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スケルトンの述懐  作者: ぎじえ・いり
スパルトイ、ドラゴン、そしてフェレータ
13/48

フェネクス

2016/04/11 改稿。

 どこにでもいるような普通の女。

 美醜で評価するなら、綺麗な部類には入るだろう。

 だが、際立って顔立ちが整っている訳でも、目が離せなくなるほどのスタイルの良さを持っている訳でもない。

 着ている服も一見すれば普通。ただし、よくよく見れば上等な素材だと分かる。素材だけなら貴族が着ていてもおかしくないような物だったが、そのデザインはそこらの街娘が着る物と変わらない。

 腰まで伸びた長い黒髪を揺らしながら近づいてくる女の見た目は20前後。

 だが、俺はそれが真実の年齢を示してはいないことを知っていた。


「久しぶりね、少年」

「そうだな。てっきり東には来ないのかと思っていた」


 俺のその言葉に、フェネクスは一層笑みを強くした。

 俺は逆に、自分の表情を渋くする。

 隠そうともせずに見せているのに、フェネクスは意に介さない。


「ようやく出てきてくれて助かったわ。多分、大森林にいるんだろうって踏んでたから、待つ気ではいたけど。実はどこかで死んでるんじゃないかってちょっと心配しちゃった」


 心配?それは俺の心配ではなく、この女自身の事情の心配だろう。

 助かった。待つ気でいた。

 ……それはつまり、俺が必要ということだ。

 何に?

 何かに、だ。


「俺を探してたのか?いや、待て、聞きたくない」


 フェネクスには鎧も、剣もない。

 武器は何ひとつとして持っていないのは、一目瞭然。

 まるで村に家があって、そこから歩いてきたと言わんばかりの軽装。

 気楽な散歩の途中、そんな趣だった。

 そんな女が徒歩で、こんな真夜中に歩いて現れる。

 魔物が出るはずの村の外から。

 あまりにも暢気に。

 こんなおかしなことはないだろう。

 武器が無くとも、魔法が使えるならば、何もおかしいところはないのかもしれない。

 しかし、俺はフェネクスが魔法を使ったところを見たことは無かった。

 いや、見たことが無いだけで、何らかの魔法が使えるのかもしれない。

 それにしたって、この女はあまりにも暢気に見える。いつだってそうだ。歩き方にも、立ち居振る舞いにも、何の心得も感じられない。

 戦ったことのない者特有の緊張感のなさ。

 人が争っているのを見たことがないとでも言うような、そんなお嬢様じみた仕草。

 だからこそ、俺はこの女を恐ろしく感じる。


「聞かなくても良いのよ。もう目的は果たしたし。顔を見せなくても良かったのだけど、近くにいるのに会わないなんてよそよそしいこと、少年にはしたくなかっただけだから」


 戦場で出会ったことは一度もない。

 だが、この女が俺の前に現れてから向かう戦場は非道い。

 人が人でなくなるような最低の戦場。

 そういう戦場に向かわなくてはならない直前に、この女は現れる。

 不吉の象徴でしかない。

 言ったところで、「周りにとっては少年がそうなのよ?」と返されるに決まっている。


「……今度は何が見たいんだ?」


 嘆息し、諦めたように尋ねる俺に、フェネクスは促すように言う。


「まずは、再会を祝して乾杯といきましょう」


 その手には、どこから取り出したのか、酒瓶とふたつのグラスが握られていた。






「乾杯」


 幕営の中、簡素な椅子に座り、形だけは掲げたグラスを合わせる。

 ひと口に飲むと、フェネクスは瓶を差し出してくる。

 何も言わずにグラスを差し出した。


「それにしても、スパルトイか。面白いものを引っ張り出してきたわね」


 フェネクスがちらりと俺の脇に立ったまま控えるエキオンを見た。

 フェイスガードはつけたまま。

 見た目では、それがただのスケルトンとは違うことが分かるはずがない。

 こういう女なのだ。

 知らないはずのことを知っている。

 「この世のすべての雑音は私の耳に入るの」とはいつの言葉だったか?


