの国の現状を知らない。ナーはそんな俺を危惧しているのかもしれない。
ただ、今の俺はそんなことをわりとどうでも良いような、そんな風にも思えていた。
ドラゴンだ。
それにフェレータ。
奴らが来る。
今は、そのことだけに集中したかった。
ナーよりも、ダニエルよりも、ジャックよりも、ルークよりも、イースよりも、将軍よりも、何よりも、俺は奴らを知っている。
奴らの戦い方を。
奴らの能力を。
「エキオン、ひとつ良いことを教えておこう」
「なんだ?突然?」
「俺は手の内を知っている人間には負けたことがない」
「ほう。相手の方がマスターの手の内を知っていてもか?」
エキオンの言葉はあのクソババアを連想させた。
いつか来る、俺を追ってくる死者の群れを。
その先頭に立つ者の姿を。
「例え、相手が俺の手の内をどれだけ知っていようとも、だ」
これは嘘か?
違う。
これは決意だ。
「それじゃあマスターは私にも勝てるのかな?」
俺は笑う。
そうしていつも吹き飛ばしてきたのだ。
敵を、逆境を。
すべてを。
試すようなエキオンの言葉に笑みをたたえたままに、言い切る。
「誰であっても勝つ。エキオン、お前が相手でも俺は勝つ」
エキオンは俺の言葉に笑って答えた。
「そうでなくては、マスター」