「知ってるのか?」

「んー、知ってるっていうほどのことは知らないけれど。あの女も知ってるはずよ」


 俺はスパルトイと、フェネクスが呼ぶのを否定しなかった。とぼけても無駄。そういう態度は返って喜ばせるだけだ。

 フェネクスがあの女と呼ぶのは、ババアのことに他ならない。

 どこかで因縁があったらしく、度々、こう呼んではその度に顔をしかめていた。

 現に今もしかめている。

 俺自身、スパルトイについて知らないことは多い。

 何か知っているのならば情報が欲しいところ……だが、この女にあまり無知をさらすのは得策とは思えない。

 話題を変えることにした。


「ババアのことは何か?」

「知らないわ。どうせどこかの山の中じゃない?誰かの噂にでもなってくれないと知りようがないわね。あのデスナイトに守られて、今もジメジメと研究してるんでしょ」

「そうか……」


 死んだ、そう言ってくれれば随分と気が楽になったのだが。

 ダニエルの手間も省ける。


「君の名前は?スパルトイ君?」


 エキオンに満面の笑みを向けて尋ねる。

 エキオンはそれを小首をかしげて見返す。

 俺の言いつけを守って演技をしているのだ。

 そんなエキオンをニコニコしたままじっと見つめる。その様子を見て、俺が折れた。


「良いぞ。この女には無駄だ。自分の知りたいことはどうあっても知る」

「そうか。エキオンだ」

「そう。エキオン。少年は私をフェネクスと呼ぶわ。よろしくね」


 フェネクスが差し出した手を、エキオンは握らなかった。

 かわりにもっとその姿を良く見るように、フェイスガードを外して、骨身をさらしてフェネクスへと眼窩を向けた。

 その骨身を見て、フェネクスは一層、笑みを強くする。


「それで?俺を探していた目的は?」


 俺が声を掛けると、手を引っ込め、自分でグラスに酒を注いだ。


「そんな察しが悪い子じゃないでしょ?」


 考えても、今、起こり得る、最も悪い事態というのはひとつしか出てこない。

 ドラゴンとフェレータ。

 その先触れとしてこの女が現れたとしか思えない。


「私に目的なんてないわ。あるのはいつだって周りの方。私はちょっと協力してあげるだけ。だから、少年にも頼みがあるのなら、聞いてあげるわよ?」


 上機嫌そうに酒を飲み干す。

 酒瓶を差し向けてきたが、俺はそれを断った。

 肩をすくめて、また自分でグラスに酒を注ぐ。

 誰かに頼まれて、俺の存在を確認しにきたという。

 そういうことだ。

 フェネクスはあのクソババアのことなんて知らないと言う。

 ならば相手は決まっていた。

 フェレータが頼んだのだ。

 この女に。

 世界は広い。

 人は多い。

 世界を滅ぼして回るよりは、確かにこの女に探させた方がはるかに早いに決まっていた。

 この女は自分からフェレータに近づき、そして言ったのだ。

 私なら探せる、と。


「それで?」

「それで?そんなものの頼み方があるの?」


 意地を張っても無駄。むしろ、コイツなら情報の精度は高いはずだ。

 ウムラウトの誰よりも、先んじて知れるというのなら、知っておくべき。

 そう自分を納得させることにした。


「……状況が知りたい。……頼む、教えてくれ」


 グラスの中の液体をゆらす。

 フェネクスはその様を眺めていた。

 笑みが消える。

 淡々と告げる。

 事務的に、感情のない声だった。


「アキュートという国は、もう存在していない、そう思った方が正解ね」


 フェネクスが語るのは最悪の状況だった。

 アキュートは既にほぼ壊滅。

 ほとんどの街や村は焼け落ちた。

 逃げられた人間はとても少なかったという。

 着のみ着のまま。

 そんなでは、逃げられたとしても他国に出る前に他の魔物の餌だ。実際に人の数が極端に減ったあの国では、普段は奥深い森などに潜んでいるはずの魔物が街道をうろついてすらいるという。

 最後までアキュートの本都、ティルデでは抵抗が続けられたが現在は陥落済み。

 大戦中の新興国であるアキュートには、かつてミレニアム1世がドラゴンを退治したという術は残っていない。

 これは東方諸国は大体がそうだ。それこそ、かつて千年王国の中心地だった西方諸国に行かないと伝わってはいないだろう。

 ティルデではドラゴンが城の上空を旋回し、人々はただただ怯えて暮らしている。

 情報がここまで遅れたのは、単に逃げ延びれた人間が極端に少なかったからだ。外からアキュートに入り、そして惨状を知って他国に逃れた商人もいた。

 商人は話した。

 村という村が焼け落ち、至る所に魔物が現れ、人の姿は一度も見ることはなかった、と。

 その話を聞いても、ドラゴンなんて単語には行き着かない。だから突如として国が滅んでも、それが何を意味するのか、周囲の国には想像し得なかった。


 ドラゴンは滅んだ。

 それこそ子供でも知っている。


 ティルデに行けば、姿が見える。

 姿を見れば信じただろう。

 しかし、ティルデに向かうにも魔物は多く、休めるような村も街も存在していない。そこまで向かうの自体が難しくなり、突如として魔物の国が現れたようなものだ。


 それこそ子どもに語る夢物語のように。

 国を滅ぼす悪いドラゴンが現れて。


 周辺の国が事態を把握するには、軍の派遣が必須。

 だが、それを行うには、この辺りの国々は小競り合いが多すぎた。

 軍の派遣は、別の国に付け入る隙を与えかねない。

 様子を見るままに、時が過ぎ、そしてついにドラゴンはアキュートの外にも姿を現し、誰もが知る。

 魔物の国に君臨する魔物の王。

 その正体を。

 滅んだはずのドラゴンがアキュートを蹂躙しつくしたのだと。


「ドラゴンは滅んだんじゃなかったのか?」


 フェネクスは意味ありげに微笑んだ。


「別にこの大陸が世界のすべてじゃないってことじゃないかしら?」


 この大陸は四面を海に覆われている。

 外から何かが現れたことは一度としてなかった。

 海には怪獣が出る。船では決して渡れない。

 それでも外にも世界はあるだろうとは、ずっと昔から言われてきた。

 だが、外に出て帰ってきた者はいないし、外から来たという者もいない。

 それは例え空を飛ぶ魔獣であっても同じだった。

 それほどまでに四面の海というのは果てしなく広大なのだろう。

 しかし、ドラゴンであればどうだろうか?

 あの無限に等しい魔力を持った魔獣であれば、確かに可能かもしれない。

 ならば。


「あのフェレータも外の世界から来たと?」


 ドラゴンの背に乗れば、可能じゃないかと思った。


「それはどうかしら?」

「……聞いて確認したんじゃないのか?」

「確かに私は話をしたわ。でも、アチラの少年は自分がどこから来たのか、自分が何なのか、分かっていなかった。なんとなく事情は想像出来たけど、それは少年が自分で尋ねて聞けば良い事だから、言わないでおくの」


 アチラの少年とはフェレータのことだろう。

 この女にとっては、誰も彼もが少年少女なのだろうか。

 俺の知る限り、例外はババアくらいだ。

 いい加減、俺のことを少年と呼ぶのはやめろ、とは既に何度も言っている。

 そんな年齢はとうの昔に過ぎ去った。

 それこそ、この女と会い、認識した頃の話だ。


「……他には」

「これだけ知ってれば十分じゃないかしら。状況は十分に分かったでしょ?」

「いや、まだだ。ドラゴンとフェレータは……この国に来るのか?」

「勿論、来るわ。ただし、それは私が戻って教えれば、の話」

「教えないというのは?」

「出来るわよ。ただし、その場合には無関係な周辺の国々がまとめて無人になるだけだけど」


 今、ドラゴンとフェレータが動かないのは、この女が調べているからだ。

 俺の行方を。

 行方が知れないとなれば、自分で探しに動くだけだろう。

 今まで通りに、人里を端から滅ぼして周り、そこに俺がいないのか確認するだけだ。

 俺がいれば、スケルトンが現れる。

 いなければ次の人里へ。

 そうして世界が滅んでいく。

 俺ひとりのために。

 俺はため息を吐いた。


「なぜ、俺を探す?なぜ、俺なんだ?」

「アチラの少年にはアチラの少年の目的があるの。探し人は正確には少年だけじゃないんだけど、たまたま最初に見つけたのが少年だった。それでリストの最上位に少年が今はなっているってだけ」

「リスト?今更、大戦でのあのリストじゃないだろうな?」


 大戦時、傭兵としては破格の待遇を約束された、どこの国にも属さないフリーの兵士というのが何人かいた。

 孤軍と呼ばれた者だ。

 大戦中は重宝されたが、大戦が終わると孤軍と呼ばれた者たちは皆一様に追われる身となった。

 どこの国にも属しようとしない、ひとりで軍に匹敵するような兵士など、どこの国にとっても脅威でしか有り得ない。

 侵入を許しただけで、都市が滅ぶ。

 そう恐れられた者たちがいたのだ。

 実際にはそこまでの戦力かと言われれば、そんなことはないだろうと、実際に追われていた身としては思うのだが、今なお脅威に思う国があり、リストに載せて警戒しているという。

 俺がリストと聞いて連想したのはそれのことだった。


「それとは違うのだけど、あながち間違ってないわよ。さすが」


 一気に体温が下がった気がした。

 酔うほどに飲んでなどいなかったが、それでも酒を飲んでいるという気分はどこにもない。

 違うんじゃないか。

 単なる被害妄想だ。

 そう思いたかったのだが、これで確定的になったという訳だ。

 ドラゴンとフェレータが、揃って俺を探しているというのは。


「フェネクス、頼みがある」

「あら?少年がこうしてきちんと改まって、自分から頼み事をしてくるのなんて初めてかしら?」


 からかうような調子で言われたが、俺はそれでも頭をきちんと下げた。

 どうしても必要なことがあった。

 誰に頭を下げてでも、必要なことだ。


「ドラゴンとフェレータの来訪、それを可能な限り遅らせてくれ。これ以上、被害の出ない形で。フェネクスならば、出来るはずだ」

「分かった。他でもない少年の頼み、確かにきいたわ」

「……良いのか?」


 あまりにも、あっさりと承諾の返事が返ってきた。

 それは予想外のことだった。

 散々、からかわれるか、それどころか断られることも考えていたからだ。


「私にも好意を寄せる相手はいるわ。だから、こうして一緒にお酒を飲んでいるんじゃない?私が気を許せる相手はそんなに多くはないし」


 この女は俺の味方ではない。

 その確信は俺がまだ子どもだったころから変わらない。

 だから、こうも普通の女のような言葉を聞かせられても、鵜呑みにはしなかった。ダニエル以上に、疑いに疑いを重ねた上で、尚も疑うべき女だ。

 つまり、これもこの女の目論み通りだった、そういうことなのだろう。

 だが、それでもこの女はやると言った以上はやるはずだ。

 それを聞き出せただけでも、気は多少は楽になった。

 待たせるのは女の特権、そんな下らない冗句は聞かなかったことにする。


「望みは?」


 女は笑う。

 それは男を惑わせる笑みだ。

 力強く男を引き寄せる。

 妖しい笑い。


「いつだって言っているでしょう?私はただ、見たいの。私が望む光景を。私が望む結末を」

「いつもお前はそこにいないのに?」


 この女は決して戦場には現れない。

 絶対に。

 戦場だけじゃない。

 あらゆる歴史的な出来事のその瞬間に、この女はいないのだ。

 だから誰も知らない。

 俺だけがこの女のことを知っているような錯覚すら覚える。

 でも、この女はそのどれもに無関係ではなかった。

 そのはずだった。


「ええ。いないわ。見るというのは違うかもね。ただ知れれば良い。知りたいのよ」

「お前が操った未来を、か?」


 女は答えなかった。

 すべての嘘と偽りに通じている女だ。

 かつて言った。

 すべての人の言葉は虚偽であり、空虚であり、そしてそれらすべては雑音。

 聞きたい言葉だけが、真実として、耳に心地よい音楽として響いているに過ぎない。

 雑音も音楽も私のものだと。


「少年、君には期待しているのよ。例えあなたが聞き飽きても、何度でも言ってあげる」


 フェネクスは立ち上がり、天幕の外へと向かう。

 立ち上がらずに、視線でそれを追うに留める。


「謀をする時は、この世のすべての嘘と秘密に通じているように。相手にとって都合の良い嘘をつきなさい。良いわね。どうせすべては誰かにとっての嘘よ」


 ならば、さっきのも嘘だ。

 そう思っても、俺は尋ねはしなかった。

 そうだ。

 まだ聞いていないことがあった。

 手をあげて天幕から出ようとするフェネクスを呼び止め、確認する。


「ああ、待った。まだひとつ知りたいことがある。グリパンはどうなった?」

「ギース・グリーンパンプキン元男爵のこと?」

「なに?」


 聞き覚えのない名とそして爵位が付いていた。


「自ら弟さんに領地を譲った東方の小国の元貴族。知らなかったのね?」


 いたずらっぽく笑って女は続ける。

 グリーンパンプキン。それは俺のビフロンスという呼び名のように、それは傭兵としての俗称だと思っていた。

 戦場で呼び合う慣わしとしての名だと。

 まさかそれが本名だったとは。


「そうじゃなければあれほどの魔剣をただの傭兵が持っている訳ないんだから、少年も気づいていると思ったんだけど」


 何も言わない俺に軽くため息を吐いて続ける。


「死んだわ。彼の魔剣も、肉体強化も大したものだったのね。最期は首を絞められて、それで」

「分かった。もう良い」


 分かっていた結果だ。

 それ以外にないと、直接見ていなくとも分かっていた。

 俺はもうひとつ、フェネクスに頼み事をして見送った。

 フェネクスは了承して、笑顔で手を振って天幕を出て行った。

 虫の声が僅かに聞こえた。

 その音だけを聞いて、座り込んだまま動けなかった。

 あまり考え事をしたいとも思えない。

 共に戦った仲間でも、絶対に許せない敵でも、その死を間近に見ることは存外少ない。

 気がつけば死んでいるのだ。

 知った時には既に手遅れなのだ。

 ヒロイックに、手の中で看取られる死なんてあり得ない。

 血反吐を吐いて、のたうち回って、誰に顧みられず死んでいく。

 それが戦場だ。

 そして、グリパンは俺が置いていった戦場で死んだ。

 それだけだ。

 エキオンはずっとフェネクスが出て行った先を見ていた。

 やがて、こちらへと振り向き言う。


「あれは?」


 エキオンは、あの女は?とは聞かなかった。

 まるで物の名前を確かめるように聞いてきた。


「質問が抽象的過ぎるな。どうした?何が気になる?」

「あれには穴があいている。大きな穴だ」

「穴?」

「ああ。そうとしか表現できない。正直、人間とは思えない」


 穴?

 何のことだ?

 エキオンは感じていることをうまく説明できないようだ。

 よく理解出来なかったので、かわりに簡単に説明してやった。


「昔からの知り合いだ。それこそ戦場に出た頃からのな。有名な人間じゃない。俺がひどい目に会う前に出てくるから俺にとっては災厄みたいなもんだ」


 何をする訳でもなく、何かをしている訳でもない。

 そこにいて、話しかけてくるのだ。

 最初は同じ女だとは認識できなかった。

 認識できるようになったのは、フェネクスと呼ぶようになってからだ。

 思い返せばあの女はどこの戦場の直前にもいたな、と。


「信頼できるのか?」

「さてね。直接的に騙されたことはない。ただ、結果としてハメられたと思うことは何度もあった」


 エキオンに見向きもせずに話していたが、改めてエキオンを見た。


「ただ、フェネクスが約束するならドラゴンは来ない。もうしばらくの時間が出来た」


 今の状況でもドラゴンに相対するに十分だと判断していたなら、あの女は「もう来るわよ。がんばってね」とでも言うだろう。

 まだ来ない、そう宣言したならドラゴンは来ない。

 そういうことだ。


「見張りに戻れ。悪いが話したい気分でもない」


 エキオンが外へと出て行く。

 天幕の隙間から月が見えた。

 いつの間に晴れたのか。

 綺麗な月だった。






 ◇◇◇


「フェネクスさん?」

「さんなんていらない。それは名前じゃない。記号と一緒だ」

「言っていることが良く分からないわ」

「そうだな。その方が良いだろう。どうせ知っていても知らなくても、あれはどうにかできるものじゃないか」

「ちょっと、勝手に納得しないでよ」

「ただ、もしも、女が現れて、いつも笑い顔しか浮かべないなら警戒しろ。その後に何が起こるのが最悪か、それだけを想像するんだ。良いな」


 フェネクスという名前を認識してしまったならば、この少女の前に現れる可能性は高い。話してしまってからしまったと思う。だが、もう遅い。


「そんな非道いことされたの?」

「されてはいない。ただ、あれは知っていたんだろうな、そう思うとイライラすることになる。それだけだ」


 強い感情というのは無くしてしまった。

 そのはずなのに、あれのことを思い返すとなぜか無性にイライラした。

 そのことが少しだけおかしかった。

 まるで人間のようではないか、と。


 ◇◇◇



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